赤志-5
少女は苦悶の表情を浮かべながら後退りする。鼻からボタボタと、血が垂れ落ちている。
「ッアァ!」
ギロリと赤志を睨むと腕を振った。
赤志は距離を詰めそれを右の肘鉄で跳ね除けると、拳を固め肘を伸ばす。裏拳気味の縦拳が少女の眉間に叩き込まれた。
「うあっ!」
少女が仰向けに倒れる。
「お前、滞在許可証は?」
冬だというのにサイズの合ってない半袖の白シャツに、下は黒ずんだジーンズ。ボロボロのスニーカー。あまりにも粗末な格好だ。まともに生活を送っているようには見えない。
「持ってないか」
少女は鼻を擦って立ち上がる。足下はふらついていた。
【獣人がこの程度の打撃でよろめくなんて。相当弱ってるな】
「なぁ、何かあったのか? 事情を聞くくらいなら」
路地から蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。視線を向けると、ヨロヨロと左の後ろ足を引きずる白い子猫が姿を見せた。
少女がハッとして子猫に近づく。
「隠れてて……!」
そう言いながら抱きかかえた。
「────っち!! こっちです!」
今度は遠くから声が聞こえた。さきほど逃げた男性の声だ。
「獣人が襲ってきたんですよ! 早く退治してください!」
警察も一緒らしい。人を襲い、魔法を使うという重大な違反行為を犯した獣人がいるのだ。このまま拘束されても文句は言えない。
しかし話を聞いてみたかった。近づくと相手は睨みながらも逃げなかった。
身長は150ちょっとほど。191センチの赤志は膝を折り目線を合わす。
「その猫はキミの家族?」
少女は子猫を強く抱きしめた。
「……石」
「ん?」
「さっきの男、石を、投げてたの。この子と、この子のお母さんに」
子猫が小さく鳴いた。よくみると後ろ足が赤くなっていた。何かをぶつけられたような痕が残っている。
「お母さんは、死んじゃって。だから、この子を助けたくて……かわりに、私に石をぶつけてもいいって言ったら」
「言ったら?」
「私を蹴ったあとも、この子に石を投げて……獣人なんか生きる価値もないとか言って」
「……そっか」
複数の足音が近づいてくる。赤志は鼻を鳴らして膝を伸ばす。
「……っ」
小さな手がジャケットの袖を掴む。
「お願い、します……この子だけでも、助けてあげてください」
涙で濡れる懇願の瞳で見上げて来た。殺意は消え失せているらしい。
「路地に隠れて」
「え?」
「はやく」
少女は困惑しながらも路地に隠れる。それと同時だった。道の先からメガネ男と2人の制服警官が走って来るのが見えた。赤志は小走りで集団に近づく。
【範囲は首。種別は狼で行くぞ】
立ち止まり、両手を広げる。
「待て! 来るな!! さっきこの場所で魔法が使用された! あんたらの魔力量がどれくらいか知らないが、魔力酔いになる可能性がある!」
一同は面食らい赤志の前で足を止めた。
魔力酔いとは、人間だけが罹る一種の中毒症状だ。
個人差があるが、変色した白空魔力を一定量吸い込むと、車酔いに似た症状に見舞われる。
最初は軽いめまいや耳鳴り、吐き気や生欠伸。
その状態のまま吸い続けると悪心、呼吸数が減る、強烈な頭痛や吐き気、嘔吐。全身から力抜け意識が朦朧とし始める。
最終的には意識喪失や呼吸困難に陥り、最悪の場合死に至る。
つまり魔法を発動すると「その周囲には毒ガスが散布される」ということだ。
「規模は大きくない。5分くらいで空気に混ざる。話はここで聞こう」
「そ、それはどうも御親切に……って、あなた。さっき俺を助けてくれた人?」
「ああ」
「ってことは、さっきの獣人が魔法使ったのか! どこに行きました!? 事情をお巡りさんに説明していただけると」
赤志はフードを脱いだ。
獰猛さをおくびにも隠さない狼の顔が晒される。血のような赤黒い色の毛が風に靡く。
男たちが言葉を失う。
「じゅ、獣人だったのかよ」
「事情を聞いたぞ、キサマ。あの子の家族を傷つけてたみたいだな」
「……お巡りさん、俺のことを信じてください! 獣の話なんか聞かないで────」
「猫殺して、石をぶつけて、獣人の子供を蹴飛ばしたと」
男が当惑した顔を見せた。その隙を逃さず眼前で口を開く。血生臭い白銀の牙を見せつける。
「なぁ。あのガキは俺が懲らしめる。だから今回の騒ぎは水に流してくれ」
「な、なにを────」
「流せ。それが嫌なら"石を渡そうか"?」
低い唸り声で脅す。警察官がジロリと男を睨んだ。
委縮した男は地面を向き、小さな声で「わかりました」と鳴いた。
「俺に任せてくれ。な?」
それだけ言って3人を帰らせた。人の気配が失せたところでフードを被り、魔法を解く。
路地から少女と子猫が出てくる。
「帰る場所は?」
答えるよりも先に、赤志に近づき服を掴んだ。
「ない、か」
【懐かれちゃったな】
「あのさ、俺、お前を殴った相手だぞ」
「……でも、助けてくれた」
赤志は後頭部を掻く。
「滞在してたのは確かなんだろ。住んでた場所まで送るよ」
「……もう、追い出されたから、意味ない」
「もう? お前何年目だ? ここに来て」
「4年」
赤志は訝しんだ。滞在許可が出る最大の年数は3年。それ以上滞在できる獣人は、バビロンヘイムでも上位の立場にいる者か、政府との関係を持つ重役だけだ。
ただの少女じゃないのか。どうやら話を聞く必要ができてしまった。
「……ちなみにな。ここで置いて帰ろうとしたら、どうする?」
「……大泣きして、捨てられたって叫びながら、ついてく」
赤志はカラカラと笑う。
「そりゃ困る」
ポケットからスマホを取り出す。それと同時に電話がかかってきた。
表示された番号は「0」だけ。
「もしもし」
通話に出ると無音が鼓膜に伝わる。
「どうせ見えてんだろ? さっさと足寄越せ」
通話を切ると赤志の背に強い光が当てられる。少女は目を細めた。
道路に侵入してきたタクシーは赤志たちの近くで止まった。後部座席のドアが開く。
「どうぞ」
マスクをした運転手が言った。先に少女を座らせ乗り込むと、行先も告げてないのに車は動き出した。
「あんた監視? それとも研究所の人?」
「お答えできません」
「どっちでもいいけどさ。今日のことあんま言いふらすなよ。雨も降ってないのに雷に打たれたくねぇだろ」
【やっさし~勇く~ん】
運転手は何も答えず、ハンドルを操作した。
少女は警戒しながらも安堵の吐息を漏らした。抱きしめられていた猫が、少しだけ大きな声で鳴いた。
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