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始まるセカイ chapter2  作者: 黒華
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 「川内さんはどうして私たちを逃がしてくれたの」

 お互いに支え合いながら狭い階段を下っていく。桐谷は足元を見つめながら、少し間を置いて答えた。

 「本人も言ってたろ、かっこつけさせてくれって。あの人なりの意地、プライドみたいなものがあったんだろ」

 人はそんなもので自分の命を投げ捨ててしまえるの? 私にはよくわからない。

 「今は生きることだけ考えろ。あの人の為にもな」

 頷く。あのどうしようもなく頼りない警官の為に生きる。あの人が繋いでくれた今を守る。

 「少しだけ、かっこよかったかもね」

 真っ暗な街に出る。血を失い過ぎた桐谷と、軽い脳震盪と空腹感に苛まれている私。迎えてくれたのはやはり感染者の群れだった。


 人の身体ってのは良く出来ていると心の底から思うね。俺の飛んで行った左腕。最初こそ驚きと言うかショックで形容し難い痛み、気持ち悪さに襲われたが、今は不思議となにも感じないんだ。血も傷口も、飛んでった腕も見ないようにしているおかげか、頭が身体の損壊を理解しようとしていないんだろう。それに人の頭ってのは死に直面するような痛みは遮断してしまうらしい。脳内麻薬やらなんやらで感覚を一時的に麻痺させるんだそうだ。

 ――こんな感動、もう少し早く感じたかったね。

 死の間際になって俺の身体に感謝する。そして謝罪も。もうちょい背も欲しかったし、顔もイケメンがよかった。髭は濃いから毎朝剃らないといけないし、去年くらいから髪も減ってきた。ぶっちゃけ俺は俺のことが好きじゃなかった。だからなのか酒も飲むし煙草も吸った。一応警官って職業に就いてはいるが、その実態は駄目なおっさんだ。

 ――彼女も何年もいねえし、寂しいぜまったく。

 だがそんな俺でも人を守ることができた。こんなどうしようもない俺でも命を繋ぐことができた。この身体がまだ動いてくれるから、この身体がまだ生きているから。

 「どうした川内、かっこつけてたわりにやられっぱなしじゃないか」

 気が付くと俺はコピー用紙に埋もれて寝ていた。何度も殴り飛ばされて意識が飛んでいたのかもしれない。現実なのか夢なのかよくわからない意識のまま立ち上がる。感覚はない。痛みも、恐怖さえも。

 「うるせえ、お前がどれだけやれるか見定めてんだよ」

 「そうか。それで、俺はどうだ? 強いだろ?」

 用紙を払いのけて、霞んだ視界でかつての友を見る。

 「俺もお前も年とったよな。警察学校の時の柔道覚えてるか、あの時お前と組んだ時の方が酷い目に遭ってたぜ、俺。まんまと意識飛んじまったからな」

 わざと挑発するように笑う。手も足もでない俺ができるのはこれくらいだ。あのムカつく餓鬼二人が逃げるまでできるだけ時間を稼ぐ。

 「そうか、まあ老いには勝てないよな。でもな川内、俺は今人生で一番やる気に満ちていると思うんだ。この壊れた世界で俺は力を手に入れた。この力のおかげで愛する家族を救うことができた。素晴らしいだろ。俺はこの力を使ってもっと多くの人を救いたい。お前も含めてな、川内」

 腕を広げて自分の身体をアピールしてみせる。肥大化した左腕はまるで別の生き物のように脈打っている。太い血管が浮き出て筋肉が隆起する。まさに化け物だ。

 「そんな話有難迷惑なんだよ。お前の助けなんていらねえ」

 「なら自分で自分の命を絶つのか。お前にそんなことできるのか」

 「その必要もねえんだよ。俺はまだ死なねえ」

 ――お前を、止めるまでは。

 左腕を押さえながら部屋を移動していく。各部屋は狭いし、それでもって棚やらコピー機やらが置かれているから動きずらい。逆に言えば距離が離れていれば近づかれにくいし、隠れられる死角も多い。

 「おいおい、かくれんぼなんてする歳じゃないだろ。早く出て来い」

 やはり今の剛は走ることができないようだ、徐々に声が離れていく。

 ――だが逃げるだけじゃどうにもならねえ。俺自身も長くは持たないんだ。どうにかしてあいつを止めねえと。

 あいつに生半可な攻撃は効かない。かと言って俺には武器なんてないし特殊な能力もない。

 「お前の遊びに付き合っている暇はないんだ。もう終わりにしよう」

 ――どうすればいい。俺には逃げ回って時間を稼ぐことしかできないのか。そのまま死ぬしかないのか。

 突如建物が揺れた。地震かと思ったが、すぐにそうではないと気付かされる。壁から腕が突き出て吹き飛ばされる。

 「お、まぐれで当たったか」

 段ボールの山にぶち当たった俺に粉が降りかかる。カラフルな色の粉は、トナーか。コピー機のカートリッジがかなりの量積んである。トナーを吸ってしまい咳き込む。

 「そこにいたか。もうかくれんぼ止めにしよう、俺には救わなきゃならない人がいるんだ。ここでお前と遊んでる暇はないんだ」

 粉末になったトナーには初めて触れた。かなり細かい粒子みたいだ。これが空気中に広がったら大変なことになる。視界も奪われるし、なにより息が吸えない。

 ――こいつにかけるか。

 「そうだな、お遊びは止めだ。お前の歪んだ救いをあの世で後悔させてやるよ」

 剛が左腕を振りかぶる。笑顔のまま振り下ろされるそれを寸前でかわす。

 「なんだ、これは」

 段ボールを潰し、その中のカートリッジが壊れてトナーが飛散する。視界が一気に鮮やかな色に染まる。トナーの中に紛れた剛の苦しむ声が聞こえる。

 「俺の作戦勝ちだぜ、剛。今までは散々負けてきたが、最後は俺の勝ちだ」

 空気中に広まった粒子の中で大きな影がよろよろと動き回る。いくら身体が丈夫でも内側までは変わらないだろ。あんなのを大量に吸い込んだら無事でいれるわけがない。

 黒い影が動く。

 「えぐっ」

 いったいなんの音かと思った。聞いたことのない変な声だった。それが自分の喉から発せられた音だって気付いた時には俺の身体は宙に持ち上げられていた。

 「やってくれるじゃないか川内」

 すぐ目の前にある剛の顔は、果たして笑っていると言っていいのか。笑おうとしてはいるが怒りがそれを拒んでとても歪なものになっていた。目はトナーにやられたのか、それとも怒りで血走っているのか、真っ赤に染まっていた。

 「お前とは長い付き合いだからな、最後は一瞬で救ってやろうと思ったがやめよう。お前にも生きるのが嫌になるほどの苦しみを、痛みを教えてやってから死なせてやる」

 右腕が俺の首を締め上げる。そのまま窓のある壁に叩き付けられる。痛い。全身の感覚が蘇ってくる。失った左腕が熱を感じ始める。俺の脳が身体を誤魔化すのも限界みたいだ。

 右足に激痛が走る。首を絞められているから声は出ないが、それでも俺の頭の中には絶叫が木霊する。

 「どうだ、痛いだろ? こんな痛みにずっと苦しめられると思ったら死にたくもなるだろ」

 化け物の腕が俺の右足を捻じ曲げている。まるで幼い子供がフィギュアで遊ぶように、そしてそのまま壊してしまうように、俺の身体が弄ばれている。

 「お前の口から聞かせてくれよ、そしたら救ってやる。さあ、言うんだ。死にたいってな」

 右足の軋む音が聞こえるようだった。膝から下が外側に向けて曲げられていく。視界はとっくに涙でいっぱいになり、頭は意識を手放そうとしているみたいだった。食いしばる口から血が垂れる。歯が欠けたかもしれない。

 首を絞める力が弱められる。

 「どうだ、死にたいだろ?」

 俺は窒息寸前だった身体に息を一気に吸い込み、同時に血やら唾液やらを飲み込み咽かえった。涙の向こうには未だに歪な笑みを浮かべるかつての友。

 「さあ、言えよ。死にたいって」

 俺は痛みと恐怖で震える身体に最後の命令を送る。右手をポケットに突っ込み煙草を取り出す。片手で一本だけ取り出しあとは捨てる。怪訝な表情を見せる化け物を前に煙草をくわえる。

 「もう、健康なんて考える必要、ないからな」

 「それは遠回しに死を受け入れたってことか」

 ライターを手に取り口元に近づける。

 「お前に押し付けられる死じゃねえよ。俺の最後は、俺が決める」

 右足が思い切り曲げられる。遠くで、しかし俺の中から音がした気がした。もう感覚がない右足が重いと感じるのは折られたからだろうな。

 「言えよ、そうでないとお前は死ぬに死ねないんだぞ。このまま痛み苦しみ続けるのか、なあ!」

 目の前の化け物が吠える。もうほとんど音も聞こえない。意識が離れていくのも時間の問題だ。

 ――俺の最後は、俺が決める。

 ――俺の作戦勝ちだ。

 親指でライターを点火する。煙草に火を灯す。

 「やっぱ、禁煙なんてしなくて正解だったぜ。こいつが、俺の最後だ」

 ライターを手放す。すぐに後ろにある窓を開け放つ。風が吹き抜け一瞬で世界が鮮やかになる。トナーが風に舞って部屋を満たす。

 「あの世でも、よろしくな」

 俺は煙草の煙を吐き出した。


 衝撃が大地を揺らし、轟音が鼓膜を震わせる。暗い街の中を振り返ると、私たちがさっきまでいた広告会社のビルが火を吐いていた。

 「いったいなにが」

 火を吐き出した三階は一画が吹き飛んでしまったようだ。その周りには色の着いたなにかが舞っているみたい。感染者たちを退けながら百メートルくらい離れた私たちにもその色が降ってくる。

 「粉塵爆発か」

 桐谷の顔を見る。

 「コピー機のトナーだ。それが大量に空気中に飛散して、少しの火種があったら発火するだろうな」

 「事故?」

 「わからない。だがあの警官は喫煙者だったよな」

 そこまで言って桐谷はまたゆっくりと歩き出した。

 ――川内さん、貴方は。

 「少しだけ、見直しました」

 桐谷の背中を追う。闇の満ちる街の中で、この周辺だけは赤々と燃えていた。


 

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