8話 兄妹
春先の肌寒くも暖かみの増してきた午後の陽気の中、一面を覆うようにしてかけられた雲のベールが青空を淡い白で塗りつぶしている。
セントペルム修練学校では一般教養をベースとして精霊や精霊使いが相手取る怪物についての知識を深めるための座学の時間と精霊を使いこなせるようになるための戦闘訓練の時間が存在する。
座学は午前中に行われ、昼食を挟んでからの今は戦闘訓練の時間に当たる。
一学年につき大体百名程の人数では場所に限りがあるため、体育館と運動場に分かれて行うことになっている。
そして週明けの月曜日、俺たちは運動場での戦闘訓練となっていた。
「それじゃあ、今からは実技の時間です。」
各十五人前後で三つの班に分けられた内の一つ、レイニル先生が指導する班はそのほとんどがエルフだ。どうやら、最初の授業で振り分けられた班が固定のようである。
今は教師を中心に距離を置いた形で、半円を描くように集まっている。
「私たちは今日から一週間、外での訓練となります。最初は主に武器を扱った技術修得の授業です。」
そう言う教師と生徒の間には剣や槍、棍棒、弓といった様々な武器が用意されている。
「愛用の武器がある場合はそちらを使ってもらっても構いません。ない場合は備品をお貸しします。」
レイニル先生は懐から小さめの用紙を取り出すと端にいる生徒にその束を渡す。
順に回ってきた束を受け取り、そこから二人分用紙を取る。
そこでふと思い出し、さらに一枚用紙を取ると、余った用紙を他の生徒へと渡す。
手元の用紙はティアとカズミに渡し、
「ありがとうございます。」
「ありがと。」
二人からの謝辞をもらう。
校長先生からの忠告に従わず、カズミが堂々とここにいるのは一重に罪悪感からだ。
先日この話をした時にカズミがひどく気落ちしてしまい、やむなくこうして普通に参加することになった。
結果的に言えば、それで良かったと言える。
カズミの服装は学校の戦闘服で、他の生徒と比べても遜色はない。その証拠に数人にちょっと尋ねられたぐらいで他の生徒は気にした風もなかった。
カズミの気持ちも晴れ、万事解決である。
改めて紙面に目を落とす。武器発注書と書かれた紙には数多くの武器の名前が載っていた。そのほとんどが今ここに置いてあるものと同じようだ。
「また、武器のない人はその紙を提出してもらえれば新しく容易することもできます。それでは早速訓練を始めて行きましょうか。」
教師が今度は足下に置かれていた赤色の帯を拾う。
「ペアで一人、この帯を取りに来てください。」
その言葉で各々の生徒が前に置いてある武器を跨いで教師の元へと集まる。
「俺が行ってくるよ。」
俺も早々に取りに行こうとティア達に一声かけて、返事を待たずに他の生徒同様に武器を跨ぐ。
教師が順に帯を生徒に渡していき、八人の生徒が受け取る。
布製の帯は五十センチ程の長さで、幅も三センチ程度と鉢巻きのようなものだ。
生徒が帯を受け取り、所定の位置へと戻ったのを確認するとレイニル先生が再び口を開く。
「それではその布を半分以上が外に出るように後ろでズボンに入れてください。」
教師の言葉に素直に従い、帯を受け取った生徒は後ろ側でズボンに帯を挟むと、生徒の半数が新たに赤い尻尾を生やした状態となった。
この年で、一人でこんなことをやれば恥ずかしくて堪らないだろうが、人数の半分も同じことをしている人がいればなんということもない。
「これから一週間はサバイバルゲームをしてもらいます。ペア対ペアの2対2で帯を取り合ってください。時間は頃合いを見てこちらから指示します。場所は一年生の寮の裏手の林になります。相手は自由に決めてもらって構いません。相手を傷つけるのはダメですよ?」
そこで一区切り付けるように手を叩く。
「それでは始めてください。」
乾いた土の上に膝をつきながら、低姿勢を維持しつつ茂みに隠れて周りの様子を伺う。
春の微風を受け、葉同士の擦れる音が鳴り響く。
高く伸びた幾つもの木が枝を延ばし天蓋を葉で覆い尽くしているせいで青空を仰ぐことはできそうにない。
それでも葉と葉の隙間から差し込む木漏れ日は空の晴れ晴れとした様子を彷彿とさせる。
茂みから顔を少し出して、辺りに人影がないことを確認するとすぐに隠れ直す。
何度目とも知れず右手に持った短剣を意識して握ると、手には慣れない感触が伝わってくる。
つい視線を下に向けて、手にしている物を確認してしまう。
握りは布で巻かれていて、両刃の刀身は鈍く光っており、使い込まれた形跡がある。大きさは包丁よりも少し大きい程度であり、長さとしてはしっくりくるがどうしても握り慣れない。
生まれて初めて武器を持たされた身としてはどうやって扱えばいいのか分からない。
こんなことなら義父さんに使い方を教わっておくべきだったなと後悔する。そう言えば、義父であるバルトが剣などを持っている姿は一度も見たことがなかった。
そんなバルトから俺は武術を教えてもらったのだが、如何せん飲み込みが悪く、上達するまでに至るには長く今でもお世辞にも上手いとは言い難い。
脱線してしまった思考を戻しながら視線を後ろへと向ける。
ティアとカズミも同様に姿勢を低くして隠れながら、すでに精霊を呼び出していた。
その中でティアだけ目を瞑り、聞き耳を立てるようにして両耳に手を添えている。
ティアにはエルフ特有の高度な聴力と風精霊を使って作り出す空気の振動から相手の居場所を突き止めてもらっているのだ。
「バキッ。」
「ッ!?」
枝の折れる音に驚き、腰を浮かしかけるが危ういところで踏みとどまる。
耳を澄ましていたティアも思わず身体を震わせる。
音のした方へと素早く目を向け、発生源を確かめる。
サバイバルゲームの相手であるガウス達に見つかったのかそれとも他のペアなのかと素早く周囲を見回すが何もない。
それでも警戒しつつ、しばらく辺りを見ていると、ティアの後ろで待機していたカズミと視線がかち合う。
どうやら原因は彼女のようで、片目を瞑りながらちょこんと舌を出してきた。
考えてもみればティアが周囲の音を探っているのだ。当然周囲に人がいれば察知できるし、今もこうして特に見つけた素振りも見せないということは近くにまだ敵はいない。
だから神経を尖らして監視する必要もないわけだが、ティアの邪魔にならないように極力物音を立てないように静かに見守っていると、無性に相手の目が気になってしまってしょうがない。
そして気も張り詰めてしまう。緊張が緩んで注意が散漫になるのも駄目だが、常時これでは気が持たない。
ティアが索敵を始めてまだ二分弱。早く見つからないかなと内心弱音を吐いているとティアが目を開ける。
「見つけました。近くにいるのは二人だけなのでたぶんそうです。」
「方向は?」
「あっちです。二人とも私たちとは逆方向に歩いています。」
ティアが指差す方を見据えながらさらに尋ねる。
「距離は分かりそう?」
「大体百メートルぐらいです。」
打てば響くような返事に嬉しさと頼もしさを感じながらふとペアがティアでよかったと実感する。
この学校の実践授業ではパートナーを組むことが前提にある。もし単身でこの学校に入学したならば学校側がペアを決めるが、入学前に申請を出せばペアを指定できるようになっている。
二人で入学を決めた俺たちは当然ペアとして申請したが、もし一人だったら見知らぬ人とこうしていたのかも知れない。
それは悪いことではない。新しく他人を知ることは自己を見直す良いきっかけにもなるだろう。
しかし、気心の知れた仲というのは心地の良いものだ。自分が相手を理解できている。相手も自分を理解してくれている。それだけで安心することができる。
「ありがとう。」
ティアの頑張りにも感謝しつつ、つい頭に手を載せて撫でてしまう。
先日の体育館でのシズネの罵倒を思い出し、反射的にティアの顔を覗くが別段嫌がっている訳ではなさそうなのでホッと息をつく。
「手筈通り戦闘は俺とカズミが、ティアには支援を頼むね。」
ティアとカズミが頷くのを確認すると早口に続ける。
「俺たちは左側から回るからティアは右から回って挟撃する形で。それじゃ行こう。」
言い終えるなり、二手に分かれて走り出す。
せっかくティアが二人の居場所を捉えてくれたのだ。見失ってしまう前に視界には捉えたい。
木々が乱立しているせいで百メートル先とは言え、見通しが悪く先が見えない。
足下の木の根に気を付けつつ、ティアが示した場所へなるべく速く移動する。
「…?」
不意に自然精霊ではない精霊、つまり固有精霊のそれも火や水、風、土といった基本属性のものではない精霊の気配を感じて止まる。
「?」
俺に合わせてカズミも止まり、首を傾げる。
「ごめん…ちょっと気になったことがあって。」
改めて五感を澄ますが、一瞬感じた獣にも似た精霊の気配はすでに消え失せ、風に乗って来た気配はすでに春風に取って代わっていた。
気のせいかとすぐに思考を戻して再び走りだそうとしたところでカズミから声がかかる。
「ミキすごいね。どうして精霊だと分かったの?」
「え?」
カズミの驚嘆混じりの言葉に素っ頓狂な声が出てしまう。
どうしてカズミは俺が気になったことについて知っているのだろうか。瞬時に今しがたの発言を顧みる。
考えはしたが確かに言葉には出していないはずだ。
不思議に思い、振り返る。
「俺そんなこと言ったっけ?」
「あれ違ったの?」
問いに問いで返されてしまった。
「いや、違うくはないけど…。」
再び自己の行動を顧みようとするがそこでカズミの言葉に引っかかる。
「えっと、結局他の人がこの近くにいるのか?」
ガウス達と対戦しているため、他のチームと鉢合わせしても困ることはないのだがどうしても焦りを含んだ声になってしまう。
もしかしてガウス達なのだろうか、思っていたよりも近い位置に居たのかもしれない。
それならこちらが見つかる前に先に相手を見つけなければならない。
そんな俺の焦燥は彼女には伝わっていないようで笑顔に聞いてくる。
「他の人かどうかは分からないけど精霊はいるみたいだよ。なんなら確認してこようか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。精霊がいるとかそんな簡単に分かるもんなのか?」
「そりゃあ私自身精霊なんだから他の精霊の気配ぐらい分かるよ。」
そうあっけらかんと言い放つカズミには何の説得力もないが、なぜか納得してしまう。
「ミキだって分かるんでしょ?」
「いや俺は何となく感じるだけで…」
「それでも並の人よりは敏感だよ。」
そう言われれば返す言葉もない。
武術は駄目だった俺に義父さんもそれはよく言っていたことだし、俺が固有精霊を使えなくともそのセンスで自然精霊を使えばいいと言われたぐらいだ。
どこまで本気かは分からないないが、自然精霊でできることはそう多くない。
固有精霊とは違って意思疎通が難しく、そのせいで精霊に指示できないことが固有精霊よりも多いためだ。
風精霊で言えば風を起こすだけでも違いが出てくる。風を起こす範囲や強さがその最たるものだ。
だが、自然精霊も決して悪い所ばかりではない。自分の身の回りの空気抵抗を減らすだけなら簡単であり、少しでも速く動けるようになる。そしてそういう比較的簡単なものは、センスにもよるが、言葉を発さずにできるようになるのもすぐだ。
まさに俺のような固有精霊を扱えない人にとっては打って付けなのだが、固有精霊を操る者からしたらその系統以外で自然精霊を扱うことはあってもその他はない。
自然精霊にも一長一短はあるが、根本的には固有精霊よりも劣ってしまうのだ。
「どうするのミキ?」
カズミに再度問われ我に返る。
「そうだった。今は無視しようガウス達を見つけるのが先だ。」
雑念を振り払い走り出す。カズミも同様に後を追ってくる。
例え気配の根源がガウス達だったとしても予定の場所よりは少しばかり離れている。
ティアとの連携も上手くできるか心配だ。
まずはティアが示した場所に着いてから、そこに彼らがいなければその時考えればいい。
俺がこうして立ち止まってしまった分、ガウス達が移動していたらティアにまた索敵をしてもらわなくてはならいない。
内心ティアに謝りながら、しばらく小走りで木々に隠れながら目的の場所へと進んでいくと、右斜めの木々の隙間から二人の男女が見えた。
木々に隠れながら見つからないように近付いていくと次第に顔もはっきりと視認できるようになる。
一人は赤髪をオールバックにして、その吊った目と口が彼に獰猛な印象を与えている。
もう一人は短髪に黒髪と精霊の影響で髪質が変わるエルフとは違い人間の女の子だ。
そして二人とも一様に両手を煌めかせている。こちらと同様すでに精霊を呼び出しているようだ。
そこでふと疑問が浮かび上がる。
自分自身そうであるから今まで気にしてはいなかったがあの二人は異常だ。
まだちゃんと聞いたことはないがここに入学しているということはやはりガウスは貴族エルフだろう。
俺たちのような他の街や村からの出身者はほとんどいない。エルフに限っては特にだ。
この街にいないエルフは功績を認められ、貴族エルフとして優遇される者達とは違い、人間達に疎まれている存在だ。
エルフ側もそうしたことを理解しているからほとんど人間達とは関わろうとしない。
だから精霊使いとして国を守る重要な任を負うことで優遇された貴族エルフ達以外がこの街に来ることはないのだ。
そしてだからこそ、彼らがペアを組んでいる理由が分からない。
単身で入学することで人間とエルフ同士がペアになることもあるかもしれないが、わざわざ違う人種と組ませることで軋轢を生じさせる可能性を高くさせることもないだろう。
それに学校側がペアを決める際は異性とペアになることはない。また、彼らは兄妹であるためどう考えても事前に申請を出したはずだ。
「どうして人間なんだろ。」
「なんのこと?」
ふと零れてしまった言葉に慌ててかぶりを振る。
「いや、なんでもない。」
カズミが首を傾げるが、すぐに前方に向き直る。
俺も合わせてガウス達の方へと向く。
視線の先では少し拓いた場所で二人が向かい合っていた。
二人とも表情は硬く、睨み合いをしているようだ。
「大体お前が悪いんだろ。やっぱりこっちじゃなかったんだよ!」
「うるさいな。相手がどこにいるかなんて分からないんだからしょうがないでしょ!」
風に流れてくる二人の大声は一様に怒りを滲ませている。
相変わらず啀み合う二人に苦笑してしまう。
「それでこれからどうするの?」
「いやどうすると言われても…」
「結局お兄ちゃんも何も案ないじゃん。」
膨れ面になりながら抗議する妹にぐうの音も出ない兄。
そこに一陣の風が吹き抜け、葉を激しく揺らす。
予め決めておいたティアからの合図だ。
「そろそろ行くぞ。」
「うん。」
カズミに呼びかけ、まずは俺から動き出す。
場所を少し移動し、なるべく二人の死角になるように位置取りをする。
ガウスの後ろで赤い帯が舞っていることも確認しつつ、ガウスを挟んだシズネの対角線上、ガウスの背後に回り込む。
握るだけならばだいぶ慣れた短剣を強く握りしめ、木陰から飛び出す。
彼我の距離は二十メートル。走破には三秒以上かかってしまうが、風の自然精霊に働きかけて少しでも空気抵抗を失くし、到達時間を短くする。
それでも長く感じられてしまう距離だが、相手は話合いに夢中だ。気がついた時にはすでに懐に飛び込めている。
全力で走り、五メートル付近にまで近付いたところでガウスが首を後ろに回し始める。
遅い。これなら混戦することなく帯に手が届く。
そう確信するが、振り返り際のガウスは、したりと薄気味悪い笑顔を浮かべていた。
それを見た瞬間怖気が走り、危うく足を止めてしまいそうになるが彼我の距離を全力で駆ける。
そして、足裏に今まで響いていた硬い土の感触ではなく泥の感触。
ついで垂直抗力の失った地面が体重に耐えられず足がわずかに沈み込む。
足を取られたことによる失速と段差によって態勢を崩すが、なんとか前方に膝と手をつき、転倒を避ける。
しかし、完全に先制はとられてしまった。
「甘いなミキ。ティアちゃんみたいに音を立てずに来なくちゃな。」
ガウスに詰め寄られ、俺の帯に手が伸びる。
失敗した。目前の敵に気を取られ過ぎていた。
恐らくシズネの仕業だ。土中の水分を一カ所に集めて待ち構えていたのだ。
相手にはティアと同じエルフもいる。風精霊の補助もあったが、何百メートルも先の音を聞き取ったのはティアだ。俺が近くに来た時に足音で気付かないはずもない。
ガウスに接近した時にはすでに気付かれていた。
そして演技で俺を誘導し、ガウスの背後に回るように仕向けた。
だが、これで終わりじゃない。俺にはカズミとティアがいる。先制を取るのは失敗したが、混戦にもつれ込むだけだ。
「うお!?」
俺の帯を奪おうと近付いたガウスの目前を火の玉が飛び去る。
驚いたガウスが数歩後ずさり距離ができたところで俺も素早く泥沼から抜け出す。
「何やってんのよ。今の取れたでしょ!」
「無茶言うなよ!俺が火だるまになるだろ。」
「それぐらい構わないわよ!」
相変わらず言い合いをする二人だがそれが終わるのを待つ義理はない。
俺が態勢を直している間に幾つもの火玉を離れた場所からカズミが打つ。
「あぶねえな。」
妹と話し合いながらでもきっちりと避け、剣帯からロングソードを抜き放つ。
「あの姉ちゃんは俺に任せろ。」
「なんで!?私、水精霊使えるんだから私の方が適任でしょ?」
「ここは水が少ないからお前役に立たないだろ。」
妹の発言を一刀両断してカズミに向かっていく兄の背を見ながら溜め息をつく。
「あのバカ兄、自分が帯持ってること忘れてるでしょ。」
そう悪態を吐きながらも、剣帯からレイピアを抜き放ち俺に対して構える。
カズミの援護のおかげで態勢を立て直すことのできた俺も体の前に短剣を構える。
シズネが毒づいたように、帯を持っているのはガウスだ。そのガウスがカズミに向っていく、つまりシズネと離れることで的は確実にガウスに絞られることとなる。
ティアとカズミが合流して二対一になれば隙を付いて奪うことも容易だろう。後は俺がいかに捕られないように立ち回るかだ。
お互い相対し、張り詰めた空気の中レイピアの切っ先を俺の喉元に向けながらシズネが問う。
「一応聞くけど、私のこと覚えてる?」
思わぬ問いに、一瞬油断させるための罠かとも思ったが、俺の返答を待っているのか微動だにしない。
その様子に俺も気を抜かず、はっきりと告げる。
「ごめん。覚えてない。」
てっきり彼女とはこの学校で初めて会ったとばかり思っていたが、彼女は俺に面識があるのか?
それなら何時だ?都入りした時に偶然会ったのか?それとも村にいた時?
いや、小さな村で子供の数も限られる。もし村で会ったことがあれば忘れるはずはない。そもそも彼女達はこの街の住民のはずだ。
ならばこの街に来た後しか考えられない。
俺に彼女と関わった記憶がないということは彼女が一方的に俺を認識していただけということもある。もしそれで、俺に初対面であんなにつんけんとしていたのなら相当に俺の振る舞いが悪かったということになってしまうが…。
「やっぱり覚えてないんだ。」
いつの間にか頭を俯かしていた彼女からでた言葉は心からの憤りだった。
「え、えっと…。」
彼女がなぜそんなに怒っているのか訳が分からず戸惑ってしまう。
「私たちがこんな目に遭ったのも、あんたとあんたの親父のせいなのに。」
「え?」
憎しみのこもったその言葉は、一瞬何を言っているのか分からなかった。
俺の親父?バルト・イグナスのことか?やはり村の子供だったのか?
いや、ガウスが貴族エルフなのはほぼ間違いない。その妹なのだからあの村にいたはずはない。
そう言えば彼女は人間だ。どうして兄はエルフなのに妹は人間なんだ?
人間とエルフの混血児ということがあるのだろうか。
「お前だけは許さない。」
怨嗟にも似た声でそう告げると俯かしていた頭を上げ迷いなく斬り込んで来る。
習熟した突きが何度も放たれて防御に徹するのがやっとだ。
短剣で受け流したりサイドステップで避ける。身体のすぐ側を鋭利な刃物が掠めていく。
彼女の怒りに任せた、それでいて鍛練された突き捌きに手も足も出ない。
これではじり貧だ。いつか必ずぼろが出てしまう。
そう考えた矢先、浅めの突きに反応してしまいバックステップで回避してしまう。
「しまっ…!」
その機を逃さず、シズネが後足を前足まで引きつけさらに前進してくる。
伸ばされたままの腕がさらに距離を伸ばし開いた距離が急速に縮まる。
何の迷いもなく撃たれた細い切っ先は寸分違わず俺の喉元を狙っている。
突き刺されることを覚悟したが、再び足下が掬われ、抗うことなくそれに身を委ねて背中から泥沼に倒れ込む。
危ういところでレイピアが目前を通り過ぎていく。
シズネの舌打ちとともに泥沼に倒れ込んだ俺は素早く起き上がろうとするが、すぐにレイピアの切っ先を突き付けられて身動きが取れなくなってしまう。
そのままシズネに右手を蹴られ、その衝撃で得物まで手放してしまう。
すでに我を失っているシズネを前に息を飲む。
ここで殺されてしまうのか。そんな想像をしてしまい思わず目を瞑るが顔に水滴が落ちてくる。
ゆっくりと目を開き、ついで彼女の顔を見て目を疑ってしまう。
泣いていた。
俺と同じ黒髪と黒い瞳をした女の子が俺と視線を交錯させていた。
目には次から次へと涙が溢れ出し俺の顔に落ちてくる。
「謝って。」
涙声で発せられた言葉は揺れていた。
「どうして?」
「謝って!」
彼女の行為が全く分からない。
「理由が分からなきゃ無理だよ。」
「いいから謝ってよ!」
死ぬのは嫌だ。謝って見逃してくれるなら大いに謝る。しかし、彼女の発する言葉には何か大きな理由が隠されている。今までの彼女の発言や行動がその証拠だ。彼女にとってはそんなにも必死になるほど大事なことなのだ。
それなのにその理由を知らずに謝ることが正しいとは絶対に思えないし、俺自身したくない。
「俺、なにかしたのか?」
真っ直ぐに彼女の目を見ながら問う。
「お前のせいでお母さんもお姉ちゃんも死んだ。」
静かに語る声とは裏腹に表情はどこまでも俺を恨んでいる。
「お前の父親、広瀬圭一のせいで!」
「ひろせ?何を…俺の父さんはバルトさんで…」
「違う!お前の父親なんかと再婚しなければ私達は…」
広瀬圭一?再婚?話が全く掴めない。
「あの日、事故に遭ったのはお前のせいなんだ!」
その張り裂けそうな彼女の心からの叫びによって走馬灯のように記憶が脳に駆け巡る。
事故。そうだ…俺は昔事故にあったんだ。
ショックのせいかまだ判然としないが確かに車の転落事故に遭った。
大雨の降る中、帰宅途中だった俺たちは対向車を避けきれず、崖から転落してしまった。
確か運転席と助手席には大人の男女二人が座っていた。後部座席には子供が4人。
その内の一人は俺だった。じゃあ彼女が言う通りならその内の一人は彼女で他の子は…。
「もういい。」
「?」
ふいにシズネから声がかかる。
さっきまでとは打って変わって別人のような声音。
冷淡なその声から彼女が何をしようとしているかは簡単に想像がつく。
そしてその想像通りの言葉が彼女の口から発せられる。
「死んで。」
引き絞られたレイピアのギラつきが目に映り、今度こそ死を覚悟する。
しかし、今度も何かによって邪魔される。
「シズネお姉ちゃんやめて!」
一瞬でシズネの側に現れた子供が、シズネに抱きつく。
その衝撃で手からはレイピアが零れ落ち、二人揃って地面に倒れ込む。
「なにすんのよ!そいつを殺せば全て終わるのに。」
「落ち着いてよ、お姉ちゃん!そんなことしても何も変わらないよ!」
「うるさい。あんただってあいつと同じよ!あんたのせいで私達は…」
突如現れたライトブルーの髪を二つに結った少女は、矛先を変えて怒りだすシズネを前に手をふりかざす。
そして振り下ろされた手は言葉の続きを頬を打つ高い音によって遮った。
「そうかもしれない。けど、私たちだってお父さんがあなたのお母さんと再婚しなければあんなことにはならなかった!」
痛みに耐えるようなしかし毅然とした口調でそう言い放つ。
「こんな言い合い、何の意味もないよ…。」
その痛切な彼女の言葉に、激情に任せて発してしまった自分の言葉を後悔する。
「…ごめん。」
「少しは落ち着いた?」
「うん…。」
その返事を聞いた彼女はいつも無表情な顔にほんの少し微笑を浮かべて消え去る。
体の上にあった子供一人分の重さも消え、ゆっくりと立ち上がる。
すでに立ち上がっていた彼とは目も合わせず、レイピアを拾いに行く。
「シズネ。まだはっきりとじゃないけど思い出した。どうして今まで覚えてなかったのかも分からない。だけど…」
「わりぃ、シズネ。尻尾捕られちまった。」
「やったねミキ!私たちの勝ちだよ。」
「そちらは大丈夫でしたか?」
ミキの言葉を遮り、林の方から言葉とともに三人が現れる。
言葉は落ち込んでいるものの、何故か弾んだ声のガウスに、右手に赤い帯を握りしめて掲げるカズミ。
ガウスだけは服に所々焦げ跡があるが目立った外傷はなさそうだ。
最後に林から姿を現したティアも特に目立った傷はなかった。
「あれ?ミキ泥だらけじゃん。」
「ほんとです。どこかで洗わないと。」
そう言いながらミキに駆け寄っていく二人に反してガウスはこちらに歩み寄ってくる。
「いや〜ティアちゃんがいることすっかり忘れてたぜ。二対一にしては奮戦した方だとおもうんだがなあ。」
そう清々しく言う兄に鼻を鳴らす。
「何がいること忘れてたぜ、よ。遭遇した時に思いっきり名前言ってたじゃない。」
「あれ?そうだったか?まあ細かいことはいいだろ。」
そのばっさりした性格は外見通りで付き合っているこっちが馬鹿らしくなってくる。
「そうね、このバカ兄貴。」
「こいつ!」
転がったレイピアを拾いつつ、悪態を吐くとすぐさま側まで来て拳を振り上げられる。
「うっ…。」
叩かれるのかと思い、思わず目を瞑るが、頭には拳骨ではなく優しく手の平が載せられる。
「ミキとはちゃんと話せたか?」
「…。」
ガウスには言っていないことがある。
自分の精霊が生物精霊であることやあのミキと知り合い、元家族であること。
本人も隠されていることがあることぐらいは勘付いているだろう。
しかし、そのことについて聞いてくることもないし話題にすることもない。が、手は出してくる。
どうしてばれたのかは分からないが、ミキと初対面で仲良くなった理由もたぶん私だ。
そしてたぶん今日も。
狙ったかは不明だが、結果的にはそういうことだろう。
そんな不器用な気の回し方も彼、兄らしいと思う。
「そんなのどうでもいいでしょ。まったく、最初に泥に嵌めた時に奪ってれば勝てたんだからね!」
頭に置かれた手を払いのける。
「そうだな。今回は俺が悪かった。だからごめんって言ってるだろ〜。」
「うわ!?来ないでよ焦げ臭い。」
「たまには良いだろ〜。昔はいっぱいしてくれたのに〜。」
「その言い方やめてよね!泡沫よ浮上しろ。」
「それは…うお!?」
抱きついて来ようとするガウスを避けながら、執拗に追い回してくるガウスの足下を泥沼に変える。
「いい年こいて妹にハグ求めるから悪いんだからね。」
「くそ〜。前はもっといい子だったのにいつからこんな…。」
「うるさいバカ兄。」
泥だらけの兄に少し罪悪感をおぼえるが、懲りない兄にはこれぐらいで充分だ。