7.初めまして
それはラニーが洗濯屋をオープンし、従業員も増え、順調に全てが回り始めてしばらく経った日のことだった。
その日は休日で、たまたま任務がなかったのか、もしくは非番が重なったのか、ヴェルキンの塔は多くの騎士たちで溢れかえっていた。
朝から洗濯屋にも洗濯物を抱えた騎士が殺到し、行列をなす。
ラニーは次から次へと入ってくる洗濯物を、今日も恍惚とした表情で捌いていた。洗濯ができないという鬱憤が解消されたからか、心なしかお肌も艶々である。
「はぁ~、大量、大量」
うっとりしたラニーの声を聞いて、虎の獣人であるトロットが呆れ顔になる。
「俺もまあまあ綺麗好きですけど、ラニーさんはあれですね。やっぱ変態っすね」
「えー?綺麗にする過程見るの楽しくない?」
「いやー、楽しいですけどこんなに大量にあったらそんな毎度毎度うっとりなんで出来ないっす」
「でもラニーさんの薬のおかげで、アタシ洗濯大好きになりましたよ!こんなに気持ち良く汚れが落ちるの見てたら癖になるの分かりますっ!」
「だよね、だよね?さすがブディアちゃん、トロットとは違うわぁ」
「ええ、おかしいの俺っすか?ジェシーさぁん…」
「気にしちゃダメよ、トロット」
口ではそんな掛け合いをしながら、バックヤード組四人は慣れた手つきでてきぱきと洗濯物を仕上げていく。トロットもブディアも遠慮がなくなり、洗濯をしながら軽口を叩けるくらいにまで成長していた。
そこへ、カウンターから羊の獣人モアが、ひょいと顔を覗かせる。
「ジェシー!騎士様が見えてます。ジェシーを呼んでほしいそうですよ」
「あら、私?」
誰かしら、と呟いてジェシーは立ち上がると、店の表へと向かう。
そしてカウンターの目の前で興奮した様子でウロウロしている騎士が視界に入り、ジェシーの顔がひきつった。
「兄さん?!」
「よぉ、ジェシー!」
兄さん…ってジェシーのお兄さん?!
その声はバックヤードにいたラニーの耳まで届き、ラニーも表へと飛び出す。
そこにいたのは、ジェシーに面差しがよく似た虎の獣人だった。
腕の筋肉は大木のように盛り上がり、浅黒い胸筋やバキバキに割れた腹筋が惜しげもなく晒されている。顔立ちは男らしくスッキリ整っていて、刈り上げた短髪がよく似合う。イケメンマッチョだ…!というのが、ラニーがジェシーの兄に抱いた第一印象だった。
ジェシーと同じ薄紫の瞳はきょろきょろと物珍しそうに動き、洗濯屋を隅々まで観察している。
「いやぁ、すっげえな。こんな混んでるなんて思わなかった。きっとほとんど客がいねぇだろうなと思って来てみりゃ、なんでこんなになってんだ?」
「兄さん、いつ任務から戻ってきてたの?連絡してよ!」
「思ったより小競り合いが長引いてな、戻ってきたのは昨日なんだよ。前の洗濯屋なんて俺らの隊でも評判最悪だったし、店始めるにはキッツい状況だろうから、妹のためにも早く客になってやらなきゃと思ったんだがなぁ」
「あのぉ………」
会話を遮る形で、ラニーは恐る恐る二人に声をかけた。
ようやく背後にいた存在に気が付いたのか、ジェシーが「あ」と口に手をあてる。
「ラニー、紹介遅れてごめんね。これが私の兄のオルガ。兄さん、この子がラニーよ。この店の店長なの」
「オルガさん、初めまして!ジェシーにはいつもお世話になっています」
ついに、念願のご対面だ!
ラニーがぴょこんと頭を下げると、ジェシーの兄、オルガが顔を輝かせた。
「おおっ、君がラニーちゃんか!いつもジェシーと仲良くしてくれてありがとう。ーーそれにしてもホントすごいじゃないか、君の店!」
ラニーは照れた表情を浮かべた後、気まずそうに視線を反らす。
思い出すのは、ここのところ忙しくて忘れていた存在。
「ありがとうございます。でもこれは、五番隊の隊長と副隊長がいらして、きっかけを作ってくださったおかげなんです」
「は?五番隊…………たいちょおっっっ?!?!」
兄さんうるさいわよ!とジェシーに叩かれるが、あまりに衝撃だったのかオルガはポカンと口を開けている。
「隊長と副隊長ってーー、フォルクス隊長とマルコ副隊長のことだよな?なんで、あの人らが?すげぇじゃん、なんで?!」
「もうっ。兄さんうるさいってば!話を聞いたとかでとにかく初めてのお客様として来てくださったの。きっとあれは、気紛れだったんだろうって皆言ってるわ」
「気紛れでもすげぇよ!ひぇー、俺すら間近で見たことほとんどないってのに。そりゃあ歩く広告塔だわなぁ」
納得したように、オルガは一人頷いた。
ラニーは苦笑して、そんなオルガを見つめる。
「はい。なので、ラッキーだったと言いますか…」
「いや、きっかけがそうであれ、実力がなきゃここまで混まないと思うぜ!」
「あ、ありがとうございます」
素直で直球な人だなぁ。ジェシーとはかなり雰囲気が違うが、スカッとするほど気持ちの良い性格のようだ。
ストレートに褒められて、ラニーも思わず笑顔になる。
「んで、俺もはりきって洗濯物持ってきたんだけど、頼めるか?」
「もちろんです!承ります」
「悪い、ただちょっと厄介なやつかもしれねぇ…」
厄介?ラニーが首を傾げると、オルガはずっと片手で抱えていた大きな布袋から、厚手のサーコートを取り出す。
ラニーは出てきたそれを見て息を呑んだ。
毒々しい紫が目に刺さる。既に乾いているのか一部は黒ずみ始め、背中から裾にかけて、斑模様にべっとりこびりついてしまっているようだった。
初めて見る種の汚れをじっくり観察してみるが、どの薬で落とせるかすぐに判断ができず、ラニーは眉を寄せてオルドに尋ねる。
「これは一体ーーー?」
「森の深層部に生息するムガン花っつー、見た目は禍々しい化け物みたいな花があってだな。縄張りにうっかり入ると、蕾からこれが噴射されるんだが、見事背中から食らっちまって…」
「えっ!お身体は大丈夫なんですか?!」
「ああ。見た目ほど実際は威力はなくて、肌に触れると炎症を起こすぐらいらしい。ただかなり生地に染み込んでるし、水洗いじゃもちろん無理で、なんとかしてもらえねぇかなと持ってきたんだ」
「もう、なんでうっかりそんなことになるのよ!」
ジェシーにジト目で睨まれ、オルドはアハハと笑って誤魔化した。
ラニーは初めて聞く名の花に思案顔になる。
「んー、ムガン花ですか。了解です。この服、2、3日お預かりしてても大丈夫ですか?」
「ああ!数日休みをとるように言われてるから問題ないぜ。ーー大丈夫そうか?」
「自信はちょっとないですが…頑張ります!」
色々と試してみるしかない、か。
ラニーは一呼吸すると、絶対に綺麗にしてやる!と意気込んだ。
このヴェルキンの塔に来てから、本当に様々な種類の汚れに対面するようになった。騎士たちの活動範囲は広い。きっとこれからも未知の汚れに出会うんだろうな、とラニーの胸が踊る。
「じゃあさっそく!私はお兄さんの汚れと闘ってきますね!」
「おお、サンキュー、よろしくなー!」
一足先にオルドへ別れを告げ、バックヤードに引っ込むと、鞄を広げとりあえず真っ先に思い付いた薬の調合を始める。
以前、ラニーは一度だけ別の植物による汚れを落としてほしいという依頼が受けたことがあった。汚れの正体は蜜線から分泌された蜜だったため、今回のものと性質はまったく異なるかもしれないが、その時に効果を発揮した薬をもう一度同じように調合する。
そして薬を溶かした水に浸け、ドキドキしながらサーコートを引き上げる。
その結果はーーー………
「やっぱり駄目かぁ」
ラニーはへなへなとその場に崩れ落ちた。
全然落ちていない、掠りもしてない。
最初から上手くいくはずがないのだが、どこかで期待していたらしい。
「ふふっ」
無意識のうちに笑いを溢す。トロットが不気味そうに振り向いたが、そんな無礼も気にならないくらい、ラニーは目の前の獲物に夢中になっていた。
これは長丁場になりそうかな。なんとなくそんな予感がして、ラニーの茶色い瞳が煌めく。ーーーゆらゆらと毛並みの良い尻尾を揺らしながら。