11話 生物精霊
鈍い銀色の刃が宙を舞う。しばらく飛翔を続けた短刀はやがて落下し、木の根に当たるとあらぬ方向へとさらに跳躍する。
その様を目ですら追うことなく俺は静止する。
どうして足下には固い地ではなく泥状になった土が広がっているのか。
そんな驚きが、状況が、俺の行動を束縛した。
ややあってアリス先輩の声が響く。
「ポチ、取りに行って。」
その直後、固まっていた思考が一気に氷解する。
先に気が付いたのは感覚だった。以前にも感じた精霊と野性が混同したような独特の気配。一歩遅れて思考が追いつき、今までの先輩の様子と合致する。
分かってしまえばなんと言うことはない。アリス先輩は生物精霊の精霊使いなのだ。
「きゃっ!」
続いてティアの叫び声が耳に届いた。
今度は思考するよりも体が先に動く。
泥に嵌まった靴が思うように動かせない。無理矢理、前に足を動かすと呆気なく抵抗はなくなる。
無我夢中にティアのところまで駆け寄ると、そこには狼がいた。
街中で飼われているような、飼いならされた動物ではない。目つきも口から覗かせる犬歯も鋭く、野生本来の本能、狩ることをそのまま体現した生き物がそこにはいた。
そして、その生き物はティアを押し倒し、今まさに喰らう寸前だった。
「ティア!」
思わず大声で名前を呼ぶ。ティアから狼を引き剥がそうとさらに近付こうとしたところで、狼の口が顔を守ろうと前に翳したティアの腕に触れる。
間に合わない…!
焦燥に駆られた俺の目に映ったのは鮮やかに散る鮮血…の幻覚だった。
実際には、ティアの腕に狼の牙が突き立てられることはなく、肌を滑ったのは狼の舌だった。
「だ、ダメ。くすぐったいよぉ。」
「……。」
狼がティアを舐めている。そんな光景を俺は放心状態で見ていた。
「お兄ちゃん行動速いね。いくら妹がかわいいからってあれじゃあシスコンばればれだよー。」
あはは。と盛大に笑いながらアリス先輩が近付いてくる。
「ちょっとアリス、笑い過ぎよ?良いお兄さんじゃない。」
反対方向からは弓を片手に持ったリゼ先輩が姿を現した。
「そうだね…ぷっ…ティア!ってすごい必死だった。」
笑いを堪えながら俺の真似をするアリス先輩。
そこでようやく放心の解けた俺は恥ずかしさのあまり一瞬で顔が熱くなる。
「シスコンなんかじゃないですよ!あ、あれはただ叫び声に釣られただけと言いますか…。」
「ティアちゃんいいなあ、ミキに過保護にしてもらえて。」
次いでカズミの声。
「過保護になんてしてないだろ?…そ、それよりゲームは?」
「そうだった。」
ごまかすように言った俺の言葉にリゼ先輩が思い出したように周囲を見回す。
「あった。はい、これ。私達の勝ち。」
手に持った一本の矢には、矢柄の中程に貫かれた赤い帯があった。
「射抜いたんですか?」
幅が三センチ程しかない帯をしかも動く物体を射抜くなんてそうそうできることじゃない。
見事な技に驚いている俺にリゼ先輩は種明かしをする。
「そんなにすごいことでもないの。矢を放ったあとは風精霊に任せっぱなし。特に布みたいな風に流され易い的は矢の軌道に合わせて的を動かすだけよ。」
簡単でしょ?と微笑む先輩を改めて認識する。
強い。一年、自分よりも年上なだけなのにその本質はまるで違う。
個人の技量、精霊の扱い方、戦況の運び方どれを取っても学ぶべきことはたくさんある。
そしてこれからは、この人達から精霊使いとしての手解きを受けるのだ。そんな先輩に対して感心しているとティアから再び声が上がる。
「ぷは。い、息ができません…やめてください。」
ティアの腕を舐めていた狼はいつの間にかティアの顔まで達していて、ティアが必死に押し返していた。
「こらポチ!矢を回収せずに何やってんの!ほら、離れなさい!」
アリス先輩がティアの上に乗っている狼を払いのける。
クルゥンと鳴いて耳を伏せた狼は残念そうに呟いた。
「可愛い女子との…。」
「うるさい。このエロ犬!」
狼の言葉を遮って、側に落ちていた石ころを拾い上げる。そのまま狼に向かって石を投擲するが、クーンと
悲しい声を上げると狼は姿を消し、石ころは空を斬っただけとなった。
「あの狼しゃべれるんですね。」
「あ、うん。でも動物なんてしゃべれない方がいいよ…。」
そうげんなりしながらアリス先輩はティアに手を差し伸べる。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。…純真無垢な行動の裏には実は卑しい気持ちがあったなんて知りたくなかったな…。」
そんな先輩の嘆きには賛同せざるを得ない。もしかしたら生物精霊となってしまった結果、ということもあるかもしれないが、どちらにしろ動物の口からあんな言葉は聞きたくなかったと俺も思った。
それはカズミも同様だったらしく、顔を引き攣らせている。
なんとも微妙な空気になってしまったところに慣れたようにリゼ先輩がまとめる。
「何はともあれゲームは終了よ。ミキ君は靴を取りに行ったら?」
「え?」
その言葉でようやく自分が靴を履いていないことに気付く。
どうやらティアの悲鳴が聞こえて、相当焦っていたらしい。
これには言い訳のしようもなく、顔を真っ赤にするしかなかった。
「恥ずかしかったなあ。」
湯船に浸かりながらしみじみ思う。
「そう気を落とすことはない。女子というのは男子の凛々しく逞しい姿だけでなく恥じらう姿もまた求めているものだぞ?」
「そうなのか?…ってそんなこと気にしてる訳じゃないよ!」
「違うのか?」
ああ。と言って湯船に頭まで浸かる。
先輩とのサバイバルゲームの後、かなり早いが戦闘訓練の授業は終わりとなった。どうやら先輩達主導の授業となるようだ。
そして一年生寮に戻るなり、同じく二年生寮に戻ったはずの先輩達はすぐに押し掛けて来た。その上、汚れたからと言って、ティア、カズミも含めて女子四人で風呂にまで入り出した。
実際、俺も足は汚れっぱなしなので、四人が風呂を出た後、午後三時という昼間から風呂に入っている。
「ぷは…はあはあはあ。」
息が切れて浮上する。
「難しいものだな。どれ、そろそろ体を洗ってもらえるか?」
待ちくたびれたというように俺を見てくる、生物精霊である狼がそこにはいた。
どうして精霊になったのかとこの狼に聞いたが答えは簡単だった。
幼い野良犬として街を彷徨っていた頃、他の野犬のテリトリーに入ってしまったらしくひどい攻撃にあったようだ。そこでたまたま通りかかったアリス先輩に助けてもらったようだが、傷が深く間もなく死んでしまったらしい。
当時九歳だったアリス先輩は初めて出会った野良犬の死にさえ涙したらしく、助けられた犬はそんな彼女を慰めるように精霊となって現れたらしい。
なんともハッピーエンドな話だ。
そして生物精霊になったポチは、今では、アリス先輩を守るため、迫力のある狼の姿を取っているらしい。
「…分かったよ。」
湯船から上がり、ポチ専用と柄にかかれたブラシを手に取る。当然、アリス先輩が持ってきた物だ。
シャワーを掛けながら洗っていく。
「精霊ってことは別に風呂に入らなくてもいいんだろ?」
「そうではあるが、清潔を保つためだけに体を洗うだけではないからな。」
「そうかい。」
くだらない話しをしながら隅々まで丁寧に洗い流す。
「そういえば、精霊を呼び出す時のオーラって使い手以外にも出せるのか?」
突然の問いだったが、ポチはこちらをちらりと見ただけすぐに答える。
「あのシズネとかいう女子じゃな。」
的確な返しに少々驚く。
「知ってるのか?」
見ておったからな。と、なんともないという風に答えが返る。
「あれは精霊を呼び出した時に出る発作みたいなものじゃからな。他者に同じようにすることもできないことはない。普通はせんがな。」
「そうなのか…ってことはペア同士で、扱っている精霊の偽装ができるんじゃないのか?」
「それは無理じゃな。精霊を呼び出していればオーラはでるし、そこに他者のオーラを混ぜても二色が重なっているようにしかならん。お主やアリスのような人間以外はな。」
最後に「まあ、しかし攪乱はできるかもしれん。」と付け足すと体を起こして振るう。
「うわっ。」
水気が周囲に散る。
「感謝する。気持ちよかったぞ。」
「感謝するならもうちょっと気を配ってほしいもんだ。」
返しに忍び笑いを漏らす狼に俺も思わず笑ってしまう。
初見はあまり良いとは言えないものだったが話してみると案外エロ犬なだけではないようだった。
仲良くなれそうだなと考えていると犬が真面目な顔で告げる。
「やはり女子が入ったあとの風呂は格別じゃな。良い匂いが…ぐふ。」
思いっきり脱衣所まで投げ飛ばしておいた。
次話投稿は徐々に長く、量は徐々に少なくなっています。
あとは前者も短くなればいいんですがどうもそう言う訳にはいきません。
シズネがオーラを出していたのはミスではないんですが、説明をいれなかったのはミスでして…でもここで説明はできましたね!(いやあんまりできてないです…
設定説明と言えば時代背景とか科学の発達具合とかほとんど触れてきませんでした。
貴族みたいなのがいて、洋風の街並、科学は車みたいなのはないくせに冷蔵庫はあるみたいなよくあるファンタジー風景にご都合設定オンパレードな脳内設定になっておりますので、もはや読者に設定は丸投げ状態です。すみません!!
そして今回も最後まで読んで頂いてありがとうございます!
次話も読んで頂けたら嬉しいです。




