5話 心配事
「う〜。お尻の辺りがちょっと冷たい…。」
「あはは。惜しかったな、シズネ。」
水に濡れた二人の内、水かさの減った堀の水底に尻餅をついたシズネがティアよりも先に更衣室から体育館へ戻ってくる。
壁にもたれたまま、他の生徒の試合を眺めていた俺たちの所までくるとガウスの横にポンと座る。
「お兄ちゃんが余計なこと言うからこんなことになったんだからね。」
「俺のせいなのか?」
「当たり前じゃない。」
まったく。と言って頬を膨らませるシズネ。
「でも、ミキのパートナー強かったな。精霊との相性が抜群だったぜ。」
「水の中に閉じ込て声が出せなかったのにあんな風に水球を破壊するなんて…。」
「まぁそれだけ精霊とコミュニケーションが取れてるってことだな。」
ぐぬぬ…。と頭を抱えるシズネを見ながら、ふと大事なことに気づくが、それと同時に体育館の入り口からティアが姿を表した。
「ティア、こっちこっち。」
立って手を振るとティアもすぐに気づき、笑顔で走ってくる。
「お疲れさま。ティア頑張ったな。」
「はい!」
ティアの頭に手を載せ撫でると満面の笑みで返事が返ってくる。頭を撫でる手にはさらさらの髪の感触が伝わってくる。
「体はちゃんと拭いたのか?」
「はい。髪と服もシルフィーに手伝ってもらって乾かしました。」
「そっか。」
そう言うティアに一安心。つい手に触れる髪の感触が気持ちよくて撫で続けてしまうが、思わぬところから悪態をつかれる。
「うっわきっも。あいついつまでティアちゃんの髪撫でてんの。」
そんな言葉に、俺もつい撫で続けてしまったことを意識して素早く手を離す。
「え、えっと…。そ、そうだ。そういえば、まだ自己紹介してなかったよな?」
先ほど気がついたことをこれ幸いと、あからさまに話を逸らす。それに乗ってくれたのか素なのかは分からないが、ガウスも「そうだった!」と今更気づく。
「改めまして。俺はガウス・グリッドだ。それでこっちが妹のシズネ・グリッド。」
「やっぱりその名前合わないなぁ…。」
自己紹介をするガウスの隣では、シズネがそうぼやいている。
「こ、こちらこそ改めまして。ミキ・イグナスです。よろしく。」
「ティア・イグナスです。」
相互に自己紹介を終えると、早速ガウスが乗り気で言う。
「なあなあ今日晩飯、食堂で一緒に食おうぜ!」
「俺はいいけど、ティアはどう?」
当然断る理由のない誘いだが、晩飯を作る約束をしていた俺はティアに尋ねる。
「ご飯はみんなで食べた方が美味しいですし、ミキの料理はまた今度お願いしますね。」
「了解。そういうことだけど、待ち合わせはどうする?」
「そうだな…。互いの部屋の場所も覚えておきたいから今日は俺たちが迎いにいくよ。」
「分かった。俺たちは303号室だ。」
「一緒の階だな。俺とシズネは307号室だ。」
そう言うと一人仲間はずれ気味になっていたシズネを連れてくる。
「よかったな、シズネ!同性のティアさんが友達になってくれて!」
「うるさいな。そんなこと言われなくてもティアちゃんとはもう友達だもん。」
そう言うと、ティアの手を握り同意を求める。
「はい。シズネちゃんとは大の仲良しになりました。」
その言葉に俺も意外に思う。
「そうだったんだ。でもいつ友達になってたの?」
「更衣室で体を拭いてる時です。シズネちゃん、とても元気で良い子ですよ。」
「そっか。」
二人が何事もなく仲良くなってくれたことに素直に安心する。
「シズネさんも改めてよろしくね。」
俺もシズネに向かい何の気なしに挨拶をするが、返ってきたのは無愛想な態度と言葉だった。
「ふん。私あんたのこと好きじゃないの。話しかけないでくれる。」
「そ、そんなに正直に言わなくても…。」
「ミキ、嫌われてるな。なんかしたのか?」
「なにもしてないよ。それにずっと一緒だったろ?」
「それもそうだ。」
あはは。と笑うガウスと反対に、シズネのストレートな物言いが心に刺さった俺は肩を落とす。
「ミキ、あまり悪さをしたらダメですよ?」
そう姉のような口調でティアも忠告してくるが、ミキよりも身長が低い分、上目遣いとなっていて愛らしさが勝り、どちらかと言うと妹のように思えてしまう。
「ああ。で、でも本当に何もしてないからな!」
「分かってます。」
慌てて弁明するミキに、元より心配していなかったのだろうティアは気さくな笑みでそう言う。
からかわれていたと遅まきながら気づいた俺は嘆息すると、目の前の闘技場に目を向ける。
先ほどまでティア達が試合をしていたそこでは、すでに他の生徒の二戦目が開始されていて、二人の生徒の両手には異なった色のオーラが揺らめいている。
その光景に、精霊を使えないミキは改めてこの先の一抹の不安を感じた。
「お腹空いたな…。」
「はい…。」
朝ご飯以来、何も口にしていない俺がそうこぼすと、いつになくティアも元気がない。
原因は明らかだった。四日前の入学式以来、初めてとなる実践授業で最初は軽い説明のみだと聞いていて昼食の時間もなかったのだが、精霊を使えない生徒の指導に思わぬ時間を割いたことで随分と帰宅が遅くなってしまったのだ。俺たちの班は十六人のみで試合も早々に終わり、それ以降先生の話を聞くという座学になってしまっていた。
校内に併設される寮の部屋に戻って今はすでに午後三時を回っている。
「こんなに遅くなるなら昼食の時間がほしかったよ。」
「でも来週の月曜からは昼食の時間ありますよ。お弁当は私が作りますね。」
そう、昼食作りを買って出てくれたティアに申し訳なさが先に出る。
「日替わりでもいいんじゃないか?」
「いいえ。私が担当します。」
「そっか。じゃあお弁当はお任せします。」
「はい。任されます。」
頑に自分がやるというティアに素直に感謝しつつ、そう今後の昼食について取り決めが決まったところでまたお腹が鳴る。
「食べるにしても中途半端な時間だな…。」
そう腹の虫をなだめていると、ティアが思い出したように口にする。
「一階に喫茶店もありましたよ?」
「そうなのか?気づかなかったな。」
一階は各種公共施設となっていて、自炊する生徒のための食材の販売や大浴場などが存在する。
食材の購入以外で階下に行ったことがなかったミキは特に周りの施設を気にしたこともなかった。
「じゃあそこで小腹を満たしますか。」
せっかくのティアの提案にのり、二人揃って部屋を出る。
「なんて言うか…大きいな。」
部屋を見ていても思ったけどやっぱり段違いに広いな…。
そんな学生寮はいたってシンプルで、三階建ての横長の建物になり、一階は公共施設、二階三階は寮学生の各部屋になっている。二階三階に昇る階段は両端に設けられており、階段と階段を結ぶ通路は一直線に延びている。部屋はその通路に面して両側に六つずつ存在する。寮はもう一つ存在し、今はそこが二年生の寮となっている。
大体、寮一つにつき五十人が生活できる具合で、約半数の他の生徒は自宅なりから通っていることになる。
部屋も破格の大きさを有しており、二人部屋となっている部屋には個室がそれぞれ二つあり、キッチンや風呂、トイレなどはもちろん洗濯機までも付いている。
それを十二部屋も有する階上に引けを取らず階下もものすごい大きさとなっている。
喫茶店をはじめ、豊富な品揃えのお店に男女分かれた大浴場、広々とした脱衣場、食堂ととても開放感あふれる構造になっている。
「こっちですよ。」
改めて寮の大きさに感銘を受けているとティアが先を促す。
案内された喫茶店は広さが充分あり、窓から差し込む光も程よく物静かな雰囲気を演出している。
空いている席へと座ると、すぐに片手のトレイにおしぼりを載せたウェイトレスがくる。
「なにになさいますか?」
メニューを見ながら俺が迷っているとティアが注文を告げる。
「私はチーズケーキとレモンティーをお願いします。」
「じゃ、じゃあ俺もそれにしてもらえますか?」
すんなりと答えるティアに、うまく決めれなそうな俺は追従するように注文する。
「かしこまりました。チーズケーキとレモンティーお二つですね。」
そう言うと、おしぼりを俺たちの目の前に置き、ウェイトレスはすぐに後ろへ下がって行く。
「ティア、よくここに来るのか?」
「いえ、まだ一回しか来たことありませんよ?」
あまりの注文のスムーズさによくここに来るのかと思ったが、よくよく考えてみればこの学校に来たのも一週間前なわけで、そんなに頻繁に来ていたとは考え辛い。そんなどうでもいいことを考えていると話は実践授業の話になる。
「やっぱりみなさんとてもお強かったです。」
「そうだな…。騎士団を目指すだけあって、みんな実力あったな。」
この学校に来ているほとんどの生徒は卒業し次第、騎士団に入団する。騎士団は国を取り巻く害ある存在を取り除くことが主な任であるため、この学校に来る生徒も必然的に実力があると見込まれた者達だ。
その証拠に、今日の実践授業で時間を余分に割いたことと教師のおかげということもあるが、精霊を使えなかった生徒はその大半がすでに精霊を使えるようになっていた。使いこなすにはまだまだ修練が必要だが、それでも短時間で精霊と心を通わせれるようになっているところを見ると今までもそう言った教養を受けてきたのだろうことは明白だ。
少なくとも俺よりは精霊使いの素質があると言える。
なんで俺は精霊と仲良くなれないのだろうか。
父バルトも精一杯手を尽くしてくれたが何が原因なのか結局のところ分からなかった。
やっぱり俺がこの学校にいることは間違いなのだろうか。
そんな負の連鎖に捕われ人知れず、意気消沈する。
そんな俺を余所にいつの間にかウェイターが注文の品を机に並べ終わりティアはすでにチーズケーキを食べていた。
慌てて自己嫌悪に陥りかけていた脳を気分転換させるためレモンティーのはいったカップに口をつける。
柑橘類のさっぱりとした味が広がり、口中にあった苦いものを押し流す。続けてフォークを手に取りチーズケーキを一口大に切って口に運ぶ。舌触りのいい、しっとりとした味わいに口が満たされ暗い気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。
「おいしいな、これ。」
「ですよね。他の商品もまた機会があったら食べてみたいです。」
ティアも笑顔にそう言うと、また一つまた一つと一口サイズに切ったチーズケーキを口に運ぶ。
その笑顔に俺もどこからか暖かい気持ちが湧いてくるのを感じた。
喫茶店でゆっくり休んだあと、再度部屋に戻り、風呂の掃除なり部屋の掃除なりして時間を潰していた二人の元にガウスとシズネが共に訪れ、学食で夕食を取った。
ちょうど夕飯時ということもあり、生徒の数も多かったが、四人がけのテーブルを確保できた。一つ問題があったのは、シズネが俺の対面になるように座ってしまい、あまり心地良い視線ではないものが食事中延々と発せられていたことは言うまでもない。
しばらく食堂で雑談し、頃合いとなると自然と解散の運びとなり今は部屋の風呂に入っていた。
「…。」
熱い風呂に入り今日の疲れを取るように息を吐きだす。ティアたっての希望もあり、俺が一番風呂に入る代わりに、風呂の掃除は俺がかって出ている。
「それにしてもなんであんなにも俺のことを嫌っているんだろうか。」
ふと思い浮かんだのはシズネのあの態度。
今日初めてあったはずなのに、なぜか最初から俺に対しては毛嫌いしていた。
心あたりがあるはずもなくつい考え込んでしまう。
そんな折、脱衣所から声がする。
「ミキいいですか?」
「ど、どうしたんだティア!?」
いきなりの呼びかけに驚いて湯船に沈めていた体を少し起こす。水の弾ける音ともに俺の言葉が返る。
「その…今日はありがとうございました。」
「ん?」
ティアの言いたいことがうまく分からず首を傾げてしまう。
「朝、私を気にして駆け寄ってきてくれて…」
「ああ。いやこっちこそごめんな、つい村と一緒だと思っちゃって。」
その話かとようやく合点のいった俺はすぐに返事をする。
「いえ。私は別に大丈夫です。でもミキが私のせいで嫌な目に合っているんじゃないかと思って…」
「え…?」
そんなティアの意外な発言に俺は素っ頓狂な返事をしてしまう。
一瞬驚いてしまったが、ティアも自分がエルフであることで、俺にも嫌悪の目が向いているのではないかと真剣に考えてくれていたらしいことを言葉から悟り、俺も真面目になって答える。
「そんなわけないだろ。俺はティアと一緒にこの学校に来れてよかったと思ってるよ。」
「そう…なんですか?」
再度確認するような声音。
「ああ。ティアと一緒にこの学校に入学できてよかった。」
そうはっきりとした口調で告げた俺の言葉を聞くなり、ティアも嬉しくなったのか調子づいた声で言う。
「じゃあ私が一緒にお風呂に入って背中を流してあげますね。」
その言葉とともに衣擦れの音が聞こえる。
真面目に答えていた俺は一転して慌てた声になる。
「な、なんでそうなるんだよ?」
すると衣擦れの音が止まり、代わりにティアの声が聞こえる。
「やっぱり私なんかと一緒じゃ嫌なんですか?」
そう寂し気な声で尋ねてくるティアに胸を痛める。
「そ、そういことじゃなくて…。」
動揺を隠しきれないミキの言葉にティアがくすくすと笑いを漏らす。
「冗談です。ミキ、ありがとう。」
そんな言葉を残して扉が閉まる。
「まったく。」
再び湯船に体を沈めてそう我知らず呟く。
まさかティアが俺のことを心配して悩んでくれていたとは…。ある意味嬉しいことだがそれ以上に心配かけてしまったことに申し訳なさが募る。
心なしか火照っているように感じる顔を意識しながら俺は風呂を出た。
「お休み。また明日。」
「お休みなさい。」
そう言い合って隣接する二つの部屋にそれぞれ俺とティアは入る。
窓枠に立ち窓を開く。4月とは言え、まだ少々ひんやりする夜気が室内に入り込む。真下には少々大きな池が見え、校内の裏手に当たるここからは、目の前に林が広がっている。目に見える果てには微かにこの街の城壁が見える。
周りが自然に囲まれているため、都市だと実感しにくいが、あの城壁を見ると否が応なくここが都市であると実感させられる。
微かに見える街の明かりを眺めながら、また機会があったら街にも行ってみたいなと考えつつ明日のことを思う。今日は金曜日で明日から二日は休日だ。
ティアを誘って街に行ってみるのもいいかも知れない。もしティアに用事があったら自分だけでも一回下見に行きたいなと考えたところで窓を閉め、電気を消す。
ベッドに潜り込むとすぐに睡魔が襲い、あえなく俺の視界は暗闇へと落ちる。
再び視界に色が戻った時、俺の瞳に映ったのは真紅を思わせる赤く長い髪に色白の肌を露出させた女の子の顔だった。