28話 再確認
早朝、村にまだ夜の静けさを引く時間にみんなで宿の外へと出る。
「あれ、まだ眠いの?昨晩は一体何をしてたのかな?」
大きな欠伸を一つした俺にすかさずアリスが突っ込みを入れてくる。
「野獣に襲われていました。」
「ほうほう、それは興味深い。して、夜獣とは?」
「なにか違うものを想像してませんか?」
宿での朝食中にも何度か挙った議題、すなわち改造されたツインベッドの上で一体何をしていたのかということだが、もちろん何もしていない。すぐに寝たし、一瞬で寝た。何をする余地もなく寝た。男として悲しくないかと言われればそうかもしれないが断じて何も後ろめたいことはしていない。強いて言えば、隣接されたベッドの真ん中はベッドの枠組みによって固く、寝辛かったことぐらいだろう。
そんな清廉潔白な俺だが証明する手立ては持ち合わせていないので話題が再燃してしまう前に無視してかわす。
「それより、遠足ってどこに行くんですか?」
「どこに行くんでしょう?」
アリスの相方であるリゼも行き先は知らないようだ。
相方すら知らない突飛なイベントによって早々に起こされたと思うと気怠さが増す。もう一度布団に入って二度寝したいところだ。
そういえば、いつここを出発するかは決めていなかったように思う。
二度寝したところですぐに起こされるのは辛いので、アリスによってすっぱり起こされた今を受け入れるしかないか。そう思った折、会長と商会の二人が疲れた様子で現れる。商会の二人は昨晩野獣に襲われた方の御者をしていた二人だ。
「ぉう、早いな、よく休めたか?」
「はい。夜通しお仕事ですか?」
「ぉう、ちっとやること多くてな今から朝飯だ。昨日は助かった、ありがとよ。」
「いえ。それでいつ村を出ますか?」
「ぅだな…昼ぐらいには出るか。今からどっか行くのか?」
「ちょっとこの辺りを散歩してきます。昼までには帰ってきますね。」
「っか、昨日のこともあるから気をつけてな。そういえば新しい子が加わったんだって?」
会長とアリスの手際よい会話が続き、例の案件が話題にあがる。
「それなんですが…」
「ぉう、こいつらから聞いた。精霊なんだって?」
俺が言う前に商会の二人を指して、カズミを見る。
「…全然そうは見えないな。まぁ、なんでもいいや。助かった、ありがとな。」
足下から頭までざっと見た会長は一瞬だけ早口を忘れると礼を一言だけ残して宿へと向かう。
「れじゃあ、また昼にな。」
商会の二人は目に見えて疲れていたが会長はあまりそれを感じさせなかった。それが早口でしゃべる口調のせいかは分からないが、こういうのもカリスマ性の一種なのかもしれない。
「元気だね。」
「ついていけないよ。」
特殊なカリスマ性過ぎて俺にはついていけそうにない。カズミと俺は少しげんなりしたが、他の面々はそうでもない。リゼとティアは少しおっとりとしたところがあり、いつも柔軟だ。今回も呑気に傍観していた。アリスは言わずもがなで会長と相性が良い。というより、アリスがどんな人に対しても調子を合わせられるというべきか。
「俺もああいうのは苦手だ。」
朝食時には姿を消していたポチが俺達に賛同する。
「そうなんだ。よしよし。」
「クゥン。」
現出したポチをカズミが早々に撫で回す。だらしなく腹を見せるポチの言葉には威厳がない。
そんなポチは捨て置いてアリスは歩き出す。
「ところでどこに行くんですか?」
「昨日のところ。」
時刻は朝。五時間程しか寝ていないが覚醒した今は寝足りなくはあるが眠たいわけではない。昼に出発するという会長からの好意に甘えて、惰眠を貪るという選択をできない現状がとても悔しい。
朝の森は晴れ晴れとしていて、何もかもが澄み切って見える。その中に身を置くだけで自分の体内に溜まった不純物が清浄されていくようだ。これ程の森林浴は街の森林公園では味わえない。
そして、その清浄力を持ってしても拭えない暗澹たる気持ちが胸中を席巻する。
「やっぱり止めましょう。昨日の今日で危ないですよ。」
正確には数時間前の出来事だ。そしてこんな問答も数時間前にした。
「大丈夫だって。ちょっと確認するだけだから。」
「今度はそんな手に乗りませんよ。絶対何か危ない事があります。」
そんなことを言いつつも、アリスが先を行ってしまうのでそれについて行ってしまう。我ながら情けない。
「あの暴走精霊は始末したし、今日はみんながいるじゃん。みんながいれば…」
「いても怖いですよ。逆に先輩が集団心理を煽動するので怖すぎます。」
まさにそうだ。俺と先輩だけならば今度こそ反対することができたかもしれない。しかし、昨日の惨状を知らないリゼとティアがその性格上、俺に反対もしなければアリスに反対することもないことは自明だ。
あとは勢いの良いアリスに全て煽動されてしまう。それならば自分一人でも宿に帰ればいいのだが…。
ティアを危ない目に遭わすわけにはいかない!という思いもわずかに仲間外れになるようなのが嫌でそれができない。ティアなら俺が行かないと言えば、もしかしたら俺に賛同してくれるかもしれない。だが、結果が怖くて言い出す事は出来ない。集団心理、恐ろしい…!
「大丈夫だと思うけどなぁ。」
カズミがぼそりと呟く。
「落ち着け。昨日の暴走精霊は確かに消滅した。今日は別件だ。」
「別件?」
「お前も見ただろ、あのでかい精霊。今日はあいつのところへ行くんだ。」
昨日、襲撃された道ではなく俺達が村へと通ってきた道を通っているのでそれは何となく分かっていた。
「何をしに?」
「事後確認だ。」
そう端的に言うポチに反論できない。ひと騒動あったのだからそれが収まったのか確認するのは大事なことだろう。事後確認は大いに結構だが、それは俺達がしなくてもいいことのような気がする。
「あ、もうすぐじゃない?」
そうこうしているうちに例の空き地についてしまったようだ。
昨夜はカンテラ一つで山中を分け入っただけで場所の記憶もほとんどありはしない。
アリスの急な呼びかけに肩が跳ねる。
先の視界を遮る木々を避けて行けば、唯一記憶に残る景色が昨日とは違った色を付けてそこにあった。
中央の一際大きな切り株の周りに複数の切り株が点在する空けた地。月が蓋をしていた天井は、今は映えた青空で覆われている。
そしてそこに一匹、いた。青空の地平を思わせるペールブルーに染まった大型動物が。そしてもう一人、その動物、狼の前足の下敷きになっている人がいた。
「あ…」
頭が、ない…?
下敷きにされている人の首から下しか見えない。その上は?
倒れた人に顎を近づけようとする狼に視線がいく。危ない。すでに遅いのかもしれないが倒れている人が抱くはずの危機を代わりに感じる。頭で危険だと分かっていてもどうすることもできない。
そして、次の瞬間には何もできずに惚ける俺の目に狼の舌が映っていた。そして、倒れた人の手が狼の顔を撫で、狼の舌がその人の横顔を舐めている姿も見えた。執拗な狼の愛情表現に起こした横顔は切り株に見え隠れしている。
切り株に見えなくなっていた部分が危険な生物が傍にいるという先入観によって隠蔽されていたことに遅まきながら気づく。
「発見!」
大きな声を出したアリスはそのまま狼に駆け寄っていく。
「え、ちょ…アリス先輩!?」
俺の混乱を余所にポチもアリスに続く。リゼやティア、カズミが後に続かないことは幸いだ。俺がおかしいわけではない。
アリスとポチの存在に先に気付いたのは狼だ。続いて狼の前足の下敷きになっていた人が解放され、立ち上がる。
男性だ。あまり特徴のない短髪黒髪の男性。年齢は三十代だろうか。鉱山村の男性は一様に逞しい体つきをしているがこの男性はそうではない。眼鏡を付ければ知的にも見えるその容姿は街の貴族に近い。
ついにアリスと男性、ポチと狼が対面する。
何事かをアリスと男性が話し合う。こちらを向いて話し合っているのはこちらの自己紹介だろうか。ここからでは話し声は聞こえない。
ふと、横を見ればティアが聞き耳を立てていた。ピクピクと動く耳はティアの真剣そうな顔とミスマッチで可笑しさと可愛さが同居している。
「どうかしましたか?」
俺の視線に気付いたティアが首を傾げる。
「いや、ティアは可愛いなって思って。」
「…」
照れくさかったのか頬を少し赤らめるティアからは真剣な顔付きが剥がれ、はにかむ笑顔が俺の胸の奥に沁みる。
普段、淑やかなティアが凛々しい姿を見せるのは稀で、新鮮だ。それでもその真剣さを茶化してしまったあたり、ティアの笑顔の方が俺は好きなのかもしれない。
「逃避は終わった?」
このままずっとティアを見ていたいという気持ちをカズミが突然両断する。
「いや、逃避も何もちょっとティアと話してただけだよね?」
それとも、気付かないうちに何十分もティアを見つめていたのだろうか。そんなわけはない。
そんなわけはないが、アリス達の様子を確認すべく顔を前へ向ければアリスが手を振っていた。
どうやら話は終わったのだろうか。正直もう関わりたくない。できることなら早く村に帰りたいが…
「こっち!」
と、アリスは大きく手招きをしていた。手を振っていたと思ったらいつの間にか手招きに。手を振っていたのは俺の願望だったのか。もうダメだ。精神的にも限界が来ている。数時間休んだだけでは回復しきれなかったようだ。
そんな風に嘆くも、心の中で思うだけでは誰も助けてはくれない。
リゼが先に踏み出すのに遅れてティアと俺、それにカズミが一緒に続く。
合流すれば、円の中心の一際大きな切り株の傍で一同が会していた。
「まずは初めまして。そして、おはよう。昨日は暴走精霊が現れて大変だったようだね。」
一声を発したのは男からだ。それに続くようにしてこちらもまばらに挨拶をする。
「全員修練学校の生徒達なんだよね?」
「はい!」
一同を見回して確認する男にアリスはハキハキと答える。
俺達を一周した視線は再び俺に向けられる。値踏みをするような態度に変わった男がじっくりとこちらを伺う。
何か悪い事でもしただろうか。そんなネガティブな思考が男の強い眼光を忌避する。
「いや、すまない。そんなに緊張しなくてもいい。暴走精霊を見るのは初めてだったかな?」
やがて柔和な表情に戻った男は共感するように頷く。
「君はまだ一年生だね。私も初めて暴走精霊を見たときは腰を抜かしてしまったものだよ。」
少し照れながらも自白する男はそんな昔を連想させないほどの気品が溢れていた。
「あれは恐ろしい。人でも獣でも命を脅かそうとするものは恐怖するに足るものだ。でも、安心してほしい、こいつはもう大丈夫だ。」
そう言って隣の狼に触れる。
「大丈夫ってどういうことですか?」
「そのままの意味だよ。私達に危害を加えることはない。」
男の触れる手に気持ちよさそうに頷く狼に一瞬ドキっとした。もちろんドギマギしたのではなく、びびっただけだ。
「このばけ…いえ、狼、今頷きましたよ?」
「ああ、そうだとも。私達と話すことだってできる。そこのワンちゃんも同じだろ?」
ワンちゃんと呼ばれたポチは若干眉間にシワを寄せた。
同じと言ってもあくまでも会話できるという部分がだろう。
立場は全くの別だ。片や少女のそば付きの犬。片や人間も馬もかみちぎる残虐な化け物だ。
どちらが俺達にとって白か黒かは明白。
そのはずなのだが、ここにきて何か大きな勘違いをしているような嫌な気分になる。そんな俺に構わず事実は告げられる。
「この狼も元はそこのワンちゃんと同じ、どこかに生きる犬だったそうだよ。」
人伝の話なのかそれとも傍らの狼からの話なのかは定かではないが、男性はこの狼が化け物の類いではないのだと言う。
「君達と同じように暮らしていたんだけど、まあ色々あったみたいでね。私と会ったときにはもう落ち着いていたんだけど前はひと暴れしていたそうだよ。」
そう代弁する男は仔細には語らない。
「詳しい話はこいつも嫌がるからまたの機会にでも。とりあえず今は何ともないということだけ分かってもらえたら嬉しい。」
見れば巨体の狼が地面に伏して両前足で顔を隠している。
見かけによらず、シャイな狼につい笑いが漏れた。
「お、やっと笑ってくれたね。」
「すいません。」
思ったよりも顔に出ていたのか、改めて指摘されると恥ずかしくなってしまう。
「いやいや、私が悪かった。そんなに気張らなくていいと伝えたかっただけなんだ。何はともあれ、こいつは君達の敵じゃないから安心してほしい。こいつもみんなと仲良くしたいと思っている。」
頷くように狼がひと鳴きする。
「それにしても昨日は運が悪かったね。暴走精霊の出現に居合わせるなんて。」
再び冒頭の話に戻る。
「前は四年前に出現したそうですが、たまたま時期が重なってしまった、ということですよね?」
リゼ先輩が男性にそう尋ねる。恐らく、俺達に配慮してのことだろう。
化け物、ここで言う暴走精霊はその性質から暴走した精霊の溜まり場所や溜まる早さなどがおおよそ周期的である。
一度現れた場所には今後も同じ場所、間隔で沸きやすいということだ。これは座学ですでに教えられており、記憶している。
「そのはずなんだけど…」
男性の歯切れが少し悪くなる。
「広く知られてはいないが、一年程前にもこの周辺で暴走精霊が出現しているんだ。」
それを肯定するように男性の隣にいる狼が頷く。
「その時は幸い、こいつの近くに現れたみたいでね、すぐに討伐して大事に至らなかったというわけなんだ。」
「おお、すごいじゃん!昨日も助けてもらったし、本当にありがとう!」
アリス先輩が狼の顔に抱きつき、感謝の意を示す。
「おい止めておけ、どれだけ汚れているかわかったもんじゃないぞ。」
その様子に嫉妬したのかポチがそんな嫌味を口にする。
「汚れてなんかいないし、ポチよりふかふかだよ。」
アリスが抱きつく狼は、頭から尻尾まで密に生えた毛が程よく長く、よく見れば一本一本が数えれそうなほどよく梳かれていて風に靡いている。見ているだけでふわふわの手触りが伝わってくる。
「ふん。そのくらい俺にだってできる。」
そう言って、ポチも狼と同じふかふかな毛に一瞬で変えてみせる。
補足だが精霊は自在に容姿を変えることができる。なので先ほどのポチの狼に対する身体が汚れている発言は全くの事実無根であり、アリスのペットで温室育ちのポチも野良として生きているこの狼も清潔さに変わりはない。
「うわ…べつに要らない。」
様変わりしたポチだったが受けは悪かった。
例えるなら角刈り親父が一瞬でロンヘア紳士になったぐらいの変わりようだ。
アリスにきっぱり拒絶されたポチはカズミに泣きつく。
「よしよし。触り心地はいいよ。」
「ワゥン」
甘い言葉でポチを慰めるカズミは甘過ぎる。今こいつの面の下がどれだけ醜悪に嗤っていることか、俺には容易に想像できた。
「そういう訳で、今回の暴走精霊の出現は早すぎる。もちろん、あり得ない訳ではないんだが、念のため確認しに来たんだよ。」
脱線しかけた話を男性が柔和に戻す。
「何か変わったことがあったんですか?」
「特にはないかな。時間も経ってしまっていて手掛かりはなさそうだ。それより、君達、学校生活はどうだい?」
そんなことよりもと他に聞いてくる辺り、話題を変えたい意思があるのかと変な勘繰りをするのは今の俺の精神状態が色んな意味で荒んでいるからだろうか。
「南東の警備は暴走精霊が比較的に少くなくてね、中々新人の精霊使いが派遣されないんだ。だからぜひ皆の話を聞かせてくれないか?」
目を輝かしてさえ見える男性に他意はなさそうだ。
「いいですよ。どんなことが聞きたいですか?やっぱりこういう時ってあの先生まだいる?みたいなことで盛り上がりますよね!」
話題に乗るのはもちろんアリスだ。
「そうだ、あの先生は居るかい?座学でよく脱線してしまう…」
「スニア先生ですね!一年生の時はお世話になりましたよ。今年から教頭やってます。」
「え、本当かい?まだまだ若そうだったのにもう教頭になられたのか…」
「今ではシニア先生って言われているぐらいですよ。」
二十年程のギャップはあるが問題なく会話が成立している。
まだ一ヶ月程しか学校にいないため、自分達の指導教員ぐらいしか俺は知らない。
半ば蚊帳の外の俺はしばらく傍観するしかなさそうだ。
その後、数時間に及ぶアリスと男性の長話はリゼも加わり、続いた。
俺は、ティアとカズミとポチ、それと狼でグループになりその時間を乗り切った。
狼は無口だったがカズミがポチを手なずけるように狼の懐に入り込み、仲良くなった。
最初は俺も抵抗があったが、三人と二匹で話し合う内に打ち解けることが多少はできたと思う。
最後に一番謎だった狼の毛並みの色について聞いてみると、その日の空模様や気分によって毛並みの色を変えるらしい。
内向的なこの狼の大切な感情表現のようだ。




