22話 不明
結論から言って、行く必要はなかった。
逃げる背後を狼に襲われることもなく、逃げ切った俺達は帰路へと着いていた。
「なんだったんですかあれ…。」
ほんとに意味不明だ。あのでかさと迫力。今更のように心臓が早鐘を打っている。
もし今あれに追われていれば、恐怖に足が竦みその逃げ足は止まっていただろう。
後ろから吹き付ける夜風のせいで悪寒が激しく昂る。実際は風なんか吹いていないのだが、やけに背中が粟立つ。反射的に背後を確認しては、前を行くアリスに置いて行かれないように距離を詰める。
「あの、先輩?」
反応のない先輩が不安を煽る。先輩も怖かったのだろうか。少なくとも危険を察知したから逃げたのだろう。あのままあそこにいたとして、あの生き物の餌食にされない光景なんて正直浮かばない。
「ねえ、さっきの覚えてる?」
「え、狼のことですか?」
アリスは頭を振る。
「お話のほう。」
いきなり方向の変わった話題について行けない。先輩はあの狼を見ても怖くなかったのだろうか。まあ確かに図体がでかいとは言え、考えてみればポチの狼姿と似ていなくもなかったか?暗闇が恐怖を助長していただけで本当はポチみたいだったかもしれない。きっとそうだ。ちょっと落ち着いてきたかも。
「覚えてはますけど…急にどうしたんですか?」
「お母さんと少年が喧嘩しているのを見て、犬はどう思ったんだろうね。」
歩みを緩めて尋ねてくるアリスに困り顔を向ける。
「どう思ったって…えっと…」
犬は結局精霊で、母親には見えず、少年には見えた。それ故に少年は精霊に惑わされてどこかに連れ去られてしまった。そんな悪役とでも言うべき立ち位置の犬がどう思っていたのか。俺には分からない。
「きっとさ。犬は変わらず皆と過ごしたかったんだよ。」
「?」
さっきの話の続きであることは分かった。それでも首を傾げる俺に続きを話す。
「それが事故かは分からないけど一ヶ月前にどうしてか死んだ犬は」
それは、そう仮定の話だ。常に一緒に暮らしていた一人と一匹がなぜ知らないうちに死別したのか。それは物語のみに許される何でもありの仮定の話。
「幽霊に…精霊になって家族への元へと戻ったの」
母親でも少年でもない、第三の視点で物語を見ていく。
「また少年に会えた犬は、少年以外には見えなかった」
そこに居るはずなのに見えない。見えているはずなのにそこには居ない。
「自分は違うんだと理解した犬は去ることを決めたの」
母親の一言で自分が世の理から外れてしまった存在なのだと理解した犬は自ら居場所を捨てた。
と、そこまででアリスは口を噤んでしまう。
その後、犬はどうしたのだろうか。寿命があるのかも、自身の存在が本当にあるのかも分からない狭間で彷徨い続けたのか。それとも犬を追って姿を消した少年は犬と再会できたのだろうか。
様々な解釈によって幾多の考えを生みながら物語は帰結する。
目前で光が揺らぐ。馬車の元まで戻ってきたのだ。
後列の警備に当たるカズミとポチを見てほっとする。
アリスの話を聞いて、本当に限りなくゼロに近いがもしやと考えてしまったことは誰にも言えない。所詮、物語は作り物でしかないのだと言い聞かせて合流する。
「お帰り、ミキ。何かあった?」
「どうだった?」
カズミとポチが事の詳細を話すよう催促してくる。
「何もなかったよ。野生動物がいたくらいで…」
「何もなかったよ〜。暴走精霊がいたくらい。」
ん?今何かが噛み合わなかった。
「野生動物が…」
「暴走した精霊ね。」
「どっちがいたの?」
二人の噛み合わなさっぷりにカズミが的確に突っ込んでくる。
とにかくお互いの知識の摺り合わせが必要な場面だろう。
「ぼうそうしたせいれいってなんですか?」
「いわゆる、化け物ってやつかな。座学の時間で習ってるよね?」
「あー。それなら知ってます。精霊が変質した姿なんだとか……ってあれがそうなんですか!?」
「まあ暴走精霊だと包括し過ぎている感はあるかもね。かといって化け物って言葉はあんまり使いたくないんだよね。」
「化け物って人を襲ってくるはずですよね?ならさっきは何で襲ってこなかったんですか?」
野生動物だって襲ってこないわけでは決してないのだが、それは今は置いておく。
「暴走精霊と化け物の他に言葉を当てるとすると…はぐれ精霊?みたいな行き場の失った精霊があんな感じなんだよ。」
自然精霊や固有精霊、生物精霊が味方。化け物が敵で、はぐれ精霊は中立。化け物やはぐれ精霊といったものを包括して暴走精霊とも呼ぶらしい。そう解釈しておく。
「でも暴走精霊は退治しなくていいんですか?それが俺達の仕事だと思うんですけど。」
「ミキくん、私達の任務は外敵の討伐じゃなくて護衛だよ。」
「それでも精霊使いって危険な化け物を討伐するのが目的じゃ…」
俺はなんでこんなことを言っているんだろうか。
別にあんな怖い物を率先して退治したいわけではない。化け物に対して恨みがあるわけでもない。
「そうだね。けど、私達はまだ見習いの段階。そんな危険な仕事は騎士団とかに任せておけばいいんだよ。それに、後輩にそんな言い方をしてほしくはないかな。」
「そんな…?」
何のことを言っているのか分からない。
「敵だからって全てを悪だと思ってほしくないの。」
そう思われる言動があっただろうか。自分では分からない。
「分からないです。先輩が言っていることも考えてることも。」
「うん。ごめんね、口下手で。」
苦笑いするアリスはそれ以上口にする気はないようで、護衛の任に戻っていく。ポチを連れて馬車の右後方に着くので、必然的に俺とカズミは左後方に位置する。
「なんなんだよ…。」
先輩が何を考えているかもそうだが、半分以上はこの急な展開に対する愚痴だった。
ただでさえ長距離移動で疲れているのに、大型の野獣が出たと思ったら実は化け物だったとは…。あんなのをこれから相手にしなければならないのだろうか。
「ねえねえ。」
「あ、うん。なに?」
「ミキは精霊で何が好き?」
俺に気を遣っているのか、どうでもいい話をカズミが振ってくる。
「好き…か。」
正直言って今は精霊という言葉がゲシュタルト崩壊している。
「私はね、やっぱり火の子が一番好きかな。私の固有精霊が火だってこともあるけど、使う時いつもふわって体の全身が暖かくなるんだよね。」
「あ、そうなんだ。うんいいよね、火。明るい色だし、暖色だから暖かく感じるよね。」
「なんだか流してない?」
「そんなことないよ。」
「最近、構ってくれないから寂しいんだけど?」
「あ、うん。ごめん。」
「…みっきーって呼び方、いいと思うんだけどこれからそうしようか。」
「うん。いいんじゃないかな。」
「ミキのバーカ。」
「そうだね。」
「…ミキ、クエスト終わったら街でデートしよ?」
「無理。」
「どうしてそこだけ真面目に答えるの!」
「だから、別に流してたわけじゃないって。」
そんなに心ここにあらずのように見えたのか、カズミが少し拗ねている。
ただ少し考えていただけだ。それこそカズミの質問に対して真剣に考えていた。何が好きかについてではないが。
「カズミは…」
「お姉ちゃん。」
「え?」
「これからはお姉ちゃんって呼んで。」
「急にどうしたの?」
「私はもうどこにも行かないし、突然消えたりもしない。」
迷わず宣言すると俺の右手を自分の左手で繋ぎ、その存在を主張してくる。
「私は今も確かにここにいるし、今までだってずっとミキのそばにいたよ。」
「ッ…!?」
俺は気付かなかった。突然カズミが姿を現すまで、その存在を知覚したことはこれまで一度だってなかった。俺だけじゃない、他の誰だってカズミを知覚したことはないはずだ。
なぜ姿を現さなかったのかは分からないが、ずっと俺のそばに彼女はいたのだ。俺にも他の誰にも認識されなくとも一人孤独の中で彼女は存在していた。
物語を聞いてしまったせいだ。アリスがあんな話をするから。喉が詰まってつい咳き込む。
カズミは、ポチは…精霊は一体何物なんだ。そう尋ねようとして、お姉ちゃんと返ってきた。
「これからも私はずっとミキと一緒。私はあなたのお姉ちゃんだから。」
揺るがない意志と、ぎゅっと離さない手を前に俺は何も言えなくなってしまう。
「突然消えたりしない…って、何言ってるの?いつもすぐ消えるくせに…。」
「うん。そんな突っ込みができるなら大丈夫だね。」
そんな強がりしか今は言えない。
カズミの手からは体温が伝わってくる。ふわっともじんじんとも言える痛いぐらいの暖かみが。
今回のことで俺は精霊というものが分からなくなっていた。色々と物事が重なって怖くなったのだ。
自然精霊、固有精霊、生物精霊に暴走精霊。疑心が暗鬼を生じさせるように、精霊の存在が本質が、まるで暗くてなにも掴めない。
ただここにいる彼女だけは確かな存在だと言える。彼女が、俺から精霊という暗鬼を少なからず払拭していた。
深夜にまで及んだ行商は無事に鉱山村のジェルミに到着したことで終わった。
会長ともう一人は今から荷台の残った品を別の業者に渡して、目的の鉱石の積み入れをするようだ。
明日の朝にはこの村を出て、セントペルムとの間にあるフリーゼという村に向かわなければならない。
予定が後ろ倒しになったことで商人達も大変そうだ。
俺達、学生は商会側が手配した宿に泊まることになっている。身体的にも精神的にも疲労困憊で今すぐベッドに飛び込みたい気分だ。商人には悪いが先に休ませてもらおう。
そう思った矢先、会長が俺達五人(ポチが居ると宿のこととか色々と面倒そうなので、村に入る頃には姿を消している)が集まるところへと急いで来ると、矢継ぎ早に言った。
「先行していたはずの馬車がまだ到着してないそうだ。」
へぇ〜。とてつもなく嫌な予感しかしない。
「何かあったのかもしれない。今から街道を戻って探しに行こうと思う。」
好きにしてください。私はもう一歩も動けません。そう言えたらどれほど幸せか。
そもそも今回途中の村に寄るのを付き合ったことですら依頼外のことだったのだ。これ以上付き合う義理はない。
「から、君達は先に宿で休んでいてくれ。」
だから。補足するとそう言った。
「そんなことできないですよ。私達も一緒に行きます。」
分かってはいたが、アリス先輩はまたしても余計な善意を見せる。
先輩もうそれ以上は止めてください!心の中でそう叫ぶ。
「も、それは申し訳ない。」
でも。
「大丈夫です。遭難してたら大変ですし、早く行きましょう!」
それは叶わない。
「ぁりがとう。ほんとにありがとう。今すぐ足を確保するから少し待っててくれ。」
「はい!」
なんだこの茶番は。この会長、明らかにアリス先輩の善意をいいように使っているとしか考えられない。
俺達のことを思うなら、昼間に先輩があれだけ善意を見せたのだから、この案件を口に出すことこそ憚られたはずなのだ。
会長の目論み通りに事は運び、早々に馬が牽く軽重量物運搬用の馬車が用意された。
人が多くてもしょうがないということで、商人一人はこのまま街に残り商談を、ティアとリゼも村に残ってもらうこととなった。
会長は馬の手綱を引き俺達を荷車に乗せる。ティアとリゼに励ましの言葉をもらって俺達が来た道ではないもう一つの街道から村を出て行く。
夜陰を全力で駆けるのに身を委ねながら、あの暴走精霊の姿が頭を過らないわけがなかった。




