一瞬の輝き
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華やかな舞台が幕を開けようとしていた。
ライブ本番。
ステージの上に立つ結菜たちは、緊張感に包まれながら最後の確認を行う。
すでに演奏開始は秒読み段階に入っていた。
体調不良による降板組と裏方組には、もはやメンバーたちの成功を祈ることくらいしか出来ることが残されていない。
彼女たちはステージ脇の袖と呼ばれる部分に集まり、ハラハラとした気持ちでメンバーたちの姿を見守り続けていた。
「潤センパイ、いよいよ始まるッスね……」
「うん……。一発勝負の本番だね……」
潤と理緒は、震えるような小声で話す。
元々のバンドのメンバーたちにとって、このステージは憧れの大舞台。
初めは余裕を見せていた二人も、時間とともに不安が膨れ上がってきていた。
今や実際に演奏するメンバーたち以上に、緊張した様子で震えた声を出す。
「で、でも大丈夫ッスよね? 少なくともビジュアルはバッチリだと思うんスよ」
「そうだね……、私もそこは安心してるよ。伊織くんは素晴らしいアイディアを出してくれた」
潤はそこでステージ上の伊織の格好を見て、少し口元を緩めながら言う。
「着ぐるみとは思いも寄らなかったよ。可愛らしいクマの着ぐるみ。仕立て屋って聞いた時は混乱したけど、たしかに着ぐるみって縫い物の技術の応用だよね」
理緒も頷いて彼女の発言を継ぐ。
「着ぐるみを着た伊織センパイなら、女だけのグループに混ざっていても大丈夫ッスよね? マスコットみたいで可愛いッス」
「うん。メルヘンチックな要素が加わってみんなの少女としての魅力も引き立ってる気もするし、本当にいいアイディアだと思う」
そこで二人は同時に小さく息を吐くと、潤が口を開く。
「……後は、曲の演奏だね」
「そうッスね……。見た目が良くても演奏が下手なら、却って悪いイメージを持たれかねないッス」
「昨日の練習はよく出来ていたけど……」
「練習と本番は違うものッスからね……」
待機組がハラハラとしながら見守る中、メンバーたちの準備が終わった。
「始まるッスよ……!」
潤たちのバンドと曲名が紹介され、ステージに一瞬できらびやかな明かりが灯る。
会場が静まり返り、一呼吸後に伊織がドラムスティックを鳴らし始める。
「みんな、頑張って……!」
たくさんの想いが入り混じった彼女たちのライブが、今始まった。
潤たちのバンドは最後の最後で練習時間が足りなくなり、またメンバーが二人も変わった状態だ。
彼女たちは話し合った結果、曲の前や合間などに行われたりする挨拶などのトークはしないことに決めていた。
潤たちが作った曲だけを、精一杯観客に届ける。
そんな信念の元、メンバーは敢えて無骨にライブを始めた。
そしてそれは今のところ、観客に好意的に受け入れられていた。
結菜の懸命な歌唱とメンバーたちの真剣な演奏を聞きながら、理緒は興奮気味に口を開く。
「じゅ、順調な滑り出しッス。みんな力まず上手く出来てるッスよ」
ライブ直前に、ボーカルとドラム担当が代わるという爆弾を抱え込んでしまった潤のバンド。
だが彼女たちは不死鳥のごとく蘇り、観客に彼女たちの曲をしっかりと届けることが出来ていた。
「お客さんの反応も悪くないッス。色々とあったッスけど、自分らのライブ、いい感じに進んでるッスよ……!」
理緒は盛り上がる観客たちに呑まれるようにして、口調を早める。
そして真に会場の雰囲気に圧倒されていたのは、当然のことながらライブ初参加の美代子と真琴の二人だった。
「す、すごい……!」
美代子は目を見開いてそうつぶやいた。
流れているのはリハーサルで散々聞いた曲。
しかし観客の前で披露されているこの瞬間では、それは同じ曲のはずなのにまったくの別物のように彼女らの耳に届いていた。
美代子は潤の言葉を思い出す。
『みょこも今度のライブを見ればわかるよ。世界が変わると思う』
彼女は一人頷いた。
ライブはその瞬間を最高に楽しむもの。
アーティストと観客が一体となって、二度と戻らない時間を楽しむもの。
目の前に広がる派手やかなステージを見た美代子は、美代子は潤が言っていたことが間違っていなかったことを知った。
そしてそこで、美代子のつぶやきに理緒が気付く。
「本当にすごいッスよね。自分らの元々のメンバーは手前味噌ってやつになるかもしれないッスけど、みんなこの状況でも完璧に出来ててすごいッス!」
理緒は美代子の「すごい」の意味を取り違えていたが、美代子は苦笑しただけでそれを訂正せず、彼女に同意した。
「あたしもそう思う。今のような状況だったら、緊張以外にも興奮しすぎて失敗しちゃうことだってありそうだし。それらがまったくないのはすごいことだと思う」
「そうッスよね。それにやっぱり結菜センパイと伊織センパイの二人ッスよ! あの二人は本当にすごいッス!」
理緒は声を抑えながらも、ますます興奮していくように話し続ける。
「結菜センパイがべらぼうに歌が上手いのも本当にすごいッスけど、正直今自分が一番驚いてるのは伊織センパイッスよ。同じドラム担当として言わせてもらうッス。あの人は化物ッス!」
美代子はそこで、同じく視線を向けてきた真琴と目を合わせた。
伊織の秘密を聞かされている二人は、困ったように笑う。
美代子は理緒に向き直ると、言った。
「化物って言い方はどうかと思うけど、やっぱ彼、すごいことしてるんだ?」
「すごすぎるッスよ。腕とか足は細身の体になってるとはいえ、着ぐるみッスよ? 頭の部分はちゃんと可愛らしいファンタジーなクマさんになってるし、あれを着たなら体を動かすことだって大変ッスよ。それなのにドラム完璧に叩いてるんスよ?」
「……たしかに」
「仕立て屋っていう伊織センパイのご実家パワーで、めちゃくちゃすごい着ぐるみだったりするんスかね? 軽くて涼しい奇跡のような着ぐるみだとか?」
「そ、それはどうなんだろうね?」
「というか、伊織センパイがいきなりドラムを叩けたことが、そもそもおかしなことッスよ。腰が抜けちゃうかと思ったッス。しかも一発で本番に合わせて来てるし、もう何が何だかわからないほどすごいッスよ!」
嬉しそうに話す理緒に対して、美代子は改めて苦笑する。
彼女は伊織が褒められていることがなんだか恥ずかしくなり、そこで理緒から視線を外して前を向いた。
そんな美代子に、理緒は素直な後輩らしい言葉を投げかける。
「いやー、さすがみょこセンパイがお目をつけた男性ッス。ここまですごい人だとは思わなかったッス。そりゃみょこセンパイも、無理に誘って捕まえておきたくなるッスよね」
その発言に驚いた美代子は、すぐに真顔になって振り返った。
理緒は美代子にまっすぐ見つめられ、体をビクッと震わせて恐る恐る言う。
「あ、自分、なんか変なこと言ったッスかね……? 伊織センパイはみょこセンパイが強引に誘ったって、最初に言ってたような……?」
「…………」
若干頬を赤くした美代子は、何も言わずに再び前に向き直る。
そして戸惑う理緒に対し、真琴がニヤニヤした笑みを浮かべて話しかけた。
「ミミは男を見る目は確かかもしれないんだよねー。とんでもない宝物を引き当ててくるくらいだし」
「そ、そうッスよね? 自分もそう思うッス! みょこセンパイは素晴らしい人を見つけたんだと思うッスよ。お似合いッス!」
ずっと真顔で固まっていた美代子は、お似合いと言われたことでやっと反応を見せる。
彼女は他の二人にわかるようにため息を吐くと、潤に言った。
「話がズレてるって。今はあたしじゃなくて伊織くんの話。彼が一番みんなと練習した時間が短いんだし、最後まで失敗しないように応援してあげよう」
「そ、そうだったッス!」
理緒はそう言われてすぐにステージに顔を向け、真琴は一瞬だけ美代子の横顔をニヤニヤと見てから視線を戻した。
美代子はもう一度小さく息を吐く。
「(あたしと伊織くんがお似合い、ねえ……)」
彼女は苦々しい表情で、ステージ上の結菜とクマの着ぐるみを見つめた。
結菜は優れた歌唱力を披露し、伊織は着ぐるみを着た上でリズムを狂わせることなくドラムを叩き続ける。
「(あの二人が幼馴染だって聞かされているのに、あたしはまだお似合いだと言われてドキドキしてるのか……)」
美代子は伊織から結菜と幼馴染だと聞かされたとき、『何を言い出すんだこの男は』といった感じで一切信じることが出来なかった。
それは伊織の電話に香月結菜本人が出ることで証明されたのだが、それでも美代子は突然の暴露にずっと頭を混乱させたままだった。
だがそれからほとんど時間が経ってないにもかかわらず、現在では美代子の心情はまったく違うものになってきていた。
「(今ではあたし、伊織くんと結菜が幼馴染だってことを当たり前のように受け入れているっていうのに……)」
結菜と同じ舞台で、結菜と同じように凄まじい成果を出している伊織。
伊織自身は今回のドラムの件は本当に偶然で、自分自身は結菜ほどのハイスペックでは絶対にないと言っていたが、美代子はその言葉も半信半疑に考えている。
そして美代子は伊織がドラムを叩けなくても、彼と結菜の幼馴染関係に納得したことだろう。
伊織と結菜は生まれてからずっと一緒に過ごしてきた二人だ。
その纏う空気に似通ったところが出来てくるのも当然で、美代子はそれを敏感に嗅ぎ取っていたのだ。
「(二人とも妙に大人びているところがあるし、芯が強いというか、少しのことでは怯まない打たれ強さがあるところも似てると思うし……)」
伊織と結菜の類似点を考えていた美代子は、ふと肩を落として心の中でつぶやく。
「(お似合いっていうのは、あの二人を指すんじゃないかな。一見すると接点がなさそうに思える二人だけど、実は伊織くんと結菜が並んでる姿ってすごく自然に見えるんだよね)」
彼女は今一度、長く長く息を吐き出した。
そうして美代子は伊織の話題が煮詰まったことで、ずっと考えないようにしていた記憶に触れ始める。
旧友が喉を痛めた話などで思考の端に追いやっていた、過去の伊織とのやり取り。
「(それにあたし、あの時伊織くんに告白したも同然なんだよね。それなのにそれを聞いた伊織くんは、結菜との幼馴染関係の話を持ち出してきた。それってつまり……、そういうことなんだよね?)」
美代子はズキリとした強い胸の痛みに耐える。
それでも彼女はすぐに微笑み、今はライブのことだけを考えようと思った。
舞台脇の待機組はそれ以上会話することもなく応援を続け、美代子は自分でも意識することなく、いつしかクマの着ぐるみだけを見つめていた。
◇
彼女たちのライブ一曲目は、明るい曲調で甘酸っぱい失恋を歌う曲だった。
メンバーたちは一つのミスをすることなく、その曲を無事に演奏し終える。
すぐに会場では割れんばかりの拍手が沸き起こった。
観客は皆満足そうで、一曲目の盛り上がりをそのまま惜しみなく拍手にぶつけているようだった。
メンバーたちは観客のその反応に手応えを感じながら、呼吸を整え再び闘志を燃え上がらせる。
結菜は軽く横を向いて、そんなメンバーたちの姿を確認し始めていた。
彼女たちの表情を見、目が合った女の子には小さく頷きを返していく。
その際結菜は、ステージの脇の待機組にも視線を向けた。
今回のライブに出られなかった本来のバンドメンバー二人と、そして美代子と真琴の姿もその視界に収める。
そうして結菜は、正面に向き直った。
すぐさまたくさんの視線が彼女に注がれる中、結菜はゆっくりと目を閉じ、思う。
「(……よし、伊織。やろうか)」
彼女は心の中で、幼馴染へと声をかける。
当然彼女の耳が伊織の返事を拾うことはなかったが、結菜はそれでも構わなかった。
結菜はどれほどの人に見られていても、幼馴染の存在を感じることが出来る。
ましてや今は彼が同じステージに立っている状態だ。
彼女はいつも以上に強く伊織の視線を感じていた。
やがて打ち合わせどおり、メンバーの女の子が息を合わせて二曲目の演奏を始める。
結菜は目を閉じたまま、神経を研ぎ澄ませながらその前奏を聞いていた。
そして、香月結菜が顔を上げる。
期待に満ちた目で結菜を見つめていた観客は、表情を一変させた。
あれほど熱気に包まれていた会場が、歓声の一つも上がらなくなっていく。
結菜が歌い始めた次の曲は、愛の歌。
優しい伴奏とともに歌われる、恋する少女の歌だった。
結菜はメンバーたちの方針により、今回のライブでは上品といえる服装で派手な振り付けもせずに歌うことになっていた。
それは彼女の歌の練習時間があまり取れなかったことと、結菜自身のイメージを考えての決定だった。
しかしその方針は、一曲目の明るい曲にはややミスマッチ。
さらには、その曲は結菜には似合わない失恋をテーマにした曲だ。
結菜は懸命に歌ったが、彼女の真価はそこでは発揮されずにいた。
だが二曲目は、恋を知った少女が恋心とともに前を向いて生きていく歌。
それは今度こそ結菜が持つ魅力と完全に合致し、彼女の真骨頂を見せつけることになる。
「…………」
観客たちは結菜という少女に呑まれるようにして、ただただその歌に聞き入っていた。
誰一人として声を上げることなく、心奪われ立ち尽くす。
香月結菜は潤が書いた恋する少女の歌を、気持ちを乗せて完璧に歌いきっていた。
彼女は元々ドラムより歌が得意な女の子で、その歌唱力は校内すべての人間の折り紙付きだ。
入念に練習されたメンバーたちの演奏にも支えられ、結菜の想いのこもった歌は聞く者の心をしっかりと掴んで離さななくなっていたのだった。
「……すごい……」
美代子は何度使ったのかもわからない言葉をこぼしていた。
だけど彼女は、そのことにも気付かない。
結菜の歌声に圧倒されていた美代子は、半ば茫然としながら結菜のことを見つめ続けていた。
時間を忘れ自分を忘れ、美代子は彼女たちの歌と演奏に耳を傾ける。
やがてそんな美代子に、ライブが始まってからは一言も喋らなかった潤が声をかけた。
「みょこ、私たちはとても貴重な瞬間に立ち会ってると思うの」
「……え?」
突然の話題に混乱する美代子に、潤は嬉しそうに微笑むと小声で言う。
「見て。結菜さんの歌で会場が一つになってる。素晴らしい歌声が生まれる瞬間を、みんなは同じ空間で一緒になって味わってくれているの」
美代子はハッとなって前を向き、潤は言葉を続ける。
「これはもう、私が目指す理想のライブの一つそのものなんだよ。私たちはその瞬間に立ち会っているんだよ」
目を丸くしてステージを見つめていた美代子は、やがて小さく笑うと口を開く。
「ライブは二度とは戻らないその瞬間を楽しむもの、だっけ」
「あ、私が言ってくれたこと覚えててくれたんだ」
「覚えてたよ。そして実感もしてた。ライブって素敵なものだね」
「わかってもらえて、本当に嬉しいよ」
二人は目を合わせ微笑み合い、そして再び前を向く。
しばし純粋に結菜たちの歌と演奏に聞き入っていた二人は、やがてどちらともなく話し始める。
「でも結菜さんには本当に頭が下がる思いだよ。私たちの曲をここまで素晴らしく歌ってくれるとは思わなかった」
「リハーサルでもどんどん上手になってたけど、まさかさらに上があっただなんてね……」
「陳腐な言い方かもしれないけど、結菜さんの歌で私の書いた詞に魂が吹き込まれたみたい」
「それは、実際そうだと思うよ。あの子の感情の乗せ方は絶妙だ。あたしはあっという間に引き込まれちゃったよ」
「うんうん。結菜さん、まるで本当に恋をしているようにとても上手に歌ってるよね」
「…………」
結菜たちを眺めながら何気なく会話をしていた美代子は、潤の話に動きを止めた。
かろうじて「そうだね……」と答えることが出来たが、それ以上は頭が回らない。
美代子はゆっくりと首を動かす。
彼女の視線の先、結菜の後方。そこには曲調に配慮して控えめな音を出す、クマの着ぐるみの姿があった。
「(そっか、結菜……)」
恋する少女の歌に、気持ちをこめて歌いきる結菜。
美代子はそんな結菜を見て、なんとなく勘付いてしまった。
「(結菜も恋してるんだ。伊織くんのことが好きなんだ)」
彼女はほんの少しのだが、伊織と結菜の電話越しのやり取りを見ている。
そしてその短いやり取りだけでも、幼馴染二人の相互理解の深さは十分に窺い知れるものだった。
その上での、今の結菜の歌。
美代子は自分の直感が外れていないだろうと思い、視線を伊織から結菜へと戻す。
結菜は胸に手を当てまっすぐ前を向いて、観客を魅了しながら潤たちが作った歌を歌い続けていた。
「(結菜、真剣だけど気持ち良さそうに歌ってる。あなたはこの歌のように、恋心に勇気をもらって強く生きているんだね)」
美代子は今の結菜の歌に素直に共感と憧れを抱いていた。
自分も素敵な恋をしてみたい。好きな人と一緒に笑いながら生きていきたいと思った。
しかし――。
ドラムを叩く伊織の姿を見た美代子は、一人自虐的に笑う。
「(でも、あたしも自分の恋を追いかけるとなると、あなたが恋敵になるんだよね。最強の美少女と言われている香月結菜が相手とか、もう笑うしかないね)」
そして、彼女は伊織の対応を思い出すと胸を痛めた。
相手がどうあれ、伊織は自分のことを見ていないんじゃないかと彼女は思ってしまう。
だけど、その時は。
潤の書いた詞が、結菜の歌声が響き渡っていた。
それは恋を知った少女が、恋心とともに前を向いて生きていく歌だった。
やがて、彼女は明るく笑う。
楽しそうな口調で、隣にいる旧友へと話しかける。
「潤」
「うん?」
「あたし、世界が変わったかも」
驚く潤に向けて、美代子は笑顔で言葉を続けた。
「二度とは戻らないこの瞬間を最高に楽しむ。いいね。あたしはこのライブに来ることが出来て、本当に世界が変わった気がする」
「みょこ……」
美代子は潤に半歩近寄り、前を向いて言う。
「みんなの勇姿、この目に焼き付けておこうか」
「……うん」
潤は大きく頷いて、少し後に閃いたようにして横で茫然とステージを眺めていた理緒を片手で抱き寄せた。
理緒もしばらくビックリした表情を見せていたが、やがて微笑み前を向く。
美代子も苦笑しながら真琴に目を向けると、空気を読んだ真琴も「なんだか青春してるね」と言いながら横に並んだ。
そうして四人は一緒になって、ステージを眺める。
美代子はその中で、クマの着ぐるみの前で視線を止めた。
それは女の子だけのグループに入れてもらっても、人目を引く格好をしていても、決して目立とうとはせず彼女たちの黒子に徹しようとする伊織の姿。
美代子は思う。
「(うん。結菜の幼馴染、カッコいいじゃん。あなたと同じように、伊織くんも魅力でいっぱいだ)」
彼女は微笑むと、彼女が友人だと考えている結菜へと目を向けた。
「(結菜、もうちょっとだけ踏み込ませてもらうよ。あなたはあたしの恋心すら禁止するような器の狭い女じゃないよね? あたしはまっすぐ勝負を挑むから、相手をしてね)」
彼女は明るい気持ちでそう思った。
自分の置かれている状況を思い返すと彼女は笑えてくるが、しかし不思議と悲しい気持ちは湧いて来ることはなかった。
美代子は結菜の歌う歌のように、これから明るく楽しい未来が待っているような気がしたのだ。
「(別に結菜と同じ男の子を好きになったからって、あたしたちが不幸になるだなんて決まってるわけじゃないんだよね)」
二度と戻ることのない時間を、同じ空間を生きている人同士で最高に楽しむ。
それは潤が言っていたライブの楽しみ方の一つではあるが、もちろんライブだけに限った話ではない。
二度とは戻らない青春の日々。
ありきたりな言葉ではあるが、その時間を精一杯過ごすことが出来たなら、それは一生の宝物になるだろう。
最後に美代子は潤に言う。
「今さらだけどさ、潤」
「え、なに?」
「あなたの書いた詞、素敵だよ」
潤は真っ赤になって俯き、理緒に「あ、リーダー照れてるッス」と言われていた。
香月結菜は美代子が思っていたように、真剣に、しかしとても気持ち良く潤たちの歌を歌っていた。
恋する少女の愛の歌。
結菜はそれをこの場で歌えることに幸せを感じていたのだった。
「(潤ちゃんは、私自身にもライブを全力で楽しんでほしいと言ってくれた。お客さんと一緒になって最高の時間を楽しむのがライブを行う側の醍醐味だって言ってくれた)」
潤にそう言われた結菜は、余計な気遣いを止めてこの尊い時間を最大限に楽しもうと決める。
そして彼女は当然のことながら、何も考えず能天気に自分だけ楽しもうと思っていたわけではなかった。
「(私が最高の気分で最高に想いをこめて歌うことが、潤ちゃんたちのこの曲の魅力につながるはず。これはまさに今の私が求める最高の曲なんだよ)」
結菜は一曲目も手を抜かず全力で歌ったのだが、その集中力のピークは二曲目に来るように自身で調整していた。
潤たちは、そしておそらく観客も一曲目のクオリティでも十分満足だったのだが、結菜はさらにその上を目指し神経を研ぎ澄ませていたのだった。
もちろん彼女が二曲目を選んだわけは、その歌詞にある。
「(ねえ伊織、長い幼馴染生活だけど、あなたとこうやって二人で同じステージに立つのは初めてだよね)」
最近では別人のように振る舞うことが当たり前になっていた伊織と結菜。
だが信じられないことに、今はその彼と同じステージに立っている。
しかもその彼を思い浮かべて恋心を歌っていても、誰にも文句は言われない。
それまさに、結菜にとって夢の時間だったのだ。
「(伊織はどう? 私と同じ場所に立てて幸せ? ……ううん、きっとあなたのことだから、私がどういう想いで恋の歌を考えているかも想像せずに、馬鹿正直に曲の成功だけを祈ってドラムを叩き続けているよね)」
結菜は心の中で苦笑し、しかしそれが彼の良いところだよねと思った。
彼への愛おしさが増した結菜は、さらに想いをこめて声を出し続ける。
「(潤ちゃん、素晴らしい詞を作ってくれてありがとう。私がすごく共感できるピッタリの詞だよ。そして完璧な演奏をしてくれるみんなもありがとう。本当に素敵な曲だね)」
幼馴染の存在を背中で感じ、メンバーたちの伴奏に支えられ、裏方に回った潤たちからも応援をもらい、香月結菜は歌う。
たくさんの想いを受け止めた彼女は、ただでさえ優れた自身の能力、その限界を突破していた。
「(うん。私はみんなのために歌うよ。私はこのライブを成功させて、みんなに潤ちゃんたちの歌の良さもわかってもらうんだ)」
聞く者すべてを虜にしながら、その日、結菜は歌声を会場に響かせ続けたのだった。