イケメン(幼児)と先生二人
「縫合の痕は少なくとも医術師の手ではありませんが、とても丁寧ですね。痕は残りますが消毒も洗浄もされていて、膿む心配はありません。枷の着けられていた足首は、傷はありませんのでご安心を。栄養失調や体力の低下は、直ぐにはどうにもなりません。長い時間が必要です」
「はい、わかりました」
神妙な態度でいるコランダムに、短い髪を綺麗に後ろへと撫で上げたロマンスグレーな医術師は穏やかに微笑む。
「根気良く、急かすことなく、ゆっくり付き合っていきましょう」
「もちろんです!」
鼻の穴を膨らませて、気合い十分に肯くコランダム。
そんな主人を、複雑そうな顔で見ているオブシディアンに気付いていない。
「食事に関する注意点は?」
真剣そのものの表情に、医術師は顎に手を当てていくつか思い浮かぶ食材を上げていく。
「……でしょうか。はじめのうちは身体が驚いてしまうので、出来るだけ薄味で、よく煮て柔らかくしてから出してあげて下さい。すり潰すのも、食べやすくていいかもしれないですね」
コランダムは例えにあげられた食材の名前を復唱して、何とか覚えようとする。
前世においての小さいメモ用紙やボールペン、シャープペンシルなどの出掛け先で書き物をするものはないため、こうして覚えていくしかないのだ。
…と、背中に小さな違和感を感じたコランダムは、虚空を睨みながらそちらに手招きし、近寄ってきた彼を自分の膝の上に横座りさせる。
シャツの背中の方を、わかるかわからないかの力で引いて自身の存在を消極的にアピールしたオブシディアンは、主人にされるがままに自分より幾分か大きいが華奢な身体に抱き締められた。
ざんばらだった髪は、既に手先の器用な侍女に整えさせたため、きちんと揃った毛先をコランダムは指に巻き付けて遊ぶ。
まだ栄養の足りていないのは髪も一緒で、パサついて切れやすいそれの負担にならない程度の力で気まぐれに指先に絡めて弄ぶ。
その間も眉間に皺を寄せながら、可愛らしい小さな唇は呪文のように食材の名前を唱えていたが。
主人に抱えられた小さな身体を、更に小さくしたオブシディアンは真っ赤になって若干、涙目である。
残念ながら、真剣なコランダムはそんなことは知らず、対面に座る医術師だけがそれに気が付いていた。
「では、体力作りはもう少し経ってからの方がいいですか?」
診察のため、簡易的な服を着ている彼は普段であれば隠したがる腕や足が出ている状態だ。
片腕でオブシディアンを支え直し、食材を記憶し終えたコランダムは次の質問をしつつ細さが目立つ子どもの腕を撫で上げた。
オブシディアンの身体は様々な種族を継ぎ合わせて造られている。
それが目立つ部分は幸いなことに、服で隠れる箇所が大半だ。
今、撫でている方の腕は鱗が多く覆っていて、色とりどりのそれはつるつると滑らかな感覚をコランダムの手のひらに伝えた。
(これは爬虫類っぽいし、こっちは魚類っぽい?んー…何の鱗だろ?)
何となく、犬猫のようにわしゃわしゃ撫でられず、コランダムは指先でツーッと鱗と鱗の継ぎ目を撫でる。
鱗は色だけでなく形も様々で、どれもこれも光を弾きコランダムにはキラキラと輝いて見えた。
「そうですね、まず部屋で出来るくらいの、筋力を付けることからはじめましょう。さすがにまだ、スズメさんの指導を受けるだけの体力はありませんからね」
小さな腕の中にいる子どもが、ビクッと反応する。
震えながら身を縮めるさまは、普段彼が自身の姿を恥じるものと同じであった。
コランダムは、別にオブシディアンの存在を恥じたことはない。
勿論、動きが鈍い彼を疎んだこともなければ、体力や腕力がない部分も同様に受け入れている。
しかし意図せず急かしたように聞こえる言葉を選んでしまったらしく、子どもを萎縮させてしまったようだ。
コランダムは申し訳なく思い、言葉にする代わりに腕を撫でていた手を移動して頭を撫でることにした。
髪の向きに沿って撫で下ろし、同じところに手を持っていってまた撫で下ろす。
時折、手を差し入れて髪と地肌の間に風を通すように掻き混ぜる。
先程の検査中、緊張していたのかオブシディアンの頭は若干、汗ばんでいた。
「スズメさんは見た目に寄らず、熱くなり過ぎるところがありますからね。これは、オブシディアン君のせいではありませんよ。…強いていうなら、彼をこのようにした業者が悪いのです」
医術師の言葉に、コランダムの雰囲気が一瞬だけ代わった。
子どもが発するには場違いな、しかし│仕事柄この医術師には馴染んだ気配が美しい子どもから発せされたのだ。
尤も、間近でその気配に晒された黒目の子どもをおもんばってか、直ぐに気配を消してみせたが。
「そうですよねー。悪い大人が悪いんですよね!大丈夫、ディアンは気にしないでゆっくり元気になればいいんだよ!」
自身の腕の中で硬直する子どもに、努めて明るくいうコランダムはここでやっと異変に気付いた。
「でぃ、ディアン!どうしたの、顔真っ赤だよっ!?」
真っ赤な顔で遂には涙まで流していたオブシディアンは、ブルブルと凍えた仔犬のように震えていた。
両手で下腹部を覆い、心なしか前屈みである。
「たっ、大変だーっ!?医者-!この中にお医者様はいらっしゃいますかーっ!?」
「イシャが何かは知りませんが、医術師ならばここにいるので落ち着いて。コランダム君、キミはもう少し自分の能力を使いこなせるようにしようね」
「…はぇ?」
優しいくせに、有無をいわせない強さで医術師はにこやかにいう。
ぽやんとした顔を上げたコランダムの両眼は、紅桃色に見事に染まっているのであった。
人間社会において貴族の一角を担い、モンスターとしては淫魔族を纏め上げる長の一族であるキュリアス家。
その直系長子であるコランダムは、自分の持つ能力が魅了だと知っている。
前世を思い出す少し前に、はじめて発動させたからどんなものか知っているのだ。
(ぽわわ~んってなったミア、可愛かったな…じゃなくて!けしからん能力だった!!)
偶然、侍女の一人に能力を使ってしまったのがきっかけだった。
(さすが十八禁乙女ゲーム!さすがは淫魔族!エロい能力だったよ)
真っ赤な顔、潤んだ目、甘い吐息、もじもじふるふると震える身体。
ボインボインと揺れるお胸様…。
(福眼でした)
『ほぅっ…』と、そのときのことを思い出しているコランダムの両手はワキワキと動いていた。
気の弱い哀れな侍女が、この綺麗な面だけが取り柄のエロガキにどんな目に遭わされたか…ー、お胸様タッチの直後に神出鬼没な執事から拳を落とされて取り敢えず、侍女の心の傷はそこそこの深さで止まったのはせめてもの救いだったかもしれない。
…つまり、何がいいたいかといえば、魅了というのは異性の抵抗力をなくして性的な感覚を敏感にさせる効果があるー…と、コランダムは認識している。
(ゲーム本編で能力を乱用して、女生徒たちにいうこと効かせてたところを見れば、使い過ぎると麻薬みたいな作用もあるのかも…うわー、ホントにクズ野郎だなコランダム・キュリアス!)
現在、その“クズ野郎”であるコランダムは憤慨していたが、そもそもの疑問に立ち返って首を傾げる。
(なんで今、先生は能力のこといったんだろ?ここには│異性はいないのに)
様々な方面に勘違いしているコランダムは、無意識に近くにあるモノを撫で上げる。
無言で撫でられ続ける存在は、ふるふる震えー…ているというより痙攣していた。
「コランダム君っ!オブシディアン君が痙攣しています!!」
「ヒッ!?」
…後に、この時のことをオブシディアンはこう語る。
『花畑が見えた』ー…と。
ある攻略対象はそれを聞いて、『モンスターが、天国を見るってありか?』と呟くがそんなこと、現時点のコランダムは知ったことではない。
「いいいい医者-!!」
「あっ、コランダム君は外に出ていて下さい」
ポイッ
「大丈夫かなぁ…ディアン」
細身に見えて、簡単に子ども一人投げ捨てられる医術師に放り出されたコランダム。
しばらく入れないように閉ざされた扉の前でウロウロしていたが、押しても引いても動かないところを見て渋々諦めて歩き出す。
「あんなに真っ赤になって、急に痙攣したんだから危険な病気なんじゃ。例えば、生命にかかわー…」
真っ白な。
自分の息遣いしか、音がない。
外部から閉ざされた。
宥める声と泣き声が部屋の外から聞こえて。
『あの│娘はもうー…』
(ヤメテヤメテヤメテヤメテ)
ガチガチガチ
歯が鳴る音。
独りでに震える身体を抱き締め、しかしそれでもどちらも止まらない。
脳裏で繰り返される“あの言葉”も、止まらない。
『若いのに、未来があったはずなのに、毎日笑ってたのに、悪いこと何てしてないのに、なんてー…』
(チガウチガウチガウチガウワタシジャ、“私”じゃなくてそれは)
『なんて、可哀想なのー…』
( )
ばちんっ!
「キュリアス!コランダム・キュリアス!しっかりしろっ!!」
「っ!!」
間近で怒鳴られ、ハッとする。
片側の頬は熱を持って疼いているし、頭はぐわんぐわんと揺れているし、鼻先がくっつきそうな程の距離には黄褐色の肉食獣の目が二つ。
「あっ……」
(これは、現実?)
暫し呆然としたコランダムは、ゆっくりと瞬きをしてこれが現実だと思い出した。
そう、コランダム・キュリアスとしての現実に、意識が戻って来たのだ。
じわりとそのことを認識し出したコランダムは、片側の頬が熱いというより痛く感じはじめた。
(いや、むしろ痛痒いというか)
「キュリアス!おいっ、自分が誰だかわかるかっ!コランダム・キュリアス!!」
「痛っ!?痛いっ、痛い痛い痛いってばっ!!」
ばちんっ!ばちんっ!ばちんっ!
「痛い痛い痛いって!わかってるから、いい加減にしろーっ!!!」
手加減知らずの人狼少年に、往復ビンタを喰らわされたコランダムはついにキレて叫んだのであった。
「…突然、倒れられたんだ。何かあったと思っても仕方ないだろ」
「ほっぺ、腫れました」
腫れた上がった両方の頬を両手で包み、怨めしそうにコランダムはいった。
何度も張られた頬は熱を持ち、真っ赤に腫れ上がった挙げ句に痛みと痒みが同時にコランダムへと襲い掛かって来ている。
…大袈裟な表現だが、見た目は子どもが両頬にお菓子を詰め込んで隠しているようであった。
あのお岩さんも、指差して大笑いしそうである。
「………ゴメンナサイ」
怨めしそうな幽霊…ではなく、端整な顔立ちが笑いを誘うという残念仕様になっているコランダムを見ないようにしていた黄褐色の目を持つ少年は、チラッとそちらを見て暫くの葛藤の後、素直に謝った。
ブスッとした顔は不満が隠し切れていないが、大笑いされながらの謝罪よりはマシだとコランダムは直ぐに受け入れた。
「ううん。こっちこそ、心配してくれたのにごめんね。ちょびっと考え事してたら、足元疎かになってね~」
だからコランダムもまた、笑顔を作り素直に謝って、これで往復ビンタの件は終いにした。
本当は、今は痛くても冷やせば頬の腫れと痛みは帰る頃には取れるだろうから、大して気にしていなかったのだ。
不服そうに謝罪を要求してきた相手が、自分の『いかにも不満です』という態度のそれを素直に受け入れ、尚且つ直ぐに自身も謝ってきたことに少年・コハクは目を丸くした。
しかし直ぐに、コランダムが歯を見せて笑っている姿に苦笑する。
「お前な~。気を付けろよ」
わざと怒ったような口調でいうが、コランダムがじゃれついてきているだけだということはコハクにはもうわかっている。
「あはははっ!怒っちゃヤダよ、コハク~」
「ヤマトだっ!!」
このやり取りも、最早“お約束”である。
ちなみに、彼のフルネーム“ヤマト・コハク”はよく間違われるが、コハクが名だ。
少年の母親の故国では、家名を先に名乗るため、その習慣に則っている。
コランダムも前世において、その順番に慣れ親しんでいたが…まあ、これも彼らなりのスキンシップの取り方なのだ。
「どうしたんだ?今日は稽古の日じゃないだろ?」
道場がある方へと歩いているコランダムを、不思議に思って聞いてくる。
コハクとコランダムは同じ師の下で教えを請う兄弟弟子だ。
公平を期すためー…というより師匠が忙しいため、稽古のある日は二人共同じであり、勿論コハクはコランダムが道場に来る日を知っている。
「うん、稽古はないけど時間が空いてね。少し素振りでもさせてもらえたらな~って」
「時間が空いた?」
道場は、コハクの両親が仕える│主人所有の建物だが、護衛たちの鍛錬の場やその家族や近所の子どもたちも時間が合えば使うことが出来る。
やっと素振りを許可されたコランダムが稽古で振るう時間はあまりなく、竹刀で練習するのは稽古の時間外だけだ。
一人で竹刀を振るえば怪我を為かねないため、外に持ち出すことは出来ないという意味では、まったく不自然ではないだろう。
しかし、コハクが引っかかったのは別の部分であった。
人狼が持ち得る野生の勘…なのかもしれない。
「具合が悪いのか?」
コランダムが歩いてきた方角にある建物が診療所であることから、そう判断したのだろう。
問い掛けたコハクは、声まで心配そうであった。
(“誰が”とはわかってて聞かないのか、本気でわからないのか。ヤマトって、ときどき妙に鋭いよね)
本当に鋭いニンゲンは、今この瞬間に失礼なコランダムの頭を張るだろう。
残念ながら、根が優しいだけで本人も気付かず物事の本質を突く彼は、今回もまた無意識に言葉を選んだようだった。
「具合というか全体的に、かな。健康診断だよ」
コランダムは隠すつもりはなく、コハクはコハクで誰のことを指しているのかを直ぐに察した。
「…あの子どもか」
にこやかな笑顔が、コハクに対する返事だった。
コランダムは口では素直でないくせに、根は優しくて面倒見が良い人狼少年が攻略対象としてではなく、一方的ながら友人として好きである。
しかし、ここで意見が合わずに道を違えるのも仕方ないことだとも思っていた。
お互い、意見を変えることが出来ず、平行線のままいがみ合うよりもいいとコランダムは思ったのだ。
(どうせ、│高校生《ゲーム開始》になったら嫌でも関わるし。今はしょうがないよ。下手にディアンと引き離されて、ルートに変な風に影響したら困る。…正しくゲーム前の居場所に戻るかもしれないけど)
楽観視しているといえばしているが、コランダムは今のコハクに言葉を尽くすことを止めていた。
あくまで今、コランダムが考えるべきはオブシディアンのことである。
同時進行で二人のことを考えられない不器用、とでもいえばいいのだろうか。
もしくはもっと簡単に、薄情者というべきか。
(別に構わないよ、コハクが好きに思えば。ただし、他人が何といようと知らない)
兎に角、コランダムは完全に開き直っていた。
開き直って尚且つ、投げやりな部分もある。
更にいえば、コハクを舐めていたともいう。
だから、彼が怒鳴るどころか嫌悪の目を向けてこないことに驚いて目を見開くことになった。
「父さんなら、病気や怪我を見過ごすことないだろ。安心だな…って、何だよ」
「……いや、だってさぁ」
「だから何だよ、いい淀んで」
向けられたのは、怪訝そうな視線だけだった。
コランダムは先程までの余裕をなくし、困惑も顕わに恐る恐るコハクに問い掛ける。
「だって…キミは反対だったでしょ。ディアン…オブシディアンのこと」
“ディアン”という聞き慣れない呼び名に首を傾げたコハクは、いい直されて『あぁ』と納得した。
「ディアンと呼んでんのか」
「普段から“オブシディアン”じゃ、どうしても長いからね」
納得顔のコハクは『確かに』と頷き、まだ困惑しているコランダムに気付いた。
「オレは、奴隷やモノ扱いが嫌だっただけだ」
「ヤマト…?」
唖然とするコランダムに、浅黒い肌を僅かに赤くしたコハクはぶっきらぼうに叫んだ。
「勿論、酷い扱いをするようなら容赦なく連れてくからな!それについては、父さんも母さんも賛成してくれた」
照れ隠しだ。
コハクは照れ隠しで怒鳴るような少年だが、真面目で正義感の強いし、優しさも持っている。
だからこそ、素直に両親に話して了承を得たようだ。
「だいたい、なんでお前のいい分を聞かなきゃいけない!そっちが好きにするなら、こっちだって勝手にする!オレは友だちじゃなくて、お前のライバルだからなっ!!」
誕生日会のときの会話を連想させる、コハクの言葉。
あのときコランダムは、『どう扱おうとボクの勝手』といい、コハクの気持ちは『キミの勝手』と切り捨てた。
あのときの怒りは本物に感じたし、あれで彼と疎遠になっても仕方ないとも思っている。
先程倒れたのだって、本来は見捨てられても文句はいえないのだ。
しかしコハクは、あの日の後に考えたのだ。
もしかしたら、両親に相談したのかもしれないが、それでも彼はコランダムの言葉を考えた。
考えて、自分とは違うコランダムの言葉を思いそして、彼なりに答えを出したのだ。
コランダムはコハクとの友情ー…一方的だが、を諦めたというのに。
コハクという少年は、頭に血が上ったらヒトの意見に耳を傾けられないという、頑固というか直情型な性格をしているとコランダムは考えていた。
だから言葉を尽くし、時間を掛けて説明をする手間をあっさり放棄したのだ。
まだ子どもであるコハクは結局のところその評価からそんなに離れていないだろうし、似た状況になったら同じように激昂するだろう。
しかし、彼はオブシディアンのことに関しては、コランダムに任せようと結論付けた。
つまりコハクはだいたいはコランダムの思っているような少年だが、少なくても侮ったり舐めて掛かるような相手ではなかったのだ。
(侮ってたわけじゃないけど…。考えが足りないのは、むしろボクの方だったね)
コランダムは、素直にそう思う。
ただ、素直に自分の考えが足りなかったことを認めたが、先程のように謝ることはしなかった。
あのときはあれが最善だと思っていたし、コハクだって謝らなかったのだからそれはお互い様である。
だからそれはそれで、二人はいいのだ。
謝罪云々は、これでいいのだが…コランダムは相変わらず一言余計である。
「ヤマト…折衷案というか、経過観察なんてよく考え付いたね……」
感心したように、コランダムは呟いた。
本人は、本当に驚いて感心していたのだ。
自分がコハクを見誤っていたことを、素直に認めて驚嘆の思いを抱きさえしていた。
それは本当だ。
しかし、残念ながら相手には伝わっていなかった。
コハクの米神に浮かんだ青筋が、それを証明している。
「お前………馬鹿にしてんのかーっ!!」
「うぎゃあぁぁぁーっ!?」
拳にした両手で頭を挟まれ、そのままグリグリされたコランダムの絶叫が響き渡る。
地味な攻撃だが、接近しての攻撃としては強力な威力だ。
「痛い痛い!だってそこまで頭が回るとは思ってなかったんだって痛い痛い痛いっ~!!」
「それを馬鹿にしてるっていうんだよっ!!」
「ちがあぁぁぁーうぅぅうっ」
「二人共」
キャンキャン騒ぐ二人の子どもの頭上から、静かな声が降ってくる。
彼女が歩くたびに鳴る、鈴の音と同じくらいに小さいものであったが、音は聞き漏らしてもその声だけは二人共キチンと聞き取れた。
聞き取れて、そしてピタリと呼吸と心臓を動かず以外の動作を止めて硬直する。
「二人共、返事」
「「はいっ!!」」
ピシッと背筋を伸ばし、同時に返事をした二人の子どもは恐る恐る、普段の倍以上の時間を掛けて振り返る。
振り向いた先には、凛とした佇まいの女性が一人立っていた。
面長の輪郭と切れ長の目は、この国にはない顔立ちをしている。
身に着ける白い胴着と紺の袴姿は凛々しく、長い純白の髪を頭の高い部分で結う赤色の結い紐に付いた鈴が涼やかな音を奏でた。
「「師匠」」
あるハーフの吸血鬼とは違う赤い瞳で、改めて佇まいを正す二人の弟子を静かに見詰めた彼女は大和撫子な見た目に反して腹の底から声を出した。
「力が有り余っているなら、道場に来なさい!」
「「はいっ、師匠!!」」
腹の底から出された声に、『カッ!』と見開かれた赤い瞳に直立したまま器用に飛び上がった二人の弟子は慌てて返事と同時に走り出す。
「屋敷内は走らないっ!!」
「「はいっ、すみませんっ!!」」
早歩きに素早く切り替えた二人の向かう先は勿論、道場であった。
頬の赤みが若干引いたコランダムと見送るコハクは、ぐったりとしながらも頑張って立っていた。
少しだけ身体が傾いているのはまあ、ご愛嬌ということにしておいて欲しい。
「また来てね、コランダム君」
「はい、ありがとうございます。また来ますね、スズメさん」
おっとり微笑む女性は、渋い色合いの留袖を纏う華奢な撫で肩を夫に抱かれ、息子の友人を見送る。
先程の│扱きを行った人物と同じだとは、到底思えない笑顔の美しい女性であった。
(スイッチの切り替えが凄いです、師匠)
やはり横で妻の肩を抱き、穏やかに微笑む彼女の夫もまた切り替え上手であり、二人の手合わせはまさに“死合い”という言葉が浮かぶ程の凄まじいやり取りである。
(あれは怖かった。師匠もメチャクチャ強いけど、先生はさすが一人で学園滅亡させるだけあるわ~)
「オブシディアン君、キミも何か不安なことがあったら気軽に来て下さいね。いつでも相談に乗ります」
「はい………」
何故か、やたらとぐったりした様子のオブシディアンは、他称“滅亡の魔王様”の言葉に頷いたと思ったらモゴモゴと口の中で何かを呟いていた。
隣で傾いているコランダムは、彼が何をいおうとしているのか気付き、黙りつつも心の中で声援を送る。
(ファイト!あと、もうちょっとだよ!)
「う゛らでぃう…うら?」
首を傾げつつ、何度も挑戦するオブシディアンは、最終的には眉をハの字にして涙声になりながら頑張るが、どうしても上手く発音が出来ないようだ。
思い通りに動かない舌を歯痒く思っているオブシディアンは、何度も挑戦をするが遂には声を出すことも止めて項垂れてしまう。
拳を握り、固唾を呑んで見守っていたコランダムとコハクだったが、思わず『頑張れ!』と口を出しそうになった瞬間、オブシディアンの頭に大きな手が置かれた。
医術師の手は、コランダムのものよりずっと大きく、オブシディアンの小さな頭を容易に握り潰しそうなのに、ゆっくりと動く様子は子どもを労る優しさに満ち溢れていた。
「頑張らなくてもいいんだよ。今はまだ、ゆっくり少しずつで構わないんだ」
冷たく見えるはずの灰掛かった水色の瞳は、とても優しくオブシディアンを見下ろし、それから息子とその友人を見た。
優しい目は咎めることはないのだけれども、二人の子どもは安易に応援しようとした自分を恥じた。
(頑張ってるのに更に頑張れって、そんなの無理なのに、ね)
悲しい記憶が脳裏を掠めたコランダムの頭に、小さくたおやかな手が乗せられた。
反対側の手で、息子の頭と同じようにコランダムを撫でた女性もまた、優しい眼差しで子ども二人を見下ろしている。
「だいたい、私の名前は長いですし大仰です!そうは思いませんか?」
「素敵な名前だと思いますが、確かに長いとも思いますわ」
茶目っ気たっぷりに夫に問われ、女性はコロコロと名前にある通り、鈴を転がすように笑った。
彼女だって、自分が幼い頃は当時はまだ師であった現在の夫の名を中々いえなくて苦心したものだ。
「そういったわけで、オブシディアン君にもこう呼んで欲しいな」
そういって伝えられた愛称は、数回口の中で練習した後に難なく言葉に乗せられた。
「ウラド先生、ありがとうございます。よろしくお願いします」
未だに遠い母国で“│磔卿”などという血塗られた物騒極まりないあだ名で呼ばれる吸血鬼・ヴラディスラウスは虫も殺さないような穏やかな顔で微笑んだ。
↓以下、ヤマナシ、オチナシなバカ話↓
【台無しです、コランダム君】
ふるふる震えながら、下腹部を押さえて前屈みになってるオブシディアン。
コランダム「ディアン!ぽんぽん(おなか)痛いのっ!?なでなでしてあげようか!!」
ウラド「(頭ガシッ)やめなさい」