25話 共
「決まった!ねぇ決まったよね、今の!」
「どうだろうな。」
元気な声が夜の森にこだまする。
木々を縫って疾走する狼犬の毛は真っ黒で夜の森に溶け込んでいる。背中にしがみつく程の近さでもその存在は不明瞭だ。
「先輩らしかったよね!ああいうの一度はやってみたかったんだ〜!」
狼犬こと少し姿を変えたポチの背中に格好良く跨がったアリスは、今は落馬ならぬ落犬しないように必死に手足を使ってしがみついていた。
「男児ならともかく、お前は女だろ。」
「いや、そうなんだけどさ…。」
ポチが指摘するとアリスは珍しく歯切れが悪くなる。
「やっぱり私って女の子っぽくないのかな?」
しゅんとした声で柄にもないことを言ってくる。
「気にしているのか?さっきの話。」
「そりゃあ気にしてるよ…」
「ふん。それで?」
先を促す。
「アリスなんて女の子らしい可愛い名前なのに、あの会長さんと瓜二つだなんて…」
「誰もそこまでは言ってないぞ…」
「これでも私、女子だよ?恋する乙女だよね?」
何を言っても華麗に流されそうなのでとりあえず黙って聞く。それがずっと一緒にいて導き出した一つの答えだ。
アリスは活力旺盛で常に言動、行動の端々からそれが溢れ出ている。滅多なことでは弱音は吐かないし、どんな相手でもその姿勢を崩さない。
いわゆる一人で溜め込むタイプなのだ。
「私が悪いっていうのは自覚してるよ。ちょっとむさ苦しいよね。」
「言動がな。」
大切なことなので補っておく。
「でも、そういう性格だし。女の子らしくしたい気持ちもあるんだよ?」
「…。」
「あるけど、それは私の願望で、本質じゃないから…」
猫を被ることができない彼女にとってこれはどうしようもないことだ。
相反する二つの気持ちに折り合いが付けれない彼女だが、決して詰んでいる訳ではない。
「みんな分かってくれている。」
昔からの付き合いであるリゼはもちろん、同学年の生徒や新しく後輩となった二人もアリスの眩しすぎる程の堂々たる姿に隠された内面をちゃんと理解してくれているはずだ。
もちろん俺も例外ではない…!
「ポチのそんな同情はいらないの!みんなが思ってるだけじゃ意味ないでしょ!きゃっ!」
悪路にアリスが悲鳴を上げる。
今のような女子らしさを普段の行動に少しでも出せれば、女らしくなるのではないか。
「普段の生活でいつ悲鳴を上げるときがあるの。」
「物の例えだ…そうだな、他にも語尾にですわを付けてみるのはどうだ?」
「意識の高いお嬢様みたいでなんか嫌だなー。」
「それじゃあ、言葉の最後に少し首を傾げてみろ。きっと絵になる。」
少し上目遣いに心配するような顔で尋ねるアリス。
「ポチ、大丈夫?いつもありがとう。大好き。」
優しく体に手を回し、撫で付け、頬を近づけて来る。
「わぅん!?」
「こら!勝手に妄想するなバカ犬!うわ!」
「ぐがぁ。」
脳内で見惚れた光景に思わず足下が疎かになる。すかさず、獣の声と一緒に飛来してくる丸太が横を掠める。
「まだ追ってくる!逃げ切れそう?」
「どうだろうな。」
またしても曖昧な言葉で濁しながら懸命に駆け続ける。
二人を追って来るのは猿と熊を合わせたような獣だった。
顔と腕の長さは猿のそれに似ていて、胴体や足の太さ、毛の生え方は熊に似ていて完全にミスマッチだ。
見たこともない異形の姿をしているが、俺達にとっては見知りの生き物である。
「熊が出たって話だったはずだけど、違うね?」
「ああ。だが突然現れたからな…」
「別件かもね。それにしても間が悪いなー。」
異形の生物の正体は暴走精霊である。二人でそう判断を下す。
暴走精霊はポチやカズミ、他の自然精霊や固有精霊と本質は同じものだ。
ただ、自我の崩壊した精霊は寄り集まることで自らを具現化させる。
その多くは生物であり、実在する生き物とも異なることが多い。
「うがぎぎぃ。」
奇声を上げる暴走精霊は一心に追っかけて来る。
突然現れた熊猿は暴走した精霊が寄り集まった結果だ。その出現は一瞬で、ポチやカズミが姿を現す時と似ている。そして暴走の臨界に達した精霊が姿を現すため、今が暴走状態の絶頂と言える。強い精霊の気配とともに出現し暴走する精霊は、時間経過とともに落ち着き、大体数十日で沈静化して消滅する。
つまりは今が一番荒れている時期ということだ。
「うぎぃぃぃぃ。」
熊猿はその巨体に見合わない軽快さで木から木へと飛び移り、丸太同然の太い枝を根元から折っては全力で投げつけて来る。
「これからどうする?」
それらを避けつつアリスに問う。
「やっぱり逃げるしかないよ。」
「そうだな。」
暴走精霊を退治する方法は二つしかない。一つは生き物を殺すのと同じように絶命させること。もう一つは放置して沈静させることだ。
前者は当然、あんなのを相手にするのだから危険が伴う。俺達学生がするようなことではなく、騎士とも呼ばれる精霊使いが行うことだ。
必然、後者しか選ぶ道はない。もちろん、数十日も沈静するのを待っていては俺達のような被害が続々と出てくるので街に帰還し次第、暴走精霊出現の届け出をするというお仕事のおまけ付きだ。
「適当に振り切ったら鉱山村に戻ろ。二人も心配してるだろうし…。」
「村に戻っていいのか?」
「?だって二人に先に村に戻るようにって…」
「言ってないぞそんなこと。」
「え、うそ!?」
驚愕に見舞われるアリスに呆れてしまう。
「やはり、会長とは似ているかもな。」
「っ!?待って、それは早計だよ!私、後は任せたって確かに言ったよね?」
「後は任せたという言葉のどこに村に戻ってろという意味が含まれるんだ。」
背中にしがみつきながらアリスが頭を抱える。
どうやらアリスにとっての「後は任せた」というのは、後は全て引き受けるから安心して村に戻っていてねということらしい。
「いや、でもやっぱりそこは意図を汲んでくれて…」
「あの様子じゃ無理だろうな。」
暴走精霊が現れた時のミキはかなり混乱していた。状況をいち早く飲み込めていたカズミに手を引っ張られて荷台の下敷きにならずに済んだが、その後も見たこともない生物を前に竦んでいたのを思い出す。
恐らく初めて暴走精霊を見たのだろう。その迫力、異様さに気圧されるのも無理はない。
アリスだって最初はそんなものだったし、大抵の者は皆そうだろう。
「あ…」
同じくアリスもミキの様子を思い出したのか言葉が漏れる。
「失敗した!早く戻ってあげないと!」
「落ち着け。カズミ…が一緒だから大丈夫だ。」
心配する声をあげるアリスをそう言って落ち着かせる。
自らも初めて暴走精霊に遭遇した時のことを思い浮かべているのだろうが、今のミキの立場を思って慌てるアリスは先輩としてかなり優しすぎる。
「あいつもきっとすぐに適応してるはずだ。商人達と既に村に向かっているさ。」
「そうかな?」
「そうだ。というかお前も先輩なら後輩を鍛えてやらなければいけないだろう。」
暴走精霊と相対することは精霊使いを目指すものにとって避けられないことだ。
ほとんど暴走精霊の出ない地帯での依頼内容で、無警戒だったところへの突然の乱入だったがいい経験になっただろう。
「俺達が手取り足取り教えてもあいつのためにならんぞ。」
「そうかな?」
「そうだ。」
同じ問答を繰り返してやっとアリスも納得する。
と、鬱蒼と茂っていた木々が突然空けた。
「あれ、ここは…」
最初に声を漏らしたのはアリスだった。
「どうした?」
「いや、さっきも来たとこだなって…」
立ち止まったのは森にぽっかりと空けられた空白地帯だった。いくつもの切り株が生えているだけで他には何もない。
そんな場所で、アリスは辺りを見回して首を傾げる。
「何かあるのか?」
「あるっていうか、いた…」
「ワゥゥゥ。」
アリスの言葉尻に重なるようにして唸り声が響く。
自分と同じく犬の唸り声だ。そしてその正体が目の前に現れる。
精霊の粒子が一つ一つ形を成すように合わさっていく。そんな体感であるそれは、実際に見ていても理解はできず、ただ一瞬で姿を認識させる。そうして気付けばいつの間にかそれはそこにいた。
「ゥゥゥ。」
低い声で喉を鳴らすのは、縄張りを侵した者に対する怒りか。眉間に皺を寄せて牙を剥く狼は俺達を睥睨する。
俺よりも何倍か大きいその狼は、それでも俺と本質的には全く変わらない存在であると分かった。
俺自身も狼に似た姿を普段好むがそれは自分の起源がそれに近いからだ。
自然界の極致とも言える精霊となり、一層かき立てられる野生の本能がこの姿を生む。どの生物も根底には起源があり、それを呼び覚まされるのかもしれない。
そしてそんな自然の境地に達した者同士だからか、はたまた同族であるからなのか、この狼は本物ではなく俺と同じだと直感した。
否、同じであったと…
「ワウゥゥ。」
一際大きく鳴いた狼に叱咤されて後方の気配に気付く。
後を追って来ていた熊猿が投擲した丸太に自ら体当たりする。
「ポチ!」
「うぎぃ。」
間一髪のところで丸太の盾となって、倒れ込むポチにアリスが叫ぶ。
暴れる熊猿は、激怒したように手近の木の枝を根元から折るとそれを全力で投げつけて来る。
それに対応する術を持たない俺達の隣を狼が過ぎてゆく。
鼻先や足に激突する木を物ともせずに熊猿に突進する。
「ゥゥゥ。」
「ぐぎぃぃ。」
太い木を背に熊猿が狼に左手首を噛まれる。右手で必死に狼の頭を叩くが、がっしりと手首を噛んだ狼は離さない。
「うぎぃぃぁぁ。」
迷わず顎に力を込めて熊猿の左手首を噛みちぎった狼はそのまま数歩後退する。幾分か気力を失った熊猿の右手が狼を鷲掴もうとするが空を切り、前のめりに倒れる。
すかさず前に出て、今度は熊猿の首元を後ろから挟み込む。
「うぎうぎぃぃ」
首元に食い込む牙に抵抗する熊猿は右手と先の失った左手で狼の首を締め付けようと腕を振るが地面に伏せられた状態からではうまく掴めない。狼の胴体に右手を食い込ましたところで首元にも狼の牙が食い込み、呆気なくその命を絶つ。
重い音と共に腕が地面につく。
動かなくなった熊猿はしばらくすると、燃え出した。
熱量のない炎は小さな赤から始まり、大きさを増して青、緑と三色が混ざり合う。三色の明かりが強くなる程、熊猿の体は小さくなっていき、そして炎も小さくなっていった。
燃え盛る炎は大気に溶け込むようにして霧散していく。
その光景を2匹の犬と一人の少女は静かに見守った。
最後に土色の炎を地面に染み込ませるように消えた熊猿はそこには跡形も残っていなかった。
何度か見てきた精霊の浄化に呆然と目を細める。
やがて狼が動きだし、こちらに向かって来る。
狼の視線がこちらに向いているのに気が付くと、傍に横たわるポチに触れる手が少し強張る。
「問題ない。」
そうポチが言った通り、狼はこちらを通り過ぎて伐採地の中央へと向かう。
一際大きな切り株を前に姿を現した時と同様に狼は一瞬で姿を消す。
「はぁ…。」
突然の出来事から回帰して、思い出したように息を吸い、吐く。
「珍しいな、あそこまで落ち着いた暴走精霊は。」
「…。」
「まぁ、元は生物精霊だったからだろうがな。」
狼が消えた場所を無言で見つめるアリスにポチがそう感慨を零す。
暴走精霊は、暴走した自然精霊が集まって目に見える物となる。その時、なぜ生物の姿を模してしまうのは分からない。ただ、本物の生物とは何かが違っていることが多い。つまるところ、本質としては生き物ではないということだ。
ポチも精霊ではあるが、実際に存在していた生物が強い意志を持って精霊となったものであり、暴走精霊、ひいては自然精霊とは全く異質のものである。
そんなオカルトや宗教的な存在の生物精霊だが、精霊として暴走しないかと言われればまた別問題となる。
生物精霊は良くも悪くも必ず、死に際の強い感情の発露が原因となって精霊となる。
それはまるで、現世に心残りのあるものが霊となってしまう、というような超常的な現象の類いだ。
そうして生まれる生物精霊は既に精霊になる段階で大きな感情を爆発させて暴走しているとも言える。
そしてそれが二度目、三度目の暴走を起こすとすれば、またしても何か強い感情の発露がきっかけとなるはずだ。
「俺も将来はあんな風に…」
倒れ込んだままのポチが縁起でもないことを言う。
私の生物精霊として存在するポチが感情を乱す時、それはどんな時だろうか。色々あるだろうが、このことを考える時に一番最初に考えてしまうことがある。
それは、自分がこの世からいなくなった時にポチがどうなるのか、だ。
もちろん、ポチがあの熊猿のように、他の暴走精霊のように暴れるとは思わない。暴走精霊がやがて落ち着き消えて行くようにポチ達、生物精霊もやがて消えて行くのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
「…」
まるで、私に縛られているようなポチがこれからも一生そうであり続けるのか、不安なのだ。
私を思って、生物精霊となったポチが、生の摂理から外れてしまうようなしてはならない事をしてしまったのではないかと、不安なのだ。
あの狼と視線を合わせた時に感じた強張りを自覚する。
あの狼がまるで未来のポチを映しているように感じた。一度目、ここであの狼を見た時から薄々気付いていたのかもしれない。
精霊が沈静したにも関わらず、消えないあの狼は私達を救うようにして暴走精霊を排除した。
いつからここにいて、今まで何回それを繰り返してきたのか、何のためにそんなことをするのか分からない。しかし、それにポチの行く末を見た気がした。
「…今の冗談で拳骨の一発はもらうつもりだったんだがな。のれ。」
いつもの私ならバカと言って殴ったとでも言いたげなポチの首をギュッと掴み、背に跨がる。
「言いたげな、ではなくそう言ったんだ。」
「うるさい。昔はこーんなに小さくて可愛げがあったのに。」
「そうか?今も変わらないだろう?」
「全然。」
ぷいっと頬を膨らませるアリスに笑顔を向けて走り出す。
出会った頃から一緒に年を重ねた私達はこれからも一緒に走っていけるのだろうか。




