イケメン(幼児)と選択画面
“それ”は、物心付く前からコランダムの目の前に、ずっと浮かんでいた。
だから他のみんなも見えていると思っていたし、自分がおかしいなどとはまったく考えも付かなかったのだ。
幸いにも、コランダムがそのことを誰かにいうよりも先に好奇心に負けて、“選択”したためにこの後に周囲に知れることは免れたのだった。
「…?ろーど?」
幼児の拙い呟きに合わせ、横にあった点滅する記号が移動して文字の一つを選択する。
その文字は習いはじめたこの国の文字に似ていたが、微妙に違う見たことがないものであった。
しかしなぜか、辛うじて読めた“ろーど”という言葉が輝いた瞬間に、コランダムの脳裏に膨大な情報が流れ込んで来る。
コランダムよりずっと年上の少年たち。
場面場面を切り取ったような風景。
少年たちの一人が中央に立った、やたらとキラキラしい特別な…
「スチル…?」
一枚絵みたいなもので、差分というものはそれの背景違いや表情が微妙に違うものを指すらしいと、乙女ゲーム初心者である自分ははじめて知った。
(『はじめて知った』?そもそも“自分”って、誰?)
スチルが遠退き、それを映していた小さなテレビが“視界”に入り、真っ白な部屋が揺れたと思ったらそのまま横倒しになり。
『姉貴ーーーっ!!』
誰かの絶叫と共に、“視界”が闇に閉ざされた。
…はずなのに視界はクリアのまま、鏡に映った幼児はあどけない顔でこちら見返す。
人間ではかなり低い確率でしか現れないオッドアイ、しかもあり得ないサファイアブルーとルビーレッドの組み合わせの瞳。
垂れ目に、子どもには不似合いな色っぽい泣きボクロ。
子どもらしい丸みを帯びた頬はバラ色で、唇はぷるぷると柔らかそうなサクランボの色をしている愛くるしい幼児である。
艶やかな髪は先の少し尖った耳の横にある一部だけを片側三つ編みにしていて、色はピンクプラチナ…“稀色”と呼ばれる特殊なものだ。
瞳もそうだが天然もので、人間にあるまじきピンク掛かったプラチナの髪色を見て、『さすが乙女ゲーム。色合いがファンタジー』という呑気な感想を抱いたコランダムは硬直する。
今、自分が抱いた感想こそあり得ないものだ。
『乙女ゲーム』とやらはなんだ?ーーー少女または女性をターゲットにしたゲームのこと。
選択肢を選んで、攻略対象を落とすものをだいたいは指す。
例えとすれば、『恋降る☆ハロウィンナイト』という学園内で繰り広げられるものがある。
『恋降る☆ハロウィンナイト』は貴族社会なくせにスタートは高等部に主人公が編入してくるところからはじまるという、突っ込みどころ満載なものだ。
幼・小・中・高・大など、日本の制度が使われているのは、製作が日本の会社だからか、それともプレイヤーが世界観に親しみが持てるように設定されたからか。
(更に攻略対象が実はモンスターだとか、設定を詰め込み過ぎ…)
と、内心突っ込みを入れたコランダムは首を振って考えていたことを脳内から追い出す。
頭が痛い。
額に手を当てたら、心なしか熱い気がする。
顔を上げれば、鏡の向こう側からこちら側を伺う濡れたサファイアブルーとルビーレッド。
ゾワッと背筋を走ったのは、きっと熱だけが原因の悪寒ではないだろう。
(うひいぃぃぃっ)
内心、情けない悲鳴を上げているコランダムの眉はへにゃりと下がり、見れば細い腕にはびっしりと鳥肌が立っている。
この拒否反応には、理由がある。
幼児とはいえ、ここまで整った顔立ちはコランダムに見覚えがあった。
毎日見ていたからなどという理由ではなく、嫌悪感と共に覚えている…否、コランダムは思い出したのだ。
古くから続く貴族の血を身に宿し、初代以降から現れなかった稀色と呼ばれる髪色を持ち、生徒会副会長という学園内で高い地位を持ち、甘やかでどこか色気のある美貌。
顔だけではなく、常に上位に名が出る程に頭も良く…周囲にチヤホヤされて自分が優れた人物だと思い込む勘違い男。
そんな外面だけはいい男を慕い、憧れた彼自身の妹たちや女子生徒にその手を伸ばし毒牙に掛ける。
中途半端な時期に編入してくる爵位が低い家のヒロインは、今まで周りにいた女子生徒とは違いチヤホヤしないことを内心面白く思っていなく、自身の取り巻きを使って過剰なまでに排除しようと行動する。
ヒロインを生徒会補佐にしたのは周囲の女子生徒の嫉妬心を煽るのと、密室で彼女と彼女を慕う同じく補佐として入れたある男子生徒を嬲るためだ。
(無駄なことに才能を無駄遣いするなっつーの!!)
『無駄』と大事なことなので、コランダムは心の中で二回繰り返した。
しかも、攻略対象なので最終的にはヒロインに落ちるなんて、『アホか』と思う。
(せめて、少しでも好印象を持たれるようにしろ。会長の方が高圧的なオレ様だって、会話で見当は付くけどまだマシだ)
だが、こいつは駄目だ、生理的に受け付けない。
恋人でもない複数人に手を出したり、人を使って他人を陥れようとしたり、そのくせ陥れようとした相手を好きになったり。
(それより何より、自分がイケメンだからって何でも許されると思ってるのがムカつくし、キモいんだよーっ!!)
考えることはまだたくさんあるのに、頭がクラクラして立っていることが出来ない。
しかし、コランダムは拳を握り締めてキッと、前を見据えた。
ガラスが割れるけたたましい音に、執事は眉間に皺を寄せる。
ノックをした後、返事がないのを訝しんだ彼は│主人の子息の部屋へと踏み込んで目を丸くした。
執事のその様子は、普段の冷静沈着な姿を崩した珍しいものだったが、それに気付く者は残念ながらいない。
「いかがされたのですか?」
散らばるガラスが輝く中、流れ落ちる血をもう片方の手で押さえ付けて立ち尽くす主人の子息は、弾かれたように振り返る。
どうやら、返事がなかったのはノックに気付かなかっただけのようだ。
「手当てをいたしましょう」
手を見て、それから絨毯に付着した少量の血液に、散らばったガラスを順々に見た彼は仕える者に対するとは思えない態度で溜め息を吐いた。
絨毯は主人のものではないから気にはしないが、鏡は加工が難しいために高い。
しかもそれのせいで自分の息子が傷付いたのだから、どれ程主人が取り乱すかと考えていれば、子息の様子がおかしいことに気付く。
嫌う男によく似た美しい顔を扉の近くから見下ろし、執事は眉間に皺を寄せる。
丸みを帯びた普段は白い頬が真っ赤になっていて、宝石のようなオッドアイはまるで熱に浮かされたように潤んでいた。
いや、ふらつき出す身体は、実際に熱を帯びているのだろう。
ますます眉間の皺を深めながら、執事は子息に近付いた。
「熱が出ているようですね。ルーナ様には私から話をしておきますので、今日のところはお休みになった方がよろしいかと思います」
執事は『失礼します』とひと声掛け、自力での移動が難しそうな幼児を抱き上げようと手を伸ばしながら屈む。
しかし、その手はむずがるように身体を小刻みに振って逃れた子息のせいで空を切った。
「コランダム様?」
子息の目を改めて見た執事は、『まずい』と冷静に思った。
執事が『まずい』と思うのも無理はなく、幼児は分かり易く目を回している。
しかしそれでも自分の足で立ったまま、幼児は執事の手を再びかいくぐり何故だか錯乱状態に陥って両腕を振り回しながらけたたましく叫びはじめた。
涙目ではあるが、雫は危ういところで頬を流れ落ちることなく、ただその声は意味不明であり、まるで新種の怪獣のように│鳴き《・・》叫び、最終的にはゼンマイの切れたカラクリ人形の如くこの場で崩れ落ちる。
気絶したことによって抵抗しなくなったため、スムーズに抱き上げることに成功した執事は、珍しく首を傾げながら誰ともなしに問い掛けた。
「『イケメンホロベ』とは、なんでしょうかねぇ」