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その四

「なんなの、アイツ!」


 翡翠の間をあとにしたメルファは、ぎりっと歯ぎしりをした。


(しかもお宝が入った袋を置いてきちゃうし、ほんと最悪)


 腹を立てて飛び出したメルファは、荷物のことをすっかり失念していたのだ。いつものメルファだったらあり得ない失態だろう。

 肩を怒らせ歩いていると、ぼんっと何かにぶつかった。反動で後ろに倒れそうになるところを引っ張られる。


「すまない」


 無愛想な声の中にも相手を気遣う色があった。前をよく見ていなかったメルファも悪いというのに。


「ヴァズ……」

「怪我はないか?」

「大丈夫……」


 メルファは罰が悪そうに俯いた。

 彼の優しさが今は少し痛かった。ルオンの神官にされた仕打ちを思い出していたのだ。ルオンの神官とは違うと思っていても、神官と聞くだけで心が黒く染まっていくかのようだった。


「どうした?」


 様子の違うメルファを案じるように、頭に手を乗せたヴァズは、鋭い目をほんの少し和らげた。けれど、いつまで経っても口を開かないメルファに、ヴァズが大きな掌をずいっと出した。


「?」


 訝しげに視線を向けると、ヴァズはゆっくりと掌を握った。そして、パッとその手を開いた次の瞬間、そこには摘みたての花が乗っていた。

 いつの間に……! と、思わず目を瞬くメルファの手を取ると、可憐な花を置いた。


「くれ、るの……?」


 白い花弁が可愛らしい一輪だった。中庭かどこかで摘んできたのだろうか。その割に雨粒はついていなかったが。

 強面のヴァズが花畑で摘んでいる姿を想像したメルファはちょっと笑った。ヴァズなりに慰めてくれているのだろう。


「オレは、後悔していない」

「ヴァズ?」

「導きというのは、そういうものだ」

「……あんたの言葉、理解できないんだけど」


 ヴァズがふっと笑った。


「お前でよかったということだ」

「あたし、で……?」


 ますます難解そうに首を傾げたメルファを置いて、用は済んだとばかりにヴァズは去っていった。


「なんなのよ……」

「ぷ……っ」


 メルファが困惑したまま呟いたとたん、盛大に吹き出す音が聞こえた。


「アーク!」


 柱の影に寄りかかり、拳で柱を叩いていた。


「あ~、おっかしい! ヴァズってば、相変わらず言葉足らずなんだからっ」

「いつからいたのさ」

「さあ、いつからかな。子猫ちゃんがたいそう怖い顔つきで闊歩していたところからかな」


 近づいてきたアークは、目尻にたまった雫を指先で拭うと、はぁ~久しぶりに大笑いしたと愉しげに語った。

 そして、メルファが弄んでいる花をひょいっと奪った。


「あ……っ」

「子猫ちゃんにこの花は似合わないよ」


 そう言って握りつぶすと、手の中で溶けるように消えてしまった。


「せっかくヴァズがくれたのに……!」

「子猫ちゃんに愛でる趣味なんてないでしょ」

「そう、だけど……」


 お金にならないものはいらない。

 けれど、あの花はヴァズがくれたもの。たとえゴミでも、簡単に捨てたくはなかった。


「代わりにいいのをあげる」


 不満そうなメルファの掌に載せられたのは、黒水晶で作られた花だった。精巧な作りのそれは、貴族の屋敷に飾られていてもおかしくないほどであった。さぞや名のある職人が精魂を込めて作ったであろう作品に、メルファの瞳も輝く。


「良い値で売れそう……」

「こらこら、あげた本人の前で口にしないの。子猫ちゃんならそうするだろうなってわかってても、傷つくでしょ」

「なんでくれるの?」


 メルファがそう訊くと、アークは困ったように頭を掻いた。


「オレのせいで、子猫ちゃんを嫌な目にあわせたでしょ。ほら、子猫ちゃんが女神に相応しいか見定められたとき、さ」

「見定め? ハッ、あれはただの見せ物でしょ。あたしが不完全なのわかっててやらせたんだから。ほんと神官どもって性根が腐ってる。慈悲なんかこれっぽっちも持ち合わせていないんだ」

「あ~、うん、ごめん」

「なんでアークが謝るのさ」

「オレも止められなかったからね。ヴァズもリートゥアちゃんも心苦しく思ってるはずだよ。子猫ちゃんが神気をまとっていないことは誰の目にも明らかなのにね、あんな茶番を仕掛けるなんて大神官サマもどうかしてる」


 アークがそう言って肩をすくめたそのとき、横柄な声が割って入ってきた。


「これはこれは、先ほどの仮初めの女神殿ではありませぬか。護衛神官殿とさっそく勉強ですかな。それは感心、感心」


 年かさの神官の顔には見覚えがあった。深い皺が刻まれた、厳めしい顔つきは、融通の利かなさそうな頑固な印象を与えていた。メルファが仮初めの女神となることを不服と思い、真っ先に異を唱え、巫女を推した人物である。

 彼の後ろには、似たような格好をした神官たちが控えていた。

 一応、護衛神官であるアークのほうが身分も高いこともあり、後ろの神官たちは頭を下げ、拝していたが、年かさの神官だけは胸を張っていた。


「だが、しかし。早々に荷をまとめて故郷へと帰った方が得策だと。身に過ぎた夢は見すぎないほうがよろしいのでは?」

「ローゼス主神官、それって言い過ぎじゃないの」


 笑みを浮かべたまま、アークが鋭く切り込むが、ローゼスと呼ばれた年かさの神官は余裕の顔つきだ。


「おやおや、護衛神官ともあろうお方が、なんの力も持たない平民にほだされましたか?」

「ローゼス主神官こそ、思うところがあるんじゃないの?」


 アークの言葉に、ぴくりと眉を動かすローゼス。しかしすぐに一笑に付した。


「なにをおっしゃっているのか、皆目見当もつきませぬ」

「巫女殿に深い思い入れがあるのはローゼス主神官のほうでしょ。お身内の巫女殿が仮初めの女神の大役を果たし、次期女神候補となることを密やかに算段なさっているのでは?」

「ぶ、無礼なっ。いかに刹那のアーク殿といえ、ワシを愚弄する物言いはとうてい許せませんぞ。このワシを身内可愛さに、裏で画策する卑劣な輩とお思いか! ワシはこれで失礼する。こんな空気の悪い場にこれ以上いたくないのでな」


 カッと怒りに頬を紅潮とさせたローゼン主神官が裾の長い外衣を翻し、優雅とはいいがたい足取りで去っていくと、後ろに控えていた神官たちも慌てて追いかけていった。


「なに、あれ……」


 呆然と一行を見つめていたメルファに、アークが疲れたような声で応えた。


「あのえばっていた人が、ローゼス主神官。五人いる主神官の一人で、今の大神官サマと大神官の地位を争っていた人だよ。まあ、大敗したけどね」


 イーシスが亡き大神官の遺言に従い、大神官の候補に名を連ねなければローゼスの圧勝だったはず。当時、四人の候補が挙がった中、次期大神官と目されていたのはローゼスであったのだから。

 しかし、蓋を開ければ、ようやく十三という年を迎えたばかりのイーシスが票を集め、追随を許さないほどの圧勝に終わった。

 ローゼスを推していた神官まで、イーシスに投票してしまったのだ。

 大神官となるには、従神官である従三位以上の位階を持つ神官の投票によって決められる。最も多くの票を獲得した者が大神官に任命されるのである。


「なんでアイツが」


 メルファは不服そうに唸った。どう考えてもイーシスが相応しいとは思えなかった。


「神官の中では白が最も尊い色だからだよ」

「それって見た目じゃん」

「なにより重要なことさ」


 アークは困ったように苦笑した。


「メルファちゃんは知らないんだったね」

「なにが?」

「大神官サマは、その容姿のせいで売られたんだよ。この主神殿に、ね」

「!」

「取り上げた産婆は、ちょうど神官に縁ある方だったらしく、すぐさま当時の大神官サマのお耳に入ってね。親は、大金と引き換えにわが子を手放したってわけ」

「なんで……っ」

「大金は魅力的、でしょ?」

「……!」


 メルファは思わず彼から視線を逸らした。

 ああ、そうだ。メルファだってその親と変わらないのかもしれない。大金を手に入れるなら、自尊心だって捨てられるのだから。


「それに、ここではそんなの珍しくないよ」


 ほんの少し寂しげに双眸を曇らせるアークに、メルファはどきりとした。


「アークも…捨て、られたの?」

「あはっ、オレが? さあ、どうだろ。覚えてない」


 はぐらかすアークは、いつもの飄々とした顔に戻っていた。


「それより、ローゼス主神官には気をつけてね。大神官サマに負けたの根に持ってるらしいし~。もし、大神官サマが子猫ちゃんに目にかけてるっことがばれたら大変だよ。まあ、大神官サマが、新しく巫女を呼ぶ方法も考慮するって答えてくれたおかげで、子猫ちゃんに牙を剥くことはあんまりなさそうだけど」

「さっき、巫女がどうのって言ってたけど、そのローゼスってヤツは、もしかしてあたしじゃなくて親戚の巫女を女神にしたいわけ?」

「そ。大神官サマはそれを阻止しようとメルファちゃんに白羽の矢を立てたってワケ。ローゼス主神官が権力を握るのは好ましくないからね。女神の後ろ盾があれば、慈雨の地ファーゼを手中に収めるなんて容易いし。だから、さ。メルファちゃんにはなんとしてでも仮初めの女神サマになってもらわないと困るってワケ」

「ちょっ、待ってよ! それって責任重大じゃんっ。あたし、そんなこと一言も聞いてない!」

「だから悪いと思っていいのあげたでしょ」


 メルファは思わず手の中の花に視線を落とした。ひくりと、頬が引きつる。

 やはり、タダより高いものはないということなのだろう。




「あ、あたしを道具に使うな~~っ!」




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