今日から奴隷!(2)
尻尾が身体に入ったような……
「い、今、何をしたんですか……!」
女がようやく口を利いた。
身体と身体が尻尾で繋がったためか、全身の硬直が解けたのだろう。
『きままが何も喋らないから、直接覗いてみたまでだ』
おかげで、人間どもの穢れに関する知識や扱いから、なぜこいつが置き去りにされたのかは理解できた。
罠でも囮でもない。単純にこいつが穢れたカナリアだから、穢れの塊であるおれが真っ先に襲うだろうと、逃げた連中はもちろん、こいつ自身もそう考えていたらしい。
判断そのものは正しい。
しかし、認識が間違っている。
「よく分かりませんが……まだ腰のあたりがむずむずします」
『おれさまの身体は、きさまらの言う穢れで出来ている』
言いながら、おれは女の膝の上にのしかかる。
『だから、見た目や大きさもある程度は思いのままだ』
「小さくなった?」
『これが本来の形だ』
おれが宿り、おれが成り代わった、白猫の生き姿。
『どうだ、恐ろしいか?』
「……むしろ可愛いです。真っ白な毛に、真っ青な瞳……。さっきまであんなに大きくて、尻尾なんて三つもあったのに……」
『尻尾の数は変わっていない』
「え、でも二本しか……」
『あるだろう、きさまの後ろにもうひとつ』
女を蝕んでいる穢れを調べるために、繋げた一本の尻尾。
それをおれは自分から切り離し、女の身体に残しておいたのだ。
「は、生えてる! 黒くてふわふわしたのが動いてる――!」
泣き叫び、うろたえる様は、なかなか見ものだった。
が、せっかく植えつけた尻尾を傷つけられては元も子も無い。
『――まぁ、落ち着け』
おれは女の手に爪を立てる。
『別にからかうためだけに、尻尾を残したわけではない。よく見ろ、きさまの手を』
「いたた……傷になってますけど……」
『ほぉ、どこがどう痛む?』
「これです。あなたの爪が……あれ……」
『きさまは今まさに、穢れに食われている。皮膚に始まり、肉や骨にまで広がって、両手に至っては自由を奪われていたが……』
「――動いてる――私の手、私の指――!」
穢れと呼んでいるものは、ただ宿主を食らうわけではない。
食らうことで、そのものに成り代わるのだ。
こいつの場合、両手のほとんどが穢れに食われていた。肘から先が切り落とされたように感覚を無くしているため、突き飛ばされても受身が取れず、立ち上がることさえままならなかったのだ。
両手の自由を失った時間の長さだけ、感覚に慣れる必要だろう。
『とはいえ、きさまの身体は依然として……』
「ありがとうございます! 私なんかのために、大事な尻尾まで与えてくれて――!」
あくびをしながら話していると、いきなり羽交い絞めされた。
手加減なしの全力。しかも、ただの人間の腕ではない。穢れで出来た特別製。
いかに穢れで構成された猫の身体といえども、同じ穢れで出来た物質ならダメージは受ける。場合によっては、霧散する。
要するに、死ぬ……。
『…………苦しい……放せ…………』
必死で腕をひっかくと、ようやく女はおれを解放した。
「――ご、ごご、ごめんなさい――!」
『……やはり身体ごと……あるいは思考を……』
息を整えるように、身体を整える。
『……いや、それはそれで面倒だな……。無知な奴隷に近づきすぎたおれさまにも責任がある。今後は気をつけろ』
「……あの、大丈夫、ですか……?」
『おれさまが普通の猫なら、死んでいたところだ』
「……ごめんなさい……」
『まぁ……おれはきさまらの言うところのグリムだ。この程度でどうにかなるなど、頭にも無かったのだろう。普通ならそうだが、きさまの手は依然として穢れている』
「穢れ……でも、痛みや違和感は特に……」
『傷はどうした?』
「……きれいになってます……」
『きさまの身体を食らった穢れは消えて無くなったわけではない。ただ、おれの植えつけた尻尾に従っているだけだ』
「……つまり、私はあなたという大きな穢れの支配下にある……ということですか?」
穢れに両手を食われ、支配権を奪われた経験が、現状を理解する助けになっているようだ。
『まぁ、おれさまには逆らわないことだ。尻尾で繋がっている以上、おれからは逃げられないし、きさまの思考も筒抜けだ。殺意を向けたその瞬間が最期だと思え』
「逃げませんし、殺しません」
驚いて困惑しているのは、表情だけではないらしい。
「私を殺さないどころか、腕まで治してくれたような猫さんに、ひどいことなんてできるわけないじゃないですか」
『――本気で言っているのか? おれはきさまら人間にとって敵だぞ?』
「そう……かもですけど……でも、悪い猫さんには見えません。可愛いですし」
『……見た目は関係ないだろう……』
「確かに、最初の姿はものすごく恐ろしかったです。でもよくよく考えれば、顔とか目の色は同じでした。話しかけてくれたのに、怖がって返事もできなくてごめんなさい」
『…………』
「あ、でも……考えていること、分かっちゃう……ですよね。もしかして、全部でしょうか? だとしたら、ちょっと恥ずかしいかも、です……」
卑屈に笑う。
逃げるわけでも、抗うわけでもなく、ただ諦めているだけの笑顔。
争うだけ無駄と考えている。
幼少から見捨てられ、穢れた連中の一人として修道院に放り込まれ、両手の自由を失ってもなお、他人が生きるためだけに存在する。己がそういう生き物なのだと認識するのも当然だし、他に生きる術が見出せたとも思えない。
無知で愚かで従順。
……でもなければ、穢れとこれまでも、そしてこれからも付き合うことはできない……か。
『いちいち考えを読んだりはしない。面倒で、うるさいだけだ』
「そうなんですか?」
『ウソをついているかどうかは、すぐに分かるがな』
「あ、それくらいでしたら平気です。ちょっと安心しました……」
おれの言葉を信じていないわけではない。
頭の中を覗かれたという感覚は残っているし、理解もしている。
なのに、『安心』とは……。
従順さは美徳だ。だから奴隷にした。
……しかしそれは誰にでも良い様に扱われるためではない。
『きさまには…………いや、きさまらには少々、教育が必要なようだな』
「へ?」
『おれを修道院とやらに案内しろ。きさまら腑抜けたカナリアどもに、穢れとは何かを教えてやる』
「…………もしかして、他の子たちも治してくれる…………ということですか?」
『治療ではない。きさまの手と同じようにするだけだ』
「……だけど、死なずに済むかもしれない……?」
『少なくとも、穢れに殺される可能性は減るだろうな』
「でもどうして? ここが猫さんのお家なのに、私たちなんかのために――」
『おれさまは猫だ』
どかりと、女の膝で丸くなる。
『だらだら暮らし、ぐうたら寝て、気ままに生きるのが仕事だ。おれ自身が穢れでも、猫である本質までは変わらん。ここでの自由にも少々飽きた。おれさまの世話を焼け。きさまはそのための奴隷だ。文句あるか?』
「…………いいえ」
『では働け。おれさまを担いで帰るのが、きさまの最初の仕事だ。足の傷は治しておいたから、問題なかろう』
「いつの間に――何から何までありがとうございます、猫さん」
『……いい加減、猫さんは止めろ』
「あ、ごめんなさい。じゃあ、お名前を教えてください」
おれは穢れだ。名前など無い。
しかし、おれがおれである以前。
おれが食らった宿主は、こう呼ばれていた……。
『……ネロ』
「ネロ様――。いいお名前ですね」
『…………』
「ちなみに私はユアと申します」
『知っているし、聞いていない。行くぞ、奴隷』
「――はい!」
季節は初夏。正午過ぎ。
かすかだが雨の匂いがした。
プロフィール
ユア(奴隷)
AGE:18
BLOOD TYPE:O型
BLACK MANA:腕
『161㎝の修道女。栗毛のミディアムボブ。一言で表すなら、阿呆』
ネロ(おれ)
AGE:忘れた
BLOOD TYPE:無し
BLACK MANA:全身
『基本は体長50㎝の白猫。伸縮自在(特に尻尾)。一言で、美しい…』