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絶対的な高嶺の花、学園最強のアイドルは俺の幼馴染で通い妻。  作者: 卯月緑
絶対的な高嶺の花、学園最強のアイドルは俺の幼馴染で通い妻。
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幼馴染とカレーライス


 仲のいい夫婦などは、時にその二人だけに通じる世界を持っていることがある。

 あれ(・・)と言っただけで何を意味するのかがわかったり、言葉なくしても相手が次に取る行動がわかったり。


 門倉伊織と香月結菜も長年の積み重ねから、そうした以心伝心が成立する場面や二人だけの符牒(ふちょう)を多く持つ関係だった。


「ただいま~」

「おかえり」


 だから結菜はその日用事が終わるとまっすぐ彼の家に向かい、そして彼が自分の城に入っていても驚かなかった。


「やっぱりね。……ふふふ」

「ん? 悪い、聞こえなかった」

「着替えてくるって言ったのー!」

「ああ、いってらっしゃい」


 結菜は自分の部屋に向かいながら、つぶやく。

 彼の作っているものを見たわけでもなく、また彼の家は匂いが付くと困る布とかがあるため、今日は念のため強く換気をしているにもかかわらず。

 幼馴染の彼女は嬉しそうにつぶやく。


「今日は伊織のカレーライスだ」



    ◇



 伊織は幼い頃から結菜に対し、主導権を握ることが難しい少年だった。

 ただでさえ女の子は男の子と比べて成長が早いと言われているのに、優秀な幼馴染は天井知らずのように才能を開花させていく。

 特に小さな子どもはまだ現実というものを上手く理解できない。幼い伊織は化け物のような幼馴染を前にして、どうすればいいのかわからなくなっていた時期があった。


 そんな彼が取った作戦は、一点突破だった。

 運命を変えたのは、結菜の母親の何気ない一言。


『カレーは結菜が作るのより、伊織のほうが美味しいかもね』


 幼い伊織は天からの啓示(けいじ)のようにその言葉を胸に刻みつけ、カレー道(・・・)邁進(まいしん)していくことになる。


「いただきまーす」

「いただきます」


 そうして何年も何年も研究を重ねて作り続けてきた伊織のカレーは、今や結菜をして「完成された一つの形」と言わせるまで進化していた。

 そのカレーは、彼が結菜に負けていないと思える数少ない点だ。

 同時に、伊織が手に入れた数少ない切り札とも言える。


「うん、美味しい。今日は王道のカレーなんだね」

「最近迷走してる気がしてたから、今日は冒険せずに初心に戻ってみたんだ」

「それに、今日は絶対に失敗できなかったからね?」

「……まあな」

「ふふふ」


 彼は人生の中で、その切り札をここぞという時に使ってきた。

 結菜の誕生日。結菜が初めて大きな賞を取った時。結菜と大喧嘩して仲直りしたいと思った時。落ち込む自分を気遣う結菜に、もう大丈夫だとわかってもらうために。


 なんの理由もなしにふと思い立って作ることもあったが、それでも人生の節目節目に登場する伊織のカレー。

 それはいつしか、幼馴染の間で特別な意味を持つものへと昇華(しょうか)されていた。


「伊織のカレーはジャガイモとかが入った、家庭的なカレーが原点にあるからねー。食べると心がほっこりして気が落ち着く。おふくろの味っていうの?」

「どうだろうな。子どもの頃より味付けはかなり変わってるから、違うんじゃないか?」

「昔はずっと甘口だったよねー」

「おまえは甘いほうが好みだろうと思い込んでたから、甘くなくてもいいよと言われたときは衝撃的だったな」

「あはは、懐かしい。……ねえ、今度は久しぶりに甘いカレー作ってみてよ? 食べたくなっちゃった」

「甘いカレーか。それも面白いかもな」


 そして、伊織は今日、幼馴染に失態を演じた。

 巻き込まれた側とはいえ、断りきれずに結菜の前に別の女の子と一緒に立ってしまった。


 そんな日に伊織がカレーを作ったのには意味がある。

 結菜はそう思い、冗談でしか今日の出来事に触れていなかった。

 また彼女は、彼は真面目な話は食事中は避けるだろうし、普段通りにしているようでも心は落ち着かないんだろうなとも思っていた。


「でも、私が伊織に言われて衝撃的だった言葉って何があったかなあ?」

「……変なこと思い出さないでくれよ?」

「地味なところだと、おまえは俺のお母さんかよ、って言われたときとか衝撃的だったかもしれない」

「それ、何年前の話だっけ。初めてそんなこと言ったときとか覚えてないな」

「今でもあなたは私のことをお母さんだと思ったりすることある?」

「いや、最近ではそう思うことはないな」

「じゃあじゃあ、今はどう思ってるの?」

「……幼馴染だって思ってる」

「それだけ?」

「……大切な幼馴染だと思ってるよ」

「ありがと、嬉しい。それに、照れてるところがいいね。今日のところは満点をあげよう」

「お褒めにあずかり光栄です」

「ふふっ」


 結菜は伊織とともに上機嫌で夕食を楽しむ。

 それは(はた)から見れば、何のこともないただの日常なのかもしれない。

 しかし伊織と結菜は彼らだけに通じる世界で、目に見えないやり取りを行っていた。



    ◇



 伊織は食事の片付けを終えると、リビングにいる結菜のところに戻ってきた。

 彼女は今日もお気に入りのソファの上で、のびのびと足を投げ出してくつろいでいた。


 しかし昨夜とは違い、結菜は裁縫関係の道具を持ち出してきてはいなかった。

 彼女はスマホを手にしており、さっきからひっきりなしに何かを入力し続けている。


 伊織は椅子に座ると、そんな幼馴染にゆっくりと話しかけた。


「……結菜、誰かにメール送ってるのか?」

「うん、そんな感じ」

「おまえが動くとなると、一騒動だな」

「ふふふ」


 伊織はそれだけを結菜と話すと、自分もスマホを持ち出して何かを調べ始めた。

 彼は結菜を気にしつつも、熱心に画面に見入る。


「……よし」


 やがて結菜は身を起こすと、スマホを脇に置いた。

 伊織も結菜が動いたのを見て、スマホを片付ける。


 そうして結菜は伊織を見ると、笑顔で口を開いた。


では(・・)聞きましょう(・・・・・・)


 それはやや唐突な感じもする切り出し方だった。

 しかし結菜には伊織が何かを言い出そうとしているのがわかっており、伊織も結菜がそれを知っていることに驚かなかった。


 彼らは自然で当たり前のことのように、会話を始める。


「悪かった。まさかこんなことになるとは思ってなかった。それに、断りきれずに話に参加してしまった。ごめんなさい」


 伊織は謝罪とともに頭を下げた。

 結菜は苦笑し、伊織に言う。


「私もビックリしたよ。メールで一人だけ男子を裏方として参加させたいみたいに書かれていたときには、まさか、と思っちゃった」

「申し開きもない」

「それでちょっとワクワクしながらその場に行ってみたら、あなたが居心地悪そうに立っているんだもの。バンドのみんなには申し訳ないと思ったけど、私はあの時笑いを(こら)えるのに必死だったんだからね?」

「すみません」


 結菜は伊織を非難するようなことを言っていたが、その顔はすでに笑っていた。

 口調もいつしか楽しそうなものに変わっており、そしてそのままの口調で結菜は伊織に言う。


「それに私ミミちゃんに、伊織くんは絶対に近付けさせないから安心して、とか言われちゃったんだよ?」

「……本当に悪いと思ってる」


 伊織が深々と頭を下げるのを見て、結菜は明るく笑った。

 彼女はそこで少し声のトーンを落とすと、幼馴染に確認するように問いかける。


「ミミちゃんに頼まれて、断りきれなかったんだ?」

「ああ……」


 結菜には伊織が美代子の前で渋々(うなず)く光景が目に浮かぶようだった。

 彼女は苦笑し、心の中で思う。


「(私の幼馴染はやっぱり優しくて、そして甘い人なんだから)」


 結菜は自分が(ないがし)ろにされているとは感じていなかった。

 伊織は美代子のお願いと自分の機嫌を天秤にかけたはずだ。そしてそこで美代子のお願いを選んだのも、自分が軽視された結果ではなく彼の優しさと甘さの比重が大きいからだ。と、結菜は考えていた。


「(まあ、そこが伊織のいいところだと思えてしまう時点で、私の負けなのかなぁ?)」


 結菜がそのようなことを考えていると、そこで不意に伊織が顔を上げる。

 驚く結菜をまっすぐ見つめ、彼は突如強い口調で喋り始めた。


「でも、俺はまだ上手くやってみるって言葉を忘れてない。こんなにグダグダになっちゃったけど、最後には、……もしかしたら美代子さんと真琴さんには俺たちの事情を話すかもしれないけど、それでも頑張って最後には丸く収めたいと思ってる」


 不意に聞かされた彼の強い言葉に、結菜の鼓動が早くなる。


 しかし、伊織はまだまだ自分の思いを伝え足りないようだった。

 なおも言葉を続ける伊織に対し、結菜は慌てて、だけど優しく名前を呼ぶ。


「伊織」

「だから――、え? なに?」

「私は怒ってないよ」

「…………」


 興奮しかけていた伊織は、結菜の怒っていないという発言で動きを止めた。

 彼女はゆっくりと、語るようにして話し始める。


「たぶん、あなたの手の届く範囲の人はまだ誰も不幸になってない。怪我をしちゃったドラムの理緒(りお)ちゃんは可哀想だけど、彼女も前を向いている」

「…………」

「だから私は怒ってなんてないよ。あなたは安心して精一杯、ミミちゃんのお願いを叶えてあげて」


 伊織は目を大きく開き、圧倒されるようにして結菜の話を聞いていた。

 だが直後に彼は我に返り、幼馴染に恐る恐る問いかけた。


「……結菜は、それでいいのか? 不幸じゃないのか?」


 結菜は笑った。

 いつものように明るく元気に。

 そして伊織に言う。


「私は満足してるよ。気持ちのこもったカレーも食べたし、謝罪も聞いたし、いじって遊んだし、決意も聞いた。大切な幼馴染とも言ってもらった。今日はもうお腹いっぱいだよ」


 再び固まる伊織の前で、結菜は話し続ける。


「それに、私は伊織に何度も笑顔にしてもらってきたし、きっと今度も大丈夫だって信じてるからね」


 今一度、伊織は幼馴染に圧倒される。

 そうして彼はしばらくそのまま動けないでいたが、やがて軽く目をつぶると「恩に着る」とつぶやいた。


 次に伊織は明るめの声で、結菜に言う。


「おまえの逆鱗に触れないように、俺は頑張らないとな」

「そうだよー。私が怒ったら怖いんだからねー?」

「ああ、嫌というほど知ってるよ」

「うん、その言い方にはちょっとムッと来たかな?」

「ごめんなさい」

「あはは。ウソウソ」


 伊織は結菜が笑う姿を見て、小さく息を吐く。

 彼はもう一度「本当にありがとう」とつぶやくと、密かに胸の内側で闘志を燃え上がらせた。

 伊織は自分が受けてきた恩が返せる時間(とき)が近付いてきていると感じていた。



    ◇



 それは不意に結菜から告げられた、主語のない発言が合図だった。


「よし、じゃあ始めようか」


 伊織は驚いた様子を見せたが、しかし結菜の発言の意味は理解していた。


「……本当に、もういいのか?」

「いい。食休みも十分だし、本当に時間もなさそうだしね」

「わかった。じゃあ準備するよ」

「お願い。私は着替えてくる」


 彼らはお願いをしたわけでもなく、申し出をしたわけでもなく、同じ目標に向かって動き出す。

 先に伊織が立ち上がり、そして後から結菜も続く。


 そうして伊織に背を向けた結菜は、しかしそこで足を止めて口を開いた。


「伊織」

「ん?」

「頼りにしてるわ」

「……精一杯やってみるさ」


 結菜は振り向かずに笑い、そのまま部屋を出た。

 結局最後まで、彼らは今から何を始めるのかは言わなかった。


 香月結菜は数々の華々しいエピソードを打ち立て、生ける伝説とまで呼ばれる少女だ。

 しかしその隣に生まれてからずっと一緒だった幼馴染がいることは、ほとんど知られていない。



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