17話 出会い
少女はスキップをしながら坂を下りて行く。
村の北側に座すように盛り上がった丘は、反対側を斜面、もう反対側を垂直に切り立たせている。
そんな丘の頂上、崖っぷちでもあるそこに建てられたログハウスのような造りの家から出てきた僕達は、斜面に沿って下り、丘の周囲に沿って回り込む。
斜面だった足場がいつしか平面に変わり、側には頂上にログハウスが一軒だけ立てられた丘の崖が垂直に屹立していた。
ここまで来ると、他の民家もちらほらと姿を現す。
それについで人気もまばらに混じる。昼前の今の時刻は少し活気があるように感じた。
女性の人が多いのは、男性が農作業に出たり、獲物を狩ったりと力仕事に精を出しているためか。
ふと振り返り、先程まで居た丘の頂上の家に目を向ける。
まるで見張り台のような雰囲気のそれは、寂寥感に溢れていて近寄り難く感じる。
それも相まってか、丘の下に密集して住まう人々からは温かみを感じる。
そう思うと、先を行く少女は、その寂しさから逃れるようにこの地に逃げ込んできたかのように感じた。
村の中央に位置する井戸まで来ると、その周りでは複数の女性が洗濯をしていた。
一人の女性がこちらに気付き、何か声を掛けてくる。
「あら、ティアちゃん?こんにちは。」
「こんにちは。」
「あのバルトさんが一緒じゃないなんて珍しいわね。一人でお散歩?」
「一人じゃないよ。ほら、ミキくんも一緒。お父さんは遊んでくれないからもういいの。」
「あらあら、そんなこと言うと、お父さんきっと泣いちゃうわよ。」
ティアも女性もそれにくすくすと笑いを零す。
一通りティアと何かしら話し終え、今度は女性がこちらに何か語りかけてくる。
「あなたがミキ君ね。皆、話は聞いてるわ。大変だっただろうけど、今はとにかく休んで元気になるんだよ!」
「…?」
がしがしと頭を撫でくり回してくる手は水で濡れていて冷たかった。
無言で頭を撫で続けられるミキに思い出したようにティアが声を上げる。
「そうだった!」
「どうかしたのティアちゃん?」
「ミキくん知らない国の人で言葉が通じないの。」
「そうなのかい?困ったねえ…。」
「大丈夫。私が話せる!」
どうやらティアの父親が施した意思疎通は、僕とティア、バルトさんの三人でしか通じないようだ。ティアが女性の言葉を代弁してくれる。
ティアの進言によって、彼女の父親であり、この村の長であるバルトさんから保護されることになった僕は、怪物に家族を襲われ命からがら逃げていた所を拾われた、ということになっているらしく、小さな村では、その情報はすでに流布しているようだった。
「は、はい…。」
先程の女性の言葉に対してそう弱気に呟くと、こちらの言葉もティアはしっかりと相手に伝えた。
「そんな悲しい顔してないで笑いなさい?」
両頬を引っ張って口角を上げさせようとする女性は、しかしすぐに手を離す。
「それじゃ、私はまだ仕事が残ってるんでね。またね。」
「ばいばい。」
「…。」
最後にそう告げて女性は井戸端へと戻って行った。
「さ、ミキくんいこ〜!」
「どこにいくの?」
「二人でお散歩!ピクニック!」
そう言って、片手に持つ籐籠を嬉しそうに掲げてみせる。
「お気に入りの場所があるの。そこまで一緒にいこ。」
「…。」
満面の笑顔でそう言うティアは、ライトグリーンの髪を揺らしながら、鮮緑色の瞳でこちらを見てくる。
綺麗、というよりもまだ、可愛いの方が似合う年頃の少女に見入ってしまう。
現実離れした少女の容姿につい自分までもが浮世離れしてしまいそうになる。
何か自分が異なる世界に来てしまったかのような錯覚を与えられる。夢想に耽ってしまうようなこの気持ちは、ある種の禁断の薬かもしれない。
それは辛い現実の世から逃げ出すための秘薬だ。辛かった出来事を、過ぎ去って尚、自分の中に居残り続け、苦しめるものから救い出してくれる薬。
はっと我に返る。
今、自分の中にある負い目から逃げ出そうとしていた。一人、生き残ってしまった罪悪感と孤独が胸を締め付けてくる。
「どうしたの?」
苦しさが顔に出ていたのか、ティアが心配そうに顔を覗いてくる。
ここ二、三日はティアの父親が家を空けていることが多かったこともあり、ティアとは四六時中話し合っていた。
自分の名前から好きな物、親のこと、村のこと。ほとんどティアが一方的に話を振ってきては、自分のことを話していただけだった。
特に、家族のことになると話し辛くなってしまっていた僕の顔には、はっきりと苦渋の表情が浮かんでいただろう。
それを汲んでか、ティアはずっと自身の話ばかりをしていた。
「やっぱり、私なんかと遊ぶの…いやだった…?」
そしてまた気を遣わしてしまっている。素早く否定する。
「ううん。そんなんじゃない。」
「そうなの?なら…うれしいんだけど…。」
まだ、僕の顔が曇っているのかティアは不安そうに言う。
「その…お父さんに怒られるんじゃない?やっぱり家に帰ったほうがいいよ…。」
そう最もらしい理由を付け加える。
悩んでいたこととは違うが、これも悩みの種の一つではある。
ティアが言うには、父親は優しい人らしい。しかし、それは彼女に対してだけであり、端から見ても容易に分かることだ。
ティア自身は他人とほとんど遊ぶことがないらしく、それに気付いていない。
「大丈夫。お父さんにはちゃんと伝えたし、約束は守ってるから!」
だからそう平然と言ってしまう。
しかし、家を出る前に物凄い形相で睨まれた僕はあの人が優しい父親であることを全く信じられない。
ともすれば、今回の件に関して怒られる責は自分だけなような気さえする。
だから大人しく帰りたいということも多いに悩めることの一つだ。
「いこ!」
そして何故か僕なんかと行くピクニックを楽しみにしているティアを断ることができないのも一つの苦悩だ。
村の周囲は森に囲まれている。村のあった場所も元々は森の一部で、人が住むために最低限伐採し、開拓したらしい。
木の根が至るところから出ていて、地面の起伏が激しく、歩きにくいことこの上ない。
ティアはそこを慣れた動きで軽快に進んで行く。
しばらく言葉を交わしながら歩き続ける。
籠の中に入れてあるサンドイッチの中身や今日の天気、食事の後は何をしたいかなど他愛ない話をティアがする。
ちなみに中身は卵にレタスと簡単な物をティアが作っているところを見ていたし、今日もいつものように春ばれで、食後はまたぶらりと散歩することになっている。
そうこう話している内に川へと行き当たる。ここが目的地なのか適当な位置にティアが腰を下ろす。
敷物なしで座ることに多少の抵抗を感じたが、何も気にしてないティアに合わせた。
川は少し幅広で、堆積物は大きめの石が多かった。
土手に位置する場所に陣取っていた僕達は、下に流れる川を眺める格好だ。
いそいそと籠からサンドイッチを取り出す少女は、僕の分も手渡してくれる。
「ありがとう。」
「うん。それじゃいただきます。」
「いただきます。」
ぱくっと端に食い付く様子を見て僕もそれに倣う。
しばし、無言で食べ続けていると川下の方から男の人達の声が聞こえてくる。
視線を巡らせると、十人ぐらいの男達で、太ももまで浸かる川に入っている者や川岸で片腕でもギリギリ運べそうな大きさの樽に川の水を汲んでいる者、ランタンのような物を複数個中心に置いて円陣を組んでいる者がそこにはいた。
川に浸かる者は網を構えて、水の中に入れては魚を引き揚げていた。ただ網を水中に入れるだけで自ずと魚が網に入って行く。水の流れを自在にコントロールしているかのように楽々と魚を捕っていた。
川岸にいる者は、一カ所に寄り集まって川から水を汲んでいた。少し汲んではしばらく川を眺め、少ししたらまた汲むという風に定期的な作業だった。
ランタンを中心に囲んでいる者は座りながらただランタンを凝視しているだけに見えた。
その中で皆一様に共通しているのは、両手に炎を纏っていることだ。炎の色は二色だけで、まさに燃えるような赤色と澄んだ色の青色、比としては青色の炎を焚いている者が多かった。
何をしているのか不思議に思いながらサンドイッチを口に運ぶ。
ティアの父親もそうだったがここに暮らす人々の中には手を燃やしている人が少なくない。
はっきり言うと、異常だ。そんなのありえない。手が燃えているなんて想像しただけでも怖い。しかし、想像とは違い、皆何事もなく手を灯す。
異常と言えば、まだ一つだけある。ここの人達は耳を三角に尖らした人と丸い人がいる。
当然僕は後者で、それ以外考えたこともなかった。が、すぐ隣で同じくサンドイッチを頬張る少女は前者だ。
初めてそれを知った時、その容姿だけで彼女を人ではない何か別の存在だと怖く感じた。
でも数日の間、彼女と話してみてその思いはいつの間にか消えていた。自分とほとんど何も変わらない。
性格や趣味、価値観は違えど言葉では表せない根本的な何かが同じだという気がした。
初めてティアの父親が手を緑色に灯すのを見て、頭の上にそれを翳された時はとても驚いたが、同時に何か温かいものに包まれた感じもした。見えていなくとも、意志を持った何かが存在しているようだった。
それは、怖がるようなものではなく、人間と調和さえできる親しみ深いものかもしれない。特に僕の側には他の何よりも具体的で、しかし形容できない何かがいる。
その曖昧な者の正体が知りたい。虚を衝いて出た言葉は僕からの初めての質問だった。
「あの人達は何をしているの?」
「えっとね。お魚とりとお水くみと火の精霊さんを集めてるの。」
急な質問でもしっかりと答えが返ってきた。
「火の…精霊?」
「うん。」
「精霊ってなに?」
「え?知らないの?」
「…うん。」
驚いた表情を浮かべるティアはすぐににっこりとした表情へと変わる。
「じゃあ教えてあげる。これが精霊だよ。おいで、しるふぃー。」
「うわ!」
隣の少女の両手に彼女の髪と同じ色の淡緑の炎が灯る。
驚き、つい身を引いてしまった。
「そんなに驚かなくていいよ。ほら、きれいでしょ?」
「…。」
僕の手を握り安心させようとしてくる。じんわりと手から温かさが伝わってくる。
炎はこちらに燃え移ることも、燃え尽きることもなくただゆらゆらと揺らいでいる。
それで少し落ち着き、改めてティアの手を見る。
お互いが繋がっている手からは彼女の手以外感じるものはなく思っていたよりも炎は希薄だった。
「これが…精霊?」
「うん。精霊は色んな子がいてね、私とお父さんのみたいな色の子とあのおじさん達のみたいな色の子と、あと一つ珍しい子がいるんだって。私もまだ見たことないから一回見てみたいな。」
いつも以上に笑顔なティアは、僕の知らないことを次々と教えてくれる。
「それでね。あのおじさん達は精霊を使って、お水の流れを変えたり、お水を綺麗にしたり、お日様を集めたりしてるの。」
「お日様を集めるって…集めてどうするの?」
魚を捕ったり、水を汲む理由は分かるが、太陽を集めてどうするのだろうか。そもそも太陽をどうやって集めるんだろうか。
「夜になると暗くなっちゃうからあれで明かりを灯すの。お家にもあの容器あったよね?」
「…うん。」
思い出してみるとティアの言う通りだった。部屋の壁に、もしくは天井に、はたまた家の玄関口にといろんな場所にあのランタンのようなものが提げてあった。
中には何も入ってないのに明かりだけが付いていて、最初は不思議に思ったが結局聞くことはなかった。
それじゃああれは太陽を集めてるんじゃなくて、明かりを集めているということなのだろうか。
抽象概念過ぎるが故にまだ子供な自分にとってはそれで自己解決することにしてしまった。
「それで、どう?精霊のことはわかった?」
未だ離していなかった僕の手をきゅっと握りながら尋ねてくる。
「う、うんわかった。あ、ありがと。」
今更ながら、今まで以上にティアとの距離が近いことを意識してしまって、手を素早く離して少し距離を取る。
あっ。とティアが残念そうに呟いたのは幻聴だったかもしれない。
「ならよかった…。しるふぃー、ばいばい。」
ティアが友達に別れを告げるように言うと手に灯っていた炎が消える。
その後は、残りのサンドイッチをゆっくり食べた。食べながら自然に浸かり、川下から時々聞こえてくる男の人達の談笑が、周りが自然だけでは人恋しくなりそうな心に響いた。
ティアはどう思ってるんだろう。僕は彼女の手を慌てて離してしまったことを少し後悔した。




