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疫病神の誤算  作者: 美作 桂
12/20

7 現在

晃と倫子、二人の乗った車が去って行った。それを見送ると、由梨は治夫の袖を引いた。

「ホラ、何してんの。行くよ」

「・・・どこに」

「釣りに決まってるら。ウチも行くで」

十五年前に自分を捨てて妻と共に出て行った息子。律子のことはともかく、晃には恨みはない。恨んではいけない。たった五才だった息子にどんな責任があるというのか。理性の治夫はそう言っている。しかし感情が理性に追いつかない。この世で会うことはもうないだろうと思っていた息子にいきなり目の前に立たれ、どう反応すればいいのか、答えが見つからなかった。

治夫が昼飯用にと用意していたおにぎりを、由梨は助手席で怒りながら頬張った。

「黙ってて、悪かったな」

「ホントだよ」

口一杯に詰め込んだものを咀嚼しながら由梨は言った。水筒のお茶で一息付いて続けた。

「最低だに。実の息子だよ。・・・わざわざ東京から来てくれただに。約束すっぽかして釣りに行くって。もう何考えてんだか。それにウチにも言わんで。黙っててさ。それで悩んでたんだら? それならそうと言ってくれりゃいいだよ」

「いや、お前がショック受けるかもって」

「何で」

「お前の他に子供がいるなんて教えてなかったから」

「前から知ってたに」

「うそ。マジ?」

「お母さん教えてくれたもん」

「あ、そ」

どっと力が抜け、危うく赤信号を無視するところだった。

「で、何で逃げようとしただ」

「いやあゴメン。逃げようとしたわけじゃないんだ。ホントにすっかり頭から抜けてたんだ。客先に行く直前だったから。家の場所書いて、時間を決めてたんだ。その記憶がすっぽり抜けてた。いや、一言もない。悪いことしちゃったなあ」

あまり父を責めても仕方がない。向こうだってノンアポだったわけだし・・・。黙って二つ目のおにぎりに取り掛かった。

海沿いの道路を走る。風が強ければウィンド、波が高ければサーファーが波間に浮かぶ。今日は人もまばらだ。どんよりと低い雲が空を覆っていた。生温かい微風。海は穏やかに凪いでいた。

浜を右に見ながら、今は使われなくなった灯台の下を通り過ぎた。巨大な風車が立っている海水浴場を通り過ぎ港に着いた。道路脇に車を停め、道具を下ろした。釣り人は少ない。というより今日のところはあらかた皆釣果を上げて帰ってしまったのだろう。

クーラーボックスを担ぎ、防波堤の上を先に立ち歩いて行く。しばらく歩いてドンと荷物を下ろした。

「ここにしまい」と由梨は言った。

小さなころから釣りに付き合わせていたので、仕掛けやハリスの扱いなどは覚えてしまっている。由梨はクーラーボックスを開けタッパーに入れてある、あのミミズのようなグロテスクな生き物を平気で摘み針に仕込んだ。治夫が何も言わないうちに二人分の仕掛けが出来上がっていた。

本当に今日は風が穏やかだ。

外海を眺めた。水平線に自動車貨物船が浮かんでいた。四角いシルエットになって明るく見えた。海の向こうは雲の切れ間があるのだろう。由梨から渡された竿を構え沖へ投げた。二人とも無言で水面を見つめた。

「治夫?」

昨日の夕方に呆けていた時とは違う、父の顔に深い苦悩が見える。時折吹く風が帽子の下の白髪の混じった毛先を揺らした。父は海風に目を瞬かせながらただじっとハリスの先を見つめていた。

「おい、治夫。治夫ってば!」

驚いたように振り向いた父は、いつもの放蕩娘を訝るようなお道化た表情を浮かべた。

「何だよ。びっくりすんだろ。魚逃げちまうじゃないか」

「何で出てやらんの。何を悩んでるだ」

父の瞳がまた暗く沈んだ。長い間一緒に暮らして来たから、どんな些細なことも手に取るように由梨にはわかる。目尻の端でささやかな和みを作ったが、誤魔化そうとしても誤魔化しきれていないことがわかってない。

水滴がポツポツとウィンドブレーカーの生地を叩いた。

「由梨。カッパ着ろ」

防水バッグの中から臙脂色の雨具を取り出して着た。

「今日は降ったり止んだりだそうだ。飲むか?」

父の差し出した水筒を受け取りクーラーボックスに腰を下ろした。水筒を握りしめたまま、治夫を見つめた。

「ねえ。何か言ってや。ひとが本気で心配してあげてるのに。どうして何も言ってくれんだ!」


                     ≪つづく≫

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