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始まるセカイ chapter2  作者: 黒華
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 白い。

 微かに光っているかのような、そんな白。

 私の目の前は白に満ちていた。

 どこまでも白い。

 けれどもその白は冷たさを感じさせない。逆に温もりを感じさせるような、そんな白。

 ――私は、死んでしまったの?

 白一色の世界で、私は私という存在がどうなったのか解らない。身体はあるのか、この白を見ているこれは目なのか、そしてこの思考は私なのか。死んでしまったら意識や精神、心なんてものがどうなってしまうのか、解らない。

 白の中に誰かがいる。

 ――誰か?

 どうして誰か、だと思ったのだろう。白の向こうに、もしくは中に、なにかがあるのは分かる。けれどどうしてそれを誰か、だと思ったのだろう。

 答えは簡単だ。それを私は知っているから。いいえ、それって言うのは間違い。正しくは彼、のことを私は良く知っているから。

 ――お兄ちゃん。

 暖かな白の中で、私を呼んでいるかのように、彼は私に手を伸ばしている。

 ――今いくよ、お兄ちゃん。

 彼に近づいていく。私なのかも解らない私で、私は彼の元へ向かっていく。

 彼の姿が近付いてくる。彼の手がもう少しで触れる。

 私も手を伸ばす。彼の手に触れる。もう二度と触れることのないと思っていた、その手に。

 身体なのか、私なのか、もう解らないけれど、その手に引き寄せられる。

 抱き締められる。そう思った。期待した。

 けれど、世界は赤くなった。

 視界が揺れて、傾いて、千切れる。

 なにが千切れる? 噛み千切られた。なにが? 私が。私の首が。

 私が喰われていく。お兄ちゃん。死んだお兄ちゃん。私が殺したお兄ちゃん。私が焼いたお兄ちゃん。

 爛れた顔が、足元に転がる私を見下ろす。

 「お前が、殺した」

 私は踏み潰され。


 「うわあああああああ!」

 「落ち着け、おい」

 身体が強い力で押さえつけられる。殺される。潰される。

 「しっかりしろ夕莉!」

 落ちた首はもうくっつかない。私は潰された。

 「夕莉、俺の目を見ろ!」

 肩が強く掴まれる。少し朱を帯びたような瞳が私を見つめる。

 「落ち着いたか」

 「私は、いったい」

 全身が冷たい汗で濡れている。鼓動が早い。身体が狂っている。

 「ずっとうなされてた。悪い夢でも見たのか」

 「夢?」

 ――そうだ、あれは夢。私はまだ生きている。

 「そうみたい。酷い夢だった」

 脳裏に焼き付いた喰われる夢。爛れた顔。私の殺した兄。頭を振ってその光景を振り払う。

 「こんな状況なら無理もない。もう少し休めよ」

 桐谷が離れた座席に座る。

 私たちは乗り捨てられたバスの車内にいた。夜の街で行動するのは危険だということと、なにより私たちの体力が限界だったということで、朝を迎えるまではここで休むことにしたんだ。

 桐谷は窓の向こう、真っ暗な空を眺めている。私が眠っている間もそうしていたのだろうか。

 「ねえ、桐谷は眠らないの」

 一瞬私に視線を向けるが、すぐに窓の方に戻す。

 「いつ奴らが襲ってくるか分からない。それに、今は眠たくない」

 「疲れてたんじゃないの」

 「眠れないんだ。寝たくても意識ははっきりしたまま、眠気がこない」

 不眠症、と私が言うのに対して桐谷は首を振る。

 「感染してからだ。眠くても眠れない。代わりに唐突に意識が無くなることがある。そしてそうなったらかなりの間目が覚めない」

 そんな症状の病気を聞いたことがある。車の運転中に意識を無くし事故に繋がる。ニュースで何度か見た。桐谷がそんな病を持っているのならかなり危険だ。

 「ドラッグストアなら睡眠導入剤とか手に入るはず。朝になったら探してみましょう」

 「この訳の分からない症状に市販の薬が効くとは思えないけどな」

 「でも、なにもしないよりはマシでしょう」

 ちらとこちらを一瞥し、少し考えてから首肯する。

 「傷の手当なんかもできた方がいいしな。朝になったら探してみよう」

 バスの最後尾にいる私たち。時折外から足音が聞こえる以外に音はない。私も桐谷も無意識のうちに息を潜めているようだ。本当に安心して休めているわけではないけれど、少しは身体が楽になった。

 桐谷はずっと窓の外を眺めている。おそらくは空を見ているんだろうけれど。

 「空、好きなの?」

 私は小声で訊いてみた。なんとなく話がしたかった。

 「別に、なにもない空だしな」

 そう、と私は返す。

 静寂。

 「静か、ね。あいつらも夜は大人しくなるのかしら」

 「死体に朝も夜も関係ないだろ。周りに奴らがいないだけだ」

 そう、だよね。膝を抱えながら言う。

 無音。

 何を訊こう。何を話そう。私はこういう時何を喋っていいか分からない。今までチャットの上でだけ会話してきたから、生身の人間と直接コミュニケーションを取ることに慣れていない。

 ――どうしよう。

 膝を抱える私に桐谷が一瞬視線を寄越す。それを何度か繰り返している。

 ――どうしたの? 私になにかおかしな所でもあるの? 何か言い出しづらいことがあるの?

 そして意を決したように桐谷が身体ごと向き直る。二人きりの車内で向かい合う私たち。

 「どうしたの」

 「前々から思っていたんだが、それはわざとなのか」

 「それ?」

 私は首を傾げる。わざと、とは。私が今なにかしている? 私はただ座っているだけなのに。

 桐谷が頭を掻く。そして少しだけ声を大にして言う。

 「さっきからパンツ、見えてんだよ!」

 ――は?

 「なんで膝抱えて座ってるんだよ。自分の履いてる物考えてくれよ!」

 私は長袖の黒のパーカーに、デニムのショートパンツ、それに黒のニーハイソックスという普通の私服姿だ。戦闘のせいでソックスは所々破けているし、あちこち汚れているけれど。

 ――パンツ?

 「デニムの間からチラチラ水色が見えてるんだよ。とにかく足を下ろしてくれ!」

 椅子に正しく座る。何故か背筋も伸びる。顔が熱い。

 「無意識だったのか」

 心なしか安堵の表情に見える桐谷。私は小さく頷き、視線を落したまま説明する。

 「部屋に居るときは大体この格好でゲームしていたから。つい癖で」

 「女子が人前で足を上げるなよ。しかもそんな恰好で」

 「ごめんなさい」

 足音が近くを通り過ぎていく。引きずるようにして歩いて行く音がゆっくりと遠のいていく。

 ――桐谷って意外と純粋。

 今まで私の方を向こうとしなかったのは、私の体勢のせいだった。私の、その、それを見ないように気を遣ってくれていたんだ。そして最終的には注意してくれた。クールで冷徹で、狂気染みていると思うこともあったけれど、本当は桐谷だって普通の男の子なんだ。

 身体を強張らせていた力が、緊張感が抜けていく。それと共に笑いが込み上げてしまった。口を押えるけれど笑い声は止まらない。

 「急にどうした」

 「だって、桐谷がそんなこと気にしてくれるなんて、意外で、おかしくって」

 「そりゃあ俺だって男だ。気にもする」

 困ったような、照れたような、そんな表情で訴える。その必死な姿がまた面白い。

 「ありがと、これから気を付けるから」

 目の端に溜まった涙を拭う。笑い泣きなんて、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。それくらい今は本気で笑っている。

 「笑い過ぎだって。てか、夕莉ってそんな風に笑うんだな」

 「私も初めて知った。私がこんなに笑えるなんて」

 桐谷も微笑む。

 「俺たち、普通だったんだよな」

 足元に視線を落とす桐谷。その目は過去を思い返すように細められている。

 「捻くれてはいたけれど。私は部屋に篭ってゲームばかりしてた」

 「俺はざっくり言えば不良だ。ゲームもするし深夜アニメも観ていたが」

 「私たちって、案外似た者同士?」

 「かもな。捻くれた者同士だ」

 私たちの間に再び訪れる沈黙。けれど今までのような息苦しさや居心地の悪さはない。当たり前のような、ごく自然な沈黙。

 桐谷が顔を上げ私を見る。真面目な表情だ。

 「これからどうする。なにか目的はあるのか」

 ――目的。私のこれからの目的。

 「母親を探したい」

 「そう言えばそんなこと言ってたな」

 初めて桐谷と会った高校の屋上で、私たちはお互いの目的を言い合った。

 「品埼の高校で保険医をしてる。会いに行くには川を超えないと」

 電車に乗れば三十分もかからずに行けるのだけれど、この状況じゃどの交通機関も機能してはいない。大きな川を超えるには橋を渡らなければならないし、徒歩だと距離的に丸一日はかかる。

 「桐谷?」

 桐谷が何か考え込んでいる。

 「俺は元々品埼に住んでいた。もしかしたら」

 「家族が?」

 「いや、俺の両親はもう死んでる」

 「あ、ごめんなさい」

 「いや、子供の頃の話だ。気にしなくていい」

 何か考えている桐谷。私の目的は母親を探すこと。なら桐谷の目的は? 前に言っていた復讐?

 「桐谷のこれからの目的は」

 足元に視線を落としたまま桐谷が答える。

 「復讐。それと、探したい人がいる」

 復讐? 探したい人? 私はまず前者から尋ねてみる。

 「復讐って、前に言っていた異能力を持った集団?」

 少しの間の後に深く息を吐く。それからゆっくりと語りだす。

 「俺は自分の通う高校で異変に遭った。数人の仲間と助け合って、励まし合って、それでも仲間は次々に死んでいった。生き残ったメンバーで屋上に出て助けを待つことにしたんだが、あいつらが現れた」

 「それが異能力者」

 「ああ。俺たちと同じ言葉を話し、表情も変わる。感情や意識を持った、人間のような存在」

 「人間のような……」

 「奴らはイノベーターだと名乗った。異能力を持った人類の進化系、そんなことを言っていた」

 ――イノベーター。

 イノベーション=革新。革新者?

 「一人は周囲を風景に同化させるチカラ。もう一人は気配を操るチカラ。その姉妹と俺は屋上で殺し合った。なんとか追いつめたんだけどな、もう一人イノベーターが現れた。そいつは触れるだけで姉妹の傷を無くし、俺の血を結晶に変えるチカラを無効化した。あいつらはこの世界を引き起こして何かを企んでいる」

 桐谷が拳を握る。

 「俺の仲間を殺したあいつらは全員殺す。そして好きにはさせない。こんな壊れたセカイ、ぶっ壊す」

 「そのイノベーターって存在がこの世界の原因。ならイノベーターを追っていけばこのセカイを直すこともできるかもしれない」

 「わからないが、なにか手掛かりはあるかもしれない。とにかく俺はあいつらを追う。それが俺の目的。俺の生きる意味だ」

 ――生きる意味。私の生きる意味って、なんだろう。

 「もう一つ、探したい人って言うのは」

 「幼馴染がいるんだ。子供の頃から家族ぐるみで仲が良かった。両親が死んだ後は暫く一緒に生活もしていた。今では唯一家族だと思える存在だ」

 「無事だと、いいね」

 「夕莉の母親もな」

 微笑み頷く。桐谷が立ち上がり腕時計を見る。

 「四時か、日の出まではまだ時間あるな。夕莉はもう少し休んでいてくれ」

 「桐谷は」

 「あれの中を見てくる」

 視線の先にはワゴン車と正面衝突したらしい救急車がある。

 「なにか使えるものがあるかもしれない」

 「それなら私も」

 立ち上がろうとするのを手で制される。

 「さっきは悪夢のせいで休めなかったろ。今は休んでいてくれ」

 そう言って桐谷が離れていく。

 「気を付けて、桐谷」

 桐谷が立ち止る。そして私に背を向けたまま言う。

 「紅弥でいい。行ってくる」

 再び背中が離れていく。

 ――いってらっしゃい、紅弥。

 秋の夜風は心地よく、私はすぐに眠りに落ちていった。


 

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