34話 終わりの始まり
息を荒げて向かったのは森林区だった。遊歩道に沿って歩みを進めると道の傍のベンチでは祭りに疲れた家族や恋人たちがしばしの憩いに笑い声を漏らす。
そんな外部の音を聞き流して心の声に耳を澄ませる。
さっきまで悲しみで胸が張り裂けてしまいそうだった声が今は少し落ち着いていた。今の伝わってくる気持ちを例えるなら、つい零したひとりごとを誰かに聞かれた恥ずかしさで押し黙ってしまうようなそんな感じだ。
「いた……」
森林公園にいくつもあるベンチの一つに座る少女を視界に捉えた。俺がぼそりと言う前からこちらに気付いていた少女は目が合うと視線を少し彷徨わせる。
「偶然、だね」
下手な芝居をするカズミだが、ここで出会ったのが偶然でないことは両者ともに理解している。
「その、ごめん」
「どうして謝るの?」
「えっと……」
理由を尋ねられて黙り込んでしまったのは別の理由からだ。遊歩道であるこの場所はまばらに通る人の目に晒される。逡巡してカズミに接近する。
「ここじゃ話しにくいから寮に戻ろう」
カズミの左手をとって有無を言わせずベンチから立たせる。そのまま彼女の手を後ろ手に引っ張りながら学校の寮へと足早に向かった。
「しまった。あのままあそこにいるべきだった!」
とは、俺の心の中の叫びである。場所を開放的な空の下から密室のもとへと移した俺は早速後悔した。
リビングに居る二人の男女の距離は微妙だ。
どうしたものか決めかねる俺はここまで後ろ手に引っ張ってきたカズミと相対することができないでいた。
椅子に座ってテーブルを挟んで向かい合おうか?なんだか変だ。全然自然じゃない。こうして意図的に場所をセッティングしたのだから自然な流れで会話できないのは当然か。
そうしてしばらく沈黙を続け、意を決して振り返れば、カズミも同様にこちらを見つめていた。それだけで緩んだ気が張った。
「俺はカズミを姉だと思うことはできない」
「うん。わかった」
俺の急な応えに素直な言葉が返ってくる。真っ直ぐにこちらを見つめるカズミの瞳がわずかながらに揺れた。
「カズミがどうして、俺の精霊なのかも俺にはわからない」
「……」
生物精霊の多くは両者を結ぶ強い思いから生まれるらしい。固有精霊においても両者の間には並々ならぬ深い繋がりがある。そうした上で俺はそんな絆とも言えるものをカズミからこれまで感じたことははっきり言ってしまうとなかった。
「俺には君が何者なのかもわからない。もしかしたら一瞬後には俺は君に……」
殺されるのかもしれない。そんな偏った迷いが昨日生まれたのは確かだ。俺は彼女のことを何も理解していない。
「俺は君に殺されるのかもしれないと思ったことさえある」
はっきりとそう告げた。そうしなければならないと思った。
普通なら心外だと言われるだろう言葉。相手の信用を無くす言葉だ。
誰あろう、俺自身が彼女を信用していないのだという冷徹な言葉にそれでも彼女は首肯する。
「うん、知ってる」
だが確かに機敏はあった。俺の心に何か小さな穴が空いた気がした。それが今なのかもっと前からだったのかは分からない。
「俺は君が怖い。何を考えてるのかもわからなくて、それでもいつの間にか俺のそばにいて、常に俺を見張ってる気がして、いつか寝首をかかれるんじゃないかって今では思うようになって……」
「私は寂しかった!今までも私はずっとそばにいたのに、ミキがティアちゃんと最初に会った時も、親切な家族に拾われて無事に育ったことも全部知ってる!やっとミキの前に現れられたのに全然思い出してくれなくて、私に関心すら向けてくれなくて……」
「っ……!思い出すなんて無理に決まってるだろ!実際に会ったことすら覚えてないし、第一会ったのなんて相当前じゃないか!今の容姿と同じなわけないのに思い出すなんて無理だ!」
「どうして覚えてないの!?」
「……」
嫌な事故を体験した。俺の記憶はそれだけで、逃げるように昔の嫌な記憶を風化させてきた。
二の句の継げない俺にカズミは否定の言葉をかける。
「嫌な記憶なら忘れていい。もし私が嫌いで、顔も見たくないって言うんだったら私は消える」
震える声で言われたことに頭がついていかない。
消えるってなんだよ。いつも姿が見えなくなったり、そう思えば急に現れたりするくせに消えるってなんなんだよ。
そうじゃなくて、この世から本当に消えるってことなのか?そうだとしたら違う。
「俺はそんなことを望んでるわけじゃない……!」
強く自覚する。心の底から何かを渇望する叫びが聞こえる。これが魂と魂の繋がりというやつなのだろうか。俺の知らない昔の俺の思いが今の彼女とを繋ぎ留めたのか。
「俺はカズミが嫌いなわけじゃない!」
強くそう思う。矛盾した思いを分かっていながら俺は叫ぶ。
「嫌なんだ。心の底に穴が空いたようなこの気持ち。誰も失いたくなんかない。」
ならどうするべきか。答えはすでに出ている。だから今こうしてここにいる。
「だからカズミのことを教えてほしい。今から知って君のことを理解させてほしい。昔の俺の姉としてじゃなくて今の俺の精霊として」
それは酷く勝手な言い分だ。今まで理解しようともしないでいたのに手のひらを返した自己中心的な言葉だ。それだけじゃない。もしかしたら彼女を人として扱っていない最低の発言かもしれない。罵倒や非難されても当然の行いだ。
「なんで、そうなるの……?」
覚悟を決めて発した俺の言葉に、しかし彼女は呆然とした。
「私が怖くて、嫌いで、だからいなくなってほしいって。私に消えてほしいって思わないの?」
彼女は俺を嫌悪して責めるどころか自分を非難して俺を思ってくれていた。俺の覚悟を裏切る彼女の言葉に今度は俺が呆然とする。
「そんなこと思わない。思うわけがないだろ!」
彼女に恐怖していたとしても、それは心の底から疎んでいたわけではない。彼女への怯えはもしかしたら彼女を理解できない自分に対する怯えであったのかもしれない。
「俺はカズミに消えてほしくない!」
自覚して気づいた心の穴が、カズミとの繋がりなのだとわかった。その繋がりを作ったのが昔の俺なのだとしたらそれを修復することはもうできない。それでも、次は今の俺としてカズミを理解したいと思った。
「うん」
三度目の首肯は心に響いた。
「私の名前はカズミです。あなたのお姉さんで、精霊です」
そこだけは譲れないと言わんばかりに姉を強調するカズミ。
「俺の名前はミキ・イグナス。あなたの精霊使いです」
それに応えることはできないが、まずは大いに遅れた自己紹介から始めよう。




