第2話 彼女におやすみと言った。
作者性癖注意:ストーカー
午前五時に起床する。千夜ちゃんが午前五時四十五分には訓練のため家を出てしまうからだ。先月から新たに増えた同居人を起こさないように静かにタブレット型のモニターにイヤホンを差し込み、カメラを確認する。五分ほどすると、千夜ちゃんが目覚めるのが見えた。
千夜ちゃんが脱衣所兼洗面所に行ってしまったので、見るカメラを切り替える。千夜ちゃんは行動が早く、もう服を脱いでシャワーを浴びに浴室へ入ってしまったようだ。さすがに浴室には隠しカメラを取り付けられなかった。
十分ほど待ってると千夜ちゃんが出てきた。裸の千夜ちゃんはすぐに服を着て髪を乾かし始める。やがて乾かし終わると、リビングに行き食パンを二枚、生で食べ始めた。
その後制服に着替えて、その上からローブを羽織り、家から出発してしまった。時間は四十五分ジャスト。ローブを着た人間の平均速度は電車の二倍ほどなので、最寄り駅までは十五分だそうだ。普通に羨ましい。
ジリリリ、ジリリリと目覚ましの鳴る音がする。同時にスマホと家電に電話がかかってきた。まずは午前六時を指す目覚ましを止め、次にベッドとは真反対にある棚の上のスマホの電話に出る。
『千朝、ちゃんと起きれた?』
「うん、ダイジョーブだよー」
わざと寝ぼけた声を出す。
「えらいえらい、じゃあまた学校でね」
「はーい、またねー」
そう言って電話を切る。
家電の方は同居人が対応してくれたみたいだ。その同居人が部屋の扉をノックした。
「千朝ちゃーん、ちゃんと起きれた―?」
「はーい、起きれましたよー!」
扉を開けると、亜根村美咲さんがすでに支度を終えた格好で立っていた。
「ほら、早くシャワー浴びてきちゃいなさい。夕ちゃんももう来てるわよ」
これもまた寝ぼけたふうにはーいと返事をする。
廊下を通る途中にリビングに夕ちゃんが見えたので、軽く手を振ってそのままシャワーを浴びに行く。
髪を洗っていると、千夜ちゃんに洗われていたころを思い出す。久々に洗ってほしいなとは思うけど、千夜ちゃんは私たちのために頑張ってくれてるんだからわがままは言えない。
しかし、毎朝訓練とは大変そうだ。《《私》》ならまず訓練するという土俵にも立てないだろう。
シャワーを終えリビングへ行くと、美咲さんが作ったご飯が置いてあった。美咲さんはいないようだが。
「あ、千朝。おはようございます」
「おはよー夕ちゃん。美咲さんは?」
「生徒会のお仕事で先に行きました。ワープしてました」
ワープかあ。私も似たようなことできるけど、バレるのが怖いからなあ。
夕ちゃんと二人で美咲さんが作った朝ご飯を食べる。先月からずっと朝ご飯をつくってもらっているのだが、飽きないバリエーションとその一つ一つの完成度が高く、朝から元気が出るようなご飯だ。おいしい。
「しかし、美咲さんは本当にすごいですよね。千夜や加奈子さんが使ってるローブに、ワープまで。いったいどのギフトなんでしょうか」
「本当にね。魔術か奇術か技術か……」
ニュースを見ると、ちょうど魔術師の特集が組まれていた。なんと今回はtomorrowで三人目の魔術師が見つかったらしい。
「魔術師はないか。確率的にね」
「そうですね。きっと相当すごい技術者か奇術師なのでしょう」
魔術師だと公表するメリット。それは多額のお金をもらえることと生活、安全の保障。普通に考えれば受け取らない通りはない。ただ、どのギフトであろうと、美咲さんにはギフトを秘密にする何らかの考えがあるのだろう。そしてそのギフトというものは、私がとても欲しい物でもある。ストーキングの質が上がるからね。
夕ちゃんも人混みに慣れて、学校までの道のりがスムーズになった。すると、始業時間より少し早く学校に着く。つまり訓練中の千夜ちゃんに会いに行けるのだ。
体育館に行くと、剣道着を着て竹刀を持った加奈子さんと千夜ちゃんがいた。あくまで剣道部として練習しているかららしい。それでも実践に近づけるためか、加奈子さんの竹刀は普通だが、千夜ちゃんの竹刀は短剣くらいの大きさのものだった。
「千夜ちゃーん!」
終わったタイミングを見計らって、大きく手を振った後、タオルを持って近づく。
「お疲れ様! タオルどうぞ」
「ありがとう千朝。今朝は起きれた?」
「もちろん! 千夜ちゃんがモーニングコールしてくれたから!」
というと、千夜ちゃんが頭を撫でてくれる。髪を洗ってくれてた時を思い出した。
「千夜、加奈子さんがうつりましたか?」
夕ちゃんがくすっと笑いながら言った。
「えー本当? 嬉しいような嬉しくないような……」
千夜ちゃんが冗談めかして言った。
「おい、そこは嘘でも嬉しいって言ってくれよ!」
加奈子さんがそうツッコミを入れてみんな笑う。平和だ、先月の出来事が無かったみたいに。
理系科目が無事分からず放課後。千夜ちゃんは加奈子さんの仕事を手伝うために現場へ直行、私と夕ちゃんは二人だけで帰るわけにはいかず美咲さんの、つまりは生徒会の仕事の手伝いをしていた。
「いやあ、二人とも仕事ができて助かるよー。どうさ、生徒会入ってみない?」
美咲さんが、ニコニコしながらちょっと冗談ぽく、また真面目なトーンで言った。
「私は人前とか苦手ですから、選挙とかはちょっと……夕ちゃんは?」
「私もおんなじ理由ですかね。事務作業は好きなんですけど」
「なあに安心せい! この学校の生徒会は会長と副会長以外は選挙じゃなくて生徒会側が決めるから!」
それなら安心……ん?
「なんか美咲さんが会長か副会長になるの決定みたいな言い方じゃないですか? その選挙システムだと」
「私が得意にしてることはわかるよね? そういうことだよ」
得意にしていること……ギフトか。最低だなこの人。
「そういえば、美咲さんの使ってるギフトって何のギフトなんですか?」
何気なしに聞いてみる。
「んー秘密! 三択を隠す意味はあまりないように見えるけど、とっても大事なことなんだ。技術はどんなに卓越しても奇術には勝てない。奇術と魔術も同じね。だから魔術師以外で商売をしない人は自分が使うのが何術かを隠している、弱点をさらさないようにね」
「弱点って、また物騒ですね」
夕ちゃんが微苦笑を浮かべながら言う。
「物騒だよー、術者求めて誘拐とかよくある話だから。ただ一般のニュースには魔術師がらみ以外載りにくいかな。術者向けの新聞とかには載ってたりするよ。見せたげる」
美咲さんが書類整理をすっぽかして立ち上がり、机近くの『亜根村』とタグの張られた棚から新聞を取り出してきた。『ギフト新聞』、そのまんまだ。日付を見ると今日の朝刊らしい。ちょうど今朝ニュースでやっていた三人目の魔術師についても載っていた。
「いやあ、魔術師とは羨ましいね。えーっと、誘拐事件は……おっ、誘拐事件じゃないけどほら」
美咲さんが指をさしたところを見ると、『技術者 刺殺遺体』と小見出しがあった。
「この人、卓越した技術者だったんだけど、実は知り合いでね。前も襲われたことがあったんだけど、その時は技術者同士だったから普通に追っ払ってたんだ。で、今回も前と同じように反撃した跡があったんだけど、死んじゃってね」
美咲さんが少し悲しそうに言った。
「で、卓越した技術者を殺せるのは奇術者以上だから、そんな人はほっとけないとギフト新聞に載る。一般紙に載らないのは、術者の評判を下げないためらしいよ」
生徒会の仕事を手伝い始めてから二時間、やっと書類整理が終わった。
「お疲れさまー、二人とも! いい働きだったよ!」
と言いながら、冷たいアルミ缶を私たちに投げてきた。見ると、『Guaraná』と書かれていた。
「加奈子がこの前南区行ってきた帰りでね、ガラナって言うんだって。まあ加奈子はグアラナって言ってたけど。ブラジルフェスやってたからお土産だってさ。ブラジルってのはどこだったかな。南アメリカ? 南アフリカ?」
「南アフリカは国名ですよ。ブラジルは南アメリカ大陸です」
夕ちゃんがすかさず訂正を入れる。
「おおそうだった。しっかし今さら世界史や過去地理なんて、やる必要があるのかねえ」
世界。いま百歳を超える人たちはそれを知っているらしいし、それに住んでいたらしい。私たちはその言葉を世界史以外で耳にすることは少ない。ほかでは……世界進出なんかを聞いたことがある。数年前のtomorrowの政策の一つでSNSのトレンドにも何度か入っていたが、そういえばもう耳にすることもなくなった。一時流行だったな。
ガラナを飲みながら帰り支度をしていると、突如窓からバンッ! と音が鳴った。すぐにカーテンを開けて確認すると、千夜ちゃんを背負った加奈子さんの姿があった。急いで窓を開けると、加奈子さんは千夜ちゃんをソファに置き、自分はその横でへたり込んだ。光る塵も少量舞い込んできた。
「あー疲れた!」
「どうしたさ加奈子、キャラじゃない」
美咲さんが加奈子さんに『Guaraná』を渡す。
「おっ、グアラナじゃん! ありがと美咲」
ガラナである。
加奈子さんが体を起こしてから飲み始めた。物の数秒で飲み切ったのか、加奈子さんが缶を机に置くと軽い音が鳴った。
「いやー、今日のやつ手ごわくってね。千夜くんも最初からハードだったからかな、寝ちゃって帰りはスピードも出せずにこんな遅くなっちゃったよ……」
と言うと、私たちの方を見て目をぱちくりとさせる。今気づいたのだろうか、私が窓を開けたのに。
加奈子さんはすぐに髪を整え鎌を手に、世間一般的にかっこいいと言われるような恰好を取る。
「やあ、どうも。こんな時間にここでどうしたんだい、千朝くんに夕くん!」
いつものナルシストっぽい雰囲気はまだ作れていないようで、語尾が荒々しかった。
質問に答えずにこう言ってみた。
「最初からちゃーんと全部見てましたよ。ね、夕ちゃん!」
それも語尾に音符がつくような、煽るような甘ったるい声で。
「はい、いつもと違う一面が見れてとっても面白かったです!」
夕ちゃんがニコニコとしながら言った。
「うわああ! 忘れてくれ! 違うんだ、本当に疲れてるだけで!」
「アンタ、本当にそのキャラで通してたんだ……」
美咲さんが引き気味に言ったのが効いたのか、加奈子さんはうずくまって黙り込んでしまった。その長身と黒ローブからしてさしずめ黒羊羹といったところか。
「二人とも。加奈子はかっこつけたかもしれないけど、こいつはこんな感じでかわいい性格してんのよ」
美咲さんが嘲笑して言った。
「ほら加奈子、千夜ちゃん背負ってあげなさい。起きなさい」
美咲さんが加奈子さんを小突きながら言った。
加奈子さんは動けそうにないので、代わりに私が千夜ちゃんを背負おうとすると、ちょうど起きてしまった。
「おはよう千夜ちゃん!」
「ん……ああ、おはよう千朝。なんでここに?」
「生徒会の手伝いしてたの。ほら千夜ちゃん、一緒に帰ろう?」
千夜ちゃんがあくびをした後、小さく「了解」と言った。まだ寝ぼけてるのかな。
私たちは生徒会の二人より早く電車を降りた。
寝ぼけた千夜ちゃんが転ばないように、私と夕ちゃんで両脇に立ちながら歩く。まだ微妙な明るさを残した市街地(街灯はつき始めている)には人がおらず、横に並んでも道の邪魔にはならなそうだ。
「そういえば、夕ちゃん加奈子さんのこと大丈夫になった?」
「はい、ウザがらみされなくなってからは比較的。それに流石になれました」
夕ちゃんが苦笑交じりの顔で言った。
しばらく話しながら歩いていると、足音が一つ分多くなっているのが分かった。後ろから聞こえる。そのことに気づき目が覚めたのか、千夜ちゃんが私たちを前に歩かせ、自分は後ろを歩き始めた。そして後ろに行った千夜ちゃんが、小さく私たちに耳打ちしてきた。
「良いって言うまで振り返っちゃだめだよ」
すると二つ分の足音が消え、金属がコンクリートにぶつかる音がした。
「良いよ、二人とも。もう大丈夫」
振り返ると、道路から光の塵が舞い上がっている。それに包まれた千夜ちゃんはどこか神秘的に見えた。
家に着き、夕ちゃんと千夜ちゃんと別れる。千夜ちゃんは隣の家だが。夕ちゃんの家は……どこだっけ?
部屋に入りタブレット型モニターを持って、予約ボタンを押しておいたお風呂に行く。防水のものではあるが、心配なので一応防水ケースに入れる。
汗を流しお風呂につかるだけで体は洗わない。どうせ翌朝洗うから。それに、千夜ちゃんのストーキングで夜は忙しいのだ。
千夜ちゃんもお風呂に入っているようだった。千夜ちゃんも同じ考えなのか、監視カメラに着いたマイクからはシャワーの音はそう長くは聞こえなかった。千夜ちゃんがお風呂を上がると同時に私も上がる。千夜ちゃんが髪を乾かし始めると、私も乾かし始める。髪を乾かし終わった千夜ちゃんがお風呂掃除を始めると、髪が長い分少し遅れて私もお風呂の掃除を始めた。お風呂の掃除も終わり、歯磨きのタイミングも合わせる。そして、千夜ちゃんは疲れてしまったのか、部屋の電気も消さずにベッドに倒れ込むようにして寝始めてしまった。
私も電気を消さずに就寝の準備をする。なんかこうしてると、千夜ちゃんと一緒に住んでるみたいだなあ。
「おやすみ、千夜ちゃん」