2章 ミツルの家
それから、私は"記録員"という職業に興味を持ち調べてみることにした。
後日、講義の後図書館へ行き、衝撃に打ちひしがれたあの本を買い取れるか、無理言って図書館員に交渉してみると、白髪の爺さん館長が「この本も随分と前に読まれて以来だ。いいだろう。本は読まれて価値あるものさ。」と言って、無期限の貸出をしてくれることになった。私は「必ずお返しします。」と言ったが、2週間後に覚えているかは不明だ。でも、その時はでまかせでなく、本当に返却しようと思っていたのだ。
家に帰るバスの中、そう言えば今日はアキオに会っていないとふと思った。なぜなら、いつもなら行きのバスは、互いの講義の関係でばったり会ったり、会わなかったりするのだが、帰りのバスは、必ずアキオが座っている。
しかし、今日はバックの中の本にばかり気を取られながら、バスに乗り込んでいた。
「風邪かな?」そう思い、バスのアナウンスで目的のバス停が呼ばれ、無意識にボタンを押したが、一足先に誰かが押した後だった。
家に着くとやけに重く感じるバックを床に置き、ただいまと、一言呟き誰もいないリビングを覗いたあと、バックを持ち上げ自室へ行き、早速、表紙と向き合って椅子に腰掛けた。
1ページ、指に触れると結露のように、すぐに手汗が出てきた。
それから何時間経ったのか。最後のページの真っ白さに、私は涙していた。
力を入れずとも閉じた本の裏面には、意外と目に通してなかった、文字が並んでいた。白い文字で「運命とは皮肉」と、何やら意味深な言葉は手書きだった。
本から目を離して辺りを見ると、以外にも日が暮れた後だった。
「夕飯だぞー」と、父から呼ばれる。「うーん」と、いつも返事をし、1階へ向かうと久々の父の手料理だった。いつもなら、コンビニ弁当や酷い時はカップ焼きそばがテーブルの上に置かれているのだが、今日は味噌汁にチャーハンといういかにも、料理下手な父が作った献立だった。美味しそうに湯気が立つ中、「豪華だね。」と言って席に着いた。父も、「腕を奮ったんだよ。」といって席に着いた。
スプーンで1口チャーハンを放り込むと、何気に美味しかった。というか、いつもコンビニ弁当ばかりだからか、舌が肥えるとは、まさにこの事だ。
「味はどうだ。」と、聞いてくるので、「フツー。」と、素っ気なく応えると、まあまあか、と呟いて父は味噌汁に手をかけた。
しかし、食卓に父子2人というのは正直なところ話もしない。昔から、男手ひとつで育ててきた父は食事の時はあまり話さない。それが移ったのか、気づけば食卓の時間は静寂に包まれるのが、我が家の日常だった。
「そういえばさー。」と私から切り出す。父は顔を上げ目を合わせてきた。「就職先ってどんなのがいいかな。」そう父に聞いてみた。
父は今は水道局員をしていて、週3で水道局へ行ってほとんどは6時に帰ってくる。しかし、水道の点検がある日はカレンダーにマジックで「点検」と書かれている。その日は父は深夜に帰ることになり、私は据え置きのカップ麺で夕食を済ます。
思えば「点検」は私が中2になってからカレンダーに書き込まれだした。
父曰く、「ミツルも1人で留守番できるよな。」と私に確認やらがあって、点検作業につき始めた。
最初のうちは、夜中に家の中に1人で居るというのが怖くて、父が帰って来るまでリビングのソファーで寝ずに居たものだ。当時スマホなんてものはなかったため、本当に、永遠に帰ってこないのではないかと掛け時計を見つめて、深夜の通信販売の番組を聞き流しながら、横たわっていた。
ガチャ、と音がしてぼそっと、ただいま、と聞こえると私は体を起こそうとしたが、安心したか、もしくは、眠気が勝ったか、吸い込まれるように夢の中へ落ちていった。
そんなのが月1回あるのでいつしか、点検の日でもベットへ行き、やがて日常通りに過ごし、忘れている日も出始めた。
そんな父に聞いた就職先の相談。答えはこうだった。「就きたいとこへ就くのが1番だよ。まあ公務員も楽じゃないさ。」と、諦めか、ため息混じりで応えた。
そうか、と思って皿をシンクに置いて2階に行こうとすると、父は「決めたのか?」と、思い出したように聞いてくる。私は、いや、とだけ返事をして、ドアを閉じた。
ベットの中、夢の中で何やら声がする。
目を覚ますと朝だった。何やら記録員がどうって言っていたような気がしたが、その時は特に気にせず、体を起こして洗面台へ向かった。