第三話 毒を喰らわば皿まで
目の前の彼の言葉に視界がぐにゃりと歪んだよな感覚に陥る。こちらの様子を気にする素振りもなく彼は言葉を続けた。
「墓守の仕事はそのほとんどが墓の管理だ。だが、オレがしてるのはそれだけじゃあない。この墓に眠る者の防腐処理をオレが行ってる。」
「……防腐処理?」
そんなもの死んだ者に行うだなんて聞いたことがない。食材の防腐処理は酒場の仕事から学んだが、それを人間相手に行うなんて非人道的だ。
「ご遺体を腐らせないようにして眠らせるんだ。少しでも安らかにな。」
「……な、なんて非人道的な。」
「それはあんただろ。」
目の前の彼は全てを知っているようにこちらに向かって言葉を投げた。目があったら最後。動けなくなるほど鋭く、自信を帯びた眼光でこちらを見ている。僕は相変わらず言葉を紡げないでいた。
「あんたのジーちゃん。血が異常なほど固まってた。それに口周りと喉のただれ、あの症状には覚えがある。……トルリィルだ。」
トルリィルは毒性のある植物の名前だ。丸みを帯びた葉と蕾のような赤い花弁、その花弁を覆ってしまうほどの大きな萼が特徴である。一見そこらに生えてるものと変わりない小さな見た目だが一定量以上体内に取り込むと毒の分解が追いつかず、そのまま死に至ってしまう。この国でも禁止されていないものの危険植物として登録されているくらいだ。彼の言っているように、その中毒症状には血液凝固と汁液が触れた部分のただれが存在する。
「直近で運ばれてくるご遺体に同じような症状の者はいない。つまり流行病ではないと考えられる。それにあんな体躯の良い爺さんが病に侵されてるはずがない。」
冷ややかで怒りも含まれているような目線に僕は唾を飲み込んだ。片や彼は自身のターンが終わったかのように口を閉ざして黙っているばかりだ。気まずさで汗が垂れる。正直見ず知らずの彼に何を知られようがどう思われようが明日この国を旅立つ僕には関係ない。だがここは両親の墓の前。この墓の前ではできるだけ穏やかな時を過ごしたい。
「ここで話すのはもうやめにしてくれ。僕の、家族の墓の前だぞ。」
「ふっ。あんたにもそういう脳があるんだな。腐っても勇者かよ。いい。オレの住処に来い。」
了承していないのにも関わらず彼は歩み始めた。呆気に取られその場から動けずにいると、早くしろと声がかかった。僕はこの声の主に従うこと以外選択肢がなかった。
ここだと言われて着いたのは墓地の裏にある防壁の建築小屋だった。正確に言えば建築小屋の跡地で雨風がギリギリ凌げるほど簡易的な小屋だ。
鍵も存在していない小屋の扉を開けると中は大きな机と墓守に使うのか土木用の工具が置いてあり、端には藁に布が被せられただけの寝床のようなものがある。家というよりはただ眠る場所のようにも見える。
「机はあるのに椅子がない。」
「…椅子は危ないからな。そんなことより話してくれんだよな?」
それは問いかけというより圧だった。僕はじいちゃんにあげた自家製ハーブティーの中にトルリィルを入れて毒殺したという事実をありのままに話した。
「ハーブティーにトルリィルねえ。ほんとお前勇者一族とは思えないな。」
「……なりたくてなったわけじゃないよ。」
気が滅入っているのか、するりと本音が口から出る。
僕だって別になりたくてなったわけじゃない。勇者は世襲制なのだ。剣が勇者を選ぶといっても選ばれるのは勇者の血縁者のみ。両親がすでにおらず兄弟もいない僕は前勇者である祖父が死んだら自動的に勇者になるのだ。これは避けられない運命だった。
「じゃあなんで殺した。」
「勇者になるためさ。」
彼は顔を歪めて、言っている意味を理解できていないような表情をしている。
「勇者は死に、魔王はよみがえる。この国の有名な伝承の一節にある。」
「知らん。」
「僕は、魔王に会いに行く。」
「…何言ってんだ。」
勇者が死ぬと魔王がよみがえる。これは事実かはわからない。ただ魔王の存在は確実に近い。それも度々魔王の話が国の掲示板に張り出されたり、酒場で話題に上がったりしていたからだ。平和ボケしている国でさえ危機感を持つ対象の魔王だけど、未だかつて魔獣に攻め込まれたことも魔王自体が侵攻してきた記録ももう歴史本の中の話だ。
魔王はもう戦う気がない。僕はそう思った。
「魔王を、魔王の魂を解放する。」
「魂なんて馬鹿馬鹿しい。今代の勇者は正気じゃないな。」
「勇者に夢見てるとこ申し訳ないけど、勇者はどの世代も正気じゃないよ。」
「……いつだ。」
いつだって聞こえた気がするけど気のせいだよね。この人ついて来るつもりか?
魔王の魂を解放すると言っても方法も場所も何もわからないし見当もつかない。だから正直協力者は多いに越したことはない。
「明日、この国を出るつもり。」
「オレも行く。」
「え?」
予感はしていたが予想外の言葉に驚いてしまう。彼はずっとまっすぐな目線でいるが何を考えているかわからない。今だって心の中で何を思っているのか全く読み取れない。
「墓守も趣味でやってたようなもんだ。防護魔法か知らんが墓自体も汚れないしな。ここにも防壁の中に入れないからいるだけで本意じゃあない。お前についていく。」
墓守を趣味でやるなんてどんな変態だよ。それに防壁の中に入れないってどう言うことだ。目の前の彼はどこから見ても真剣そのものだ。協力者になるなら断る理由がない。しかし彼の素性が気になる。
「ここの墓地は両親から継いだものだ。しかし正式な認証も何もない。つまりオレの正式な所有地じゃない。」
所有権もない墓地を無償で管理してたってことか。でもどうしてそこまでするんだ。聞けば聞くほど彼のことがわからなくなる。
「なんで防壁の中には入れないの?」
「出生登録されてないからだ。国に入ると人権がなくなる。外の方が何かと都合がいいんだ。罰当たりだが供物を盗ることもある。だがそれで生きてる。」
言葉に詰まる。当たり前だと言うように淡々と話す彼に尊敬のような同情のような念を抱いた。同い年くらいの未登録者に会ったのは初めてだったし、大体自らそれを明かす人にも会ったことがなかったからだ。
こんなとこでよく生きてたな。僕はなんだか彼に、カバネに興味が湧いた。脳裏に共に旅に出てる情景が浮かんだ。どうしようもなくその景色が腑に落ちた。
「カバネ、と言ったね。ともに行こうか。」
気づけばカバネの前に手を差し出していた。なんだかむず痒い。
「勇者カロシマの最期を見届けてやるよ。」
表情筋がまともに稼働しておらず、不気味とも受け取れる笑みを浮かべるカバネに握り返された手はあたたかく、勇者である僕よりも筋肉質だった。こうして僕には一人仲間が増えたのだった。