2.ヴェルキンの塔
そこから怒涛のように話が進んだ。
近隣の住民たちに惜しまれつつも店を閉じ、両親に話すと泣いて喜ばれ、塔の従業員には専用の寮が宛がわれるとのことで、住み込みで働くために必要な物を全て支度した。
そうして僅か二週間後。
ラニーは、王城の広大な敷地に人生で初めて足を踏み入れた。
幾重にも厳重に重ねられた頑丈で巨大な石門。城を守るため強い種族とされる獣人だけで構成された衛兵。中央の高台に堂々と聳え立つ立派すぎる王城。
そして、ラニーとジェシーが勤務する予定の『ヴェルキンの塔』は、一目ですぐにそれだと分かる様相をしていた。
「ひぇっ、まさかこれ?!」
「多分そうね…」
衛兵に案内された先にあった目の前の大きな建造物に、ラニーは顔をひきつらせた。
天にまで届きそうなほど高く聳え立つ二つの円筒型の双塔は、獣騎士たちの生活基盤の役割としてだけではなく、見張り台や射砲塔など軍事的な役割も兼ね備えているらしい。塔は希少で強固な石壁で造られ、猛獣の種族ですら簡単には壊せないそうだ。
衛兵からそんな説明を簡単にされながら、ラニーたちは西側の塔の中へと案内される。
そして更に想像を絶する光景に、二人は完全に言葉を失った。
高い高い、筒抜けの天井。塔の内壁をなぞるように備え付けられた美しく大きな螺旋階段。各階に様々な施設や店が開かれ、多くの獣騎士たちで賑わっている。
あまりにもきらびやかで場違いな空間に、ラニーは目がチカチカした。塔の中なのに、まるで一つの立派な都市のようだ。
私、こんなところで洗濯屋するの?!
ラニーは思わず身震いして、ジェシーの袖を掴んだ。
「ジェシー、どうしよう。私逃げたくなってきた」
「…覚悟を決めるしかないわ、ラニー」
そうは言ってもジェシーですら予想外だったようで、物珍しそうに辺りを見回している。
さすが国内最強と言われる獣騎士団。
行き交う獣騎士たちは誰もが屈強そうで、佇まいも洗練され気高さが感じられる。ラニーが目にしてきた街の警備兵とは段違いだ。
「詳細についてはまず管理局の担当者から話があるかと思います。十二階に管理局がありますので、螺旋階段を使っていただくか、あちらの中央にある昇降機をお使いください。それでは自分はこれでーーー」
失礼します、と丁寧に頭を下げ、案内してくれた衛兵は持ち場へと戻っていった。
言われた通り、昇降機を利用してラニーたちは管理局を訪れた。
受付では職員たちが忙しそうに対応に追われている。順番を待ち、今日から洗濯屋として勤務する旨を受付で伝えると、「ああ!ラニー様ですね!お待ちしておりました」と奥の部屋へ案内された。
しばらくして現れた担当者は、鼠の獣人だった。ラニーよりやや小柄の、丸い眼鏡の似合う可愛らしい男性だ。後ろの髪がぴょこんと跳ねているのも可愛い。物腰も丁寧で、ラニーはすぐに好感を持った。
「王立獣騎士団管理局、塔の三階を担当するロンと申します。このたびは話を受けて下さり誠にありがとうございました。ラニー様たちの洗濯屋も三階にありますので、何かあれば私にいつでもご相談ください」
それからロンは、就業規則、塔の構造や利用方法、洗濯屋としての開店準備などについてラニーたちに次々に説明した。ラニーたちの従業員寮は東塔の方にあるそうだ。捕捉資料として、分厚い紙の束を手渡される。
「前任の方が使っていた洗濯屋としての設備はそのまま残しています。この後ご案内いたしますが、中を確認いただいて、不要なものは処分いただいて問題ありません」
「わ、分かりました」
ラニーが情報量に目を回しているのに気付き、ロンは慌ててフォローする。
「矢継ぎ早に説明してしまって申し訳ありません。塔もかなり広いですし最初は混乱されるかと思いますが、徐々に慣れてくるかと思います」
「あの、質問良いですか?」
ジェシーが小さく手を挙げたのを見て、ロンは頷いた。
「はい、もちろんです」
「前任の方が病になられて、私たちが来るまで洗濯屋は休業されていたということですよね?それまで騎士様たちはどうされていたんでしょうか」
するとロンは顔を曇らせ、少し逡巡するような素振りを見せた後、決心したように口を開いた。
「お二方にお話するか迷ってはいたんですが…。実は前任の方が病で洗濯屋を続けられなくなったのは事実であるものの、前々から洗濯屋の評判があまり良くなかったんです。なので塔の洗濯屋を利用する騎士も元々少なくて、休業していても特に困らなかったというのが正直なところです」
「なぜそんな洗濯屋をいつまでも塔に?王立獣騎士団であれば他にも良い洗濯屋などいくらでも誘致できる気がするのですが…」
「実はその洗濯屋、前王が懇意にされていた方の経営される店だったんです。ここは王の管理下にある獣騎士団。前王の進言をもちろん断れるはずも、追い出せるはずもなくーーー気付けば長い時が経っていました」
なるほど、なかなか厄介な事情が絡んでいたらしい。二人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
ラニーは、手紙を受け取った時からずっと気になっていたことを尋ねた。
「ーーーどうして今回私の店にお声がけいただいたんでしょうか。あ、もちろん嫌とかじゃなくて、身に余る光栄だと思うんですが、未だに信じられなくて」
「ああ、それについてはーーー」
そうロンが言いかけた時、コンコンと部屋の扉がノックされた。
部屋の中に入ってきた人物を見て、ラニーは目を見開く。
「ラニーさん、久しぶり」
「え、もしかしてグノアさん…?!どうしてここに?」
熊の獣人グノアは、半年ほど前に一時期ラニーの店に通ってくれていた客だった。その時は、店の近くの宿で寝泊まりしていてついでに利用してくれていたと記憶している。
グノアは立派に蓄えられた無精髭に二メートル近い体躯とかなり熊らしい凶暴な見た目だったが、そんな外見とは裏腹に、物腰は柔らかくラニーにいつも気さくに話しかけてくれたので、ラニーはこの熊おじさんが大好きだった。
「ロン君、まだ僕のことは彼女たちに話していないかな?」
「ええ。まだ何もお伝えてしていません」
「了解」
グノアはラニーたちに向き直ると、微笑んだ。
「改めまして、王立獣騎士団の総隊長を務めているグノアだ。その節はお世話になったね。実はラニーさんに塔へ来て貰ってはどうかと、僕が管理局へ提言したんだ」
ラニーとジェシーはぽかんと口を開けて、グノアの顔を見つめた。
「待ってください、えっと、グノアさんが総隊長…ですか?」
総隊長って、つまり、一番偉い人だよね…?
そんな人がうちの店に来てたの?!
ラニーが完全に固まってしまったのを見て、グノアは苦笑した。
「名ばかりだから気にしないで。僕の場合、部下たちがとても優秀でね。運良くこのポジションに座らせて貰っているだけで、お飾りみたいなものさ」
そうなの?とラニーは思わずジェシーへ視線をやると、ジェシーはぶんぶんと勢い良く首を振った。どうやらグノアの言葉は事実と完全に異なるらしい。
「黙っていてごめんね。あの時期、実は任務であそこに滞在していたんだ。ラニーさんたちの店を見つけたのは偶然だったけど、洗濯を実際にお願いしてみて驚いたよ。服が新品同然になって返ってくるんだから。正直僕が今まで依頼したどの洗濯屋よりも、質が高い。塔で働いてくれたら、騎士たちも大喜びなんじゃないかと思ってね。ちょうど洗濯屋の後任を探すため候補を洗い出してる時期だと小耳に挟んだから、管理局に伝えたんだ」
「そ、そんな!も、勿体ないお言葉ありがとうございます…」
グノアにべた褒めされて、ラニーは顔を真っ赤にした。
「話を受けてくれてありがとう。今、騎士たちの洗濯屋への信頼は正直無きに等しいんだがーーー、ラニーさんたちの腕ならすぐに回復できると思う」
無きに等しいってーーーそんなに評判は地に堕ちていたのかと、ラニーはごくりと唾を呑み込んだ。これはなかなか大変な道程になりそうだ。
「これからよろしく頼みます。何か困ったことがあれば僕にも相談してくれて構わないから」
総隊長様においそれと相談できるはずがない、と内心苦笑いしつつ、ラニーは差し出された大きな手を握り返した。
「こちらこそーーー!推薦いただき本当にありがとうございます。皆さんのお力になれるように精一杯頑張りますね!」
そんなラニーの言葉を聞いて、グノアが嬉しそうに頬を緩めた。
「じゃあ僕は用があるのでこれで。しばらく任務で遠征に出てしまうんだけど、戻ってきたら店の方にも顔を出させてもらうね」
「はい、よろしくお願いします!」
グノアが部屋を退出すると、ロンがにこにこと笑顔を浮かべて切り出した。
「それじゃあ、まずは三階へご案内します。行きましょうか、ラニーさん、ジェシーさん」
「はい!!」
自分たちの働く場所。一体どんな感じだろう?
期待と不安を胸に、ラニーたちはロンの後に付いて三階へと向かった。