7話 家族
バルム国の首都セントペルム。国の中心に位置する都市ということもあり、流通の中枢ともなっている。
俺たちのいた村では建築物の多くが木造建築であり風情があったが、この街の多くはレンガ造りでできているためか都市の威厳のようなものがある。
休日の午後でもある大通りには多くの人が行き交っている。
「へぇ。ここがこの国の首都か〜。」
「人もいっぱいですね。」
俺の提案により急遽訪れることとなった街に二人は各々の感想を零した。
カズミとティアの言葉に釣られて俺も周りを見渡す。都入りの際、学校への道中で一度は見たことのある景色のはずだが全く記憶にない。
左右正面には所狭しとお店の看板が掲げてあったり、露店を出している人の客を呼び込む声が響いたりと活気がある。
そんな中、修練学校の制服を着た俺たちは特に目的もなく歩いていた。
俺の右腕にはずしりとした重みと左手には女の子らしい小さな手が握られている。
「そろそろ離さないか?」
周りの目を気にしながら言う何度目かの催促に俺の右腕に抱きつく形となっているカズミが口を尖らせる。
「いいじゃん別に。デートでしょ?」
「そんなわけないだろ。ただの散歩だよ。」
ただでさえ近い距離をさらに詰めてくるカズミを制止ながらすぐさま否定の意を表す。
「もう。ミキはそんなに私のこと嫌いなの?」
些か腹立たしさと不安の混じった声で訊いてくるカズミ。
どうしても彼女の顔が近くにきてしまい、どうも視線が合わせ辛くなる。
「そう言うことじゃないけど…。ティアも何か言ってくれよ。」
逃げるようして、俺の左手を握っているティアに助けを求めるが、
「カズミが離れるまで離しません。」
そう頑なに言うティアを前にして嘆息してしまう。
学校を出るなり現れたカズミに右腕を掴まれたと思いきや横を歩いていたティアはずるいと言わんばかりに頬を膨らませた。
さすがにカズミのような大胆な振る舞いはできないのか俺の左手を握るに留まったが、左右非対称なその光景はどこか不恰好に感じる。
だからと言って、ティアにも同じことをしてほしい訳ではなく、異性である俺としては二人に挟まれるようにして歩く様が精神的に穏やかではない。
「女の子同士二人揃って歩けばいいのに…。」
そう呟いた俺に構わずカズミは気色ばんだ声を上げる。
「ねぇねぇ。そろそろあそこでお昼にしようよ。」
前方のお店を指差すと有無を言わさず歩き出す。
「うお!?」
急に手を引っ張られて躓きそうになるのを堪えてカズミの後を追う。
ティアもそんな俺に引っ張られるように追随する。
カズミに無理矢理目的地にさせられたお店はカフェテラスを擁していて、歩道に面していくつかテーブルと席が用意されていた。
いくつかテーブルがある内のひとつを陣取り、一息つく。
「疲れた…。」
そんなだらしない台詞とともに椅子に深くもたれる。
散歩しかしていないはずだがすでに疲労困憊だ。
その理由は簡単。同じテーブルを囲み座る二人、その中でも俺の固有精霊であり、姉であるらしいカズミのせいだ。
彼女が俺の腕に抱きついてきたおかげで彼女の豊満な胸が腕に当たったり、朝風呂に入ったせいかシャンプーの良い匂いがしたりと俺は気が気じゃなかった。
村に居た頃も特に他の女の子を意識したこともなかったし、身近の女の子と言えばティアしかいなかった。
それに限っても俺はティアを家族同然に思っているし、特に異性として意識したことはほとんどない。つまりは女子と接することに不慣れなのだ。
そんな俺は散歩するにも他人の目が気になり、神経をすり減らしっぱなしだった。
その状況を打破するべく唯一頼りにしていたティアはと言うと、いつもは落ち着き払った行動を取るのになぜかカズミに対抗心を燃やしているようで、どうにもすることができなかった。
「…。」
俺のそんな苦悩を露知らず、すでに注文を終わらせた二人は、未だメニューを眺めて何やら楽しそうに話している。
そんな二人を遠い目で眺めつつ、ふと今日の夢を思い出す。
朧げな夢を思い出しながら、己の記憶の水底へと埋没していく。
脳裏に浮かぶのは顔を血で汚しながらこちらを向く女の子の姿。
霞がかった記憶のせいか顔は判然としないが、なぜか笑顔なのだと直感的に感じる。
そんな彼女の表情とは正反対に俺の心の中は悲愴な気持ちに支配されていく。
なぜ悲しいのかも靄にかかってしまい薄らとしか分からない。
そんな悲痛な思いにどれだけ捕われていたか、いつの間にか俺は真っ青な空の下、草地の上に寝転がっていた。
さっきまでの暗い気色とは一転、周りは木に囲まれ鳥たちのさえずる音、春を感じさせる暖かい風、陽光の眩しい光に包まれる。
そこからの記憶は多少色づき始め、夢というよりは過去を顧みているような気さえする。
しばらくすると、女の子が現れて俺に何事かを告げてくる。
今になってはそれがティアだと確信を持って言えるが、その時理解できていたかは定かではない。
「ミキ……たの?」
すでに夢は現実にあった過去のような明瞭としたものへと変わっていく。
しばらくして、女の子を追うようにして近付いてきた偉丈夫の男性が何事かを発し、ついで両手に緑色の炎を燃やす。
俺の頭を軽く掴めてしまうような大きい右手は俺の頭の上に載せられ、纏っていた炎は髪に燃え移ることなく頭の中に染み込むようにして消えていく。
次いで理解できなかった彼らの言葉は鼓膜に微妙な違和感を伝えてきながらも、自分の知っている言葉が聞こえてくる。
「ミキどうしたの?」
「え…?」
上の空となっていた俺は不意な言葉により我に返る。
気がつくと先程まで談笑していた二人が訝しげにこちらを見ていた。
「え?じゃないわよ。どうしたのそんなに遠い目して。」
「いや……ちょっと考え事をね。」
そう曖昧な言葉で濁すとカズミは呆れたようにひと呼吸。
「まぁいいけど…。早く食べましょ。」
そう言うカズミに合わせてテーブルに視線を落とすと、すでにサンドイッチと飲み物が用意されていた。
どうやら物思いに耽り過ぎていたらしい。
思い出したように空腹感にも襲われ、サンドイッチを片手に取る。
口に卵サンドを運び、それを嚥下する。
何度かそれを繰り返しふと思い出す。
「そういえば、カズミに聞きたいことがあるんだけど。」
「ん?にゃに?」
俺の不意な言葉に咀嚼しながらのカズミの声が返ってくる。
そんな様に苦笑しつつ、
「ごめんごめん。食べてからでいいよ。」
些か配慮の欠片もなかったと自覚し昼食が終わった後に話をしようと思い俺も再び食事を口に運ぶ。
「…それで何?」
同じ卵サンドをアップルティーで飲み下した後、カズミが先程の話を促してくる。
不意な言葉に今度は俺が咳き込んでしまう。
「その話は食べてからでいいよ…。」
「うん。だから食べ終わったよ?」
そう言い返すカズミの前に置いてある皿にはまだ食べかけのと手が付けられていないサンドイッチが一つ載っている。
「でもまだ残って…。」
そう言いかけたところで自分の愚かさに気付く。
そっか…カズミは自分が今食べているものだと思ったのか。
自分の言葉の足りなさに頭を悩ませながら同時に今日は疲れているのかなと頭の片隅でその原因を追及しながら話を続けることにした。
「フリード校長の話にもあったけど、カズミって姿消せるのか?」
今朝、俺たちはカズミのことについて校長室に訪れた後、一時的に寮に戻り外出のために支度をしていた。
カズミはティアと一緒に部屋に入って行ったと思えば部屋から出てきたのはティアだけだった。それから修練学校を出るなり突然側に現れてきたのだ。
その疑問を解消すべく発した俺の問いにさもありなんと首を縦に振る。
「そうだよ?詳しくは私もなんとも言えないんだけど…ティアちゃんのシルフィーちゃんとかと同じかな。普段は目に見えてないけどいつも近くにいて呼べば出てきてくれるみたいな?」
「なんかその言い方だと胡散臭く感じるな。」
俺のそんな気持ちを素直に告げると、心外だと言わんばかりに頬を膨らませる。
「なんでそんなに疑心暗鬼なのよ!」
「じょ、冗談だって。じゃあ学校で姿を見せないこともできるんだよな?」
「できないことはないけど…って私、姿見せちゃいけないの!?」
未だ冷めやらぬ思いにさらに驚きの色が加わる。
「校長も冗談めかしで言ってたけど、あんまりトラブルに巻き込まれるのは嫌だからな。だからカズミには悪いけど…」
そう続ける俺に沈鬱な表情を浮かべるカズミ。
「そんなの嫌だよ…やっとミキと話せるようになったのに…。」
独り言のようにそう呟いた彼女に哀愁を感じ、なぜか胸が苦しくなってしまう。
二の句が継げなくなり押し黙る。
「……。」
奇妙な沈黙が続き、カズミがそれを払うようにして笑顔を取り繕う。
「なんてね…冗談だよ。私みたいなお姉ちゃんがいたらみんな放っておかないもんね。」
うんうん。と自ら相槌を打ちながら早口に捲し立てる。
そんな彼女を前に何を言うべきか探せないでいると、今まで話の流れを見守っていたティアが割って入る。
「そういえば、カズミちゃんは火の精霊を使えるんだよね?」
「え…?う、うんそう。ティアちゃんよりお姉ちゃん強いぞ?」
ティアの何気ない助け舟に乗っかるようにして話題が切り替わる。
その後はティアがカズミの話し相手に変わり、カズミも多少ぎこちないが普段通りの明るい彼女に戻る。
そんな二人を眺めつつ、俺はひと呼吸置いてカップに口をつける。
甘いはずのミルクティーは心なしか苦く感じた。
昼食を食べ終えた俺たちはその後も街をぶらつきカズミを先頭に服屋やアクセサリー店など色々な店に出入りした。
ひとつ、ティアがエルフであることに学校での一件以来、一抹の不安を感じていた俺は、しかし思ったよりも街の人々がエルフを気にしていないことに少々腰を抜かした。
街では、貴族エルフが混在している故、かつ俺たちが制服を着ているせいもあってか特に奇異に見られなかったというのもあるかもしれないが、そうとも言えない違和感があった。
街の人はエルフを当たり前の物として受け入れてるのではなく、むしろその逆。異物の物であるから目に入らない。意図せず意識していない感じだ。
それは無関心であることに近く、違う種族の生き物が共存しているとは程遠いものに俺は感じた。
好きの反対は無関心とよく言うが、あながち間違ってはいないのかもしれない。
そうして日暮れまで街の景色や店を堪能した俺たちは寮まで帰ってきていた。
「よっこらせっと。」
リビングに置いてあるテーブルに買ってきた荷物を載せる。
「お疲れ様!」
隣に現れたカズミからそう労いの言葉を貰う。
「全くどうしてこんなにも買ったんだよ…。」
溜め息を零しながらテーブルに置かれたいくつもの袋を見やる。
その中身のほとんどが洋服であり、すべてティアとカズミのものだ。
「いいでしょ。女の子は見た目に気を遣うんだから。」
「そう言えばカズミは制服姿だけどティアに借りたのか?」
朝校長室に訪れて以来、ずっとこの学校の制服姿だった彼女に改めて疑問を投げつける。
「違うよ。」
「じゃあどうして制服着てるんだ?」
「服も実体化するときに一緒に作れるの。」
そうあっけらかんと言ってのけるカズミに開いた口が塞がらない。
「それじゃあこんなに服買わなくてもよかったんじゃないか?」
「だからお洒落したいお年頃なんだってば。ミキ全然分かってないな〜。」
そう言うカズミを前に寮に着くまで一人で持たされた荷物の重さが今になって再び深くのしかかる。
「だから自分の好きなように服作ればいいんじゃ…」
「それじゃあ好みが偏っちゃうじゃない。」
重たい荷物を持たされた俺はどうしても納得いかなかったが、どうやら俺の考えが間違っているらしい。
反論したいことこの上ないが、すでに気力の尽きた俺はカズミの意見を尊重し、おとなしく引き下がることにした。
「じゃあ後はこれをティアの部屋に運んで置いてもらえるか?俺もティアの晩飯作り手伝ってくるから。」
疲れ切った声でそう言うと、カズミは気のいい返事を残して服を持って行く。
その後ろ姿にふと昼食を終えてからずっと考えていたことを口にする。
「なあ。昼の話だけど…。」
「姿は見せないんでしょ?」
俺の言葉に振り返り、分かっていると頷くカズミ。
声は毅然としているが浮かない表情だ。
「そのことなんだけど…実技の時間なら…」
「いいの!?」
言い切る前に驚きの声を上げ、一転して笑顔になるカズミに少し驚きつつ頷く。
昼食の後もずっと考えていたことだ。
校長の言うように厄介事には巻き込まれたくはないが、カズミの見せた寂し気な表情にも心を動かされてしまった。
それに生物精霊はいないわけではないらしいしそこまで思い詰める必要はないかもしれない。
結局二つを天秤にかけた結果、カズミの気持ちを尊重することにした。
「もう今更駄目だって言っても駄目だからね。」
すっかり笑顔に戻ったカズミはそう言い残すと足も軽く荷物を部屋へと持っていく。その背を見ながら俺も安堵する。
これだけでも充分意義はあったと思い、俺も昼間よりも幾分か軽くなった足取りでキッチンへと赴いた。
台所では既にティアが調理をしていた。
「今夜はお鍋にしました。」
私服に着替えてエプロンを着けた彼女がこちらを向く。鍋の中ではだしをとっている最中で切り分けられた野菜やお肉がすでに用意されていた。
ほとんど下ごしらえは終わっているようで俺の出る幕はほとんどなさそうだ。
「そっか、ありがとう。まだ手伝うことある?」
それでも何か手伝うことはあるかと尋ねる俺にティアは鍋に具材を入れながら答える。
「それじゃあ、食器の用意をお願いします。」
「了解。」
食器棚に手を伸ばし人数分の食器をトレイに載せる。
キッチンを後にし、リビングに置いてあるテーブルを目指す。
既にテーブルの上には買い物袋の類いは消えており、カズミの姿もない。
まだティアの部屋で買ってきた物の整理をしているのだろう。手早く食器をテーブルに並べる。
「そう言えば椅子が足りないな…」
備え付けの椅子は二つなのでカズミの分がない。
「まぁ俺の部屋にある椅子を持ってくればいいか。」
デスクに備え付けの一脚を持ってくることにした俺は自分の部屋に向かう途中、ノックの音がして立ち止まる。
「ミキいるか?一緒に飯食いに行こうぜ。」
その聞き覚えのある声に返事しながら戸口へと向かう。
「ああ。居るよ。」
ガチャと施錠を解き、開く。
扉の前には、髪をオールバックにして相変わらずの口角を上げた野性味を帯びた表情のガウスと俺と顔を合わせる気がないのかそっぽを向くシズネがいた。
「ようミキ。今日も食堂で飯食おうぜ。」
そう笑顔に言うガウスだが突然鼻をひくつかせる。
「ん…?なんか良い匂いするな!?」
「ああ…。今ティアが鍋作ってるんだよ。」
補足するよう付け足す俺にガウスが目の色を変える。
「まじか!?ティアさんの手料理なのか?」
「あ、ああ…そうだけど…。」
あまりの変貌に戸惑う俺を余所に詰め寄ってくるガウス。
「なら俺らも一緒に晩飯ごちそうになってもいいか?」
「いいと思うぞ…?今日は食材も買い込みすぎたからな…」
服同様、三人しかいないのにこれまたたくさん食材を買ってきた__こちらもカズミが明日も使えばいいじゃんと言ったせいだが__おかげでさらに重くなってしまったことは言うまでもないことだ。
「やったぜ!それじゃ早速お邪魔します。」
俺を掻き分けて部屋の中へと突撃していくガウスを見やりながら苦笑する。
後ろでは取り残された妹のシズネが所在無さげに立っている。
片手で頭の後ろを掻きながらどうしたものかと逡巡した結果、
「…どうぞ。」
言いながら道をあける。
「…。」
しばらく無言だった彼女はこちらに視線を向けるとあまり気乗りしないような表情で律儀に頭を下げる。
「お邪魔します。」
「はい。」
そんな彼女の態度にこちらまで気を張り詰めてしまう。
靴を脱ぎ、彼女がリビングに向かうのを確認するとゆっくりと扉を閉める。
「はぁ。」
緊張の糸が切れたようにひとつ息を吐く。
どうしてあの子は俺のことを毛嫌いしているのだろうか…?全く心当たりがなくつい考え込んでしまう。と、丁度その時、素っ頓狂な声が響く。
「うお!?あんた誰?」
声の主はもちろんガウスに決まっているが…
「ん?ガウスが知らない奴なんてこの部屋に居たかな。」
そしてしばし黙考。
今リビングに向かったのはシズネであり、実の妹に向かってその言葉はないだろう。
それではティアだろうか…。たしかにいつもと違って制服を着替えて今は私服にエプロンを着けているが、それでも見間違えることはないだろう。とすれば後は…。
そこでようやっと確信に至った俺は慌てて駆け出す。
「きゃああ!」
パチンと悲鳴の後に軽快な音が重なる。
遅まきながら現場に着いた俺は、胸中で今日何度目かの溜め息を零さずにはいられなかった。
「ティアさんのご飯美味しいな……まだ痛い…。」
「見慣れない人がいてつい…すみません。」
頬を擦りながらどちらに対してなのか涙を流すガウス。
そんな悲壮な姿となった彼にカズミは素直に謝罪する。
「いや、俺が急に押し掛けたのが悪かったよ…。」
「当然でしょ。」
こちらに非があると言う兄に身も蓋もなく追撃をかますシズネ。
「ティアちゃんお鍋美味しいよ。」
「ありがとうシズネちゃん。」
「よく自炊するの?大変じゃない?」
「うん。ミキも手伝ってくれるからそんなに大変じゃないよ。」
「ふ〜ん。ねえねえ今度料理の仕方教えてもらえる?」
「私で良ければいつでも。」
「ホント?ありがとう!」
椅子に座りながらテーブルの鍋を囲む二人はどうやら気が合う仲のようでとても楽しそうだ。
一方、少し距離を取ったところで地べたに座りながら俺の部屋から持ってきた座卓で鍋を囲む俺たちはすでにお通夜状態と化してしまっている。
「大勢で食べてるのになぜこんなに寂しい食事なんだ…。」
しばらくの無言を破ったのはガウスだった。
たしかにテーブルを囲んでいるティアとシズネに比べてこちらは三人、カズミとガウスと俺がいるにも関わらず物静かだ。
ガウスは自分の立場の悪さ故かいつものような快活さは薄く、カズミもなぜか黙りを決めている。
そんな二人を前にして何か気の利いた話ができるはずもなく俺も沈黙を通していたのだが、
「ガウスさんごめんなさい。私の部屋から椅子を持ってきても4脚にしかならなくて…。やっぱり私たちがそちらで食べましょうか?」
申し訳なさそうに言うティアにシズネが反応する。
「ティアちゃんが謝る必要なんてないよ。すべてこのダメ兄貴がいけないんだから。」
「誰がダメ兄貴だよ。お前ももっとティアさんみたいに料理が上手ければ…。」
文句を言いながら鍋から白菜を取ろうと身を乗り出すガウス。
そんな兄の言葉にシズネは重ねるようにして言葉を発し、ついで箸を持った右手で人差し指をわずかに折る。
「余計なお世話よ!」
「ガウス危ない…。」
言葉と同時に水精霊の動きを感じた俺は咄嗟に注意を促すが当然間に合うはずもなく。
「え?…熱ッ!」
不自然にはねた少量の熱湯がガウスの顔にかかる。
慌てて袖で拭き取るが左頬は心無しか赤くなっている。
「よくもやったなシズネ!」
「なんで私なのよ。もしかしたらティアちゃんの片割れかもしれないでしょ。」
立ち上がり、詰め寄ってくる兄に対して白菜を口に運びながら飄々とした態度で応じる。
「今の流れからしてお前以外にあんなことやる奴いないだろ。」
「分かんないよ?間が差してやっちゃったのかも。」
「そんな訳あるかよ。」
そんな妹の態度が許せないのか両頬をつまみ引っ張る。
「にゃにひゅんのよ!」
「お前がわりゅいんだりょうが。」
兄に負けじと頬を引っぱり返すシズネ。そんな二人を傍から眺めながら仲が良いのか悪いのかと思いつつ、ティアに視線を向けると同じことを考えていたのか苦笑いが返ってくる。
そんなティアに俺も苦笑を返すことしかできなかった。
食事後シズネがティアとお風呂に入ると言い出したため片付けを早々に終わらせた俺は自室に戻っていた。
「お前が羨ましいぜ。」
俺のベッドに座りながらぼそりと呟いたガウスに何となく理由を察してはいたがそれでも聞き返す。
「どうしてだよ?」
「決まってるだろ。ティアちゃんみたいな可愛い妹がいるからに決まって…そういえばティアちゃんって姉か妹どっちなんだ?包容力のある姉かそれとも兄に従順な妹か…どちらもありだな!」
想像通りの答えに呆れつつ後半から独り言に近くなってきたガウスは放っておくことにして、地べたに座っている俺は同じく床に座っているカズミへと話相手を変更する。
俺の後ろに座っていたカズミは茫然と自分の髪を弄っていた。
綺麗に流れた赤髪はその先を指で絡めとられては解ける。
視線を感じたのか手を止め、俯いていた顔が上がる。
「どうしたの?」
「ガウスが手に負えなくて。」
お手上げだと言う風にガウスに目を向ける。
俺たちの話には耳を傾けていなかったのか首を傾げていたカズミだがすぐに得心する。
「悪さをしたら怒ってくれるが最後には優しく頭を撫でてくれる姉!無茶を繰り返す兄貴を見過ごせずいつも兄の後を追って心配してくれる妹…」
カズミの視線の先では、自分の世界に没入したのかベッドに立ちながら大声で独り言を繰り返すガウスがいた。
「確かにあれはどうしようもないね。」
苦笑するカズミに頷くことしかできない。
「カズミは一緒に風呂入らないのか?」
「ミキと一緒に?」
何の気なしに尋ねた問いに真顔でそう答えるカズミ。
その言葉にしばらく絶句し、つい朝から目の奥に焼き付いてしまった彼女の露出された白い肌が脳裏に浮かぶ。
「冗談だよ。」
そう言って額を指で小突かれる。
「そ、そんなこと知ってるよ。」
「嘘ついちゃダメだよ?ミキが何考えているか分かってるんだからね。」
言葉に動揺を隠しきれなかったのかカズミに疑われてしまった。
下手に発言すると墓穴を掘りそうな気がして黙りこんでしまう。
「ミキの精霊なんだからミキの考えてることは全てお見通しだよ。」
その言葉に再び絶句。そして彼女の姿が再び思い浮かぶが今度こそ頭を振り雑念を払う。
「そ、そんなわけ…。」
ないとも言えない。実際に精霊とは意思による疎通を完全にできるようなればなるほど言葉による疎通が必要なくなる。
意思疎通ができるようになることは精霊使いとしての大事な能力の一つであり、故にカズミの言葉は道理に適っているわけで…。
「でも俺はカズミの考えてることはわからない…。」
「それはミキが分かろうとしないからだよ。」
「そ、それは。」
当然だ。今日から急に俺の精霊となった彼女の気持ちをそう易々と分かるはずもない。
そう決めつけている時点で彼女の言葉通り分かろうとしていないということなのかもしれないが。
必死に反論しようとするが言葉が見つからない。今度こそ取り繕えない程慌てる俺に対してカズミは邪気のある笑みを浮かべる。
「冗談。まったくミキはかわいいなあ。よしよし。」
俺に抱きつき頬擦りをしてくる。右手は頭に載せられ何度も撫でられる。
騙された。どこまで真実か分からないがとりあえず言えることは一つ。思いっきりからかわれてしまった。
「…。」
為す術無くされるがままとなっていた俺の耳にガウスの怨嗟にも似た声が響く。
「やはりお前だけは許せん!己が魂を持って償え!」
そう言って右手を振りかぶるなり身動きの取れない俺を相手に手刀を振り下ろす。
咄嗟にカズミは頭を撫でていた手を引っ込めるがそのおかげで頭頂部にガウスの一撃がヒットする。
「…ッ。」
頭部に多少の鈍痛が走り、思わず手で抑える。
「おい地味に痛っかったぞ。」
「手加減無用だ!」
何が起きたのか分からず振り返ると、もう一発右手を振り下ろさんと構えるガウスがそこにいた。
ぎりぎりのところでその振り下ろしから逃れて立ち上がる。
手刀を空振りしたガウスもすぐに体勢を立て直しこちらに向き直る。
大して大きさのない部屋で逃げ回れるはずはなく対峙する形となってしまう。
「これで勝負あったな。」
どこか勝ち誇った顔でガウス。
「勝負もなにも一方的だったじゃないか。」
「うるさい。覚悟!」
溜め息混じりに吐いた俺には見向きもせず、右拳を握り込む。
裂帛の気合いとともに止めをささんと拳を構えたガウスに次の瞬間鳴り響いたのは俺の顔に拳がめり込む音でも俺がその痛さで漏らす苦痛の声でもなく、
「…ッ!?。」
ガウスの声なき悲痛な叫びだった。
「痛って〜!誰だこのヤロウ!」
ガウスの背後。部屋の出入り口にいたのは両手で木製の椅子の脚を握った制服姿のシズネとワンピースを着たティアだった。
「お前かシズネ!そんなもんで叩いたら死ぬだろうが!」
「お兄ちゃんなら大丈夫だよ石頭だもん。」
後頭部を擦りながら糾弾する兄に笑顔で返すシズネは言葉とは裏腹に再度椅子を振りかぶる。
「…申し訳ありませんでした。」
「まったく、何けんかしてんのよ。」
「これはけんかではなくただのじゃれ合いで……いえ俺が悪かったです。」
いつも通りのつんけんとした態度に戻ったシズネに言い訳する兄だが再び椅子が凶器へと転じる一歩手前で自分の非を認める。
「これ、ありがとうございました。」
「あ、いえ。どうもご丁寧に。」
渡されたのはティア、シズネ、カズミと俺、ガウスという食卓の配置を考えていた俺が自分の部屋から一脚持っていったのだが、カズミが座卓で一緒に食べたものだから意味がなくなってしまった椅子だ。
すっかり戻すのを忘れていたがどうやら律儀に持って来てくれたようだ。
「お兄、帰ろう。」
シズネは俺に椅子を渡すと用は済んだとばかりに部屋を出て行く。その後をガウスも渋々着いて行き、俺たちも玄関まで一緒に行く。
「ティアちゃん今日はありがとうね。」
「こっちこそいつもより楽しかったよ。」
互いにお休みと一言付け足し、別れる。
扉を閉めてリビングに戻るとホッと一息。
「今日はなんだかんだで疲れたな…。」
「そうですね。ガウスさんとシズネちゃんはとっても仲良しでした。」
「ははは。そうだね…。」
そうニコニコしながら言うティアに乾いた笑いを浮かべる。
「私たちもそろそろ寝ましょうか。」
「俺は風呂入ってくるから先に寝てていいよ。」
「分かりました。おやすみなさい。」
そう言うとカズミの手を握り自室に入ろうとする。
「ちょっと、ティアちゃん!?私はミキと…。」
「カズミちゃんは私の部屋を貸してあげます。」
有無を言わさず引っ張るティアに負け、ずるずると部屋に引き込まれていく。
「そ、そうだ!私もまだお風呂に入ってなかったんだった。」
「それじゃあ後で私が付き合ってあげます。」
そんなあ。とカズミの嘆声を残しながらドアが閉まり、それを見届けるなりポツリと呟く。
「ありがとうティア…。」
内心気にしていたこと。就寝時にカズミをどうするかが悩みの種の一つでもあった。彼女の今までの言動を見る限り俺の部屋に留まると言い出すのではないかと危惧していた故、部屋を放棄してリビングで寝ることも一考していたが心配無用だったらしい。
それを察してくれていたのかティアは何も言わずカズミを連れて行ってくれた。
そんな彼女に感謝しながら疲れきったお俺は早々に風呂に入り、床に就いた。
カーテンを掛けている部屋の中は暗いが隙間から差し込む月光により仄かに明るく、足場が見えないと言うことはない。
もっとも、綺麗に整理され、床に埃一つとしてないこの部屋では暗いからといって物に躓くようなことは一切なさそうだ。
夜も寝静まり、静謐な空間には一人の少女の規則的な寝息だけが響く。
部屋の備え付けベッドでは、少女が眠りこけていてその穏やかな寝顔は同性ですら愛らしさを感じてしまう。
「ティアは良い子だね。これからもミキのことを頼みます。」
寝顔を眺めつつ小さい声で発した言葉はまったく彼女には届かない。
隣の部屋では同じく寝入っているであろう男の子の顔を想像しながら薄く微笑む。
寝顔を見たいという衝動を抑えながらこの部屋の真上、屋上へと移動する。
屋上に降り立ち、夜気に晒され少し縮こまるが先よりも光量の増した視界に星々の光を捉え、あまりにも幻想的な夜空に見惚れてしまう。
幼い頃に見た夜空とは星の輝きが全く違う。星の数も圧倒的にこちらの世界の方が多く満天の星空だ。
場所によっては元いた世界でもこれに近い夜空を拝むこともできたかもしれないが、残念ながらもうそれを知ることはできないだろう。
しばらくすると寒かった夜風も心地よく感じ、腰まで伸びた赤髪も気持ち良さそうに揺れる。
視線を上から下に向けると屋上の端に腰を降ろし足を宙に投げ出す形で座っているツーピース姿の女の子がいた。
風に棚引く水色の髪は短めのツインテール。後ろを背にしているせいで顔は分からないが、華奢なその体躯は夜風に吹かれただけでどこかに飛んで行ってしまうのではないかと錯覚させる程だ。
こちらは寮の裏手に当たり、彼女の眼下にはそれなりの高さの木が鬱蒼と茂っている。遠くには未だ明るさの絶えない街並みが見える。
自分の存在には気付いてないのか身動きひとつしない彼女に背後から驚かす算段を立てて忍び足で近付く。
周りに細心の注意を払いながら、音を立てないように慎重に近付くが、
「カズミお姉ちゃん久しぶり。」
「…ッ!?」
程なくして少女から掛けられた声に驚き、慎重に歩みを進めていた足が止まる。
「なんだサキちゃん分かってたんならこっち向いてよ。」
「…ごめんなさい。」
言葉とは裏腹に相変わらず視線を前に向けたまま淡々とした口調で言う彼女に今度は堂々と近付き、その隣に腰を下ろす。
彼女は傍から見れば水色の髪にツインテールと明るい性格な女の子という印象を受けるが実際は少し違う。
根暗とも違う彼女の顔はどちらかと言うと無表情。胸の内では様々な感情を抱いているが、上手く面に出すことができていない感じだ。
彼女に倣い前方に目を向ける。
しばらく二人して無言で景色を眺めていると不意にサキが沈黙を破る。
「お兄ちゃんは元気?」
お兄ちゃん。誰を指しての言葉なのか曖昧な表現だが彼女がそう呼ぶ相手は一人しかいない。
「ミキのこと?元気だと思うけど…何か気になることでもあったの?」
「ううん。ちょっと疲れた顔してるなって思っただけ。」
「ふうん。やっぱりサキちゃんはよく他の人を観察してるね。それとも大事な人だからかな?」
その質問で先程まで無表情だったサキの顔にやや恥ずかしさの色が含まれる。
もじもじと指を動かしながら小さく頷くその横顔からは幼さの抜けきらない印象を与えられる。
面白半分で言った最後の言葉だったが、根が真面目な彼女はどうやら真に受け止めてしまったらしい。
しかし、そんないつもは感情が希薄な彼女だからこそたまに覗く初々しい態度が愛おしく、つい抱きしめてしまう。
「…カズミお姉ちゃんどうしたの?」
「なんでもないよ〜。」
頭を撫でながら頬擦りをして精一杯の愛情表現をする。
「…。」
カズミを受け止める彼女の表情は無に近いがそれでも彼女が心の底では嫌がっていないことが分かるため余計に感情を揺さぶられる。
「サキちゃんはホントにかわいいなあ。」
愛撫を続けるカズミに少し照れ臭さを含んだ声でサキが尋ねる。
「今日はどうしたの?」
頭を撫でつけていた手を髪の先端へと移していき髪を撫でるように梳く。
「サキちゃんの顔を見たかっただけって言いたいけど…」
そこで言葉を区切り、立ち上がってサキの背後へと回る。
私の後を追うようにして視線を走らせる彼女を制止し、前を向くように促す。
素直にそれに従う彼女は最初と同じく街並みを眺める体勢となる。
「シズネ、元気にしてる?」
彼女のライトブルーの髪を撫で付けながら髪ゴムを取る。
「…うん。」
「そう。…今日は急に押し掛けてくるからびっくりしちゃったよ。」
取った髪ゴムを手首に巻き付け、解かれた髪を手櫛で梳いていく。
それを気持ち良さそうにするサキを眺めながら続ける。
「やっぱりシズネは怒ってるのかな…。」
今日部屋に押し掛けてきたガウスとシズネを思い浮かべながら憂慮する。
彼女の態度は極普通だった。兄に対しても気兼ねないやり取りであったし、ティアとはとても仲良しそうだった。しいて言えば、相変わらずミキにはつんけんとした態度ではあったが…。それ以外は特に気になることもなく、彼女らしい振る舞いだった。
そんな中で唯一目立ったのは彼女が意図的に私を避けていたことだ。
本人だから、それを尚更意識しているからこそ私だけそれが目立ったように見えたのかもしれないが実際のところ間違いではないだろう。
そう思ったからこそ自分も距離を置いた。
「実の姉に久しぶりに会って一言もないなんて…。」
元々ほつれが微塵もなかった髪を梳く作業を心惜しく思いながら終えて左右均等に分けた髪をゴムで縛る。
「シズネお姉ちゃんはカズミお姉ちゃんに怒ってる。」
「そ、そうだよね。」
サキの率直な物言いに少し動揺する。
「でもそれと同じくらい自分にも怒ってるよ。」
彼女は投げ出していた足を引っ込めて立ち上がり振り返る。こちらに視線を合わせながら毅然とした口調で続ける。
「私がシズネお姉ちゃんの固有精霊として姿を現した時、この学校に来てカズミお姉ちゃんが私と同様に生きていることを知らせた時、お姉ちゃんは泣いてた。一人じゃないんだって。自分だけが取り残されたわけじゃないんだって。」
彼女の碧眼からは一切の濁りのない真摯な思いだけが伝わってくる。
「シズネお姉ちゃんはカズミお姉ちゃんにとても会いたがってた。でもそれはお兄ちゃんから離れられない、そして今まで姿を現すことのできなかったカズミお姉ちゃんには無理なことだった。シズネお姉ちゃんは頭ではそれを理解しながらも胸の内では、孤独だった自分の前に姿を現してくれなかったお姉ちゃんを責め立てることしかできなかった。」
固有精霊はその使い手から遠くに離れることができない。そしてこの世界に来る前の世界で起きた事故、その深手で今の今まで姿を現すことができなかったのだ。
同じ精霊同士であるサキとは姿を現せずとも会話はできる。それでもこの学校に来るまではその存在すらも知ることができず、お互い知り会えたのは入学式だった。
サキの言葉により快活な性格の反面、打たれ弱さもある妹の顔が浮かぶ。
孤独であることにどうしようもない虚無を味わっていただろうその姿をどうしてあげることもできなかった自分にやるせなさだけが募る。
胸の苦しさに耐えるように唇を噛み締める。
「私のせいでシズネは…。」
「違うよ。誰のせいでもない。」
私の言葉を遮りサキが抱きついてくる。
身長が私よりも低いせいで胸に埋もれる形となり、声が少しくぐもる。
「だからこれからはみんなが仲良くなってほしいの。」
背に回った両手は服をきつく掴みその思いの丈を伝えてくる。
「せっかくみんな再会できたのに離れ離れなのは嫌だよ…。」
「…うん。そうだね。」
涙声になりつつある妹をあやすように頭を撫でていると、彼女の瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出した。
「よしよし。」
普段は表情の薄い彼女だが、その華奢な身体に秘められている思いは強く、その気持ちは痛い程に伝わってくる。
彼女もシズネと同様に寂しかったのだろう。誰もが自分とは違う存在で話し合うことすらできなかった。
唯一自分の存在を知るシズネでさえ、彼女を心配させないために自分が気丈に振る舞うしかなかった。
「まったく。サキちゃんも良い子過ぎるよ…。もっと自分を表に出していいんだからね。」
彼女が今まで内にしまっていた気持ちは涙となって外に解放され、しばらくの間夜の静寂に彼女の涙声だけが響いた。