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絶対的な高嶺の花、学園最強のアイドルは俺の幼馴染で通い妻。  作者: 卯月緑
絶対的な高嶺の花、学園最強のアイドルは俺の幼馴染で通い妻。
12/37

彼女の始動と彼の始動

5/11 誤字を修正してました。いつもご報告ありがとうございます。


 タンタン、タンタン、タンタン、タンタン。

 門倉家のリビングに、エイトビートと呼ばれる規則正しい音が響いていた。


 音を出しているのはもちろん結菜。

 彼女は来たるライブに向け、伊織の家で早くもドラムの練習を始めていた。


「伊織、私ちゃんと叩けてる?」

「ああ、とても正確に叩けてる。姿勢も悪くない、はず。このまま続けてみよう」

「わかった」


 しかし練習と言っても、運良く伊織の家にドラムセットがあるはずもない。

 そこで伊織が用意したのが、消音用に本が貼り付けられた机や台だ。

 

 それは、伊織が即席で作ったドラムセットもどき。

 ただの机や台と椅子の寄せ集めに見えるかもしれないが、伊織が色々と調べて作ったお手製の練習台だ。もちろん最終的な位置や高さは結菜の要望通りだ。


 結菜はその幼馴染の手作り感が狂おしいほどに大好きだった。

 彼女はその練習台に座り、機械式のメトロノームに合わせて熱心にスティックを振る。


「こうやって伊織が作ってくれた道具で練習してると、昔を思い出すよね」

「懐かしいな。あの頃は本当にお金がなかったからなあ」

「余計なものは一切買えなかったから、子どもながらに色々と試行錯誤して自分たちで色々と代用したり自作したりしてたよね」


 二人は昔話に花を咲かせながら、しかし練習に励む。

 結菜はスティックを振り続け、伊織はその側で彼女の練習を見守る。

 それは細かい状況や役割は変わることはあっても、彼らがずっと続けてきたスタイルだ。


「まあでも、そんなギリギリの中でも私たちに色々と習い事をさせてくれたお母さんたちには、本当に感謝かな」

「そうだなあ。そのおかげで今も順調な滑り出しになってるし」

「うんうん。手を交差させて叩くのも、慣れれば全然大丈夫そう」


 彼らは幼い頃から何をするにしても一緒の幼馴染。

 今回伊織は結菜に負い目を感じていたが、それが練習に付き合っている理由ではない。

 もちろん負い目もあるにはあるだろうが、何かを始めた結菜に伊織が付き合うのは二人にとって当たり前のことだった。


「よし、結菜。ここらで一度スティックを変えてみないか? 一応ドラムスティックも、個人個人で合う合わないがあるらしいから」


 そこでずっとスマホを片手に結菜の練習を見ていた伊織が、結菜に声をかけた。


「あ、伊織も買ってきてたんだっけ? ありがとう。試させてもらえる?」

「もちろんどうぞ。と言っても、無難なやつを一つ買ってきただけだけどな」


 彼らは短いやり取りの後、使い込まれたスティックと真新しいスティックを交換する。

 結菜は受け取った新しいスティックを一度眩しそうに眺め、そして練習を再開させた。


「ねえ伊織、あなたは話し合いが終わった後、すぐにこれを買いに行ってくれたんだ?」

「ああ。調べたら、ドラムの練習にはスティックがほぼ必須みたいだったからな」

「ありがとう。助かるよ」

「どういたしまして。一組余る形になっちゃったけどな」


 放課後の空き教室での話し合い。

 それが終わると、結菜はすぐにドラムの女の子に捕まっていた。

 結菜はそこで彼女からレクチャーを受けたりスティックを贈られたりしていたのだが、その裏で、伊織は今日は荷物持ちとしての仕事がないということで早々にお役御免になっていた。


 彼はその足ですぐに楽器店に向かっていたのだ。

 結菜は何も言わなくても自分のために動き出してくれていた幼馴染に感謝し、しかしそこでイタズラっぽく笑った。


「伊織、本当に感謝してる。……でもね?」

「でも? なんだよ?」

「その時マコちゃんに、これから私とデートしない? って誘われてたよね?」

「…………」


 タンタン、タンタン、タンタン、タンタン。

 門倉家のリビングに、規則正しい音が響く。


 伊織はやや早口になりながら、結菜に返事をした。


「いや、あれは真琴さんが気を遣ってくれたんだろ? 俺を引っ張ってきておいてこれで用済みだから即さようならは可哀想だと思ってくれたんじゃ」

「でもマコちゃんなら、その気遣いから色々と優しくしてくれたような気もするけどなぁ?」

「…………」

「ミミちゃんも私を紹介した立場と初日って理由がなければ、私より伊織と居たかったと思うなぁ?」

「…………」

「伊織もとうとうモテ期到来だね。特に今回は、周りは可愛い女の子ばかりだからねぇ」

「…………」


 伊織は沈黙し、何やら考え込む様子を見せる。

 結菜はそんな伊織をチラリと見ると、「そこで考え込んじゃうんだ。ふん」と小さくつぶやいた。


 そうして次に伊織が放った言葉は、結菜への憎まれ口だった。


「お、おまえは自分で自分を可愛い女の子に分類するのかよ」


 少し頬を膨らませていた結菜は、それを聞いて一転、あっという間に頬を緩ませる。


「あれ? 伊織は私のことを可愛いと思ってくれないの?」

「いや、それは別の問題で、今回はなんていうか……、そう、謙遜(けんそん)する心を忘れていないかって話だろ」

「伊織、私、可愛くない?」

「それは、だから……、っていうか練習に集中しろよ」

「してるよー。音も姿勢も問題ないよね?」

「ない……。くそう、無駄にハイスペックなところ見せつけやがって」

「ふふふ」


 一時は機嫌が悪そうな素振りを見せた結菜だったが、彼女はその話題でそれ以上の追撃は見せなかった。

 結菜は意識を手元に戻し、新たな話題を話し始める。


「ねえ伊織」

「こ、今度はなんだよ?」

「スティック変えてみたけど、特にどちらが叩きやすいとかはないかも」

「……ここで真面目な話に戻るのかよ。まあ、ドラムの人もスタンダードなものをくれたんだと思うし、あまり大差なくても不思議じゃないなあ」


 ドラムスティックにもサイズや材質、形状など違いはたくさんある。

 しかしこの場にある二組はともに一般的な普及品だったようで、結菜にはどちらが良いとは断定出来ないようだった。


 結菜は練習を続けながら、伊織に言う。


「さて、ここで伊織に問題です」

「おまえといると退屈しないよな。次から次へと色々飛び出して来すぎだろ」


 伊織は結菜のオモチャになることを恐れ、早くも彼女の発言に警戒心を抱く。

 だが、次に聞こえてきた言葉は、彼をホッと安心させるものだった。


「この場合、私は年季の入ったスティックと新品スティックのどちらを使うでしょうか? また、なぜそちらを選ぶのか理由も添えて答えなさい」


 伊織は悩むことなく、その問いかけに答える。


「俺が買ってきたスティック」

「即答だねー。どうして私はそっちを選ぶと思ったの?」

「ドラムの人にもらったスティックは、壊れたら替えが利かない。俺のは遠慮なく使い潰せるから。そっちの使い込まれたスティックは記念品として取っておくんじゃないか?」


 結菜はスティックを振り続けながら、にっこりと笑った。


「大正解。あなたには簡単すぎた?」

「ああ。俺はまた、どんな意地悪されるのかと心配してたよ」

「あはは。それは意地悪されたいっていう前振りなのかな?」

「……おまえこそ、俺のことをどう考えているんだよ」

「ふふっ」


 結菜は伊織に感謝しているのは本当でも、だけど彼をいじって遊ぶことを止められない。

 それとこれとは別。彼女の中では相反しない事柄だった。


 そこで結菜はわずかに目を細め、落ち着いた口調で話し始める。


「バンドのみんなとは今度のライブまでの関係。それが終わると別々の道を歩むことになっちゃう。縁が切れるわけではないと思うけど、それでも今と同じ関係ではいられない」


 伊織は突然始まった結菜の独白のような発言に、驚きつつもしっかりと耳を傾ける。


「でも、あなたは違う。スティックを使い潰しちゃったとしても、あなたとの関係はまだまだ続いていくもんね」


 幼馴染の彼女はそこまで喋ると、前を向いたまま黙々と練習に励み始める。

 伊織はしばらくそんな結菜の姿を眺めていたが、やがて肩を(すく)めると彼女に言った。


「スティックはまた買えばいいけど、俺の替えはないからな? 使い潰さないでくれよ?」

「ふふ。私の替えもいないんだから、大切にしてね?」


 すぐに切り返してきた結菜に、伊織は少し迷ったが思ったことを伝えることにする。


「ぶっちゃけおまえって放置してても大丈夫だよな。雑草みたいに元気に育っていきそう」


 それを聞いた結菜は、ひどく大真面目な声で伊織に答えた。


「あなた、他の女の子には絶対にそんな言い方しちゃダメだからね? 私だから冗談で済むんだからね?」


 本気で自分のことを心配している様子の結菜に、伊織は再び肩を竦めたのだった。



    ◇



 結菜の練習は、次の段階に入っていた。

 伊織は食い入るように彼女の足を見つめていたが、やがて感情を抑えたようにして、結果だけを彼女に告げる。


「結菜、ちょっとズレてる」

「え、また? 困ったなぁ」

「演奏は止めるなよ。ドラムが止まっちゃ話にならないみたいだから」

「う、うん。わかってる」


 先ほどまでは手だけを使った練習をしていた結菜だが、今は足も使って一層本格的な練習に取りかかっていた。

 しかし今までほとんど引っかからずに練習を進めてきた結菜が、そこで初めて(つまず)きを見せる。


 伊織が作ったドラムセットもどきは、バスドラム――足で音を鳴らす部分が作られていなかった。

 それは構造上、手作りでは難しい部分で、伊織も頭を悩ませた箇所だった。


 彼は腕を組むと結菜に言う。


「やっぱり練習用のキックペダル……だっけ、そこは買ってくるべきだったかなあ。初日からたくさん買うとおまえが嫌がるかなって思ったんだよな」

「無駄遣いするなー、って?」

「ああ。おまえも俺も、まだ貧乏根性抜けきってないだろ?」

「否定はしないわ」


 結菜は苦笑しながらそう言うと、そこでいきなり演奏をピタリと止めてしまった。


「ごめん、伊織」


 体の力を抜きながら、結菜はそれだけを言った。

 しかし伊織にはすぐに状況が理解できたらしく、すぐにペットボトルを手に彼女に近寄る。


「ほい、飲み物。体の汗も俺が拭くか?」

「お願いしてもいい? ちょっとくらいなら変なトコ触ってもいいから」

「なんとなく冗談にキレがないし、だいぶ参ってるな」

「あはは。やっぱり幼馴染同士ってやり辛いね」

「だろ?」


 伊織は結菜にペットボトルを渡し、メトロノームを止め、キッチンで真っ白なタオルを少し濡らしてくる。

 そして伊織は、結菜の体にタオルを押し当てるようにして汗を拭き始めた。

 結菜はゆっくりとペットボトルを傾けると、中身を半分ほど飲んだところで息を吐き、気持ち良さそうに目を閉じた。


 伊織は結菜と目を合わすことなく、ふと彼女に声をかける。


「時間のなさとプレッシャーが、重なって襲いかかってきてる感じだな」

「……ふふ。そこまで見抜かれちゃった。私は普通にしてたつもりなんだけどなぁ?」


 結菜は目を閉じたままそう答えたが、伊織はそれには触れずに話を進める。


「おまえがいくらドラムの経験がないと言っても、どうしても香月結菜ならなんとかしてくれるって思われちゃうもんな」


 しみじみと、伊織は気持ちを吐き出すように言った。

 だが結菜は気丈にも、間を置かずに返事を返す。


「それだけ期待してくれてるってことだよ。だから頑張らなくちゃ」


 しかし、伊織は結菜のポジティブな発言に賛同出来なかった。

 結菜は慣れない練習とプレッシャーからか、いつもより余計に疲労を感じているようだった。

 伊織にはそのことがわかり、だからこれ以上無理をさせたくもないと思っていた。


「……心配してくれてるの? ありがと」


 いつしか目を開けていた結菜が、優しい言葉と視線を伊織に向けた。

 間近で見つめられて動けなくなる伊織の前で、彼女はゆっくりと身を起こしていく。


「でも大丈夫よ。私は無理はしない。もし私が倒れたら他の人に迷惑がかかるからね。美代子ちゃんもバンドのメンバーも私の友達も、みんなに大迷惑がかかっちゃう」

「……たしかにそうだな」


 結菜がもし倒れるようなことになったら、彼女の周囲ではとんでもない騒ぎが巻き起こるだろう。

 それは伊織にも容易に想像できたので、彼は結菜の無理をしないという言葉を信用することにした。


「だから私は無理はしない。倒れない範囲で頑張るだけよ。さ、練習を再開しましょ?」

「わかった」


 その言葉で結菜は再びスティックを握り、伊織は彼女の周囲を片付けメトロノームを動かし始める。

 そこで結菜は、練習を再開させる前にブツブツとつぶやく。


「ピアノとかでも足は使ってたはずだけどなぁ。色々と考えすぎてるのかな。それとも久しぶりだからまだ感覚が戻ってないだけなのかな。うーん……」


 休憩が終わっても、状況は変わっていない。

 もうライブまで時間がない。

 早く前に進まなくてはならないのにと、気ばかり焦る。


 結菜は自分の不安を振り払うようにして、笑顔で伊織を見た。


「まあ考えても仕方ないか。大変かもしれないけど、今はとにかく動くべきだよね」


 明るい声でそう答える結菜。だが伊織には、その笑顔が空元気に見えてしまった。

 幼馴染のために自分に何か出来ることはないか。

 そう考えた伊織の頭に、ふと閃くようにして昔の思い出が蘇る。


 彼は練習を再開させようとしていた結菜を呼び止めた。


「結菜」

「ん、なに?」

「邪道かもしれないけど、俺らのもう一つの原点に戻ろうか」

「……え?」


 さすがの結菜も、それだけでは伊織の言いたいことがわからなかったようだ。

 戸惑う彼女に、伊織は真剣な口調で話し続ける。


「おまえってバンドのみんなから、今回演奏する曲を録音したデータをもらってきてるんだよな?」

「あ、うん。一応ね。でもそのデータもみんな完璧じゃないって言ってたよ?」

「それでもやってみよう。おまえのスマホどこだ? そのデータがほしい」

「一度聞いてみるの? スマホはいつものテーブルの上にあるよ」


 結菜に言われ、伊織は彼女のスマホに近付き、手に取る。


「貸して。あなたのスマホに送ってあげる」

「いや、今はすぐにでも始めたい。そのまま俺が取り出してもいいか?」

「え? 出来るならやってもいいけど」


 なんとなく流されるように答えた結菜は、次の瞬間目をまんまるにして硬直してしまった。

 伊織はスイスイと指を動かし、結菜のスマホを躊躇(ちゅうちょ)なく操作し始めたのだ。


「……いいって言ったのは私だけど、でもね伊織、それって一応血の繋がりもない年頃の乙女のスマホなんだよ?」


 結菜はなんとか顔が赤くならないように耐えながら、伊織にそう言った。

 だが伊織はそんな結菜に目を向けることなく、「おまえだって俺のロック解除出来るだろ」と生返事を返す。

 結菜は短く息を吐き困ったように笑うと、少しだけ語気を強めて声を出した。


「やっぱり貸して。私のスマホは人にチラリと見られても大丈夫なように見辛い画面にしてるし、どこになにがあるかわかんないでしょ?」

「いや、おまえの片付け方はなんとなくわかる。もう見つけた」

「……くぅ。なんだろうこの敗北感。これで仕返しに伊織のスマホを調べに行くのも違う気がするし……」


 耐え切れなくなったのか、結菜は頬を朱に染め上げ独り言をこぼす。

 そんな結菜の前で、伊織は粛々(しゅくしゅく)と次の作業に取りかかっていた。


 結菜は(たず)ねる。


「……そろそろ教えてよ。もう一つの原点って何なの?」

「んー、なんていうか、俺らって間違ってたんじゃないかって」

「間違ってた? 練習方法が?」

「練習方法というか、ドラムに接する姿勢かな」


 首を(かし)げる結菜に、伊織は続けて言った。


「この楽器のメンバーが足りなくなったから、やってください。時間もないしプレッシャーもかかるけど、ひたすら練習するしかない。俺たちってそんな考えでドラムという楽器に向かってた気がするんだよな」


 彼は結菜がドラムを始めると聞いて、すぐにスマホで色々なサイトを巡回してみていていた。

 その時によく見た言葉を、彼は思い出していた。


『ドラムは楽しい。カッコいい』


 ドラムを扱うサイトを回っていたのだから当然かも知れないが、伊織はネット上で何度もドラムの魅力を伝えようとする文字を見てきた。

 そしてそれは、たしかに彼らの忘れてはならない原点の一つ。


 驚きに固まる結菜の前で、伊織は言う。


「俺って貧乏で辛かった時期もさ、なんだかんだでおまえと一緒だと楽しかったんだよ。あれこれ相談しながらお手製の品を作ったり色々なことに挑戦してみるのが、面白かったんだよな」


 彼はそこでメトロノームを止めると、結菜を見て微笑む。


「だから一度おまえも原点に戻って、何もかも忘れて純粋にドラムの楽しさに触れてみたらどうだ? 叩けば音が出る。シンプルでわかりやすい楽器じゃないか」


 伊織はそこまで言うと、今度はリビングに彼女らのバンドの曲を流し始めた。


「みんなとのライブも、最高の思い出になるかもしれないしな」


 結菜はその言葉で破顔する。

 彼女はすぐにいつものような元気のいい声を出そうとして――。


 しかし直前で視線を下げ、首を振った。


「やっぱりダメ」

「どうして?」

「色々と理由はあるけど、一番の理由は、こういうやり方って自分の鳴らす音と流れる曲とがごちゃごちゃになって、自分がちゃんと正確に鳴らせているのかわからなくなるのよ」


 結菜は下を向いたまま「だから今はやめよう」と伊織に告げた。

 そして彼女は顔を上げ、彼の反応を見る。


 伊織は笑っていた。

 そのまま結菜の目を見つめながら、彼女に言う。


「大丈夫。おまえには俺がついている」


 それは伊織が深い意味もなく言った言葉だったが、結菜に地味にクリティカルヒットしていた。

 伊織は結菜の頬染めに気付くことなく、自信あり気に言葉を続ける。


「俺が第三者としておまえのことをじっと観察し続け、音がズレてたら教えてやる」

「…………」

「そもそもおまえは音楽の素人じゃないんだろ? ドラムも少し練習しただろ? だったらいきなりかもしれないけど、ちょっとくらいこれもやってみようぜ」

「…………」


 じんわりと、結菜の心に伊織の言葉が広がっていく。

 彼女は眉をハの字にして笑うと、大きく大きく息を吐いた。


「うん、そうだね……。私たちには、ドラムを楽しむという余裕がなくなっていたのかも」

「真面目に取り組むことは悪いことじゃないけどな」

「そうだけどね。――ねえ、じゃあ早速やってみていい? 私、その曲に合わせてみたい」

「わかった。じゃあ最初から流すぞ?」

「うん!」


 そうして結菜は笑顔でスティックを握り直し、練習を再開させる。

 今度は迷いなく、純粋に楽しもうと心に決めて。


「伊織」

「ん?」

「私のこと、片時も目を離さないでね?」

「――ああ。間違ったらすぐに笑ってやるよ」

「ふふふ」


 伊織お手製の練習台に座り、伊織に見守られ、結菜は心置きなく練習に打ち込む。

 状況や役割が変わることはあっても、それは幼い頃から二人がずっと続けてきたスタイルだ。

 伊織と結菜は今日もそうやって、二人三脚で難題に挑んでいた。



    ◇



 初日の練習を終え、結菜が風呂へと向かった後。

 門倉家のリビングは、音漏れ防止の魔改造や、ドラムセットもどきが置かれたままになっていた。

 部屋には一人の少年の姿があったが、彼は後片付けをするでもなく、静かに結菜の座っていた椅子を眺めていた。


「……うん」


 そして伊織は小さくつぶやくと、自作のドラムセットもどきの前に座る。

 そうしてやや窮屈(きゅうくつ)な姿勢でスティックを握ると、人知れずそれを振り始めた。


 タン、タン、タン、タン。

 タン、タン、タン、タン。

 タンタン、タンタン、タンタン、タンタン。

 タンタン、タンタン、タンタン、タンタン。


 門倉家の夜は()けていく。



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