〜An Episode〜 8
よろしくお願いします
「私の主人は…………ユリーガ・カヴァニュニラ」
「外れねーーあれ? もう一度いいかしら」
「だから、ユリーガ・カヴァニュニラだよ。私自身、仕事以外外に出られなかったから、何している人かは分からない」
少女は淡々と述べる。
瞳の動き、仕草からは嘘による動揺などは見られないから、本当なのだと思う。
レイラはユリーガが何をやっているなどということよりも、もっと重大なことを知ることができたため、それで満足していた。
「なるほどね。カヴァニュニラ、か」
レイラはユリーガの姓を自分の口から発し、それ以上の質問はしなかった。
道中、少女は再び眠りについてしまい、残りの家路は静かなものとなった。
眠りについていたのか、レイラたちは気づいた時には家に着いていた。
練色をした石造りの少し広い家である。玄関の左右に見える庭は多種多様な花が植えられ、華やかさがある。
レイラたちの乗る魔車は玄関から見て左の庭の脇に駐車された。
レイラは魔車に乗ったまま一つ伸びをすると、飛び降りた。
レイラが魔車から降りると、魔車の音を聞きつけ駆けつけてきたふくよかな体型の、女中の服装を着た年配の女性使用人、マリーと丁度会った。
「申し訳ないのだけれど、この二人の面倒お願いできるかしら? 家に入れるのは手伝うから」
「承知いたしました、レイラ様」
「ありがとう、マリー。お願いね」
レイラはマリーに微笑みかけると、魔車からヴァールを引っ張り出し、芝の生えた庭を横切って玄関まで両手を持って引きずる。
マリーはというと、少女を横抱きしてレイラの後ろをついてきていた。
レイラはヴァールを引きずったまま玄関のドアを開けると、靴を脱いで、すぐ近くの部屋のドアを開ける。
そして、布団を敷くと、そこで横にさせた。
この部屋は、東国の「畳」と呼ばれる床が敷かれた部屋だ。ヴァールの趣味である。周りには掛軸や、木彫りの置物が置かれている。
ちなみに、ヴァールとレイラの帽子かけがここにあるため、本日はレイラが帽子をかける。
引きずってごめん!
レイラは両手を合わせて心内で謝罪の言葉を述べると、マリーが部屋に入ってくる前に、部屋の外に出た。
外に出ると、マリーが少女を抱えて入るところだったらしく、すぐ目の前にマリーの姿があった。
「自室へお戻りになられますか?」
「ええ。ごめんなさいね、面倒事押し付けてしまって」
「御心遣い感謝いたします。良いのですよ、好きでやっていることです。レイラ様もよくお休みになってください」
「本当にありがとうね。よろしく」
レイラが自室のある二階への階段に足を出すと、マリーが会釈をしてレイラを見送った。
よくお休みになってください。
マリーの言葉が脳裏に蘇る。まだ新しく、温かい記憶だから。
でも、まだ休むわけにはいかない。
カヴァニュニラ家について、もっと調べなければ。
レイラの足は、今日一日の疲れも知らず、急いで階段を上った。
✙
まだぼやけた視界が、見たことのある景色を映す。
ここはーーレイラ様と僕と使用人さんの住む家の天井?
でも、なぜ?
「ああ! お気づきになられましたか?」
聞き覚えのある声が、耳の鼓膜を揺らす。
女性の顔がぼんやりとした視界に映る。
この人はーー。
「マリーさん! ーーぐはっ!」
「あたっ!」
誰かを思い出した拍子に、頭を上げてしまったせいでマリーと頭をぶつけてしまった。
非常に、痛い。
ヴァールはヒリヒリとする額を右手で覆い、小さく頭を下げた。
「すいません、マリーさん」
「いえいえ、こちらこそ注意不足でございました。申し訳ごさいません」
マリーもヴァールと同じようにして額を押さえ、微笑みながら頭を下げる。
ヴァールは、いえいえ、と左手を左右に振ると、話題を別のものに変えた。
「レイラ様はどちらに?」
「自室に向かわれましたよ。お疲れになられたのでしょう」
マリーは笑顔を絶やさず、説明を続ける。
この笑顔には、心が癒える。
ヴァールは一言、そうですか、と返すと視界のほんの僅かな隅に、人影があるように感じた。
ヴァールは見ることに躊躇いを一瞬感じながらも、その人影を視界に入れた。
そこにはーー。
「龍人の……女の子?」
「はい、負傷者なので運んでほしいと頼まれまして。ヴァール様のご反応から察しますに、お知り合いではなさそうでございますが……どなたなのでございますか?」
マリーが怪訝な顔でヴァールを見る。
ヴァールは少しの間、返答に迷い、その後返事を返した。
「…………レイラ様の……お友達です。すいません、少しお腹が空きました。ご用意していただいてもよろしいでしょうか?」
ヴァールは、さほど空いてはいない腹をさすり、マリーに軽食を要求する。
マリーは目を細めてヴァールを見つめ、間を置く。
しばらくすると、承知いたしましたと返事をして部屋の外に出ていった。
マリーの足音がキッチンへと向かっていくのを確認すると、ヴァールは少女にしっかりと焦点を合わせる。
鈍色の肌に光が当たって輝き、その額には一対の角が生えている。顔は整っており、幼さが垣間見える。顔だけではなく、体も華奢だ。髪は白い色をしていて、ショートヘアだ。
綺麗で、可愛さがある少女である。
だが、何よりもヴァールの目を引いたのは少女が身に付ける黒い外套だった。見覚えのある、黒いーー。
「何? あまりジロジロ見ないでくれる?」
「あっ、すまない。そういうつもりはなかったんだ。ただーーさっき戦った相手と一つ屋根の下にいることが不思議でね」
「あっそ。何でもいいけど」
少女はそう言うと、ヴァールに背を向けるようにして寝返りをうった。
そっとしておくべきだろう。
ヴァールも少女に背を向けて座り直す。
沈黙、沈黙、沈黙ーー。
カチ、カチ、と時計の秒針の音が、やけにはっきりと聞こえる。
マリーはまだだろうか?
ヴァールが気まずさに息を詰まらせていると、少女から声をかけてきた。
「ねえ」
「は、はい!」
「そんなに気張らないでよ」
突然話しかけられたので、つい声を張ってしまった。
ヴァールは羞恥に声を出せずに次の言葉を待つ。
ヴァールから話しかけられることはないと思ったのか、彼女の方から続けた。
「私のこと、どう思う?」
「ど、どう? 敵……じゃないか?」
「そうじゃなくて……この肌の色とか、紅い瞳とか……気持ち悪く、ない?」
少女の不安にかられた声が、ヴァールの胸を刺す。
甘えるような、怯えるような声が。
ヴァールは平然を装って、これからの信頼関係にも影響するため本心を吐露した。
「これは本当に思ってることだ。信じる信じないは君の勝手だが勘違いーー」
「いいから、早く」
「うぅー…………ふぅ。気持ち悪くなんかないよ。君は君だ。綺麗だと思うよ。もっと堂々としたらいいさ……しかしまた、何でそんなことを?」
「…………御主人様に言われて、気にしててーー」
少女は力の落ちた声を出し、言葉の最後をなし崩しに終える。
ヴァールは彼女の中に巣食う負の感情に感化されて、どこか激情的になった。
ヴァールは少女の背後で畳を叩く。
少女の小さな体が驚きで、びくっ、と痙攣を起こす。
それに構わず、ヴァールは自分でもわけが分からないぐらい声を張って、少女に説得をした。
「気持ち悪いわけない! こんなに強く生きようとしている者が! あなたはもっと自分に誇りを持つべきだ!」
「え、あう、うん」
「はぁはぁ……すいません。取り乱しました」
ヴァールは今頃になって、自分のしたことを後悔した。
何を語ってるんだ。相手は敵なのに。
でも、一人の龍人でもある。それは変えようのない事実だ。
ヴァールが両手を畳につけて、落ち込んでいると、少女が寝返りをうってヴァールに振り返った。
「その、さ……ありがとう」
「…………えっ? いえいえいえいえ! そんな滅相もない! 知ったような口を聞いて、すいまーー」
「ねえ、もう一つ、いい?」
ヴァールが詫びを言い切る前に、少女がもう一つの問いかけをしてきた。