2話 プロローグ
遡ること一週間前。
バルト・イグナスが領主のバルム国の辺境の村、フレンを出立したミキとティアはキャラバンに同行し、丸三日かけて首都セントペルムへと到着した。
国の中心にあるセントペルムは流通が盛んなため、周囲を高い壁に囲まれ入京の際には審査が必要となる。予め、父バルトからセントペルム修練学校の推薦状を託されていた俺たちは難なく審査を通ることができた。
「やっとついたな。」
大きく伸びをしながら、長いこと積み荷とともにして揺られていたため、閉塞感から解放された俺は春ただ中の落ち着いた空気を目一杯満喫する。
「ここが修練学校ですか?」
隣に立つティアは、春のそよ風にライトグリーンのロングヘアを揺らしながら目の前に屹立している建物を見上げ、そう確認する。
「そのはずだね。ほらあそこに学校の名前がある。」
そう促し視線をそちらに向けると、右の門扉のすぐ横の塀にはセントペルム修練学校と彫られた札が付いていた。
「ここで突っ立ってるのもあれだから早速、校長先生に会いに行こうか。」
「はい。」
開け放たれた門扉を潜り学校の敷地に足を踏み入れる。
左右にはそれぞれ同じ形の建物が二つ存在する。恐らく、教室棟だろう。そして、正面には左右の建物よりも一回り大きな建物が堂々と建っている。
本館であろうと予測し、正面の建物に入ると受付窓口が複数存在していた。
上の案内版には「クエスト」「学生」と大きく二つに分けられている。とりあえず、それらしい学生側の窓口へと向かう。いくつかある受付のうち空いているところへ並ぶと、女性係員の事務的な対応がなされる。
「こちらは学生課になります。今回はどういったご用件でしょうか?」
「えっと、校長先生にお会いしたいんですがどこにいらっしゃるか分からなくて…」
一瞬、女性は訝しむように眉を寄せるがすぐに元の事務的な表情に戻る。
「何か身分を証明できるものはお持ちですか?」
そう問われ、セントペルムに都入りする際に審査された時と同じく推薦状を二人分、提示する。
「お預かりします。」
そう言って中身を検分することしばし。俺とティアを両方確認すると推薦状を他の係員に渡し、俺たちに再度向き直る。
「校長室はこの建物の3階です。あちらの階段から昇り、突き当たりの部屋がそうです。」
「分かりました。ありがとうございます。」
礼を言って窓口から離れる。後ろから付いてきたティアは一息。
「はぁ〜。緊張しました。」
「ティア、人見知りだったっけ?」
「違いますよ。ただ堅苦しい挨拶に慣れてなくて…。」
「そうなんだ。」
と無駄話をしながら二人揃って階段を昇る。
「でも、次は校長先生とだよね?もっと緊張するんじゃない?」
「そんなことないですよ。前にも会ったことはありますし。」
「前にも…?そんな人と会ったことあったかな?」
必死に自分の記憶を探るが全く覚えがない。再度ティアに尋ねようと口を開きかけるがティアが先に答えを告げる。
「最後に会ったことがあるのは、私が五歳の頃ですかね…。」
少し顔を赤らめて弱々しい声で言う。
「そんなに前なの?」
ティアの言葉に少々驚き、そんな昔の話で大丈夫なのか?と疑問に思っていると、ティアも慌てて補足する。
「で、でも気さくな人柄ですからそんなに固くなることはないと思います!」
「そっか。」
さらに顔を赤くして、慌てる彼女を横目に多少緊張していたミキも笑いがこぼれる。
「もう。」
ミキの笑いが不服らしく頬を膨らましてそっぽを向いてしまった。
「ごめんごめん。」そうなだめながら3階に着き廊下を進む。左右には扉が等間隔にあり、それぞれ掛け札
が付いている。会議室だの談話室だの様々だ。突き当たりの扉には女性係員が話してくれたように校長室と書かれた掛け札がついていた。
改めて気を引き締め、扉をノックする。部屋の中からはっきりした声が届く。
「どうぞ。」
「し、失礼します。」
噛みそうになるのを耐えて、ノブを回しゆっくりとドアを開ける。
奥には執務用の大きいデスクと椅子。手前には2つのソファーに挟まれるように長机が置いてある。
他には特に何もなく充分な広さのある校長室はどこか物足りない感じだ。
すでに片方のソファーに座っていた、眼鏡をかけた男性がもう一方のソファーに座るよう促す。
俺とティアが座ったのを確認すると指を鳴らす。前持ってテーブルに置かれた三人分のティーカップの中を勝手にお湯が満たしていく。
ふと精霊の気配が漂っているのを感じ、執務机に目を泳がせる。
大量の書類が綺麗に置いてあった。整理された書類は、しかしその多さのせいで机の大半を占めていた。書類の他にペンや朱肉、ポットなども置いてある。ポットにはお湯が入っているのか湯気が黙々と昇っている。
ポットの口周りからティーカップまでにわずかな精霊の残滓が残っているのを感じる。恐らく、ポットの中身を精霊を媒介として移動させたのだろう。
そう考えを巡らしていると男性が眼鏡を持ち上げて言う。
「冷めないうちにどうぞ。」
その言葉に甘えて二人ともティーカップに口をつける。予め、粉末もカップの中に入っていたのか仄かなアップルの味が口に広がる。
「温かい飲み物はいいですよね。体だけでなく心までも暖かくなる。」
そう独り言を漏らすように続ける。
「さすがに夏場は飲み辛いので、冬が終わってしまうことが少し悲しくありますね。まぁ、冷たい飲み物の後に引かないすっきりとした味わいも好きですが。」
そう前置きをして、本題に入る。
「改めまして、長旅ご苦労様です。私はこのセントペルム修練学校校長のフリード・クラネルです。どうぞ気安く、フリード先生とでも呼んでください。」
そう言いながら微笑む表情はとても快いものだった。相手が校長先生という偉い立場上、少々緊張していたのだが、フリード先生の言葉で緊張が緩む。
「私はミキ・イグナスと申します。これからよろしくお願いします。」
「あなたがバルの言っていた子ですね。」
バル?と一瞬考え込むがすぐに父の名だと分かる。
「フリード先生お久しぶりです。」
「ティアちゃん…いえ、ティアさんも随分大きくなりましたね。」
そう言うフリードはまるで孫を久しぶりに見たお爺ちゃんのようだ。一方、ティアも久しぶりにフリード先生に会えてとても嬉しそうだ。
父バルトからは、旧知の友であり、とても気立てのいい男だと聞いていた。
やさしい人なんだなぁと改めて実感していると、不意にフリード先生の表情が一変、険しいものとなる。
「唐突ですが、言わなければならないことが二つあります。良い報せ、悪い報せどちらから聞きますか?」
その突然の問いに場の和んでいた空気がうすら寒いものとなった。
隣に座るティアに問いかけるように顔を向けると、「お任せします。」といった表情が返ってくる。
「では、悪い方から聞かせてください。」
「分かりました。落ち着いて聞いてくださいね。」
そう前置きをする。
「先日、お二人が村を出立なさってから、フレンの村が怪物から襲撃を受けました。」
その言葉に背筋に怖気が走る。
「単刀直入に言いますが、村は壊滅しました。生存者も確認されていません。」
そのあまりにも唐突な事実に脳がついていかない。頭が揺さぶられるような奇妙な感覚にさえ襲われる。
「そ、それは本当ですか…?」
あまりの突拍子もない話に冗談でも混じっているのかと確認するがあっさりと否定される。
「本当です。現地には騎士団が派遣され怪物の討伐と事後調査を行っています。」
その淡々とした口調に疑いの余地はなく、俺は沈痛な面持ちになる。ふとティアが気になり、左を向くが顔を伏せていて表情は分からない。膝に置かれた手は固く握られている。
しばし重い静寂に包まれた部屋の空気を破ったのはフリード先生だった。
「お二人ともご承知の通りだと思いますが、この世には大きく分けて三つ意思を明確に持った存在がありますね。二つは私とミキ君を含めた我々人間とティアさんのようなエルフ。そしてもう一つは怪物です。怪物の意思は一つしかないとされていますが、それは殺すことです。補食のためということもあるかもしれないですが、彼らは往々にして殺しを楽しんでいる。人間やエルフのような高度な知識は有しておらず、ただただ本能の赴くまま行動しているに過ぎない生き物です。」
そこまで言って、ティーカップに口をつけ一息つく。
「そしてその私たちにとっての害悪をこの世から駆逐するために存在するのが私たち精霊使いであり、騎士団です。本来、この騎士団によって、私たちの国を取り巻く怪物達の殲滅を行っているため国内に侵入する怪物は皆無に等しいです。しかし、今回は前例にない程、多くの怪物に襲われました。たとえ辺境の場所であったとしてもです。」
そう念を押すように付け加え、続ける。
「バルトも凄腕の精霊使いですが、不意な敵襲と圧倒的な物量差に対応しきれなかったのでしょう。」
そう言うと、バルトのことを想起するようにフリードは郷愁に満ちた眼差しで中空を見つめる。
ティアは未だ顔を伏せているので、口中の苦い気持ちを飲み下し、俺が代わりに先生に尋ねる。
「それで、良い報せというのは?」
「良い報せというものではないのですが、バルトから一つ頼み事をされましてね。俺の子をよろしくと。あとはこの学校二年間分の学費が送られてきました。余った分は大事にお使いください。」
そう言って分厚い封筒がテーブルの上に置かれた。
「あなたは精霊使いになりたいのでしたよね?」
改めてそう尋ねてくるフリード先生に思わず困惑する。
「そ、そうですが。」
「バルから聞きましたが、あなたは精霊を感じることができないのですよね?」
「いえ。感じることはできるのですが、その…仲良くなれないといいますか、好かれていないといいますか…。」
いきなりの問いにしどろもどろに返すミキにフリードは間が抜けたように笑う。
「ど、どうして笑うんですか…。」
未だ冷めやらぬというように笑いを堪えながらフリードは謝罪する。
「いきなり申し訳ありません。ふむ、そうなるとバルもあながち冗談であなたをここに連れてきたわけではないようですね。先ほど、お湯をカップに入れた際、執務机を見ていましたよね?」
「はい。精霊の気配を感じたので。」
「やはりそうでしたか。精霊と密に関わったことのない人があれほどまでに気配を感じ取ることは普通できませんよ。しかし、それほどまでに精霊を感じ取ることができるならば充分見込みはあると思うのですが…。」
「父にもなぜか分からなかったようで、結局俺は基本的なマナの操作と近接戦闘しか教えてもらえませんでした。」
そう付け加えるように言うと、フリード先生も頷く。
「長くなってしまいましたね。用件は以上です。着いてばかりで急ではありますが、二日後には入学式があるのでゆっくり休んでください。」
そう言うとフリードは席を立ち扉に向かって歩き出す。
父親の死を告げられ相当、消沈しているティアに呼びかけ一緒に席を立ち、入り口に向かう。
フリード先生とすれ違いざま、ミキだけ呼び止められ囁き声で告げられる。
「バルトからあなたへの伝言です。俺の跡を継ぐのは構わないが気をつけろ。ティアをよろしく頼む。だそうです。」
「…?」
中々要領を掴めないミキに校長はさらに助言を加える。
「バルトが死んだのには誰かの思惑が存在するかもしれないということです。」
「それって…?」
「バルトをひいてはその思想を快く思っていないものがいると言うことです。」
その言葉で察したミキはフリード先生に再度尋ねようとするが、彼によって遮られる。
「長話が過ぎました。あまり女の子を待たせると嫌われてしまいますよ。」
そう言われ、振り向くと開いた扉の外でティアが待っていた。
「彼女の支えになって上げてくださいね。」
最後にそう告げられ、半ば追い出されるようにして校長室を出る。
ガタン。と音を立てて背後で扉が閉められる。
二人取り残されるよう廊下で立っていると言い知れぬ重い静寂がまた、あたりを包む。
「と、とりあえず寮に行こうか。」
「…。」
「場所分かんないからまた学生課に訊かないとな。」
「…。」
「じゃあ行くか…。」
そう言って歩き出そうとしたミキの胸にティアが抱きついてくる。
「ちょ…。」
いきなり身を任せてきたティアに姿勢を崩すが、危ないところで持ち堪える。
俺の服に顔を埋めるようにするティアの頭にそっと手をのせる。
「大丈夫か…?」
大丈夫なはずがない。自分でもそう思いながら、しかし他にかける言葉が見つからない。
ティアが俺の服を握りしめ、今にも泣き出しそうな声を絞り出す。
「痛いよ…ミキ。胸が痛い…。」
俺は何も言うことができず、ティアの背中に腕を回してさする。
すると堰を切ったようにティアは泣き出した。今まで耐えてきた感情を外へと押し流すように。
彼女の心の涙が枯れるまで、俺はただ彼女の苦しみを受け止め続けることしかできなかった。