4.王太子クオレ
王太子のすぐ下の弟である第二王子カイルは、文武両道で人望もあり、王太子クオレの補佐役として、また王太子の有事のスペアとして申し分の無い高い評価を受けていた。
しかも未来の妻は美姫イナンナという羨望の的でもあった。
王太子クオレも実はイナンナを狙っていたという噂が一時まことしやかに囁かれていたが、一昨年隣国の王女を妻に迎えてからは、自然とそんな噂は消えていった。
王太子クオレとカイルは母イヴォンヌが産んだ兄弟で、第三王子エイモスの母で現王妃のサイベルとは反目し合っていると言われているのは事実ではなかった。
王妃サイベルは元々イヴォンヌの侍女で、王太子クオレはサイベルが産んだ王子だった。
同時期に妊娠していたイヴォンヌの子は死産だったため王の寵愛を受けたサイベルの子を自分の子として育てた。
そのことは国王夫妻しか知らず、カイルもそのことは知らされていなかった。
カイルは同母の兄弟だと信じているために兄クオレが王妃サイベルと通じているとは夢にも思っていなかったのだ。
兄クオレがイナンナを狙っていたというよりは、王妃サイベルが主にカイルからイナンナを奪おうと画策していた。
婚約者であるイナンナの王城での部屋をカイルの部屋から遠ざけたのはそのためだ。
王妃の意図を汲んだ王太子は、カイルとイナンナの仲を裂くために、王宮に出入りしていた吟遊詩人パーシヴァルを誘惑者として送り込むことにした。
当代きっての色男、貴婦人との火遊びの噂が絶えない遊び人ですらイナンナには歯が立たなかった。
そうこうしているうちにイナンナの兄ハーベイに気がつかれ、カイルに報告される羽目になった。
当分の間蟄居を命ぜられた吟遊詩人パーシヴァルは数ヵ月放浪生活を余儀なくされた。
そしてほとぼりのさめた頃、懲りずにまたパーシヴァルは王宮に戻って来た。
イナンナが事故死したのはそれからすぐのことだった。
イナンナの遺体の第一発見者が彼だったことで疑惑を招いたが、目撃者もおらず証拠もなかったため、王妃の計らいで不問にされた。
そしてまたイナンナの喪が開けるまで、王妃の命令で彼は身を隠すことにした。
近頃巷の流行り歌にはこのような内容の歌詞がある。
“ 女神の肩留めをはずしたら、何が見える?
それは女神の夫か恋人しか知らないことさ。
女神のへその下、右膝の裏には何がある
?
それも女神の夫か恋人にしかわからんさ。
女神の夫は王か王子か?
女神の恋人は兄か吟遊詩人か?
恥じらう女神は月に隠れてしまったよ。
悩ましき月を、王に王子に兄に吟遊詩人が追いかける。
ひらひらと芍薬の花弁を桃色の月が落とす。
誰がそれを拾い集めるのだろうか····· ”
まるでイナンナのことを歌ったような内容にハーベイとカイルは眉をひそめ心を痛めていた。
彼女の身体的特徴を晒して、貶めようとする悪意を感じたからだ。
もちろんこれは吟遊詩人パーシヴァルが作って流したものだ。王妃サイベルに流布するよう依頼されたからだ。
彼にとって印象操作や政治的な誘導や扇動はお手のものなのだ。
「あいつは絶対に許さない」
激怒するハーベイに、カイルも同意した。
「生涯出禁だ」
吟遊詩人パーシヴァルのパトロネスは王妃サイベルだとカイルは知っていたが、兄クオレがパーシヴァルと王妃とも通じていることをカイルがもし知ったならば、ただでは済まないだろう。
「匂うな」
「ああ」
カイルとハーベイは、王太子クオレの腹黒さにも薄々と気がつきはじめていた。