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なつという采女

 当時、宮廷と言う形ではなく、みやと呼ばれていた。

 宮はずっとその場所にあるかというとそうではなく、時代や天皇すめらみことにより転々としていたと現在の発掘などでも判っている。

 平城京や平安京のように整ってはいなかった。


 しかし、場所を定める前に整えられたものがある。

 それは天皇を頂点に、少し前に亡くなった最初の姫天皇ひめのすめらみことである推古天皇すいこてんのう皇太子ひつぎのみこだった厩戸皇子うまやどのおうじ……聖徳太子しょうとくたいし……達によって冠位を整えられ、地位によって選ばれる職務が決まるようになったことである。


 有名な『冠位十二階かんいじゅうにかい』である。

 冠位を大小の『徳・仁・礼・信・義・智』に分け、色々な説はあるが、徳が紫、仁は青、礼は赤、信は黄色、義が白、智は黒。

 大は濃い色、小は淡い色となる。


 そして地域の豪族の力を抑え中央に権力を集中させることでもあり、地方の豪族の娘を召し上げて采女うねめとして働くことを命じ、跡取りの息子等も宮に馳せ参じて、警護や一隊を率いさせて訓練をさせていた。




 実は、今回の長旅に同行した者の中で、大田皇女おおたのひめみこだけが妊婦ではなかった。

 伊予国いよのくに小千郡おちぐん岩塚いわつかと言う姓を持つ豪族の娘、なつも身ごもっていた。

 なつは釆女として召しあげられた女性だったが、可愛らしく、その上良く気が利き、姫天皇が信頼するお気に入りの存在だった。

 年は18。

 そして、なつの夫であり、お腹の赤子の父親になるのは、代々、郡司こおりのつかさの位にある小千家おちけの長男、守興もりおきである。


 二人は元々親や祖父の代からの交流があり、特に一人中央に向かい采女として働くなつは、実家のある小千郡を懐かしがり、守興は時おりなつの家族から贈られる便りや土産を預かり、届けていた。

 幼馴染みに会えたなつは喜び、ニッコリと笑う姿は守興には眩しい存在だった。


 ぐっと二人の距離が縮まったのは、真面目に姫天皇に仕えるなつを中大兄皇子なかのおおえのおうじが見初めたと言う噂を耳にした守興が、慌てて会いに来た時のこと。


「あ、あの噂は本当か?」

「噂……ですか? どんな噂でしょう?」


 なつは首を傾げる。


 実は、姫天皇が特にお気に入りの采女であるなつを、なるべく表に出さず、奥向きの仕事をさせていた為、噂なども疎かったのである。

 ちなみに、姫天皇は可愛がっているなつには中央の者と結婚して欲しくないと、密かに考えていた。

 その為、なつの同郷の守興の話を聞き、守興が来る時には会えるように手はずを整えていた。

 知らぬは、当の二人のみである。


「いや、お前にとっては本当に幸運かもしれない……だが……」

「幸運? 小千に帰れるのでしょうか?」


 目を輝かせる。

 なつにとって姫天皇は主であり、母性の象徴……敬愛の対象であるものの、なつの同僚の何人かは妻のいる身で言い寄ってきた男に身を任せることが多かった。

 やはりそれは、中央の権力に比べ地方の豪族の影響力の弱さに、身分の違い、そして本人もしくは親族の打算もあった。

 だが、それを知った姫天皇は激怒し、宮から彼女達を追い払った。

 年齢もあり、その上現在の立場の曖昧さが、余計に姫天皇をかたくなにさせているのかもしれないと、なつは心を痛めていた。


「帰れるのなら帰りたい……でも、姫天皇さまの……私を娘のように可愛がって下さる姫天皇さまのお傍に侍り、お心を癒して差し上げたい」

「え?皇太子さまに見初められたんじゃないのか?」

「え?」


 きょとんとする。

 長身でがっしりとした守興を見上げ、そしてころころと笑う。


「そんなことはないわ。私のような者を見初めるなんて。皇太子さまには何人も奥さまがおられて、あのお美しい額田王ぬかたのおおきみさまもおられるのに……」

「何を言う。そなたこそ、小千でも早々おらぬ見目麗しい娘として、こちらにお仕えすることになったのだ。どなたかの皇子みこさま方に見初められるか、と噂になっておるというのに……」

「それは嫌だわ。……私は、姫天皇さまにお仕えする為にこちらにいるのだもの……姫天皇さまの傍に居られないのなら、小千に帰りたい」


 目を伏せ呟く。


「姫天皇さまは私を可愛がって、その上守って下さっている……私の母上のような方なの。本当にお優しい方。小千から来て、何も解らぬ時から目をかけて下さって、本当に本当に今まで見守って戴いたの。それなのに、ご恩返しをようやく出来るようになれたと言うのに、今になって他の皇子さまにお仕えするのなら、采女の位を辞して帰りたいわ。この宮にいる意味はないもの」

「お仕えすると言うより……」

「皇太子さまや他の皇子さまには、大勢のお美しい皇女ひめみこさまや心に決めた方がいらっしゃるもの。もし、その方々が私のような者に近づくのなら、見初めるのではなく、姫天皇さまに何かしら悪心などを抱いて近づいて来る方だと思うわ。そのようなことがあれば、余計に女天皇さまのお心を痛めてしまわれる……本当にお優しい方だもの……私のような者の為に悲しげなお顔をされるなんて、耐えられないわ」


 なつは悲しげに首を振った。


「でも、そんな噂が守興さまの耳に届いているのなら、姫天皇さまにもきっと……。ご迷惑をお掛けする前に、小千に帰らせて戴けるようにお願いしてみるわ」

「ちょっと待ってくれ。私のような身分で、姫天皇さまにお会いするのは本当に畏れ多いことと重々承知しているが、お会いすることは出来ないだろうか?」

「え? 姫天皇さまに?」

「あぁ、そなたが本当に姫天皇さまに心からお仕えしていること、私も姫天皇さまにお仕えできることがどれだけ誇りに思っているか……小千は有力な豪族ではないが、それでも知って御安堵して戴ければと思うのだ」


 守興はしっかりとした眼差しで見つめる。


「どうだろうか? 曖昧な噂に惑わされ辛い立場に立たされるよりも、そなたの口で、そしてそなたを幼い頃から知っている私の口でお伝えしよう! お気持ちをお伝えしよう! どうだろうか?」


 守興を見つめ返したなつは嬉しそうに微笑む。


「そうね。守興さまの言う通りだわ。少し待っていて? 守興さまのことをお伝えして、短い間でもお目通りをお願いできるようにお伺いして来るわ」

「あぁ、解った」


 足早に立ち去るなつを見送った守興だが、しばらくして、なつではない采女と姫天皇の住まいを護る衛兵と共に現れる。


小千守興おちのもりおきさまでございますね? 姫天皇さまがお待ちにございます」

「えっ? 」

「お早く。姫天皇さまをお待たせすることはなりませぬ」

「は、はい。ありがとうございます」


 采女に促され、着いていく。

 後ろには衛士えじが着いているが、殺気立ってはおらず、穏やかな気配である。


「こちらです。私どもは離れております」


 案内された場所は、守興は当然知りはしないものの、皇太子に実質上権力を掌握されお飾りの姫天皇が普段過ごす私室である。

 少し古ぼけているが上品な品々が揃えられた、部屋の主の品の良さが窺えるものである。

 余りキョロキョロと見ては失礼だと、それよりも静かに待っていようと姿勢をただした。

 すると、


「姫天皇さま……あの、本当に後日で……」

「構わぬ。なつ。が、良いと言うのだ」


と言いつつ、姿を見せたのは、遠目で何度か拝謁させて戴いた姫天皇本人である。

 慌てて守興は深々と頭を下げる。


「ひ、姫天皇さまにおかれましては、本当に急な……その上私のわがままをお聞き届け下さいまして、ありがたき幸せにございます。私は、伊予国小千郡、郡司の嫡男、小千守興と申します」

「構わぬ。時々なつを通じてそなたが届ける小千の様子を聞き、小千の土産をつまみ食いしておるのだ。まことに美味。そして、上国の伊予国の名に恥じぬ素晴らしい所らしい。そなたにも一度会いたいと思っておったところ。良く参った」

「あ、ありがたき幸せにございます!」


 姫天皇の茶目っ気のある言葉に、そして誉めて戴いたことに感激する。

 姫天皇直々に言われたと言うことは、本当に畏れ多くその上、領地に帰り家族や民に伝えればどれだけ喜ぶことか……特に民達の顔が目に浮かぶ。


「顔をあげよ」

「は、はい」


 姫天皇の言葉に顔をあげたものの、さしはをかざすことないその顔を見つめてしまい、慌てて再び頭を下げる。


「ご尊顔を、申し訳ございません!」

「構わぬ。この婆の顔一つ、何とも起きはせぬ」

「そのようなことはございません! 姫天皇さまは本当にお優しく、私どもはお仕えできることを幸せにございます。今も、お言葉を賜ったことを、小千の者に伝えたらどれ程喜ぶだろうかと、思っておりました」

「……おやおや……そなたもなつも同じことを言うのだの。シワだらけのただの婆であるというのに」

「お、恐れながら、申し上げさせて戴きます! 姫天皇さま」


 頭を下げたまま守興は声をあげた。


「姫天皇さま。姫天皇さまは、私どもにとって日の光、雨水、大地、風のような方でございます。私どもは、日が昇ると起きて仕事に励みます。そして日の光によって作物が育ち、収穫を致します。そして雨水によって作物に水が与えられます。大地は私どもが暮らす為の場所で、なければ作物を植えることすらできません。風がなければ、船が動きません! 姫天皇はその全てよりも大切な方にございます」

「……吾が……?」

「さようでございます。姫天皇さま。私どもは、けして偽りを口にいたしませぬ」


 頭を下げたまま必死に訴える青年の頭を被う頭巾ときんを見下ろし、微笑む。

 孫のような年の青年は、本当に裏表がなく、素朴で真面目である。


「守興……と申したの。ずっと頭を下げておると、話しづらい。顔をあげてくれぬか?」

「は、はい」


 顔をあげる青年に、そっと、


「吾が目は、もう年で余り良く見えぬ。近くに参れ」

「は、で、ですが……私は衛士でございます」

「構わぬ。吾が申しておる」

「はっ!」


守興は身に帯びていた武器を外し、脇に寄せると低い姿勢で近づいた。

 守興の動きはきびきびとしており、中々の身のこなしである。

 姫天皇は良く見えるようになった青年の顔を見つめ、


「よい顔つきじゃ。日に焼けて、眼差しはしっかりとしておる。そなたのように、優しい息子であれば……」


目を伏せる姫天皇を、頭を下げるなと言われた守興は見つめる。


 67歳だと聞いているが、普通、その年齢の者などほとんどいないのが当時の平均年齢と寿命である。

 しかし、言葉遣いはさばさばとしているが、眼差しは優しく母性に満ちている。

 顔はやはり女性として化粧をしているが、疲れているのが良く解る……目の下のくま。

 加齢の為のシワはあるもののさほど気にならず、ただ一つ眉間のシワだけが、昔は相当美しかったであろう顔に似合わず深かった。


「姫天皇さま。お疲れではございませんか?」


 そっと問いかけ、ハッとして、


「申し訳ございません! 失礼致しました」

「構わぬ……守興に心配され、逆に嬉しいと思うておる。そうよの……吾は疲れた」


 ポツッと呟いた姫天皇。


「吾が……吾であることが出来るのは、この場所のみ。一歩外に出れば、飾りよ。ここでおることが望み。ここだけが安寧の場所。それをかき回すものがおる」

「姫天皇さま……」

「吾ももう67。さほど長くは生きられまい。そうなると、吾が元で真摯に仕えてくれている者が、どうなるかが心配でならぬ」

「そ、そんな!」


 首を振る。


 姫天皇の死は、混乱を生む。


 いくら皇太子である中大兄皇子が順序といえ天皇となるかも知れなくとも、皇太子は強引な政策に、次々に宮を作り税を徴収する。

 その上敵も多く、守興は一応中央との繋がり、そして誰に仕えたら良いのか判断もありこちらにいたが、皇太子は危険すぎる。

 そして、次に可能性があるのは弟である大海人皇子おおあまのおうじだが、こちらはこちらで兄を支えているようでいて、逆に何かを内に秘めている。

 それが何かは判断はつかないが、見極めるには自らの身分が低すぎる……。


「守興。そなた。妻をめとるつもりは?」

「えっ?」


 突然の言葉に困惑する守興に、姫天皇は微笑む。


「今まで吾が元で仕えてくれたなつを、吾が娘として嫁がせる。構わぬか?」

「姫天皇さまの……娘! 私のみ、身分ではお、畏れ多いことでございます!」

「これは、公にはせぬ。口うるさい者がおる。もし何かがあれば、なつを守ってやりたい。それだけ……構わぬか?」


 守興はふとなつと目を合せ、お互い頬を赤くすると、


「ありがたき幸せにございます! 私どもは、これからも姫天皇さまにお仕え致します」

「姫天皇さま……」

「幸せにせぬと許しはせぬぞ? この『母』が許しはせぬぞ?」


 なつと守興は夫婦になり、恩のある姫天皇の近くに仕えたいと異動して仕えていた。

 そして、初めての子を身ごもったなつは、出征する夫と『母』を見送るのではなく、身重な体で着いてきていたのだった。

・なつ……伊予国朝倉郷小千郡いよのくにあさくらごうおちのこおり出身の娘で、采女うねめとして斉明天皇が可愛がる少女。気が利きとても可愛らしい。本来は『夏』と言う漢字を用いる。


小千守興おちのもりおき……小千郡の豪族の嫡子。なつの幼馴染み。



伊予国小千郡いよのくにおちのこおりは、現在の愛媛県今治市朝倉(旧愛媛県越智郡朝倉)の地域となります。

高速道路建設現場に近いのですが、工事をするために掘ると、遺跡や器や壺などが発掘されます。


です。

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