5.婚約者候補達
「婚約者候補達はどうだい?」
王太子クオレが心なしか愉しげに見えるのは気のせいではないようだ。
「兄上までそのようなことを。私は王太子ではないのですから、そんなに結婚を急ぐ必要はありませんよ」
「喪が明ける頃には決めて欲しい」
「なるべく努力はしますが、約束はできません」
なぜ兄は自分の結婚を急かすのか。
カイルには、この婚約者選定は兄が王妃と組んだ、結託しているとしか思えなくなっていた。
イナンナの死から、最も信頼を寄せていた兄に対して、身内の中の味方を失ってしまったような気がしてならない。
これはカイルにとって大きな痛手だ。
底知れぬ闇に一人で突き落とされたようなものだ。
兄が義母と通じていても、最早驚きはしない。
母イヴォンヌが亡き後、父は義母のほぼ言いなりだから、自分の後ろ楯にはならない筈だ。
王妃の気分次第でこちらを潰しに来るだろう。
王位など全く欲しくはないが、 権力争いとは無縁でいられないのが口惜しい。
イナンナも結局その犠牲になったと言える。
血縁者とも互いの腹の探り合いに終始するなど、できれば終わりにしたいものだ。
相手への恭順を示しても害される。
いっそ、気のふれたふりをして王籍から抜ける方が安全かもしれない。
身内に殺されるか、追い詰められた末に自分で命を絶つか、それしかないとしたら······。
カイルは、幼馴染みでありもうじき伴侶になる筈だったイナンナを失い、気が狂いそうな孤独に襲われ続けていた。
幼くして母を失ってから、懐いていた乳母も義母に取り上げられた。
そんな自分に唯一残されたのは、幼少期から婚約を結んでいたイナンナだけだった。
ハーベイ同様に心から気を許せる親友であり恋人、家族以上に自分に寄り添ってくれる替えのきかない存在だった。
自分に打撃や痛手を負わせる目的でイナンナを奪った者がいるとしたら、まさにその通りの状態、相手の思うつぼにはまっていることだろう。
イナンナを失った今の自分を見てほくそ笑んでいる存在がいるのだ。
眠って目を覚ますと、イナンナはもういないのだということを突きつけられて絶望する。
カイルは、できればもう目覚めたくはなかった。
隣室のアドリアナ·エスター公爵令嬢は、夜間になるとカイルの部屋へ何かと理由をつけては来たがった。
既成事実的なものを早く作ってしまいたいのだろう。
彼女は王妃の派閥の令嬢だ。
令嬢も個人の願いよりも、家からの命令や圧力、義務感から結婚という縁を結びたいのだろうということは理解できる。
家格から言えば最も適してはいるが、あられもない姿で夜間に押し掛けられるのは辟易する。
媚薬を盛られないように気をつけなければならないのが苦痛だ。
向かいの部屋のジュリエッタ·マッシーモ侯爵令嬢は中立派の派閥の令嬢で、公爵令嬢のように夜間にはやって来ないだけまだマシだが、手紙攻撃をしてくるのは堪らない。
一日最低五通は届けられる彼女からの手紙への返事を催促され、その度仕事を中断させられる羽目になる。
時には柱の影や物陰からこちらを遠目でじっと窺っているようなこともあって、とにかく煩わしくて仕方がない。
あと一月もこの状態が続くと思うと気が滅入るばかりだ。
それで気がつくとイナンナの侍女部屋にいる令嬢に会いに来てしまう。
彼女は何の要求もアピールもしてこず、部屋へ行けば寛げるようにカイルに気を配り、静かに受け入れてくれる。
イナンナとはそれほど似ていない令嬢だが、カイルにとって今傍にいても苦痛ではないのは、彼女だけだった。
イナンナとの未来が突然奪われてしまい、自分の生きる気概を失いかけていた。
イナンナを思い出す度にカイルの胸は痛んでいた。
守ってやれなくてすまなかったと、彼女に詫びたくて仕方がなかった。
自分は生涯彼女を忘れることはないだろう。
それでもいつかは、そんな自分をこれから傍で支えてくれる女性が必要だとは思う。
だが、それは今すぐではない。
イナンナの二の舞にならないようにしなくては。
結婚という形ではなく、妻ではなくてもいいから、全幅の信頼をおける乳母のように自分の傍にいてくれるそんな人物がカイルはただ欲しかった。
「君は一月経ったら家に戻るのか?」
「いえ、帰りません。働きます」
「働く?どこで?」
「侍女として雇ってもらえるところを探します」
ユリアンヌは、養父のデフォー伯爵が自分の嫁ぎ先を用意してくれるのではないかと淡い期待をしていた。
けれどそれは虫のいい、実に甘い考えだったと痛感した。
今回王宮に出されてはじめて、自分で嫁ぎ先や働き先を見つけて自立しなければ、自分はもっと早く自立すべきだったと気がついた。
遅すぎるけれど、それでも気がつかないよりはマシだと。
「君の亡くなった両親の領地はどうなっている?婿を取って元の伯爵家を継ぐことは可能ではないのか?」
「うっかりしていて、養父に全部任せきりでそのことを全く考えて来なかったのです」
「それなら、こちらで調べて見よう」
「よろしいのですか?このようなことまでお手数おかけして申し訳ありません」
「領地を継げないならば、勤め先を紹介しよう」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで感謝を伝えるユリアンヌに、カイルは久々に朗らかに笑った。
カイルは彼女と会話して過ごすと夜が楽になった。
目覚めて絶望することも僅に減った。
「殿下、目の下のクマがなくなりましたね」
イナンナの葬儀の頃の悲惨な有り様は流石になくなったようだ。
「殿下、よく眠れていますか?」
「ああ」
「ちゃんと召し上がっていますか?」
「食べている」
ユリアンヌとは気が張らずに素直に話すことができた。
滞り固まってしまったものが、少しずつほぐれてゆくような気がしていた。
(もう少しだけ、このままでいたい)
知らないうちにソファで眠ってしまっていたのか、ユリアンヌが俺を肩に背負いながら、ずるずると引きずっているところだった。
イナンナのベッドに寝かせようとしているようだ。
「·····悪いな」
「玉体に勝手に触れてしまいまして申し訳ありません」
「ふははっ」
ユリアンヌのまるで護衛騎士のような生真面目な返答に力が抜けた。
ベッドに横たわると、一瞬イナンナの香りがしたような気がした。
むせび泣きしそうになるのを必死に堪えて、カイルは自分の腕で目元を隠して静かに泣き濡れた。