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第五章 揺らぐ想い

 シンッと静まり返った室内には、蝋燭の灯りだけが淡く輝いていた。


 あまり眠くないメルファは、退屈そうに窓の外を見上げた。

 メルファのいる部屋は水晶で覆われていない部分らしく、漆黒のとばりが夜空を覆っていた。雨の止んだ空は、まだ雲に包まれているようで、玲瓏な月さえ姿を隠していた。


 そんな闇夜にいっとう輝く星があった。

 月を消した分厚い雲でさえ、その星の輝きを奪えない。

 金星と呼ばれる星は、太陽のように強烈な光を放ちながら輝いていた。

 黄金の光は、夜の中にあっていっそうと美しさを増す。

 太陽と同じ色をまとった金星は、降臨祭が始まる前に姿を現すという。

 まるで女神の訪れを知らせるような金星に、民は祈りを捧げるのだ。降臨祭のときに願いを叶えてもらうために。


「いくら願ったってホンモノの女神はいないってぇのにさ……」


 金星を見つめながら、思わずこぼれ落ちた言葉。

 神気すらまとえないメルファに女神の代わりなど務まらないだろう。


「女神、か」


 窓から離れたメルファは、天蓋付きの寝台に仰向けに倒れ込んだ。ボスンッと、柔らかな羽毛の中に体が沈む。


(ほんとにいるのかな。代わりって言われても全然ピンとこないや)


 ただ単に、力のある人間を女神と呼んでいるんじゃないか、という気分になってくる。

 それでもメルファは、最初の頃と比べて神官たちにも慣れたし、女神という存在も受け入れられるようにはなった。


(だいたい、あたしなんかじゃ役不足だ。元から無理があったんだ)


 主神殿を出て行こうとしたメルファだったが、なぜか居座ってしまっていた。

 主神殿から出られないからだ、と言い聞かせるも、四日前に聞いたアークの言葉が耳から離れなかった。

 メルファが仮初めの女神とならなければ、イーシスは失脚させられるだろう。

 しかし、現実問題、神気をまとうことができない以上、どのみちイーシスは巫女を呼ばざるを得なくなる。


(アイツもアイツでいろいろあるんだな……)


 ただ恵まれた日々を送ってきたわけではなかったのだ。

 ゆっくりと身を起こしたメルファは、中央に置かれた円卓に目をやった。そこには、うずたかく積まれた本があった。

 読み書きを知らなかったメルファは、四日前からヴァル・ダル語をリートゥアから習っていた。それはすべて聖書を読むためだ。

 イーシスから無知だと馬鹿にされたのに腹を立てたのがはじまりだった。負けず嫌いのメルファは、見返してやろうと必死に勉強しているのだ。


(学なんかいらないと思ってた……。だって、そんなの生きるために必要ないし)


 メルファにとって大切なのは、相手に悟られずに盗むことだ。

 それだけだったのに、今は『知る』という楽しさに気づいてしまった。

 リートゥアは、優しく丁寧に教えてくれる。師として仰ぐにはこれ以上ない適当な人物だろう。


(バルティンだったら絶対見下した笑みを浮かべながら、こんな簡単なこともご存じないのですか? とか言ってくるに決まってる)


 寝台から下りたメルファは、暇つぶしに円卓へと向かった。

 一番上に置いてある一冊を手に取ると、頁をめくった。まだあまり読めないが、ここに書かれている内容は昨日リートゥアが説明してくれた。


 ドゥル=ドゥオールのはじまりを描いた史書だ。


 その昔、創造主バーンは箱庭を創ったという。

 そう、この世界──ドゥル=ドゥオールのことだ。

 最初は虚無しかなかった箱庭を、バーンは大切に慈しみ、花々で満ちあふれさせた楽園へと変えた。

 やがてバーンは楽園に息吹をかけた。すると、新しい命が次々と誕生し、人や動物がそれぞれに形を成していったのだ。

 命の輝きにきらめく地を見たバーンの目から喜びの涙がこぼれ落ちた。一滴、二滴……十三滴の雫が楽園へ落ちると、土と混じり合い、姿を変えた。


 バーンの涙から誕生したのは、新しい神々であった。右の目から滴った雫は男神に、そして左の目からこぼれ落ちた雫は女神となって生まれ出でると、バーンは彼らに名を与えた。

 そして、十三神を箱庭の守護神に据えると、彼らが争うことのないよう地を十三に分け、それぞれの地を治めさせたのだ。


 その一つが、女神レウリアーナの恩寵を受ける慈雨の地ファーゼである。


 ぺらぺらとめくっていたメルファは、ふと本が増えていることに気づいた。いつの間にかリートゥアが置いていったのだろう。持っていた本を置くと、分厚い古書を手に取った。色あせているとはいえ、しっかりとした革の装丁がなされたそれは、値打ちがありそうなものだった。

 興味を引かれたように中を見たメルファは、古めかしい挿絵を見て、ふと手を止めた。光の中で、美しい女性が慈愛深く微笑んでいた。どこかで見たような顔であった。どこだと、思い出そうとしたメルファは、名前らしき綴りを発見した。


(レ、ウ、リ……)


 隅に書かれている文字をなぞったメルファは、この絵が女神レウリアーナを描いたものだと悟った。


「これが、女神……」


 赤子をあやしている姿に、思わず心が震えた。

 純白の薄布がまるで羽のように広がり、黄金の光が内から照るように輝いていた。あどけない顔で眠っている赤子を見つめる女神は、まるでわが子を抱く実母のように慈しみ深い表情をしていた。わずかに首を傾げた姿も優美で、高貴さがうかがい知れた。


 黄金の衣は、きっと神気なのだろう。

 少しばかり色あせた挿絵だというのに、女神の威光は揺るがない。たおやかな物腰は、それこそ女性美のすべてを詰め込んでしまったかのようだった。


「ハハ……ッ」


 女神という存在のすべてが集約されたような絵を前に、メルファは乾いた笑みを漏らした。


(なにこれ……、まったく敵わないじゃん)


 理屈ではないのだ。

 本能で、敬いたいと思ってしまう相手。

 それが女神なのだ。

 メルファのような中途半端な者が、仮初めの女神なんてとうてい演じきれる代物ではない。

 胸の奥が熱くなった。

 みんなが馬鹿にするのも当然だ。少しくらい見た目が良くなっても駄目なのだ。たとえ神気をまとっていても、メルファなんぞ足下にも及ばないだろう。


「なにやってるんだろ、あたし……」


 くしゃりと髪をかき混ぜたメルファは苦笑した。

 本物との歴然とした差を目の当たりにしたメルファは、苦痛をやり過ごすかのようにきつく目を瞑った。


「メルファ、さま……?」


 驚いたような声に顔を上げたメルファは、リートゥアが扉を開いたまま立ちつくしているのに気づいて、気まずそうに顔を俯けた。


「蝋燭の火を消そうと思ったのですが~、必要なかったみたいですわねぇ」


 持っていた燭台と火消しようの蓋を低い棚の上に置いたリートゥアは、どこか覇気のないメルファに気づいて小首を傾げた。


「どうなさいました~? 気分が優れないようでしたら、侍医をお呼びいたしますがぁ」

「……いらない」


 近づいたリートゥアは、開かれた本に気づくと、合点がいったように頷いた。


「勉強なさっていたのですねぇ。メルファさまは素晴らしいですわ! さすが、イーシスさまが認められた方です~」

「うそ! そんなのうそだ!」

「メルファさま……?」

「あたしみたいのだったら、だれでもよかったんじゃんっ! あたしは……あたしなんて無理だ。仮初めの女神なんてなれないよ……っ」


 珍しく弱気を見せるメルファに、一瞬、笑顔を凍りつかせたリートゥアは、すぐに柔らかく微笑んだ。


「悩まれるのも当然ですわ~」


 リートゥアは椅子にメルファを座らせると、自分は床に膝を突いて、メルファの手を取った。その手が冷えていることに気づくと、羽織っていた外衣をそっとメルファの肩にかけ、再び手を両手で包み込んだ。


「かわいそうに……こんなに冷えてしまわれて……」

「あったかい……」


 ぽつりとメルファがそう漏らすと、リートゥアは嬉しそうに目尻を落とした。


「メルファさま、だれしも完璧ではございませんわ~。わたくしは、メルファさまを尊敬申し上げます。このような場所へ、詳しい説明もなく連れてこられた上に、魂魄の分離まで……。きっと、ご自分でも納得なさらないうちに、次々とことが進まれていたのでしょうね」


 泣きそうなメルファを見つめるリートゥアの視線はとてもあたたかいものだった。まるで、日だまりの中にいるような、そんな心地よさがメルファを包み込んだ。


「わたくし、逃げ出さずに学ぼうとしていらっしゃるメルファさまの態度はご立派だと思いますわ~。残念ながら、メルファさまの努力も目に入らず、ただ表面上の問題だけで批判の言葉を繰り返す、口さがない者もおりますが~」


 リートゥアも気づいていたのだろう。神官たちのメルファに対する態度に。

 恥じるように双眸を曇らせたリートゥアは、メルファの手を握る手に少しだけ力を込めた。


「けど、アイツらは正しいよ」


 メルファは自身を嘲るように口元を歪めた。


「あたしは闇に染まってる。リートゥアたちに触れてもらえる資格なんかないんだ」


 そう言ってメルファは手を振り払おうとしたが、リートゥアは許さなかった。


「いいえ、──いいえ、それは誤りですわ」

「なんで……、なんで断言できるのさ! あたしは……」


 自らの罪を思わず告白しそうになったメルファの口に、リートゥアの細長い指先が触れた。


「これまで、貴女がどのような道を歩まれてきたのだとしても、それは決してメルファさまの品位を穢してはおりませんわ~。だって、貴女の眼差しは、晴れ渡った空のように澄んだ色をしてますもの~。濁りのない目を見れば、貴女がどんなに純粋で、心根の清らかな方なのか察することができますわぁ」


 すっと唇から手を離したリートゥアは、それに、と続けた。


「湖でのこと、覚えておりますか~?」

「湖……?」

「イーシスさまに謁見する際、小舟に乗って通った湖のことですわ~。あそこで、メルファさまは聖なる水に平然と触れていらっしゃったでしょ~?」

「そう、だけど」


 リートゥアの意図が読めず、メルファは眉間に皺を寄せた。

 くすりと笑って、その顔を見つめたリートゥアは、秘密を打ち明けるかのように囁いた。


「実は~、穢れた者が触れると、触れた部分がただれますの~」

「……は?」


 メルファの目が点になった。リートゥアの言葉を咀嚼しようと試みるも、なぜか理解したくないと思えてしまった。

 確か、あのとき、リートゥアはメルファのことを放っておいたはずだ。水に触れるのを咎めることも、そんな秘密があることも説明しなかった。


「ですから~、メルファさまはちっとも穢れておりませんわ~。ふふふ、逆に水の精に好かれているのかもしれませんわね~。かつて、聖なる水をあたたかく感じた者はおりませんでしたもの」

「な、なんで言ってくれなかったわけ? あたしの手がもしただれたら……」


 メルファの口元が引きつった。


「そのときは、」


 リートゥアは極上の笑みを浮かべた。


「アーク殿に別の方を捜してもらうしかありませんわねぇ。穢れた方をイーシスさまに近づけるわけにはいきませんもの~。メルファさまが自ら水に触れてくださってようございましたわぁ」


 ふふふ、と控えめに笑うリートゥアは、髪を下ろしているせいもあってか、凛とした雰囲気が消えてたおやかな風情だった。

 が、メルファはもう見た目には騙されなかった。主神殿における数少ない良心の本性を知ってしまったのだから。


(やっぱ、神官なんか嫌いだ~っ!)


 それでも心は、どこか軽くなっていた。リートゥアに吐露したおかげだろうか。

 じっとリートゥアを見つめると、視線に気づいたリートゥアは優しい笑みを向けてくれる。


「……っ、べ、勉強、付き合ってよ」


 もう少しだけリートゥアと喋りたくて、ぶっきらぼうに言えば、リートゥアは快く頷いてくれたのだった。




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