4.初めてのお客様
ーーー狐の獣人?
切れ長で吊り上がった目。黒い二つの耳に、背中から覗くふさふさの尻尾。冷たく整った美貌に、鎧の上からでも分かる鍛え上げられたしなやかな肉体。小柄なラニーが精一杯見上げなければならないほど身長も高い、大人の男だ。
黄金色に煌めく美しい双眸に、今にも吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥りそうになる。
こんなに格好良い人、騎士団にいるんだ…。
明らかに周囲から浮いたその存在にラニーは不覚にもしばらく見惚れてしまったが、ハッとすぐに気を取り直して返答する。
「はっ、はい!本日から新たにオープンしました洗濯屋ラニーと申します!」
顔を赤らめ元気良く名乗ったラニーに、男は面白そうに目を細めた。
「ああ。話を聞いて来てみたんだ」
「あ、ありがとうございます!」
お客様第一号?!
ラニーは飛び付きそうになる気持ちを必死に堪えて、勢い良く頭を下げる。しかし、そのまま続けられた言葉にラニーは耳を疑った。
「けどーーーアンタみたいなちっこい奴に、ちゃんと洗えるのか?」
は?
ラニーは頭を下げたまま、耳をぴくりと動かし、頭上から降ってきたその言葉を反芻する。
いま、私もしかして馬鹿にされたの?
思わず上体を起こすと、不敵な笑みを浮かべているが狐の男の目の奥が笑ってないことに気付き、ラニーはぞっと血の気が引いた。
「駄目だよ、フォルクス。こんな可愛い子を脅かすようなこと言っちゃ」
優しい音色の声が隣から聞こえ、ラニーは驚いて横を振り向くと、狐の男の肩に肘をかけ体を預けるようにしていつのまにか別の騎士が立っていた。二人の距離感から、その親密な間柄が伝わってくる。
新たに現れた男は犬の獣人のようで、狐のーーフォルクスと呼ばれた男に比べるとやや背は低いが、それでも十分に大きな体格をしていた。柔和な整った顔立ちをしていて、どことなく親しみやすい雰囲気を感じる。
「マルコ、お前どこ行ってたんだ。あと重いから俺に体重をかけるな」
「どこって、フォルクスがさっさと歩いて僕を置いてっちゃったんでしょ」
二人が並べば、周囲を圧倒するほど異質な空間が出来上がっているのが分かる。周りにいた他の騎士たちが固唾を呑んでこちらの様子を見守っていた。耳を凝らせば、「珍しい」「なぜあの二人が…」と小声で囁いてるのが聞こえてくる。
ーーーこの二人、ただ者じゃない。
ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。この二人は自分とは次元が違うのだと、ラニーは本能で感じ取っていた。
目が合うと、マルコという騎士はラニーに向けてにっこり微笑んだ。
「ごめんね。怖がらせちゃって」
「い、いえ」
「とりあえず、こいつと僕の鎧の洗濯って頼めるかな?返り血だけじゃなくて、青毒虫って厄介な虫の粘着液も被っちゃってベタベタなんだよね」
視線を下げると、確かに酷く汚れていた。
血の量にしてもどれだけの相手を斬ったのかと、想像するのすら怖い。実際ラニーもこれだけ赤黒く染まった物を見るのは生まれて初めてで、触れるのも怯んでしまいそうだった。
ふと視線を感じて見上げると、冷たい瞳とぶつかる。フォルクスが自分の様子をじっと観察していることに気が付き、ラニーは先ほどの言葉を思い出した。
『アンタみたいなちっこい奴に、ちゃんと洗えるのか?』
試されているのだ、と確信した。
追って心の奥底から沸々と怒りがこみ上げてくる。
十七の小娘だからと見くびられているのかもしれないが、初対面でここまで舐められて我慢できるほど、ラニーは大人ではなかった。
ーーー絶対に、このキツネ男に一泡吹かせてやる!
「もちろんお受けできます。お代は洗濯を終えた物を実際に見て、払う価値がないと判断されれば頂かなくて結構です」
ラニーがその瞳に闘志の炎をメラメラと燃やしそう言い放つと、フォルクスの目が僅かに見開かれる。
「ちょっと、ラニー?!」と後ろに控えていたジェシーが止めようとするが、ラニーは大丈夫と小声で伝えてそれを制した。
マルコも「ええっ?そんな訳には…」と仰天していたが、そんな様子のマルコも意に介さず、フォルクスはすぐにニッと唇を上げた。
「分かった。どれくらい時間かかる?」
「他にお客様がいないので、五分頂ければ問題ないかと。ご都合がよろしければ、鎧を脱いで、そちらの席にお掛けになってお待ちください」
「五分?!大丈夫?キミ本気なの?」
マルコが慌てた様子で心配してくれるが、ラニーは「お任せください」と微笑み返した。この状態のラニーには何を言っても無駄だと悟ったジェシーは、店長をサポートするべく準備に取り掛かる。
青毒虫の粘着液は素手で触ると危険とのことで、特別な手袋を両手に装着し、鎧を二人から受けとった。
フォルクスはさっさとソファに向かい、長くスラリと伸びた足を組んで、待ちの体勢に入ったようだ。その姿すら悔しいほど様になっていて、ラニーはこっそり唇を噛んだ。
本当にいけすかない。あの人は一体何者なの?
怒りに身を任せていたラニーだったが、いざ汚れた鎧を目の前にすると、次第に怒りは静まりそちらへと心が奪われていく。
とにかくラニーにとっては久しぶりの洗濯だ。
ニヤニヤと緩む頬を止められず、つつつ…と大事な洗濯物である鎧をなぞる。
「ラニー!五分なんでしょ、急いで!」
はっ、いけない!
ジェシーに声をかけられ我に返ると、慌ててラニーはバックヤードへと引っ込んだ。大きな鞄を開けると、その鞄には沢山の小瓶が整然と詰められている。
血はこれで落ちるとして、この滑った粘りは…多分こっちの薬でいけるかな。匂い消しも入れて…っと。
ラニーは手袋越しに汚れの性質を分析し、ラニーの必殺アイテムーーー何十種類と用意された薬をその場で手早く調合していく。
そして洗濯槽に薬を溶かし、鎧を数秒ほど浸け瞬く間に上げると、落ちてない汚れはないか隈無くチェックしていく。
ーーーうん、完璧。
我ながら惚れ惚れとする出来だと、ラニーはうっとりする。
本当はもっと堪能したいが時間がない。
「ジェシー、乾燥お願い!」
「はーい!」
例の乾燥用の器具に放り込めば、魔具が淡く暖かな光を放ち始める。
オープン前に試しに利用した時と合わせて二度目の使用になるが、慣れない不思議な光景に、一度目の時と同様ラニーたちは「おおーっ」と再び感嘆の声を上げた。癖になりそうなほど素晴らしい性能である。
そして取り出せば、ピカピカに輝く鎧が完成した。異臭も綺麗さっぱり消えている。
「お待たせいたしました」
時計を見れば、四分四十二秒。ギリギリ約束の時間内に間に合ったようだ。
ソファから立ち上がったフォルクスとマルコが、カウンターの前に立つ。
「ーーーこちらです。いかがでしょうか?」
緊張した面持ちでラニーが差し出すと、鎧の出来上がりを見た二人の騎士はしばし言葉を失う。そんな二人の表情を見たラニーは、少しだけ溜飲が下がった気がした。
ふふふ、私の勝ち!
満足げにドヤ顔するラニーに気付き、フォルクスが吹き出す。
「ハッ、参った。アンタ良いな」
「いやぁ、想像以上だね。こんなに短時間で鎧本来の輝きを取り戻すなんて。これはちゃんとお金を払わないと、僕たち王立獣騎士団の名折れになっちゃう」
カウンターの周りにはいつの間にか多くの騎士たちが吸い寄せられるように集まってきていて、口々に驚きと称賛の声が上がっていた。
しっかり代金を受け取ると、ラニーは代わりに二人に紙切れを手渡した。
「これは?」
「初回キャンペーンで、次またご利用頂ければ三割値引きさせていただきます!ーーーどうぞこれからも『ラニーの洗濯屋』をご贔屓に。ご利用いただき誠にありがとうございました、騎士様方」
恭しくお辞儀をするラニーに、フォルクスはクックッと笑いを溢す。
そんなフォルクスを見たラニーは、なぜか急に落ち着かない気分になり、慌てて視線を反らした。
「こちらこそありがとね。ほら、そこにいる君たちも利用した方が良いんじゃない?街の洗濯屋なんかよりも圧倒的に質が高いし、値段も安いよ」
しっかり宣伝までしてくれた後、二人はその場から颯爽と立ち去っていった。
最後まで見送る暇もないまま、代わりにカウンターには多くの騎士が押し寄せた。
「俺のもお願いしたいんだが!」
「普段着も頼めるのか?!」
「じ、順番にご案内しますので並んでお待ちください!」
ラニーの嬉しい悲鳴がフロアに響き渡る。
こうして、洗濯屋初日はなんとか無事に起動に乗り、幕を閉じたのだった。