3.オープン初日
洗濯屋は、塔の三階の武器屋とアクセサリー屋のちょうど間に位置していた。今の時間帯はほとんどの騎士たちが任務中、もしくは訓練中のため人通りも疎らだが、非番になると自分の装備の手入れや効果付与のアクセサリーを買い求め行列ができるらしい。
洗濯屋のカウンターは閉められ、表には『休業中』の貼り紙が出されていた。そのままロンにバックヤードへと案内される。
「どれくらいで店を開けられそうでしょうか?」
「うーんと、そうですね…」
設備を一通りチェックし、ラニーは考えを巡らせた。
前の洗濯屋の評判は良くなかったとはいえ、正直設備は想像以上だった。さすが王のお膝元と言うべきか。洗浄の道具も、皺を伸ばすアイロンも、ラニーでは到底手に入らないような一級品ばかりだ。
ラニーは宝石のように目を輝かせてそれらをじっくり見る。
その中に見慣れない大きな樽のような器具を見つけて、ラニーはロンに尋ねた。
「あの、これってなんですか?」
「ああ。それは室内でも乾燥できるよう、特別な魔具が埋め込まれたものです。その中に濡れた衣服を放り込めば自然に乾くと伺っています」
ラニーは説明を聞いて絶句する。
こんなに素晴らしい物が揃っていながら、評判が良くないとは…。どれだけ前任者は手を抜いていたんだろう。「なんて勿体ない、宝の持ち腐れだ!」と内心憤りと嫉妬を感じてしまうほどだった。
「これなら明日にでも大丈夫そうです」
「了解しました。それではこちらで手続きを進めますね。人手は本当に補充しなくて大丈夫でしょうか?ラニーさんとジェシーさんのお二人で回すのはかなり大変かと思いますが…」
心配そうな表情を浮かべるロン。
ラニーはそんなロンを安心させるように満面の笑顔で答える。
「はい!おそらく最初はそんなに利用されることもないと思いますし。もし今後忙しくなることがあれば、その時またご相談させてください。…だよね?ジェシー」
「ええ、これだけ環境が整ってるし。当面は何とかなるんじゃないかしら」
確かに今後繁盛することがあって、一人一人の洗濯物を丁寧に洗っていけば、普通なら到底回らないだろう。これだけ大きな騎士団だ。
ただ、ラニーは必殺アイテムをたんまり用意してきていた。
このラニーの秘密について知っているのは、ジェシーだけ。
ロンにもまだ伝えていない。
もし知っていればこんなに心配させる必要もなかったかもしれないが、いずれ自然にバレるから敢えて言わなくても良いか、とラニーは考える。
「そうですか…分かりました!何かあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
どこまでも丁寧で気の遣える人だ、とラニーは感心する。
この人が三階の担当であったことはラニーたちにとって幸運なのだろう。
そして慌ただしく管理局へ戻っていくロンを見送ると、ラニーとジェシーは頷きあった。
「さて、準備始めますか!ジェシー、早速だけどーーー」
ラニーはそう意気込むと、腕まくりをして開店準備を始めた。
◇ ◇ ◇
そして、ついにやってきた『ラニーの洗濯屋』オープン初日。
朝から同じ階で働いている人達に挨拶を終えると、ラニーはドキドキしながらカウンターに立った。
ジェシーがラニーの背中を尻尾でつついた。
「ふふ、緊張してるの?ラニー」
「ジェシー!そりゃそうだよぉ」
ぷるぷる震えているラニーを見て、ジェシーはよしよしとラニーの頭を撫でた。
「自信を持ってラニー。それにこれから大好きな洗濯が沢山できるかもしれないのよ?それにはまず洗濯屋としての腕前を披露して皆に知ってもらわないといけないわ」
「そ、そうだよね」
「それに私たちは只の一般市民。前任者のように王様との縁故もないから、評判が悪ければすぐに追い出されるでしょう。そしたらこれだけの好立地で洗濯できる機会は一生来ないかも」
「ひぃぃ!それは困る!!」
ラニーは顔を蒼白にし、勢い良く首を振った。
洗濯への欲求を思う存分満たすためにも、グノアの面子を潰さないためにも、なんとか起動に乗ってここにしがみつかなければならない。
まずは騎士様を呼び込まないと!
ラニーは気持ちを切り替えると、耳をピンと立て、気合いを入れた。
ーーーしかし、早々に上手くいくはずがなかった。
今日も多くの騎士が外へ出払っているのか、日中は三階を訪れる騎士の数自体が少ない。三階にやってくる騎士は、隣の武器屋やアクセサリー屋での用で、端から洗濯屋など眼中にないようだ。洗濯屋のカウンターに見知らぬ女性二人が立っていることには違和感を覚えるのか、物珍しそうにちらちらと視線だけ寄越されるが。
一生懸命呼び込みの声をかけてみるものの、声をかけられた騎士は曖昧な笑顔を浮かべてそそくさと逃げていってしまう。
そんな態度に心が折れかけ、むむむ、とラニーは唸った。
想像以上に、洗濯屋への信用は堕ちているのかもしれない。
ましてや若い女が二人。それならば城下の街にある慣れ親しんだ洗濯屋にお願いした方が確実だと思われていそうだ。
「なかなか厳しいわね」
ジェシーが苦笑して、ため息をつく。
「兄にも連絡したのよ。そしたら今遠征部隊に入っているみたいで、向こう二週間くらい帰ってこないらしくて。もし兄がいれば、周りに宣伝してもらったんだけど…」
「そうなんだ…。お兄さんも大変だね」
若くから獣騎士として働くジェシーの兄に、ラニーはまだ一度も会ったことがなかった。多忙で実家にもなかなか帰れない状況だと、以前からジェシーは言っていた。かなり優秀な人なのだと伺える。
どんな人なのかなぁ。
きっとお兄さんも、ジェシーに似た格好良い虎の獣人なんだろうな。
ラニーは想像して顔を輝かせた。
とにかく今はジェシーの兄をあてに出来ないし、自分たちで何とかするしかないのだ。
「ロンさんによると夕方から夜にかけて塔に人が集まる傾向があるみたいだし、そこでもう一踏ん張りするしかないよね」
「ええ、頑張りましょ」
ーーーそして迎えた夕刻。
ロンが言う通り、徐々にヴェルキンの塔は人通りが増え賑わい始めていた。訓練や任務終わりだからか、武器や鎧を身に纏ったまま入っている人が多い。
ラニーが螺旋階段から階下を覗くと、騎士専用の広々とした食堂も既に混み始めているようだった。ざわざわとした活気が上の階まで届いてくる。
そりゃそうだよね。
動いたらお腹が空くに決まっている。
こうして獣騎士たちを観察してみると、中には怪我をしていたり防具が汚れている者も多く、ラニーの胸は疼き始めていた。
ああっ…あの鎧の汚れも、ズボンの汚れも全部綺麗にしたい…!!
ラニーは無意識のうちに瞳孔を針のように細め、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。頬を紅潮させ恍惚とした表情を浮かべるその姿は、まるで恋する乙女そのものである。
そこから更に一時間ほど経てば、三階にも人気が移り始めた。同じ階にある各店に人だかりができ始めているのに、相変わらずラニーの洗濯屋には誰も立ち寄る気配がない。ひそひそと話しながら遠巻きに見られているだけである。
「ううっ。何で誰も寄り付かないの」
「よっぽど信頼がないのね。あとは、ラニー、その今にも涎を垂らしそうなやめなさい。そのせいで更に警戒されてるわ」
呆れ顔のジェシーに指摘されて、ラニーはいかんいかんと表情を引き締めた。
つい汚れている衣服が目の前にあると、表情がだらしなくなってしまう。このままでは禁断症状が爆発して騎士たちから無理やり剥いでしまいそうだ。
ーーーと、その時。
空気がざわりと揺らいだ。ラニーは敏感に感じ取り、きょろきょろと目を動かす。
な、なに?
ざわざわと次第にその波は大きくなり、辺りには緊張感が張り詰める。
周囲にいた騎士たちはある一点に目を奪われているようだった。
その視線の先を追おうとすると、突然目の前に大きな影が落ちた。ラニーがハッとして顔を上げると、黄金に輝く瞳と視線がかち合う。
「へぇ。アンタが新しい洗濯屋?」
返り血で真っ赤に鎧を染めたその美しい男は唇の端を上げ、ラニーを愉快そうに見下ろしていた。