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女神が消えた日  作者:
3/14

3.イナンナの兄

喪が明ける前に急いで新たな婚約者選びが進められていることに立腹したのはイナンナの兄ハーベイだった。

しかも婚約者候補の一人がイナンナの使用していた部屋を居室にしているのを知って、文句や嫌味のひとつでも浴びせないと気が済まないと感じた彼は、先触れもなくユリアンヌの部屋へやって来た。


ドアをノックもせずに勢い良く開けると、侍女部屋から妹と同じ髪色の令嬢が、困惑した表情を浮かべながら現れた。

亡き妹に似た黎明の青い瞳に、ハーベイは言葉を失った。


「どなた様でしょうか?」

「イナンナ···」


部屋は妹が生きていた時のまま手は加えられておらず、机には妹が最も好んでいた淡い桃色の芍薬の花が美しく活けられていた。


名を呼べば今にも妹が本当に姿を現しそうで、叶わぬことであると知りつつも期待が込み上げた。


「ユリアンヌ·デフォーと申します」


令嬢が名乗り、ハーベイの切なる期待は打ち破られた。


「あなたが···」


イナンナの兄は、先触れもなくノックもせずに入室した非礼を詫びるのも忘れて立ちすくんだ。

嫌味のひとつでもという意気込みはすっかり失せて、誰よりも美しかった妹はもうこの世にいないのだという現実に、改めて打ちのめされた。


「一月が経ちましたらすぐにお暇致しますので、どうかそれまでご容赦下さいませ。イナンナ様の物には一切触れません」


ユリアンヌは彼がイナンナの遺族なのではないかと予測してそう答えた。


「この部屋に通されたということは、あなたがカイル殿下の婚約者に決まったのでは?」

「いいえ、私は当て馬役に過ぎません」

「当て馬?」

「はい」


ユリアンヌがあまりにも自信満々で返答したのでハーベイは面食らった。


「今お茶をご用意しますのでお待ち下さい」


***


ハーベイはユリアンヌが淹れたお茶を一口啜る頃には冷静さを取り戻していた。


「先程は失礼致しました」

「いえ、ご遺族はもちろんのこと、王子殿下も納得されてはいないでしょう」

「当て馬だと知っているのに、なぜ王宮に?」

「ダメ元でいいから、とりあえず行ってこいと父に頼まれまして」


あっけらかんとして気取らないユリアンヌに、ハーベイは毒気を抜かれる思いだった。


「私のような者が、女神のごときイナンナ様の代わりには逆立ちしてもなれませんわ」


貴族令嬢特有の思わせぶりな表現や、回りくどさの無い率直な発言はイナンナへの喪失感で疲弊していた彼にはありがたかった。

ユリアンヌ·デフォー伯爵令嬢は黒髪碧眼なだけで、その中身は魅惑の微笑みで本心を見せるのを巧みにかわしていた淑女イナンナには似ても似つかないものだ。

だがそれが、意外にもハーベイにとって心地よかった。


部屋を去る時には、愛娘を喪って未だに立ち直られずにいる両親にも彼女を引き合わせてみたいという思いが芽生えていた。


「レディ、ではまた近いうちにお会いいたしましょう」


女神と呼ばれたイナンナの兄も、負けず劣らずの美麗な微笑を浮かべて、ユリアンヌの手の甲へ口づけを落とした。


「ハーベイ·ルーベンス、君はここで何をしているんだい?」


古い友人でもあり、義理の兄になる筈だった男を、カイルはドアにもたれながらたしなめた。


「妹の代わりになるかもしれない女性を見極めに来ただけですよ」

「それは君の役目ではないと思うが?」

「まあ、そうですけどね」


ハーベイ·ルーベンス侯爵令息はユリアンヌの手を放すと「では」と軽く会釈をし部屋を出て行った。


「全くあいつは油断も隙もないな」


口ではそう言いつつ、カイルはどこか楽しげだった。


「イナンナ様の兄上だったのですね」

「······イナンナは侯爵家の養女だったから、あれは実の兄ではないんだよ」

「そうだったのですか。それでもとてもご家族に愛されていたのですね」


イナンナはルーベンス侯爵の妹の娘で、イナンナの母はイナンナを産んですぐに亡くなっていた。ハーベイとは従兄妹同士だった。


「義兄というよりは恋敵だ」

「ええっ?」

「もちろんあいつの片思いだったが」

「それは···、ハーベイ様にとってはイナンナ様は近くて遠い人だったのですね」

「ん?······何だかやけに実感が込もっているな?」


訝しむカイルにユリアンヌは焦った。


「わ、私も伯爵家の養女ですので」

「君は自分の兄に恋をしたのか?」

「いえ、兄なのにお兄様とは呼べなかったので」


ユリアンヌが伯爵家へ引き取られた時、兄になったアルバートはユリアンヌを非常に気使い、優しく扱ってくれた。

しかし当時ユリアンヌと同じ六歳だったジャスミンは「私のお兄様を取らないで!お兄様は私だけのものよ!」と激しい癇癪を起こして家族を困らせた。

以来アルバートのことをお兄様とは呼べなくなってしまい、兄を「アルバート様」とずっと呼んで来たのだ。


兄妹として仲は悪くなかったが、公的な場では兄上とは呼ぶことはあっても、まだ一度もお兄様とは呼べていなかった。


「妹はもう覚えていないでしょうが、呼ぶタイミングを逸してしまったと言いますか·····」

「それは難儀なことだったな」


これまでのやり取りだけでも、カイルが思いやり深い人物であることをユリアンヌは身をもって実感した。

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