5.二人の正体
その晩、洗濯屋に初めての客として訪れた二人の騎士の正体はすぐに明らかになった。
初日の業務を無事に終え、店仕舞いをすると、東塔にある従業員寮へと帰る。東塔にも従業員向けの食堂があるので、お腹を空かせたラニーとジェシーはそのまま食堂へと直行することにした。
そこで、同じ三階で働く顔馴染みとなった女性従業員たちに声をかけられ、一緒に食事をとることになった。栗鼠、羊、洗熊、狼ーーー従業員だけ見ても多種多様な獣人が集まっていることが分かる。ご飯を共にすれば、一気に打ち解けた。自己紹介から塔に纏わるあるある話など、話題は尽きない。そして場が暖まってしばらく経ち、本題へと入っていく。
「今日あなた達の洗濯屋にフォルクス様とマルコ様がいらっしゃったって本当?凄く噂になってるわ」
女性の一人に聞かれ、ラニーとジェシーは顔を見合わせた。
「あの人達って何者なの?」
「ええっ、知らないの?!」
酷く驚かれたが、まだ塔に来て日が浅いものね、とすぐに納得された。
すると堰切ったように次々と情報が提供される。
「第五隊隊長のフォルクス様と、副隊長のマルコ様よ。主に諜報部隊として活動されていて、普段はほぼ塔で見かけることはないの」
「二人共、あの容姿でしょ?獣騎士団では女性のファンが最も隊なのよ」
「滅多にお目にかかることもないし店にも立ち寄らないから、塔に現れた日にはすぐ皆に知れ渡ってるよね」
「ぐっ!ごほっ、ごほっ」
ちょ、ちょっと待って!
あの人達、隊長と副隊長だったの?!
思わずラニーは噎せて咳き込んだ。
ジェシーも口に運ぼうとしていたスプーンの動きを止めている。
そんな人を相手に意地になって、一泡吹かせてやろうなんて考え、何ならば勝ち誇った顔をしてしまった。己の無礼極まる行為を思い出し、ラニーは今すぐ穴に埋まりたい気持ちになった。
そんなラニーたちの様子に気付かず、女性たちは興奮したように話を続ける。
「特にフォルクス様のあのクールで手練れそうな感じがたまらないわよね」
「手練れといえば、フォルクス様、諜報の一環で娼館のマダムや貴族のお嬢様が相手でもあっという間に骨抜きにしたなんて逸話もあるよね」
「そりゃあ、あの鍛え抜かれた筋肉に美貌だもの。女なら一度は抱かれてみたいと思うわよ」
「「「ーーーそれで、どうだった?」」」
話の矛先が突然こちらに向いたので、ラニーは驚いて再びご飯を喉に詰まらせる。テーブルから身を乗り出す勢いで注目され、ラニーは困った顔で聞き返した。
「ごほっ、どうだったとは……?」
「生で見たお二人よ!直接お話もしたんでしょう?」
「うーん…」
ラニーは先刻出会った男の顔を思い出す。
目を見張るほど美しく整った顔立ち。目の当たりにしただけで身の毛がよだつほど、香り立つ男性的な色気。どこか軽薄そうで歪んでみえた性格は掴みどころがなく、一歩踏み出せば絡めとられてしまいそうな危うさを、ラニーはあの一瞬で感じとっていた。
そしてそんな男と並んで立っても遜色ない美貌を持つ犬の獣人。人畜無害そうな顔をしながら、上手にその爪を隠しているのだろう。
「よく、分からない……」
あの二人は深く、澱んだ沼のようだ。ラニーのような凡人が、あの一瞬のやり取りであの人達を量ろうなんて、物凄く烏滸がましいことのような気がする。おそらくその片鱗すら掴めていないだろう。
そして、あの二人が一つの隊を任された隊長と副隊長と聞いてから、更に分からなくなってしまっていた。
ラニーは反射的にそう呟いてから、慌てて取り繕う。
「あ、でも格好良いなとは思ったよ。周りの騎士とはやっぱり纏う空気が違うというか…!ね、ジェシー」
ジェシーに助け船を求めると、ジェシーは同意し頷いてくれる。
「そうね。周りの人たちも驚いていたし、雲の上の存在だというのはよく分かったわ」
「そうよねー。あーあ。私たちは身の丈にあった、他の良さそうな騎士様を探さないと」
「王立獣騎士団に所属ってだけで、そもそもハイスペックなんだけどね。フォルクス様やマルコ様みたいな方がいらっしゃるから霞むってだけで」
「間違いない」
うんうん、と女性たちが相槌をうつ。
「そういえば聞いた?!二階のエレンが、第七隊の騎士様に声かけられたって話ーーー」
そしてあっという間に話題が代わり、また話が盛り上がる。
ーーーそうして経つこと一時間。今度は街で女子会しましょうと約束させられて、従業員交流会はお開きとなった。
ラニーはどっと疲れを感じ、フラフラと覚束ない足取りでジェシーと一緒に自分たちの部屋へと向かう。
「ジェシー」
「なぁに?」
そう返事するジェシーも、オープン初日という疲労もあってか、どことなく怠そうだ。ジェシーと二人だけの空間になり、ようやく張り詰めていた気が少しだけ緩む。
「…私、ようやくジェシーが前に言ってたことの意味が分かった」
「前に言ってたこと?」
「うん。ジェシー、ヴェルキンの塔を『誰でも憧れる職場』って言ってたでしょ?それって待遇面だけじゃなくて、出会いの場としても、ってことなんだね」
彼女たちの話を総括すれば、ヴェルキンの塔の従業員として働けるということは、獣騎士との接点が増え玉の輿に乗るチャンスに繋がるということ。王立獣騎士団とは、王の直下で選ばれし精鋭が集う軍。貴族など富裕層のご子息も多く選出されているらしい。(もちろん実力も伴っていないと入隊できないが)
稼ぎもあって、強くて、優秀で、更にはバックグラウンドに家柄もあるかもしれない。そんなハイスペック男子がゴロゴロいる、ヴェルキンの塔。
言い方は悪いが、つまりここは彼女たちにとって『最高の狩場』なのだ。また逆も然り。しっかりとした身元かパイプがないと従業員として働けないので、騎士側からしても同じことが言えるのかもしれない。
ジェシーは苦笑いを浮かべ、何かを思い出すかのように宙を見上げた。
「私が言ったのは前者の、待遇面の方の意味だったのよ。やだ、もしかしてあの筋肉バカの兄ですらモテてるの?なんて考えて、聞きながら微妙な気持ちになってたわ」
筋肉バカ、という暴言が突然ジェシーの口から飛び出してきたので、ラニーは目を剥いた。
「筋肉バカって…ジェシーのお兄さんも優秀な人なんでしょう?しかもぜーったい格好良い!」
「うーん…少なくとも妹の私からすれば単細胞の直球型で、残念な兄よ。見かけ倒しね。家柄も普通だし」
「そんなことないと思うけどなぁ」
納得がいかず、ラニーは口を尖らせた。
とはいえ、身内からすれば見る視点が変わるのは当然のことだ。
それにいくらラニーが力説したところで、まだ一度も会ったことがないため説得力にかける。ジェシーと血が繋がっているという時点で絶対凄い人なのに、とラニーは腑に落ちなかったが、今はこれ以上言える言葉がなかった。
「そういえばお兄さんって、何番の隊にいるの?」
「確か七番隊だったと思うわ。戦とかでは前線に立つ部隊ね」
「そうなんだ」
そんな隊に配属されているということは、やはり相当腕は立つ人なのだろう。
「早く会ってみたいな、ジェシーのお兄さん」
「兄が帰ってきたとき、紹介するわ」
「ありがとう!それじゃあまた明日よろしくね。今日はゆっくり休んで」
「ええ、ラニーも。おやすみなさい」
部屋の前でジェシーと別れ、ラニーは宛がわれた自室へと入る。
そのままベッドに倒れこむと、仰向けになり、ふぅと一息ついた。
目を閉じて真っ先に思い出すのは、悔しいかな、フォルクスと呼ばれたあの男の顔だった。まさか隊長だったなんて、と独りごちる。無知で生意気な小娘とでも思われたに違いない。
だが結局、何だかんだあの二人のおかげで初日は上手くいった。
話を聞いて来てみたと言っていたが、もしかしたらグノアさんが話してくれたのかもしれないな、とラニーは推測する。
いずれにせよ、あの二人は元々関わり合うはずのない別格の存在であることは間違いない。ほとんど塔にいないと言ってたし、もう洗濯屋に来ることもないだろう、とラニーは結論付けて、ふぁと大きな欠伸をした。