俺と師匠の日常・1-2
昼食後、俺たちは家から少し離れた場所に移動した。
ここは若干開けた場所で、よく魔法の授業や実践のために来ることが多い。
今日は闇の基礎魔法の実践となる。
光と闇の魔法は、地水火風の四大属性のように、ランクが上がるほど扱いにくくなるものとは違い、基礎レベルであっても扱いが難しく、油断すれば指の一本も失うこともある。
反面、その性質をしっかりと理解できれば中級、上級であっても基本構造は同じために扱いやすいという利点もある。
闇属性の魔法は、影や闇を生み出したり、操れる魔法だ。
砂漠などの暑い場所でこれを使うことで日陰を作り出すなど、そういった地帯で生活魔法として扱われることが多い。
「それじゃあ…わたしに続いて唱えてね」
小さい割にはっきりと聞こえる師匠の言葉に俺は「はい」と頷き、同じように両手を、ボールを持ち上げるような形に胸の前に構える。
俺はその中間を見つめ、師匠の声を待った。
──そして。
「世に満つる光よ」
「世に満つる光よ」
「暫しの間」
「暫しの間」
「影にその居場所を貸し与えよ」
「…影にその居場所を、貸し与えよ」
師匠の唱えた言葉に続いて詠唱し、魔力を両手に込める。
鼓動が速まる──緊張からではなく、魔力は血液とともに心臓を中心に全身を巡るためだ。
使い慣れない魔法の場合、発動に必要な最低限の魔力でも一分程度軽く走ったくらいにはドクドクと止まらなくなる。逆に使い慣れた魔法の場合は平時と大して変わらなくなる。
なので、どんな魔法でも練習なしで簡単に使える人間はほぼ居ない。居るとすれば、それは天才ではなく、生まれながらにして魔法に愛された申し子だ。
どうして俺はそんな風に生まれなかったのか。
もしも魔法に愛されて生まれたのなら、きっと…
「うわっ!」
集中が途切れ、少しずつ集まっていた闇が弾けて光に溶けた。
尻もちをついてしまい、立ち上がろうと地面に手を触れると激痛が走った。
両手を見ると、爪が割れて手のひらもズタズタで血まみれになっていた。
師匠が慌てて駆け寄ってくる。
「ごめん、師匠」
痛みに顔をしかめつつ、俺は師匠に謝る──と、
「情けないわね、ほら、手ぇ出しなさい」
不意に師匠とは逆から聞こえた声に、俺は顔を向けた。
「フィア、いつから?」
見上げると、心配そうな顔をした顔見知りの女の子が俺を見下ろしていた。木漏れ日にチラチラと照らされる金髪がとても綺麗だ。
彼女はフィア。俺の友人だ。着ている服は中央都市の魔法学校の制服。魔法の実力は学生の中でもトップクラスであり、俺とは対照的に、魔力制御には特に長けている。
「あなたが魔力を集中させ始めた辺りから。留守だったからこっちだと思って来たらこれだもの。ほら、手」
言われたとおりに両手を差し出す。するとフィアは血まみれの俺の手にそっと触れる。痛みに手を引きかけた俺を「じっとして」と止めた。
「大地の精霊よ、今ひとたび、失われゆく命のかけらを世に留めたまえ」
触れた手から金色の光が小さくあふれる。痛みが一気に引いていく。俺も師匠も、何も言わずにそれが収まるのを待つ。
俺には回復魔法の才能は一切ない。簡単なすり傷を治す程度の魔法すら習得ができなかったほどに恵まれなかった。だから、手の傷を治すのは師匠や他の誰か、もしくは自力で手当てするしかないのだ。
無いものねだりをする気はない…けれど、それがあれば一人でも多く助けることができたのではないか──。
「はい、終わったわよ」
気づけば、光は収まっていた。両手のひらを見つめながら、握ったり開いたりしてみる…痛みは完全に無くなっていた。血が元に戻るわけじゃないので、手は血まみれのままだったが。
「ありがとう、フィア」
そう言いながら立ち上がろうとした。そこに差し伸ばされた手。俺は思わずその手をとってしまった。見上げると、師匠の手だった。
「し、師匠!ごめん!」
俺は思わず手を離そうとしたが、師匠は気にせず手をしっかり掴み、俺を立たせてくれた。師匠はふんわりした見た目と雰囲気にそぐわず、意外と力がある。
「フィア、ありがとうね…みんなで、手を洗おっか」
そう言いながら師匠はフィアと二人で小屋への道を歩き始めた。俺もそれにならい、後ろから付いていく。
小屋に戻る間も、笑い合う二人を余所に、俺は乾きかけた自分の赤い手を見つめていた。
──────────
俺の怪我と、フィアが来たということもあり結局、今日の訓練は中止となり、続きは後日ということになった。
出た血の量がちょっと多かったのか、少しだけ頭がボーっとする。魔法の行使には血が特に大事なので、それが失われた状態で無理をするとあっという間に倒れてしまうのだ。
そういう点で言えば、自分の肉体を武器に戦う戦士の人たちが羨ましい。
「ありがとうな、フィア。そういえば今日はどうしてここに?」
手洗い場で手を洗い終え、手を拭きながら改めて礼を言いつつ、俺はフィアに要件を聞いた。
「そうそう、《顕現の渦》から数年ぶりに人が来たみたいでね」
《顕現の渦》。
この世界で生まれた俺には普通のことなのだが、この世界はちょっと特殊な世界らしい。
異世界から、様々なものがこの世界に『写されて生まれる』のだ。転移してきたりするのではない。元の世界の存在はそのまま、コピーされるかたちでこの世界に生まれ落ちるのだそうだ。
空から地上までゆっくり渦を巻きながら降りてくる様々な存在は区別差別はない。物から生物まで何でもありだ。時には人に害をなすものが生まれることもある。
生きた存在は一部の例外はあれど、コピー元の世界の記憶を持ってこの世界に現れるため、便宜上俺たちは『生まれる』ではなく『来る』と言っている。
「今回は三人の男女、私たちと同じくらいの年齢。今回の祝福の儀式はクアドラ様のとこでやることに決まったから、それを伝えに来たの。数日中にはこっちに来るわ」
「いつも思うけど、話が決まってから当人に連絡が来る体制ってどうなんだよ」
俺はフィアからタオルを受け取りながらぼやく。
「使い走りのアタシに言われても仕方ないわよ。それに賢者様たち本人が納得してるんだから、アタシたちが口出しなんてできないでしょ」
そりゃそうだけどさ、と言いながら洗濯かごに俺はタオルを放り込む。
「まあ来るのはいつも通り二、三日くらい先だから、連絡ついでに掃除でも手伝いに来たってわけ」
「助かるよ、儀式の部屋って普段から掃除してるけど手が及ばないとこが多くてさ。お礼に今日はご飯食べてってくれ」
フィアの申し出に俺は快諾した。ほんと?と目を輝かせるフィアを横目に部屋を見渡すと、師匠がいない。洗濯かごを見ると、先に俺が手を洗わせた師匠が使ったタオルがちゃんと入っていた。
師匠は普段から気配を感じるのが難しいところがある。ふと目を離すと部屋どころか、俺たちが住んでいる森から出ていたということも多々あった。
そういうとき、決まって行き先は告げず、帰ってきても教えてはもらえないので、今ではすっかり諦めていた。
「まあそのうち戻ってくるか…フィアもいることだし、時間も空いちゃったし、おやつでも作るよ」
「やった!ならさっき買ってきたバナナがあるよ。これでチップスでも作ってよ」
袋から取り出されたバナナを俺は受け取り、かまどの準備を始めるのだった。