16話 愛娘
「お父さん、行ってくるね。」
父の書斎入り口でそう挨拶する少女がいる。
家は木造建築、室内もその一切が木でできていて常に新鮮な空気が部屋中を満たしている。各部屋には扉が取り付けられておらず、密閉空間がないことも爽快感を増す一つの要因となっている。
「お父さんまだ仕事中だからな、一人で遊びに行っちゃいけないっていつも言ってるだろ?」
父が家にいる時、いつも籠っている書斎にも扉はない。
デスクに山と置かれた書類はその仕事の量を如実に現し、周囲に所々置かれた本棚からは奇妙な感覚を与えられる。
正直言って、子供が好む場所ではない。
仕事の大変さも分からなければ、小難しい話も聞きたい年頃ではない。
一体こんな辺境の村の長としてそんなにも何をやることがあるのかと思ってしまう。
もっと私と遊んでほしいのに。
だから今回は意趣返しだ。
中々遊んでくれないお父さんはもういい。やっとできたお友達と遊ぶから。
「一人じゃないよ。ミキくんと一緒だもん!」
「……。」
いつも同じ文言で私を制しようとした父は、その言葉を待っていましたとばかりに満面の笑みを零して言われたその言葉に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「でもなティア、子供二人だけじゃ…」
「お父さん…嘘つくの?」
「うぐぐ…ティアはいつからそんなことを言うようになったんだ…。」
どうしても娘を止めようと粘るが今回ばかりは理がこちらにない。
それに、にへへ。ととても嬉しそうな顔を浮かべる愛娘を前につい顔がにやけてしまう。
おっとっと、今はあの少年もいるからな…堪えねば。
頬が弛緩するのを防ぐべく、目頭に力を入れる。
「うっ……。」
さながら鬼の形相になってしまった面でティアの後ろに控えている少年をひと睨みしたことで少年が怯えた声を出す。
「もう、お父さん!どうしてミキくんをいじめるの!」
「あ、いや、そんなつもりじゃないんだティア…。」
「もういい。いこ。」
「お、おい!」
父の制止の声も聞かずに二人は玄関の方へと向かう。
「ちょっと待ってくれティア!」
ガタン。
「っ…!」
バサバサ。
「ぬぬ…。」
慌てて追いかけようとしたせいで椅子が引ききれず、太股を机の引き出しに強打。その振動で机の端にあった紙の束が落ちてしまった。
盛大に溜め息が漏れる。
ミキと呼ばれた少年は赤の他人だ。数日前から我が家に居候をしている。
この少年が村の近くの森にいたのを発見したのはティアだった。
久しぶりに時間が取れたので、娘とピクニック気分で村の辺りを散歩していた途中、何かを聞き取ったティアが異国の少年を見つけたのだ。
そして、彼をどうしてか庇おうとする娘のおかげで身寄りがないという少年を一時預かることになってしまった。
ミキの出自は不明、何があったのか、どうしてここにいるのかも答えてはくれなかった。唯一名前だけは教えてくれたが、それだけだ。
言語は通じなかったため、外国からの来訪者ということは間違いない。
観光目的か移住者か、はたまた別の用件があったのかは不明だが、少年の家族は運悪く怪物に遭遇し、彼を除く全員がやられてしまったと結論付けた。
そのため、彼をいち早く家から追い出したいのを後回しにしてまでやることができてしまった。
それは、亡くなってしまったであろう家族の捜索だ。
いつまでも亡き骸が放置されているかもしれないと考えると気の休まらない話であるし、少年のためにもこれはしないといけないことだろう。
それにしても骨の折れる仕事だった。彼を発見したところから中心に風精霊を駆使して、俺が探索できるギリギリの半径一キロメートルまでの物の気配を読み取り、捜索を行った。
いくら、精霊を使いこなせるからといって二度とやりたくはない。
自分の使役する精霊から自然精霊へと伝達の幅を広げて、波打つように周囲に精霊を拡散させて触れた物の形状を思念として送る。
そんな作業をするには膨大な精霊を操らなければならないし、無数の木や石の形状を思念として次々と送ってくる精霊の情報を得るには集中力がいる。
送ってくる物の形状の中に人の形を見出すまで延々と続けるそれは、幾千もの思念を一つずつ読み取り、これではないと次々と要らない情報を捨てていくひたすらの作業だ。
この齢となって精霊と意志疎通をほぼ完璧に行えるようになったとは言え、それは苦行の何物でもなかった。
結局、それでも少年の家族の死体らしきものは検知できずに終わってしまい、その徒労感たるや筆舌に尽くし難い物であったことは言うまでもない。
少年は発見された時、全身に返り血を浴びていた。それでつい全員死んでしまったと思い込んでしまったが、もしかしたら逃げ延びた彼の家族がいるかもしれない。
そう思い、ここ数日は家を空け、懇意にしている近くの村まで出かけることもあったが、やはり収穫はゼロだった。
俺もやることがゼロというわけではない。これでもこのフレンという村の開拓者として、長としてやることは多い。
村人の状況把握は毎日欠かさず行い、民度の維持には気を使う。また、村で得ることの出来ない物資などは、外から持ってくる。そのためには、月に数回この村に訪れるキャラバンの申請の整理やそれが少ない時はこちらから、近くを通る商人達に寄り道をお願いしたりしなければならない。
怪物を討伐するため、街から各地に派遣されている精霊使いの団体には、毎月、村とその周辺の状況を申告し、必要であれば助力を要請することだってある。
この村は和平を望む集団が寄り集まってできた集落のため、いざこざは少ないが、ないこともない。
特に外から来たよそ者は例外なく申請を通してもらい、許可を与えた上で商売や観光、移住の自由を与えるようにしている。
そうでないと、村人との厄介事に巻き込まれた時、対処がしにくいからだ。
そうした中で、数日少年の家族探しのために奔走し、一区切りついたらついたで村の仕事が残っているこの状況。
挙げ句、家を留守にしてる間にいつのまにかティアはミキとかいう子と仲が良くなっているようで、俺が外出している間は固く外出を禁じていたが、家に帰ってくるなりあれだ。
はっきり言って、仕事が多すぎて辛い。俺だって年甲斐もなく娘と遊びたい。
なのに少年のせいで仕事量は増し、娘と遊ぶ時間は減り、そして新たにミキという遊び相手ができてしまったことで、今まで友達がいなかった(むしろ俺が作らせなかったと言ってもいいかもしれない)ティアは俺が危惧していた通りになってしまった。
むしろ今までがいけなかったのかもしれない。ティアに同世代の村の子達と楽しむ時間を作ってやるのが親の仕事だったのかもと思うこともある。だけど、心配事はこれ以上増やしたくなかった。もしティアが他の子と馴染めなかったら?村の人は大人もその人達に育てられた子供達もみんな優しい、そんなことはないだろうがもし虐められたりしたら?それになにより、父を慕ってくれなくなるのがちょっと寂しい…いや、ちょっとどころではない。
だから、正直言うと、少年に嫉妬している。
あの少年さえ、我が家に転がりこまなければ…!と内心、醜く叫ぶ。
「やはり、速く彼を追い出さなければ…!」
内心どころか口を衝いて出てしまう。
しかし、元々そのはずだ。まだ年端もいかない子供を一人にさせるのは酷だから一時的に預かり、託すべき所に託すまでをしてあげるのが人として見ても妥当なことであって、それをしているに過ぎない。
褒められこそすれ、責められる謂れはないはずだ。
そう、卑しく醜い己を正当化する。
まだ考えたこともなかったが、娘が恋人を連れて来た時、その人と一緒に俺から独り立ちしてしまった時、その時は今と同じような心境なのだろうか。今よりももっと激情に駆られてしまうのだろうか。それともそれを祝福できる心境の変化が起きているのだろうか。答えなんか決まっている。
そう、我が娘を愛してきた多くの父親がしてきたように俺も同じことをするに決まっている。




