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女神が消えた日  作者:
13/14

番外編 カイルの修道生活②

「熱っ!」

「兄弟、大丈夫ですか?」


鉄鍋の熱した油が跳ねて、カイルの左頬を直撃した。


煮炊きは徐々に慣れて来ていたが、調理する際の火加減がまだあやふやだった。


畑で収穫した茄子とパプリカを炒めているところだった。


今夜はカイルと年若いトマスが厨房担当だった。

玉ねぎといんげん豆のスープ、じゃがいもと塩漬け鰯の香草焼きが主菜だった。


常に腹八分目、満腹感と無縁だ。

敢えて満腹にならない大きさの器によそって食事をいただくのだ。


満腹の手前で食事を終える、それは嫌でも自然に体重は落ちた。

元から細身のカイルの体躯は、更に痩せた。

痩せたが頭は不思議と冴えていた。


空腹を感じたら、それぞれが集中できる作業をして、飢えを誤魔化した。


「なかなか美味しくできましたね」

「ありがとうございます」


成人男性にしては、やはり食事のボリュームは足りていないとカイルの目にも明らかだった。


「ボリュームよりも栄養です」


白髪と同じく真っ白い髭に覆われた顔で年長の修道士達は下の者に説いている。


野外での力仕事が続いた時などは、ふらついてしまうこともあり、本当にこれで体力維持ができるのか?


カイルはそんな疑念を抱いてしまうような、それほど信心深くはなかったが、それでも戒律には従っていた。


この宗派の開祖は四十を越えずに帰天したと言われているが、確かに今ここにいる兄弟達も、五十はおろか、四十越えの人物は見当たらない。


─── 三十代で逝くのだろうか、自分も。


まさか兄クオレはこれをわかっていて、自分をここへ送ったのか?


だとしたら、とんでもない策士だ。


待っていさえすれば、どうやってもそのうち短命で死ぬのだから。


ここへ来て一年半が過ぎ、カイルはじきに二十七歳になる。

兄の思い通りには絶対になりたくないと、カイルは心の底から思った。


どうすれば信仰心を持ちながら、もっと長生きができるのか?


開祖は実は病弱だったとも伝わっている。


だからといって、信徒もみな短命で良いわけではない。


カイルは最年長のシモンにそのことについて尋ねてみた。

最年長の者だけが老兄弟と呼ばれていた。


シモンは現在三十八歳で、孤児だった彼はここへ預けられて今年で三十年になるという。


カイルの知る一般的な三十八歳の男としては、彼はかなり老けていた。三十代だと言われなければ老人のようにしか目えない。

年齢による風貌は個人差があるにしても、これには驚くしかない。


「ふふふ、あなたもそう思いましたか」

「では、老兄弟、あなたも?」

「もちろんです。私も二十代が終わる頃、不安になり先代に問うたのですよ」

「それで先代はどう答えたのですか?」


シモン老兄弟は衝撃的な回答をした。


「皆死ねば良いのです」

「なっ······」


カイルは絶句した。


「 三十になったら、皆死ぬのです」

「······?!」

「死んでここを出れば良いのですよ。三十を

 向かえたら在家になるのです」

「では、死ぬとは···」

「そうです、在家になることを『死ぬ』とここでは言うのです」


信仰心を持ちながら、生家や家族達のいる市井に戻る。確かにそれならば過酷な修行は緩めることができ、身体への負担は減り長生きも可能になる。


戻るところの無い者、行くところの無い者は、別の修道院へ移させるという。


それでも希望する者は、三十代になっても在家にならずにここにいても良いそうだ。


「カイル様はどうなさりたいですか?」


シモンだけがカイルの出自を知っていた。


「私の戻るところ······」


戻れるところなど、この私にあるだろうか?


戻れる戻れないを別にしても、あのビスケットをもう一度だけ食べてみたい······。


そんな願望が一瞬カイルの脳裏をかすめた。


ユリアンヌがルーヴェンス侯爵家の養女になったとハーベイの手紙で知らされた。


ユリアンヌはハーベイといれば安全だ。じきに侯爵夫人になるのではないだろうか。


この時カイルは本当にそう思っていた。



「あなた様にはまだ猶予がごさいます。死んだ後の行き先をじっくりお考え下さいませ」



それから二年後、まさか王宮から戻って来るように連絡が届くなど全く知らないカイルは、在家になるとしても、平民として生きてゆくのだから、生活してゆく技術を身につけなければと、家事や肉体労働のスキルを可能な限り磨くことにした。


没頭しやすいカイルは、凝り性だった。


彼ならば何らかの職人や研究者になれるかもしれない。


編み物以外に裁縫も上達し、掃除や洗濯、料理も一通り人並み以上にできるようになった。


畑作業から、羊の毛を刈る作業、屋根の修繕から、漆喰の塗り直しなど、めきめきと自分にできることを増やして行ったのは言うまでもない。


ただひとつ彼が苦手とするものは女性の扱いだった。


痩躯になっても彼の銀髪碧眼の美貌自体は健在だったので、托鉢や肉体労働のおりに言い寄ってくる女性が多かった。


「僧侶にしておくにはもったいないわぁ」

「還俗して私と所帯を持ちませんか?」

「お願い、どうか私と一晩だけでも······」


カイルはグイグイ押しの強い突撃型の女性がとにかく苦手だった。

王子の時ならばいざ知らず、なぜ僧侶にさえ迫ろうとするのかが理解できなかった。


「兄弟、なかなかモテますね」

「いやいやいや、僧侶がモテるなどダメでしょう」

「若いのだから、いいではありませんか」


来年在家となる予定の兄弟は平然と言った。


「破門されたらどうするのですか!」

「我が宗派では、未亡人に限り向こうが懇願した場合は関係を待っても許されるのですよ」

「?!」

「院内の男色は禁止ですが、院外についてはその限りではありません」

「······」


カイルはその謎の戒律に困惑した。


在家になることで短命から逃れる道もあるこの宗派、なかなか奥が深い······いや、かなり微妙だと思いはじめていた。


後二、三十年過ぎたら、だいぶ戒律は緩くなっているのではないか?


そんな気がしてならないカイルだった。

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