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第二章 主神殿

「うっわ~、いい風!」


 金色の髪をなびかせたメルファは目を細めた。空は今にも降り出しそうな天気だったが、風は心地よく、興奮に上気したメルファの顔を冷ますように撫でていった。

 平原から運ばれてくる涼風。

 青々とした草と香しい花の香が混じり合い、メルファの鼻をくすぐった。

 見たこともない美しい花が、緑色の絨毯の上で色鮮やかに咲き誇っていた。  

 雨露に打たれながらも、決してしおれることのない花々。太陽が顔を覗かせなくとも、生き生きとしている植物があるのだと知ったメルファは、なぜか嬉しくなった。


(やっぱ、女神なんかの力がなくたって、生きていけるんだ)


 雨ばかりでは作物が育たないと嘆いている者たちもいるようだが、花はあんなに立派に咲いている。農作物だって、いつか太陽がなくても育つようになるかもしれない。そしたら、女神なんか崇拝しなくてもいいようになるのだ。

 楽観的に思いを巡らせたメルファの口元が緩む。


「ほらほら、子猫ちゃん。そんなに身を乗り出すと落ちちゃうよ」


 目の前に座るアークの忠告も無視して、もっとよく見ようと身を乗り出した。

 窓から眺める景色は次々と変わっていく。目新しい光景に、胸が高鳴った。生まれてから一度も霧深きルオンの街を離れたことはなかったのだ。どんな小さな事でも記憶に焼き付けていたかった。


(帰ったら、みんなに自慢してやろっ)


 仲間たちには、なにも告げずについてきてしまったから、今頃戻ってこないメルファのことを心配しているかもしれない。


「うわっ」


 車輪に石が当たったのか、馬車に衝撃が走った。

 窓枠に手を掛けていたメルファの平衡が崩れる。

 そのまま外に落ちそうになったところを、とっさにアークが引き寄せた。


「だから言ったでしょ。今後は、窓から離れて眺めるよ~に!」


 メッと叱るアークに、メルファはぶすっとした表情でそっぽを向いた。もし彼が貧民区の仲間だったら助けてはくれなかっただろう。忠告を無視したメルファの自業自得なのだから。自分の身は自分で守らなければ、あそこで生きてはいけない。

 だからこそアークの対応が気恥ずかしくて、どこかぶっきらぼうになってしまう。ありがとうと、言えばすむことなのに、憎らしい神官である彼らにはどこか素直になれないのだ。


 それでもここ数日、彼らと一緒に過ごしたメルファは、彼らがルオンの神官とどこか違うことに気づいていた。護衛神官という、主神殿を護る重大な任を背負っているせいなのか、それとも主神殿に身を置いているせいなのかはわからないが、ふたりとも優しいのだ。

 貧民区だからとか、孤児だとか、盗人だからとか、そんなことは考えず、ひとりの人間として相手をしてくれる。


 メルファが彼らよりずっと小さいせいか、まるで小さな子供を相手するように接してくるときもあるが、意志は尊重してくれるし、話もちゃんと聞いてくれる。

 そんな些細なことが、神官に不信感しか抱けなかったメルファには嬉しいのだ。

 思わず笑みを浮かべたメルファに、アークが不思議そうな顔をした。


「何か面白い景色でもあった? オレ的には、代わり映えしなくてつまらないけど」


 ふかふかの座席に座ったメルファは笑みを消すと、首を振った。

 上流階級の人間が乗る、四頭立ての馬車は、揺れも少なく乗り心地は最高であった。香水でも振りかけてあるのか、薔薇のような香りがした。六人掛けの広々とした馬車の中は、純白の天鵞絨と細やかな装飾で覆われ、ルオンの貴族の馬車よりも豪奢な造りだった。

 その居心地のよさを味わったメルファは、滑らかな手触りの座席を撫でると嘆息した。


「感動が薄いとか、最悪。遠くには山が見えるし、天気は……曇ってていただけないけど、花畑が広がってて綺麗じゃない。それをみんな同じとか、ありえない。ぜんっぜん違うよ。少しずつ表情は変わってるもん。……あ~あ、晴れてたら、もっといい光景だったんだろうな~」


 視線を外へと向けたメルファは、恨めしげに曇り空を見上げた。

 降臨祭はまだまだ先だ。もうしばらく、太陽は姿を隠したままだろう。

 大雨ではないだけマシなのかもしれない。


「雨は女神が泣いているから。曇りは女神が憂えてるから、なんだってさ。ハッ、笑っちゃう! 女神なんかが天候を操れるわけなんてないのにさ」

「慈雨の地ファーゼで生まれ育って、よくそんな暴言を吐けるね。もしかして、霧深きルオンの街の神官どもって怠慢気味? 女神レウリアーナの信仰を広めることが彼らの仕事なのにねぇ」

「あのさ、このさいだから言っておくけど、なんか夢見てない? ほかの街は知らないけど、ルオンじゃ女神信仰してんのは平民と富裕層だけ。しかもかなりあくどい商売してるよ。お布施とか称して、金品を巻き上げてさ。んで、払わなかったら信仰心が薄いとかで、異教徒の烙印押されるの。バッカみたい。そんな連中が管理しててさ、なにが女神さまって感じ。あんたたち仲間なんでしょ? そんなことも知らなかったの」


 護衛神官は、穢れに触れることを禁じられた神官に代わり、主神殿の警護を担当しているという。彼ら自身、女神レウリアーナを崇拝し、神官となる修行を積んだようで、その手が血に穢れていなかったのならば、ルオンの神官になっていたかもしれない。

 ふいにメルファの頭に温もりが落ちた。ハッと顔を上げると、どこか辛そうな目をしたヴァズがいた。


「俺たちは万能ではない。すべての街を把握するのは不可能だ」

「そ、オレたちの仕事は主神殿を護ることだからね。たとえ同じ神官といえ、外のことには関知してないの」

「……けどっ、」


 なおも言いつのろうとしたメルファは、我慢するように奥歯を噛みしめた。

 八つ当たりなのはわかっていた。彼らが悪いのではない。主神殿の神官である彼らが、遠く離れたルオンの状況を把握しているはずないのだ。

 それでもメルファは問い詰めたかった。

 女神はなぜルオンを見捨て、悪魔の巣窟としてしまったのかと。なぜ救ってはくれないのかと。


「ほらほら。子猫ちゃん。眉間に皺を寄せないの! 可愛い顔が台無しっしょ?」


 つんっと眉間を突いたアークは、三人の間に流れた気まずさを吹き飛ばすかのように笑った。


「あたしはどんな顔でも可愛いもん」


 照れ隠しのようにそっぽを向いて外を眺めたメルファに、アークが吹き出しながら同意した。


「そうだね、メルファちゃんはファーゼ一可愛いよ。ねぇ? ヴァズ」

「ああ」


 ヴァズまでも賛同すると、メルファの顔が赤くなった。

 人に褒められるのには慣れていないのだ。小さい頃は両親が毎日、「可愛い子」「わたしの天使」とか言ってくれたが、死んでしまってからは、優しい言葉をかけてくれる者はいない。お金がないせいで、身なりも整えられなかったせいもあるかもしれない。


 メルファは、風に吹かれてさらりと胸の前で揺れる金色の髪を見た。真っ直ぐな髪は胸の辺りで切りそろえられていた。伸び放題でぼさぼさだった髪をアークが切ってくれたのだ。体の垢を落とし、髪の毛を

整えるだけでだいぶ印象は変わった。


 真新しい水色の服に袖を通し、見違えるほど可愛くなったメルファを貧民区の人間だと疑う者はいないだろう。事実、守警団員の前を通っても、メルファが捜している人物だということにまったく気づかなかったようだ。


「メ……ファ、……ル……、メルファちゃん」

「……ぅ…ぅん」


 体を揺すられ、メルファは目をうっすらと開けた。ごしごしと眠そうに目をこする。


「主神殿に着いたよ」

「えっ…、ほんと!?」


 揺れがあまりに気持ちよくて、いつの間にか眠っていた。どうやら隣に座っていたヴァズが膝を貸してくれていたらしい。上にかかっていた外套はアークのものだったようで、メルファが起き上がった拍子に落ちたそれを、ヴァズが拾って座席の上に置いていた。

 ふたりに礼を言ったメルファは、大きく伸びをした。


「う~っよしっ、お金のために頑張るぞっ」

「ほんと子猫ちゃんは現実主義だねぇ。普通の子だったら、泣いて喜ぶところなんだけど」


 いつの間にか純白の外套を肩にかけていたアーク。ルオンの神官も同じ外套をまとっていたが、彼らの多くは腰か膝あたりまでしかない。

 アークのように踝まで届くほど長くなかったし、金の二本線なんて入ってなかったはずだ。

 これが護衛神官の服装なのだろうか。

 女性の横顔を象った真珠の念珠を首から下げたアークは、神官らしい侵しがたい雰囲気に包まれていた。

 けれどメルファは見た目だけで惑わされたりはしなかった。


「だってあたし、あんたたちのこと、これっぽっちも興味ないし」


 にこっと可愛らしく笑っているのに、内容は辛辣だ。


「メルファ」


 いつの間にかアークと同じ格好になったヴァズが一足先に馬車から降り、促すようにメルファの名を呼んだ。

 階段を降りようとすると、ヴァズが手を差し出してくれた。それに掴まれということなのだろうか。

大きな手に己の手を乗せたメルファが、軽やかに地面に足をつくと、その後ろからアークが続いた。

 生まれて初めて主神殿を目にしたメルファは、呆然と見上げた。


「水晶だ……」


 巨大な水晶の結晶。

 まるで天を貫くかのようにそびえ立っている。七色の光を宿す水晶は、角度によって色を鮮やかに変えた。


 メルファたちを乗せた馬車が来た道を戻っていくと、背後からぎちっと鈍い音が響いた。

 振り返ると、吊り橋がゆっくりと持ち上がっていくところだった。主神殿に用がある者しか渡れない仕組みになっているのだろう。

 主神殿の周囲は高い塀で囲まれているようで、橋が完全に上がってしまうと世界から隔絶された心地になった。対岸までが、酷く遠い距離だ。


「湖畔に佇む聖地のご感想は?」

「幻みたい……なんか変。想像してたのと違う。綺麗だけど、怖い」


 物々しさをかんじさせる荘厳な雰囲気に呑まれていたのだ。これが神聖な雰囲気というものなのだろうか。ルオンの開かれた神殿とはまったく違う。保守的で、侵入者を阻むような冷たさと、だれもが魅了される美しさの不均衡さが、どことなく危うさを感じさせる。

 ヴァズが優しく背を押して先を促すと、メルファはようやく歩き始めた。

 入口らしき場所に紗のかかった大きな布が被さっていた。その両脇には、頭からすっぽりと黒い布をまとった女たちが控え、布を退けてくれた。

 不思議そうに彼女たちを見つめるメルファの視線になにかを察したのか、彼女たちが主神殿の世話役であることを教えてくれた。世話役は、神官の身の回りの世話をするのだという。


 中は、空洞だった。


 等間隔に松明が焚かれ、暖かみのある色が水晶に反射していた。揺らめく炎と同調して、水晶に映る炎も濃淡をつけながら変化した。


 この世の美しさをすべて閉じこめたような幻想的な煌めきに、メルファも思わず、


「売ったらいくらになるかな……」


 うっとりと算段する。


 主神殿に入れる者は限られている。ということは、この神殿にあるものはなんでも貴重ということだ。女神を崇拝しているヤツらならば、指先ほどの欠片だとしても百ベガは出すだろう。

 換金するよりも貴族連中に売りつけた方がもうかるかもしれない。目を輝かせたメルファは、他にも金目のモノはないかと物色する。

 水晶のせいでひんやりしているように感じるが、松明のおかげで外よりも暖かかった。大広間のように広々とした中央には、神々を象った壮麗な水晶の彫刻が鎮座し、天井まで伸びていた。まるで、地上に舞い降りた神々が、天界へと還る様を描いたかのような光景だった。


「〈ドゥル=ドゥオールの終焉〉……」


 十三体の神々の姿を目に入れたメルファの口から、感嘆とした声が漏れた。


「知っているのか?」


 ヴァズが驚いたように訊いた。

 主神殿すら知らなかったメルファが、(いにしえ)の予言を知っていると思わなかったのだろう。


「母さんに聞いたことがある。バーンはいつかこの世界──ドゥル=ドゥオールを壊して、また新しく世界を創るんだって。十三の地を護る神が神の国へ還っていくときが、その終焉の始まりだって言ってた」

「お前の母親は、慈雨の地の者ではないな」

「! なんでわかるの!?」

「平穏を好む慈雨の地の神官は、民を惑わすことは言わないのさ。さ、はぐれないようにね」


 ヴァズの代わりに答えたアークが、メルファに向かって手を差し出した。貴族の娘に対するような恭しい態度に、照れと驚きが入り交じった顔でそれを見つめたメルファは、首を振った。


「あたし、迷子なんかならないもん」

「いいから、いいから」


 メルファがはねのけても、アークはまったく気にせずメルファの手を取った。

 メルファは顔を赤くして、けれどそれを隠すかのようにめいっぱい不服そうに唇を尖らせた。


(べ、別に、嬉しくないし)


 だが、掌から伝わる温もりはとても温かい。

 貧民区の仲間たちとはまったく違う手。あかぎれも切り傷もない、綺麗で大きな手。


(神官なんかみんな悪者なんだっ、なのに……)


 守警団と手を組んで弱者を虐げる存在なのに、どうしてこの手の温もりに安心してしまうのだろう。

 複雑な胸中に気づきもせず、アークとヴァズは迷うことなく十にも及ぶ回廊の中から一つを選び取り、奥へと進んでいった。

 優雅な曲線を描く回廊は、水晶とは違う色のついた石を等間隔にはめ込んでいた。鮮やかな蒼が、橙色の炎に照らされて暖かみを帯びる。きらきらと石自体が発光しているかのように内から輝いていた。


「偉大なる大神官サマに謁見する前に、まずは清めないとね」

「清める?」

「そ。オレたちもだけど、俗世の穢れを落としてからじゃないと主神殿にはたどり着けないよ」

「なにそれ。ここが主神殿なんでしょ?」

「ここは入口ってところかな。外から入ってきた者が主神殿に足を踏み入れるには、まず全身を聖水で清めなくちゃいけない決まりだからね。ここは、そういう人たちのための空間ってやつ」



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