初めて尽くしの朝。喪女は対応出来ません!!
漫画やドラマで有りがちな朝チュン展開。
まさか自分の身に起きるとは思わなかった。
どうやら昨日の高級ホテルの一室らしく、生活感の無いお洒落なシングルルームだった。
セミダブルのベッドに、高級感溢れるインテリア。シンプルだけど、とても良い材質のものばかりを使っている。
「まさか……」
ぼんやりとしていた意識がハッキリするにつれ、血の気が引いていく。
身体に掛かっているシーツを剥ぎ取り、自分の全身を確認すると、皺は寄っているがキチンと衣服を身に付けていた。
……ブラウスのボタンが2、3個外してあるのは善意だろう。
「まぁ、各務が私に欲情する事は有り得ないし。自意識過剰過ぎか」
そもそも地味でモサい自分が、あんな交際相手に困らないエリートにどうこうされるなんて、一瞬でも思った事に渇いた笑いが漏れた。あの長身に逞しい体格である、アメリカでも金髪美女を食い散らかしていたとしても不思議ではないだろう。
自分が二日酔いしない頑丈な肝臓を持っていて安心した。普通なら呑み慣れない酒をガバガバ呑んで記憶吹っ飛ばしていたら、翌日は起き上がれないくらいの頭痛や吐き気が襲ってくるものじゃないだろうか。
丸1日お風呂に入っていないのは、季節柄とても気持ち悪い。シャワーを使わしてもらってもいいだろうか。
キョロキョロと辺りを見渡しても、人の気配が全くない。
……どうやら各務はこの部屋にはいないみたいだ。
予測するに、昨日べろんべろんに酔っぱらった私をホテルに泊め、自分は違う所で寝たのだろう。確かに泥酔状態の女を1人タクシーに乗せるよりかは安全だろう。
良かった……各務が据え膳であれば女なら誰でもオッケーな悪食じゃなくて。じゃなければ、今頃意識が無いまま処女喪失していた所だ。
ビジネスホテルとは違い、広々としたバスルームに気後れしながらシャワーを浴びた。流石高級ホテル。備え付けのアメニティーグッズも安物を使っていない。有り難くクレンジングやボディソープを使わしてもらった。しかし、身体はさっぱりしたが着替えが無い為に、昨日から着ている服を着なければならないのが気持ち悪い。
「……汗臭くないかなぁ……早くチェックアウトして帰ろ」
髪を乾かす為にドレッサーに腰掛けると、電話の側にメモ用紙があるのに気付いた。
“起きたら3801に内線しろ”
右に上がり気味の癖のある字が目に入り、目を瞬せた。その癖のある文字は新人時代によく見ていた。
取り敢えず、見付けたからには無視など出来ない。受話器を取り、部屋番号をプッシュした。
『……Hello』
暫くしてから、甘く掠れた声が聞こえた。電話越しなのに何と言う破壊力。腰が砕けそうになった。
「各務君おはよう。昨日は迷惑掛けたわね」
若干声震えてたけど、上手く喋れた。電話の向こう側は、一瞬の無言の後、ガタンバタンと大きな音がした。
『……ってぇ、……茂木か?』
どうやら今まで寝ていたらしい。あの湿度高めなウィスパーボイスは寝起きだったからか。心臓に悪い。寝惚けた頭で電話に出たから、英語で応対したのだろう。心臓に悪い。
予期せぬ私からの電話に驚いて、慌てて起き上がったらベッドから落ちたらしい。間抜け過ぎだろう。
「ごめん。起こしたみたいね。もうちょっと遅い方が良かったみたい」
時計を見たら朝7時過ぎ。私は、長年の習慣で目覚ましをセットしておかなくても、大体朝6時前後に目が覚めるようになっている。
しかし、今日は休日だ。他の人は昨晩就寝が遅かったなら、起床が遅くなってもおかしくはない。
記憶が残っている時に確認した時刻は、確か12時は越えていたと思う。泥酔した私を連れてホテルにチェックインしたりと、かなり時間を取ったのではないだろうか。
『い……いや、問題ない。と言うか、あんだけ酔っていたのに、よく起きれたな』
「私、肝臓丈夫だから」
とりとめない話を続けていたが、内線をする意味が分からなかった。もしかして、宿泊代前払いだったのだろうか。
「そう言えば、ホテルの宿泊代っていくらなの?今持ち合わせ少ないから、ATMで下ろさないと……」
『それはもう払ったから気にしなくていい』
「え?そんなわけにはいかないよ。ここの宿泊代高いよね?」
ビジネスホテルばかり利用するから高級ホテルの相場は解らないが、恐らくゼロが1個多いはずだ。そんな大金を肩代わりしてもらう理由がない。
『此処、俺の親父の会社の系列のホテルだから、格安で泊まれるの。だから、気にしなくていいんだよ』
各務の親父……確か、KAGAMIグループの総帥だったよな。KAGAMIグループってホテル経営もしてたのか。スゲェな。
『それでも気になるなら……茂木、今日予定あるか?』
「ホテルの朝食ビュッフェ……最高」
あの後予定がないと答えた私を、各務はホテルの最上階にあるレストランに呼び出した。同じ最上階にある昨日行ったバーは、灯りを落としひっそりとしていた。
店前には各務が待っており、レストランに入るお客さんの視線を独り占めしていた。チッ、イケメンめ。
昨日は、仕立ての良いスーツに身を包んでいたが、休日の今日はシンプルなTシャツにデニムパンツと、一気にカジュアルな格好になっていた。
反対に私は、2日目で幾分縒れたブラウスと膝下丈の黒いスカート。メイクもアメニティーの基礎化粧品を使い、メイク直しの為に持ち歩いているポーチの中にある化粧品で間に合わせた。毛穴が隠れていれば何とかなる……とんだ女子力である。
そんな格好で、爽やかなイケメンと並んで店に入るのが、どんなに苦痛か……お分かり頂けるだろうか。
そんな拷問タイムも、目の前にこれでもか!!と並ぶ美味しそうな料理の数々に吹っ飛んだ。
フワフワなオムレツに、シャキシャキのフレッシュなサラダ。プリっプリのジューシーなウィンナーにふんわりサクサクのパン。
薫り高いコーヒーを飲みながら、贅沢な朝食に舌鼓を打つ。
私は洋食を中心に取り分けたけど、各務は玄米と味噌汁と卵焼き、メザシや漬物等和食中心に取り分けていた。
その他にも多種多様の料理が並べられており、お客さんはみんなウキウキと取り分けている。
外はサクサク中はふんわりのバターロールを食べながら、煎茶啜っている各務をぼんやりと見る。流石上流階級出身、食べる所作も美しい。新人時代、各務の所作を見て自分が如何にガサツか恥じたものだ。
お腹を満たしてコーヒーを飲んでいたら、各務が口を開いた。
「今日予定無いって言ってたよな」
「うん。それがどうしたの?」
まさかホテル代の代わりにパシりでもしろと言うのか。
焼きそばパンを買いに行く自分を想像してしまった。しかし何故焼きそばパンなのか、完全に脱線した思考に入り込んでいた私に、各務はとんでもない事を言った。
「昼頃、アメリカから荷物が届くから、引っ越しを手伝ってもらいたいんだけど」
焼きそばパンを買ってくる方がマシだった。
「え?そういうの、男手がある方がいいんじゃないの?……私、そんなに力無いよ?」
「家具はもう運び込んである。後は細々としたものだけだから、力はいらない」
なら1人で出来るじゃん!?
……ホテル代払った方がいい気がしてきた。
約5年振りに会ったただの同期の異性に、何と言う無茶振り。
そんなミラクル展開は少女漫画のヒロインだけにしてくれ!!喪女にはハードル高過ぎる。
何せ恋愛経験はゼロに近く、男友達も幼馴染みの哲矢だけだ。いきなり同期の男の家にお邪魔するなど……考えただけで死にそう。
何とかして別の御礼を考えていたが、各務の喜ぶものなんて知らないし、生まれながらのセレブを満足させられるものなど用意できないと思う。
ぐるぐると考えていたら、勝手に話を進められて行く。
待って!!私まだ了解していないよ!!
「取り敢えず俺の家に移動するか?茂木の服も買わなきゃなんないしな」
「ちょっと待って、何で私の服?」
「夏に2日も同じ服を着たいならいいけど……気にならないか?」
気になるよ!!だから早く帰りたいよ!!
ああもう!!どうして私はこう人と話すのが苦手なのか!!
「ホテル代金の代わりに引っ越しを手伝うのに、服まで買ってもらったら、それこそ本末転倒でしょうが!!」
「……服なんてそう値段が張るものじゃないのに」
お金持ちってみんなこうなの!?金銭感覚おかしくない?
リーズナブルなお店で一式買ったとしても、1万前後はするだろう。……私が貧乏臭いのかなぁ?他人にポンッと払ってもらう額じゃない。
何だか流されているような気がするけど、各務の中では私が手伝うのは決定事項らしく、弁の立つ奴を納得させる話術など、コミュ症な私には無理だ。
……まぁ、男女の過ち的な何かが起こるわけではないから、いいか。
服を買ってもらう事は断固拒否して、私は一端家に帰り改めて各務の家に向かう事にした。
不本意だけど、奴の連絡先をゲットしてしまった。これを欲しがる女性社員、何人いるだろうか。
会社の最寄りの駅から少し離れた、庶民的な商店街が駅前にある小さな駅が、私が暮らすアパートある最寄り駅だ。
住民はみんなどこかおっとりとしており、女性が夜遅くに歩いていても平気なくらいの治安の良さが、私がこの場所を選んだ理由だ。
私は大学を卒業するまで実家にいたのだが、就職を機に一人暮らしをする事にした。しかし、過保護な両親が心配して中々許してくれず、散々物件を見てもらい、やっとの事で1番治安の良いこの街でオッケーをもらったのだ。
築13年のオートロック付きのアパート。バストイレ別の2DK。家賃は駅から離れているから相場より少し安め。
非現実な高級ホテルから出たら、夏の日差しが襲い掛かってきた。
家に着く頃には、じっとり汗をかいていた。
約束の時間は昼過ぎだったので、もう1度シャワーを浴びた。
洗濯機を回し部屋を掃除していたら、正午近くなった。
洗濯が終わったものをベランダに干す。この日差しなら、昼に干しても乾きそうだ。
動きやすいデニムのストレッチパンツと、Tシャツの上に薄手のカーディガンを羽織った。
駅に着いたら各務にメールをして、休日ののどかな列車に乗り込んだ。
正午過ぎの茹だる暑さの中冷房のよく効いた列車内は、通勤の時の混雑振りが嘘のように閑散としていた。
旅行中の観光客や親子連れ、1人静かにスマホを弄っている人……穏やかな時間が流れていた。
各務の家のある最寄り駅に着き、ひんやりとした列車から出ると、じっとりと汗が滲んでくる。熱気で眼鏡が曇る程だ。
駅に着いた事を各務にメールして、改札口に向かう。
「あれ?茂木さん?」
首筋に伝う汗をハンドタオルで拭っていたら、夏の茹だる熱気を吹き飛ばす鈴の音ような声が聞こえた。
振り返ると、薄手のチュニックとショートパンツ姿の天使ちゃんが、眩しい笑顔でこちらに手を振っていた。