一生のうちに二度余命宣告を受けた猫である君へ ~LGLリンパ種~
ここ最近Twitter更新等が滞っており心配された方もいらっしゃるかもしれないが、その理由は猫に起因している。
これまで特に身の上話として配信等でも語っていなかったのだが、実は作者は1年ほど前から猫の看病と併行しながら活動していた。
その猫が旅立ったのがつい一昨日の事である。
予め述べておくと旅立ったのは配信中に度々自己アピールしていた猫ではない。
配信中にはわずか2回ほどしか姿を現していない、レアキャラとも称していた猫の方である。
こちらの猫は普段自分の部屋に訪れるのは深夜3時以降の事が極めて多く、配信中には殆ど顔を出したことが無い。
猫には行動の法則性……すなわちルーティーンのようなものがある者もいるのだが、そのルーティーンに常に従って生きていたため、殆ど顔を出すことは無かった。
享年6歳6か月。
はっきり言って昨今の実情から鑑みても若すぎる旅立ちである。
出会った当初からさほど体が頑丈な方ではなかったものの、同居人としての悔しさというのは尋常なものではない。
何よりも筆者が悔しさを感じるのは、誰よりも早く体調の変化に気づきながらも、結果、死の直接的原因となった病の早期発見に至ることが出来なかった点である。
何しろ死の直接的原因となった病魔の正体は、彼が旅立った後、火葬直前及び火葬後に判明したからだ。
病名はLGLリンパ種。
すなわちガンである。
今回このようなエッセイを投稿した理由は、発覚した病気の正体によって渦巻く感情を抑え込めなかったためだ。
まず本題に入る前に軽く触れておかねばならないことがある。
筆者がこれまで猫に関する話を投稿してこなかった理由については配信上では既に述べているのだが、ここで改めて記述することにする。
筆者は以前に「命の87日間」と題した小説を投稿しようとした事がある。
内容は完全なる自叙伝であり、とある事情により離職した青年が17年間付き合った猫と別れるまでを綴ったものであった。
その猫は17年と10か月で一生を閉じたが、死の直接的原因となったのは急性腎不全であり、最終的には多臓器不全に至って旅立っている。
筆者はそれまで1度別の猫を飼ったことがあったものの事故によって失っており、10年以上付き添うこととなったのは二代目にあたるその猫が初めてであった。
本作の執筆理由は、ほぼ家族同然である存在との関係が根底から粉々に崩されていく中でどう向き合うべきかなのか、同じ猫を飼う立場の方々へ向けて投げかけたかったからである。
しかしインターネット上を取り巻く状況を見た筆者は最終的にお蔵入りとして作品を消去している。
当時既に生じていたYouTube等における各人の猫に対する扱い、そして一部で感動ポルノとも称される内容構成による投稿者の集客姿勢から、自らの創作物は彼らがやっている事と何が違うのかと疑問が生じたためである。
なので配信上では「開発中のAIM関係の治療薬が完成するまでの間、猫は一度腎不全となったら、特に急性腎不全となったらもう助かる見込みはほぼ無いので、最期の瞬間までどう付き合うか考え、助かるとか治るといった希望は抱かない事。なるべく苦しめない方法でもって最期を迎えさせてあげるべき」――とだけ伝えたが、この話……実は自らにも言い聞かせていたことであった。
すでにこの時、一昨日旅立った猫は病と闘っていたのである。
別の病魔に侵されていて、治療を行っていた。
病名は炎症性腸疾患(IBD)であり、腸が原因不明の炎症を起こして肥大し、活動を停止してしまったのだ。
もしかするとこの病気がガンの遠因となったか、あるいはガンが本病を発症させた原因だったのかもしれないのだが、残念ながら正確な因果関係は不明である。(なお炎症性腸疾患からリンパ種となるケース、リンパ種が原因で炎症性腸疾患となるケースはどちらも存在しており、IBDだと思ったらリンパ種だったという事も相応にあるそうだが、それがリンパ種によって引き起こされたかどうかはケースバイケースだそう)
なお、本病は昨年の秋には完治という判断を獣医により下されていて、最後に病院にて診察を受けた際にも腸の状態に問題は無いと述べられている。(つまり炎症性腸疾患自体は収まっていた)
また、配信を始めた頃には既に治療開始から7月が経過しており、経過良好で状態は比較的安定していて配信活動等に支障が出るほどではなかった。
そもそも筆者は冒頭にて同居人と述べたように、実は旅立った猫との関係は飼い主とペットという立場とは少々異なっている。
現在までの筆者の生活スタイルは仕事場兼自宅と実家の双方を行き来している状態で、猫は実家側にいたためだ。
ほぼ実家には帰らないので飼っているというわけではない。
配信は実家、自宅双方で行っていたが主としてPCゲーは実家からである。
そもそもが配信活動を行っていた理由の1つが猫が急変しないよう実家にて待機する間、起きてなければならないので、調べものや物書き等以外に別途何か始めたいなと考えるに至ってのことである。(他にも複合した理由もあるが)
つまり旅立った猫は深夜3時を過ぎて5時頃までに部屋に訪れて筆者の部屋のどこかで寝るので、その様子をしばらく見て自分も寝るというルーティーンの合間にやっていたのが配信だったという事だ。
なお猫を直接確認せず配信していいのかという意見が出てきそうだが、その頃の筆者は基本急変した際に病院まで連れて行く立場の人間であって深夜3時頃までは家族が様子を見ている。
筆者が主として直接状況を確認する時間帯は昼頃。
様子見は曜日ごとに家族分担で24時間をカバーできるようにしており、筆者におけるGT~深夜帯はあくまで万が一の際の運び屋担当という立場で待機していたに過ぎない。
そしてここまで書けばお気づきの人もいらっしゃるかもしれないが、ここ2か月ほど殆どまともに配信していないというのは、筆者がほぼつきっきりで直接様子を見ていたからである。
旅立った猫は昨年11月頃までは一旦回復傾向を見せたが、その後再び症状が悪化。
つきっきりの看病が必要となりほぼ実家暮らしとなる。
その間に何度か病院に訪れて診療を受けるも原因は不明であり、最終的にこれ以上の治療は不可能との判断がなされた事から投薬による自宅での終末期医療が行われる事になり、コロナに感染した時期を除いてほぼすべての期間、筆者は旅立った猫と生活を共にし……一昨日に至る。
この時、旅立った猫は最後に病院を訪れた際、獣医により余命3か月~4か月と診断されたのだが……実はこの余命宣告は2度目の事だった。
余命宣告を受けたのは1度目ではなかったのだ。
本エッセイを書くキッカケとなったのはこれが影響している。
ではこれより1度目の余命宣告までの経緯について解説していこう。
前述したように、旅立った猫の体調に異変を真っ先に感じたのは筆者だった。
時は2021年12月上旬。
以前会った時よりも旅立った猫の背中やや細くなった様子を見て、瘦せたのではないかと感じとった筆者は、不安にかられて体重を計測する。
この猫はとてもガタイが良く、体つきもやや大きめだったのだが、それまでの体重は6kg~6.2kgほどあった。
それが5.6kgまで落ちていたのである。
実は偶然にも2週間前に体重を計測しており、その時は6.1kgもあったため実に約500gも短期間に落ちていた事が判明する。
食欲旺盛にも関わらず短期間で痩せるというのは明らかにおかしい。
猫が痩せるというのは健康であれば一時的な食欲不振などによって生じるわけで、食べる量が変わっていないにも関わらず痩せていくというのは基本的に健康状態が崩れ始めた前兆といっていい。
よって動物病院に行くよう家族に強く勧めるも、その時点での家族はなぜか楽観視していた。
しかし筆者は17年連れ添った猫との闘病生活の苦い思い出と過去のトラウマの影響もあり、周囲の反対も押し切って診療を受けさせたのだった。
ところが、従来まで通っていた動物病院での診断ではシロであり、健康状態に問題は無いとの判断。
周囲からは「気にしすぎだ」「病院に無理やり連れて行ったことで却って不要なストレスを与えた」――など、否定的な発言を受けるも、納得していなかった。
このためセカンドオピニオンとしてこれまで懇意にしていた動物病院とは異なる、別の動物病院にも周囲の反対を押し切って訪れる。
残念なことに、ここでも健康状態に異常無しの判断。
ストレスが影響したのではないかと獣医に述べられ、その時点では渋々納得するしかなかった。
だが、状況は悪化し始める。
年を越した2022年2月。
亡くなる約1年前。
旅立った猫は食欲旺盛のまま、体重が5kgを切って4.8kgになる。
つまり12月から2月までの3か月の間に体重が1.2kgも落ちたのだ。
これは明らかに異常事態であり、どう考えても何か病魔に侵されていると言っていい状態だった。
しかしさらに他の動物病院を訪れるもここでも健康判定を受ける。
他方、既に猫の様子に変化が生じており、この時点で偏食傾向が強まっていた。
これまで食べる餌を食べなくなり、短期間のうちに好みが変わっていくのである。
ここまでくると流石に筆者の主張に家族は理解を示すようになるが、病院に行っても病名等がわからないためどうするかということで各々が行動を開始しはじめる。
その結果、偶然の出会いから新たな動物病院にて診療を受ける事になる。
実は筆者達も関知しなかった事なのだが、実家近くに最近開業したばかりの動物病院があったのだ。
そしてそちらの先生が普段自宅付近にて犬の散歩をしており、偶然行った家族との会話から「実は私がそこの病院の獣医なんですが、見させてもらえませんか」――ということでさらに別の病院で見てもらえることになったのである。
本来そこの病院は犬を専門としていて猫の診療は行っていないのであるが、事情を伺って様子を見て下さる事になったのだ。(関知しなかったのは目立たない場所にて開業していた事と犬専門であったため)
ちなみに筆者含めて獣医の先生に対してはそれまで近くに住む大型犬の飼い主という認識で、いつも挨拶や軽いコミュニケーション等行っていただけなのだが、家族の一人が「どこかオススメの動物病院などは無いですか」――と伺ってその方が獣医だと判明したのである。
まことに偶然の出会いであったのだが、結果的にその先生によって状況が変わっていくこととなった。
そちらの先生により様子を見てもらったところ、「消化器官に何らかの問題があり、明らかに腸が肥大化している様子がある」――との診断を受ける。
しかしながら犬専門の病院であったため、医療機器が適合せず猫の精密検査が出来なかったことから病名の正体までは掴めず。
その上で、その先生の知り合いの方で信頼における病院を紹介してもらい、そちらにて改めてCT等の精密検査を受けることとなった。
この時点で2022年5月中旬。
すでに状況発生から半年近くが経過していた。
そして5月下旬。
紹介してもらった動物病院に午前中猫を預けると、午後に電話がかかってくる。
その時の獣医から「重篤な病魔に侵され、深刻な状況。ともかくすぐに病院にまで戻ってきてください」――との一報が電話にて届き、筆者と家族の一人が急行し、猫が炎症性腸疾患……IBDの相当に進んだ状況下に置かれている報告を受ける。
まず、これまでの診療でなぜ今まで見つからなかったのかという点について説明を受ける。
理由は事態が深刻化するまで炎症による腸の肥大化が起きず、CTでも見抜けないケースが多々あるためであるとされた。
犬専門の病院の先生が触診だけで見出したのは医師の腕もあるが、偶然の影響も相当分にあり、他の医師が見抜けなかったことは決してありえぬ事ではないとのことであった。
他方、本来は怪しいと感じた時には内視鏡検査等を行うべきだが、猫への内視鏡検査を行える病院は限られていて多額の費用も掛かる事、また猫のIBDは犬と異なり極めて珍しい病気である事から血液検査等から腸が原因だとつきとめられる医師は限られていて、それがこれまでの診断結果へと繋がっていて、自分も犬専門の獣医からの診断書を見て消化器官に疑いを持たねばIBDと見いだせなかったかもしれないとの報告を受ける。
その上で、「このまま放置したら余命は2か月以内。もし仮にIBDを治療するための治療薬であるステロイド剤の効果が十分に働かなければ延命措置でもって半年」――という余命宣告を受けてしまうのだった。
筆者は今でもうなだれる家族の姿が脳裏に刻まれている。
悪寒は当たった。
だが、あまりにも特殊すぎる病気ゆえ、診断が遅れた。
人間でも同じことだが、診断の遅れはそれが運命を決定続けてしまう事になりうる。
筆者はこの時二代目の猫との闘病生活のトラウマが蘇ってきており、旅立った猫に対して申し訳なさと悔しさを感じていた。
あの時の経験、教訓、得た知見、ノウハウ。
それによって真っ先に異常を感じ取り、まだ食欲も旺盛だった頃に病院に向かわせることが出来たのに、結果同じような運命を猫に敷く事に内心どこにこの感情をぶつければいいのかと強く拳を握りしめていたことを今でも覚えている。
何しろ「もしまた猫と出会う事があっても二度と君と同じ目には合わせないから」――って約束してこれだもんな。
早期に気づけばあの子だってあそこまで苦しまずに済んだかもしれないのに、亡くる本当に直前の最期の約束すら果たせないんだから。
ちなみに筆者は闘病生活があまりにも精神的に苦しかったため、以降猫とは絶縁宣言を一方的にして、仕事場などでは猫嫌いであると偽ってすらいた。(長年猫を飼った経験がある人には気づかれることがままあったが)
それぐらい猫と距離をとっていたのだが……
闘病生活の主体者ではなかった家族はどれほど辛いかという事がわかっておらず、筆者の反対も聞かず気づくと実家には3匹も猫がいるような状況となっていたのである。
筆者がこれらの猫を同居人と称するのはあくまで飼い主ではないと自己暗示をかけているだけでなく、実際に距離をとろうと努めていたからだ。
ゆえに実家に帰ったとしても過剰な接触やらなにやらはしてやらなかった。
だが、これは猫にとって逆効果なのである。
あいつらは嫌いと公言しているだけの猫好きが猫好きであることなんてすぐ見抜く。
そもそも過剰に接しすぎる家族よりも過剰に接することはせず、稀に近づいて顔をすりすり擦り付けた時にしか撫でない筆者の方に心を開いている部分すらあった。
それが後に筆舌に尽くしがたい状況……すなわち二度目のトラウマを植え付ける事になるのだが、偏に状況を放置せずに終末期医療すら行ったのも果たせなかった約束に対する義務感がゆえであった。
かくして、旅立った猫はその日よりステロイド剤による治療を受ける事になる。
それによって実家に戻る頻度が増えたことが、配信を始めたキッカケへと繋がるのであった。
それからしばらくの間……つまり秋ごろまでの経過は良好。
食欲自体は落ちており、2022年5月の診療を受けた際の体重は既に4kgを切って3.8kgにまで落ちていたものの、ステロイド剤の効果によって4kg台に回復し、これでもう大丈夫だろうと家族ともども考えていたのだが……
11月頃から再び状況が悪化。
そう、配信が滞り始めた時期である。
この頃、食欲不振なども合わさった猫の体重は4kg台から再び3kg台へと激減。
原因を突き止めるために何度か病院を訪れるも、内視鏡検査等行うものの原因わからず。
医師は既にこの時点でガンを患っているかもしれないという予測は立てていたものの、開腹手術は行わなかった。
いや、行えなかったのだ。
旅立った猫はガタイこそいいものの、悲しいことに麻酔に対する耐性が弱く、麻酔を受けると体温が著しく下がり、体調が大幅に悪化してしまう。
このため、長時間の全身麻酔は不可能との判断。
内視鏡検査ですらかなりの負担となっていたが、藁をもつかむ思いで何とか耐えてもらった。
もちろん回復してほしかったからである。
こういう時、その判断は飼い主側のエゴなのではないかと叫ばれる事もあるが、この時点ではまだ回復する見込みがあるとされたため、家族の判断により検査を受けた。
しかし検査の結果は腸の状態が回復しており、胃などにも問題無し。
原因がガンだとすると臓器の外側にあると考えられるが、CTやレントゲン検査では腫瘍は見つからず。
容態を安定させるために点滴を行いはじめるも、肝臓の数値が悪化し、肝臓の一部が壊死しはじめてることが確認される。
そこで受けたのが二度目の余命宣告。
このまま点滴を受けて延命して半年。
点滴を受ければ食欲等一時的に回復するが、そのうち点滴の間隔は短くなり最後には効果が無くなる。
点滴を受けず終末期医療を行った場合は3か月から4か月との事。
結果的に述べれば点滴による治療は受けなかった。
理由は点滴を受けて延命した場合、肝臓が肝硬変を起こして死に至るわけだが、その場合は合併症によって死に至るわけで猫が受ける苦痛は終末期医療と比較して大きい。
寿命は延びるが、伸びた寿命分は苦しみを与えるだけ。
それは飼い主のエゴだと筆者は家族を説得し、二代目の猫とは別の道を歩ませることとした。
それからは終末期医療を選択させた責任を果たすため、ほぼつきっきりで看病。
結果猫は、死の2日前まで階段を上った先にある筆者の部屋にヨタヨタになりながらも何度も訪れるほど信頼し、筆者は過去のトラウマとの戦いを強いられることに。
二代目の猫もそうであった。
闘病生活に至るまで、フンの片づけもまともにせず飼う資格があるのかと何度も注意された事がある筆者は、闘病生活に至って初めてまともに「猫を飼う」という状態となったわけだが、彼女は後ろ足が腎不全の合併症によって完全にマヒした状態で前足だけで階段を上り、ベットの上にまで這い上がってまで筆者の隣にいる事を選ぼうとした。
筆者が今でも後悔しているのが、当時は腎不全となったら絶対に短期間のうちに死に至るという事を知らず、延命措置を行った事だ。
最後の2週間は糞尿の垂れ流し。
後ろ足は完全にマヒして機能せず。
目も見えなくなっており、頼りになるのは嗅覚と聴覚だけ。
それでも筆者がトイレなどのために階段を降りるとついてくるのである。
上半身だけを使って起用に降りてくるのだ。
寂しいからである。
怖いからである。
この姿を想像できるだろうか。
僅か2か月前まで元気に駆け回ってきた猫が、僅か2か月半でこうなるのだ。
バカなことをやったと思った。
でも知らなかったのだ、当時は。
どうして小説にまでして投げかけたかったかわかってもらえるだろうか。
飼い主に投げかける事で、考えて欲しかったし、選んでほしかったからである。
結果的に言えば、今回旅立った猫に対する終末期医療に対して後悔していない。
筆者にとっては残念なことに何度も階段を上ってきて隣にいようとする姿が二代目の猫と被り、トラウマが蘇って胃潰瘍にすらなってしまったのだが、それも定めとして受け入れている。
終末期医療のおかげで旅立った猫は亡くなった当日まで前と後ろの両方の両足で歩き、日向ぼっこまでしていた。
最期は大きく息を吸い込んで吐いて、そのまま眠るようにして旅立ったという。
家族の手の中で。
残念ながら仕事のため家にはおらず看取ったのは家族であったが、それも良かったと思っている。
なぜなら家族は筆者が一度見て語っていた「死の瞬間」というものに遭遇することになったからだ。
眠るように目をつぶる直前に瞳孔が全開になるアレを見たのだ。
ここに伝えたいモノがいろいろあった。
正直、見てほしいと思っていた。
あれはね……猫から離れるには十分なだけの理由になるんですよ。
生きるの反対を見るって日本じゃ中々ないでしょ?
手塚治虫先生も自叙伝にて「本来の人の死というのは目を見開いて瞳孔が一旦一気に開いた後、なにかすべての重荷を捨て去ったかのように目をつむりながら安らかにねむるもんです」――って書いてるけど、人間も猫も同じなんだよ。
いや人間の方がよっぽど辛いだろう。
それが肉親の可能性があるんだから。
でも猫でも十分辛い。
人生の半分以上を共にした存在が、最期を迎える瞬間なんて……人も猫も変らん。
少なくても筆者はそう思っている。
残された2匹の猫がいる中「こんな苦しみに2度も耐えられない」――と、家族が弱音を吐き始めたが、経験しなかったら理解できずまた1匹増やそうとか考えたりしたでしょう?
勝手に増やすのは構わないが、覚悟を持って飼うのと何も知らずに飼うのでは違う。
良い面ばかり見て飼うのは飼い主としての責任を果たしているとは言えない。
動画サイトやテレビでは基本良い面しか見せないでしょ。
稀にちゃんとしてる番組あるけど、死の瞬間を見せるなんて事は無い。
体調の悪そうな猫が出て、その後に眠った後の姿が辛うじて出る程度。
一番辛いのは、一番心に突き刺さる瞬間は、目を閉じる直前。
生物には寿命や運命があり、それを受け入れろと強烈に示すその刹那なんだ。
知らないからこそ安易にまた飼おうとする。
知ってる人は飼おうとしないか、覚悟をもって接するようになる。
そこで本当にペットとの関係が形成される。
看取ってでも、看取る前までの間に得られるもののために飼うんだという覚悟あるなら筆者は否定しないが、3匹の猫を飼う動機が甘いと従来まで感じていた筆者は、これで家族全員猫の飼い主の資格を得たと考えている。
筆者は「ずっとそれがトラウマで飼いたくない(実家で飼ってほしくない)と言っているんだ!」――とこれまで伝えていたが、ようやくわかってもらえたらしい。
本当にありがとうな。
やっぱ自身が体験しないとわからないんだよこういうのって。
教えてくれてありがとう。
改めて御礼を言うよ。
君は凄い奴だ。
最期を越えた先でも筆者に「君の行動はたぶん間違ってないよ」――って伝えてくれたもんな。
それは亡くなった翌日の事。
家族の意思により、将来一緒に墓に入れるまたは共に散骨したいというので火葬してもらうため、朝から火葬屋を待っていた時に起きた。
いつものように通りかかる犬専門の獣医の先生。
筆者の様子からいろいろ察し、話しかけてくる。
筆者も御礼を述べたかったので会話に興じると、まだ遺体を処理していないことを知った獣医は驚くような提案をしてきた。
「もう一度触診させていただけないか。向学のため死因を確認してみたい」――その言葉に家族との相談のもと触診してもらう事に。
死後の触診に意味があるかどうかはわからないが、そこで驚愕の事実が伝えられる。
背中のあたりに明らかな腫瘍とみられるしこりが存在し、場所から推定して膵臓か小腸の外側に出来たリンパ腫があるのではないかと。
そして火葬後。
火葬屋には一切の事情を伝えていなかったのだが、火葬の担当者の方より「背中のあたりにガンが転移したとみられる形跡がある」――と伝えられ、やや変形した黒く染まった骨を見せられる。
その際、獣医の先生も同行していただけたのだが、「これは間違いなく典型的なLGLリンパ腫の転移。死因はガンによる多臓器不全」との診断をしてくださった。
IBDは犬に多い病気のため、獣医の先生はこれまで何度も同じ光景を目にしたことがあると言う。
時に解剖して確認した事もあるが、それらを火葬すると同じようなやや変形した癌に侵された骨があばら骨の一部や背骨の一部より出てくるそう。
結果、先生より「終末期医療でなく延命に拘ったら激痛に苦しみながら絶命に至ったであろう」――と伝えられる。
LGLリンパ腫となった猫の生存可能日数は適切な治療を受けなければわずか平均90日程度の余命だそう。
抗がん剤を用いても長くて4か月程度であり、夏まで保たないとの事。
状態が再び悪化した時に既にガンはStage4とも呼ぶべき状況であり、既に運命は決まっていたのだと。
また、当時発見できなかったのは恐らく臓器同士の内側に腫瘍が隠れており、まだ程々に体重があったので触診ではわからなかったのであろうと結論づけていた。
亡くなった時の体重は2.2kgだが、そこまでやせ細って初めて正体を現したわけだ。
犬専門の獣医の先生曰く、これまで通っていた病院も2.5kgぐらいになっていた頃には触診で気づいていたはずだが、その時点でもう何かすることは出来なかったであろうとの事。
実は筆者、最後の最後まで迷っていたことがあった。
それは再生医療。
これは最近普及しつつある治療法で、自らの、あるいは健康な猫より採取して培養した幹細胞を点滴にて移植することで治療する医療法。
1回の治療に30万程かかるというが、筆者は自腹を切ってでもそれをやろうか最後まで迷っていたし、その報告を聞く瞬間まではそこに強い後悔の念があった。
もし仮にただの肝不全であれば再生医療で回復する可能性があったのだ。
だが、この幹細胞による再生医療……ガンを患った猫には全くの逆効果なのだという。
一気に全身に転移して寿命を削る恐れがあり、IBDの診断を行ってくださった獣医からもIBDの猫には推奨できないと述べられていた。
ゆえに万が一ただのIBDから肝不全に至っただけならば終末期医療よりも再生医療の方が……と葛藤していた私は、最期を越えた先で現実を突きつけられた上で納得することが出来た。
他にもっといい方法はあったかもしれない。
もっとすごい治療法か何かあったかもしれない。
だけどやるべき事はやったし、これ以上筆者としては出来る事は無い。
そう納得するだけの答えをもらった。
未だに悔しさは尽きないが、それでも歯を食いしばって納得している状態になれた。
さすがネット上の口コミ評価でも「大変優れた触診の能力をお持ち」――とされる犬専門の獣医の先生。
ご本人は「猫は誤診が多くなりがちだから……」――と、それが犬専門である理由と述べられるが、そんな事ないです。
先生が紹介してくれなかったら、 生成が最後に死因を特定してもらえなかったら……自分は一生、再生医療の判断について葛藤し続ける所でした。
直接お伝えしましたが、葛藤せずに済むって本当に違うんです。
旅立った猫は自分の中に永遠に刻まれるが、葛藤とトラウマまで一緒に引きずりたくない。
それは二代目の猫だけで十分。
そういう意味では最後まで他人想いのいい子だったと思う。
人間が大好きで誰とでも触れ合う人懐っこい子で、誰かが悲しんでたりするとすぐ駆けつけて一緒にいてくれる凄い子だったよお前は。
17年連れ添った猫もその傾向はあったが、君と彼女の違いは彼女は俺だけにその態度を示していたが、君は誰に対しても分け隔てなく示していた。
おかげで近所で猫を飼う人が続出するほどだものな。
当時ご近所さんには犬を飼う人が多かったのだが、彼はどんな犬とも仲良くなれた。
リードを付けて散歩をするのが好きで、犬みたいな奴だった。
その姿を見て、さらに触れた事で近所のマダムはその当時すでに老犬だった愛犬と別れた後、猫派になってしまったよな。
周囲でも君に触れた事がきっかけから猫を飼う人が増え、名指しで「あの子と触れ合って飼いたくなった」――と明言されるほどの力をもっていたものな。
筆者はそこに複雑な気持ちを抱えていたけど、まるで日本猫普及委員会所属委員みたいな、そんな子だったよ。
何しろ君が来た時に実家を除いて周囲には3匹の猫しか近所では飼われてなかったのに、今14匹もいる。
多くのご近所さんが自分や家族に相談に来た結果、動物病院から引き取られた猫を飼っていらっしゃる。
正直筆者はそれぞれのご家族にトラウマ植え付けていく気か!?って複雑だったけど、功績だけ見たら表彰ものだよ。
ちなみに君が亡くなった翌日の日のことだが、また別の家庭が君の影響で猫を2匹飼うことになって近所の飼い猫は16匹に増えるんだって。
さすがにこれ以上増える事はないだろうけど、本当に恐るべき力を持っていたよ。
しかも引き取られた猫が柄や性別などは違うが、みんな君みたいな人懐っこい大人しい子ばかりってのも偶然じゃないんでしょ。
いるんだなそういう猫が……これも因果なのかい?
とにかく、お疲れ様。
あっちで二代目の猫に会ったら、筆者の代わりに約束は果たせなかったことを伝えてほしい。
いろいろやってみたけど、ダメだったよ。
二人ともごめんな。