彼の知らない彼女の騒動
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「うわ、あいつら今日も結菜のことニヨニヨしながら見てるんだけど。さすがに連日だと芸がなくない?」
次の日の休み時間。
伊織を待っていたのは、前日の焼き直しのような展開だった。
彼は一人スマホを眺めていたが、結菜という単語に反応して静かに顔を上げる。
そこには毒舌家の女子生徒が言うように、昨日と同じようにニヤけた笑顔を晒す男子生徒の一団がいた。
伊織は「またか」という感想しか抱かず、すぐに興味をなくしてスマホへと視線を戻そうとした。
しかし、またかと思った伊織の判断は間違っていた。
伊織の知らないところで、その日は少し事態が違ってきていたのだった。
「あれ、あんたまだ聞いてないの? あの人たちは昨日の結菜のことで盛り上がってるんだと思うよ?」
「え、なにそれ。あたし知らない。昨日結菜になんかあったの?」
「あったよー。昨日の放課後、結構な騒ぎになってたらしいよ」
伊織にとって聞き捨てならない会話を、彼の近くに座る女子生徒たちが話し始める。
「(昨日……? 昨日結菜になんかあったっけ?)」
伊織は不思議に思っていた。
彼は当然、昨夜も結菜と顔を合わせている。
夕食に魚の煮付けを作ってくれたことも、ネクタイを試着させられたことも、そしてそのまま彼の家に泊まっていったことも。
それらすべてを、伊織は今も鮮明に思い出すことが出来た。
だからこそ伊織は首を傾げる。
昨夜の結菜に、普段と変わった様子は見受けられなかった。少なくとも伊織の目にはそう映っていた。
それなのに今日登校してみると、結菜に関する伊織の知らない噂が流れている。
「(結菜はいつも通り……、というか、むしろ普段より機嫌が良かったはず)」
そこで伊織は目立たないようにクラスの中心へと視線を向けつつ、同時に自分の首に巻かれたネクタイに触れた。
幼馴染の香月結菜は、今日もたくさんの女子生徒たちに囲まれ笑っていた。
家では考えられないような一分も隙のない洗練された姿で、見る者を癒やし、安心させてくれる笑顔を披露してくれていた。
伊織は誰にも気付かれないように頷くと、ひとまずは幼馴染が苦悩を抱えてなささそうなことを喜んだ。
しかし疑問は残る。
「(じゃあこの噂はなんだろ。あいつが自慢のハンカチを落としたなら、これくらいの騒ぎにはなるのかな。信じられないくらい緻密な刺繍施してるからなあ)」
しかし幼馴染の少女がそのようなミスをするはずもない。
伊織は首を振ると、自分のキャラではないと知りつつも、近くに座る女子生徒の二人に直接尋ねることにした。
万が一にでも結菜に不利が生じる噂なら、自分の出来る範囲ですぐに手を貸してあげたかったからだ。
そして、黙っていたら盗み聞き出来そうな距離なのに、それをしなかったのは彼の美点だ。
「ごめん、美桜さん、北条さん。なんか面白そうな話が聞こえてきたんだけど。よかったら俺にも聞かせてもらえる?」
すぐさま伊織に二人の視線が突き刺さる。
だが女子生徒二人に嫌がっている様子はなかった。むしろ格好のネタが来たというような、楽しげな笑顔で彼を受け入れる。
「およ、昨日に続いて伊織くん、今日も珍しい行動を取るんだ?」
「あはは、伊織くんも結菜のことが気になるんだ。男の子だねえ」
先に反応したのは美桜と呼ばれた毒舌家の女子生徒。次に北条という名の女子生徒がそれに続く。
伊織は早速手厳しい洗礼を受けつつも、めげることなく本題を切り出した。
「ごめんね。唐突で悪いとは思ったんだけど、でも最近の香月さんってそういう話聞かないからさ。今度はどんなことが起こったのか聞かせてもらいたくなっちゃってね」
「うんまあ、たしかにあたしも早く聞きたいかな。我らが結菜、今度はどんな伝説を打ち立ててくれたのか、ってね」
ありがたいことに美桜も伊織の発言に賛同してくれる。
おかげでスムーズに話は進むかと思われたが、しかし対する北条は困ったような表情を浮かべていた。
「あー、期待を煽ったみたいで申し訳ないけど、あんま大した話じゃないかもよ?」
彼女は苦笑しながら「もったいぶらずに話すけどさ」と付け足すと、事の真相を話し始める。
「実は昨日の放課後、結菜ってば校門前で他校のイケメンに待ち伏せされたらしいのよ」
大した話じゃないと聞かされていた伊織は、北条が喋りだした内容に頭を殴られたような大きな衝撃を受けた。
幼馴染の少女がイケメンに待ち伏せされる。
そのキーワードを聞いただけで、彼は胸が引き裂かれそうになっていたのだ。
だが、話はまだ始まったばかり。
伊織は必死に表情を取り繕い、ひっそりと彼女らの話に耳を傾ける。
「え、それって出待ちってやつ?」
「そそ。しかもウチの学校の生徒と話しながら待ってたそうで、ノーマークだったんだって」
「カモフラージュまでしてたのか。かなり本気の待ち伏せだったんだなあ」
「だよねー」
彼女たちはいつものように、二人でテンポよく会話を続けていっていた。
「それでね、結菜が通りかかった瞬間、その他校のイケメンが急に呼び止めたんだって。香月結菜さん! ってよく通る声で」
「みんなの前でいきなりか……。その熱意だけは汲んであげてもいいけどさあ」
結菜は放課後クラスメイトたちとお喋りすることもあるが、クラブ等に属していない彼女は、他の生徒と同じように校門前が混み合う時間帯に帰路に就く。
生徒たちでごった返している時に名前を呼ばれた結菜は、さぞかし周囲の視線を集めたことだろう。
「で、イケメンは自己紹介を済ませて語り始めるのよ。突然驚かせてごめんなさい。でもどうしても君と知り合いになりたかったんだ。連絡先を交換してもらえないかな? ……ってね」
「独りよがりでキザなセリフだけど、イケメンが言えば様になるのか、ね?」
「シンプルかつストレートではあるよね」
ずっと黙って聞いていた伊織だったが、その瞬間、我を忘れて北条に問いかけそうになった。
『それで、結菜はなんて答えたの?』
もちろんそんなことを言ってしまえば、伊織が今まで築いてきたイメージは一瞬で崩れ去る。
彼は考えるだけで口には出さず、さらには会話を急かしたい気持ちも苦労して抑え込んでいた。
「そのイケメンの人、あっちの学校じゃ一番の有名人らしいよ。ウチの生徒たちに囲まれてても意に介さず、真剣な表情で結菜のことだけを見つめてたってさ」
「んー、悔しいけど、たしかにモテそうな男ではあるかねえ?」
ところが彼女らは、そこで伊織の知りたい答えから話を脱線させていく。
彼はヤキモキさせられていた。多少強引にでも話に割って入り、結末を聞き出そうかとも迷い始めていた。
「でもどうせ、結局は顔面偏差値が高いってだけの人なんでしょ? なんか自信にあふれたナルシスト系って感じがする」
「あなたって知らない人間に対しても毒吐くのね」
だけどそんな伊織の気持ちなど、美桜と北条の二人に知る由もない。
彼女らは話の本筋に戻ることなく会話を続ける。
しかし次の彼女らの発言は、聞いた伊織が目を丸くして驚く内容になった。
「毒だって吐くさ。実はあたしずっと怒ってたんだよね。だって結菜が可哀想じゃん。女一人相手にやっていい行為じゃないよ」
「まあそうだね。それは私もそう思う。結菜は絶対に弱音なんてはかないし、今回のこともちょっと心配だよね」
伊織は幼馴染が学校の象徴的な存在として扱われているだけではなく、ちゃんと彼女らからも守られていることを知らされる。
彼は胸を打たれ、必死で取り繕っていた仮面を付けることも忘れて彼女らに見入る。
伊織の引き裂かれそうだった心は、二人の言葉で救われたとも言えた。
そうして冷静さを取り戻した伊織は、普段の彼の頭の回転を取り戻していく。
伊織は心の中で美桜と北条に色んな意味で感謝しつつ、気分を落ち着けて彼女らの会話に聞き入っていった。
すでにその場の三人には、この話の結末が見えていた。
結菜はガードが固い。不意打ちのような男の突撃は防げないにしても、彼女には最後の壁がある。
女子生徒二人がさらに盛大に話を脱線させていくのも、ある意味当然の流れだったかもしれない。
「でも、本当に結菜のことも心配だけど、さ」
「心配だけど、なに?」
「ぶっちゃけ、ちょっと憧れるシチュだとも思わない?」
「…………」
北条の話に、美桜の毒舌がピタリと鳴りを潜めた。
美桜はすぐにチラリと伊織のことを見つつ、友人が言ったシチュエーションを頭の中で思い浮かべ始めたようだった。
人がたくさんいる中で、唐突に美男子に名前を呼ばれて告白めいたことをされる。
男の伊織にはイマイチその良さが分からなかったが、物語のヒロイン感は味わえそうかなとも彼は思った。
しばらく熟考を重ねていた美桜は、やがて何度か首を振ると北条に向かって答えた。
「……うん、有りか無しで言えば、やっぱ無し。告白を受け入れて周囲の知らない人から祝福されるのは憧れるけど、やっぱり他人の迷惑になるかもしれないからね。無し無し」
美桜は友人の罠にはまっていることにも気付かず、大真面目にそう答えた。
そんな彼女の発言を、北条は嬉しそうに継いでいく。
「でも無しって言う割には、たっぷり時間をかけて悩んでたよね?」
「それは……、まああたしだって一応……、ね」
「ふふ。伊織くんの前でね?」
「……え?」
美桜と呼ばれている女子生徒は、そこでサーッと顔を青ざめさせながら伊織のほうへと振り向いた。
聞き流そうと思っていた伊織も、いきなり話を振られて驚く。
しかし彼は名前を出されてしまった以上、無視することは出来なかった。
彼はすぐに北条の企みに気付くと、彼女が望んでいるであろう台詞を、もう一人の彼女にはいつもいじられているお返しとして、言った。
「美桜さんも女の子だったんだね」
「ぐっ……!」
毒舌家の美桜は純情な一面があることを伊織に指摘され、青かった顔面を一転して朱色に染め上げながら、ノロノロと自分の机に倒れ込んだ。
北条は二人のやり取りに満足したのか、両手で口を隠して笑い始める。
少し後、美桜は倒れ込んだまゆっくりと首だけを動かすと、恨めしげに伊織を見ながら口を開く。
「……よくも言ってくれたな。おぼえてろよ?」
「いや、それは女の子が言うセリフじゃないし。あと普通に怖いんだけど」
美桜は次に北条のことも睨みつけるが、北条は遠慮なくそれを無視して伊織に言う。
「あー可笑し。涙出ちゃった。伊織くんってこんなふうにも喋れる人だったんだね。あまり付き合いがないから知らなかったよ」
それに答えたのは伊織ではなく、美桜だった。
「この人はいつもこんな感じよ。政治家みたいに無難で玉虫色の発言しかしないかと思えば、たまに切れ味鋭いセリフも言うわ」
美桜は政治家が嫌いなのだろうか。
伊織はそんな心配をしたが、今は自分の話題より元の話題へと軌道修正するべきだと思った。
結局彼は、あれほど聞きたかった質問をあっけなく自分ですることとなる。
「それで香月さんはその後、イケメンの人になんて答えたの?」
「ああ、そう言えばそんな話だったね」
北条はポンと手をたたくと、あっさりと答えを言った。
「結菜の返事はいつも通りだったみたい。ごめんなさいって頭を下げて、それでおしまい」
美桜は面白くなさそうに、それに対してつぶやく。
「ま、そうなるよね」
伊織も彼女らに頷いていた。
最初はハラハラしながら答えを知りたがっていた彼も、冷静さを取り戻していた途中からは、結菜が知らない男といきなり連絡先を交換するわけがないと気付けていた。
それでも実際に北条の口から結菜が断ったと聞くまでは、伊織はどう頑張っても心の底に一抹の不安が残ったままだったのだが。
北条は話のまとめに入る。
「ああ、一応補足しておくと、イケメンはその後も二言三言粘ったんだって。でも結菜が譲らなかったから、騒がせちゃってごめんなさいと謝って帰っていったってさ」
「引き際は心得ていたかー。まああたしは好きになれそうにないけど、一応イケメン認定くらいはしてあげてもいいかな」
「あんた最後までめっちゃ上から目線だね」
伊織は二人の会話を聞きながら考える。
有名なイケメンに待ち伏せされた結菜。
しかしその話は北条が言っていたように、終わってみれば大した話ではなかった。
結菜が男性の誘いを断るのはいつものことだったし、超優秀なイケメンを断ったことだって、すでにこの学校の中でもあったことだ。
彼は息を吐きながら肩の力を抜くと、話を最後まで聞かせてくれた二人にお礼を言おうとした。
だけど伊織の考えは甘かった。
二人の女子生徒はまだ話が終わったと考えてはいなくて、特に毒舌家の彼女は伊織にからかわれたことをしっかりと覚えていた。
美桜は虎視眈々と、伊織への反撃の機会を窺っていたのだ。