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夏物語

全ての理由を暑さのせいにして

作者: 狂言巡

 空はどこまでも快晴だった。薄い青は瞬きが惜しくなるくらい、空を自由に飛びたくなる気持ちがわかるようだとスピカは考えた。自分の肌は日光による日焼けを受け付けず、強い陽射しに当たれば赤く火照るだけだ。それでもこの季節しか感じられない熱を確かに記憶に残したくて、終業式真っ最中の折、屋上の床にだらし無くも寝転がる自分がいる。

 青い空に手を伸ばせば、届くわけがない何かを掴めそうな気がして、幾度も手を握ったり、開いたりを繰り返す。それにも飽きて、ついには両足を上げてみたり。(空に、墜ちそう)手足を空に預け、この頼りない背中を支えるのは何なんだろう。いっそこのまま墜ちてしまったら、何かが変わっていきそうで、そんなことを考えていたら、光が遮られた。


「パンツ、見えんぞ」

「!」


 青を遮った影が喋った。聞き覚えのある声、遠慮のない視線。驚いて瞳を見張ると、影はやおら膝を折り、こちらを覗き込んできた。


「の、幟くん……何、なんでここに」

「スピカがここにいると思ったから」

「終業式は」

「さっき終わった」


 つれなねーよなぁ、一人でさっさとサボりに行っちまうとか。お陰でこっちは抜け難かったじゃねーか……。そんな自分勝手な不満を押し付けられた。別に、誘えなんて言わなかった。


「おい、」

「なあに?」

「俺の話、聞いてんのか」

「一応は。覚えてないけど」

「……あっそ」


 相変わらず寝転んだまま見つめるスピカに、幟は苦笑を漏らした。屋上の扉を開いた刹那、真白い肌が陽に輝いて幟は眩しく感じた。空に伸ばされた足が、腕が、頼りないくらいにか細くてそのまま空に墜ちてしまいそうだと、らしくなく危機感を抱いてしまった。しゃがんだまま、柔らかい髪を一束摘んでみる。特に嫌がる素振りも見せなかったので、そのまましばらく手遊びに興じてみた。


「……ねえ」

「ん?」

「何かに用があったんじゃないの、あたしに」

「……あーそうそう」


 幟は緩慢な動作で髪を撫でていた右手をズボンのポケットに差し入れた。


「これ、やるよ」

「?」


 握り締められた大きな拳がスピカに伸ばされる。瞳に好奇心を滲ませて、それを大人しく受け取った。カサリ、乾いた感触。


「……っ、何コレ」

「俺の新しいメアド」


 手の中に収められた、千切れたノートの切れっ端。英数字の羅列はスピカの記憶を辿っても初めて目にするものだった。自分の携帯には、登録されていない番号。


(ああ、)


 クラクラする。動揺しているのが手に取るように自覚される。空に吊られた足は、いつの間にか糸が切れたように床に転がっていた。

 なに、何を、これをどうしろと、あなたは私にどうしろというの、何を考えて、わざわざ、此処へ、


「そんなの、あたしに渡してどうするの」

「メール、くれ」

「何であたしが」

「俺がして欲しい」


 白い頬に朱が走った。大きな瞳が一層大きく見開かれている。そんなに瞳を見張ってしまうと、綺麗な水晶を落っことしてしまいそうだと、幟は愉快そうに口を歪ませた。

 ドクドク。

 あぁダメだ、きっと自分は陽を浴びすぎてしまったんだ。だって、頬も、耳も、それどころか身体中が燃えるように熱い。

 この年上の同級生に、たかがメールを求められたくらいでこんなにも反応してしまうなんて、そんな、そもそも彼との関係性は何だったか? 単なるお隣さん、単なる部の先輩後輩、単なる幼馴染。今までの短い月日は確かに充実していて、その中で僅かに、だが確かに縮むこの男との距離に気付いてはいたが。まさか、


「……な、何言って」

「夏休み中にお前と会えなくなるの、嫌だから」

「こんなの、わた、渡されても困るわよ」

「要らねぇなら捨てろ」


 ――ただし、メールはしろ。

 理不尽極まりない発言にスピカの混乱は最高潮に達した。唐突に、急接近は訪れた。これも夏の熱の所為? 頭に血がのぼった開放的な気分で、若人は野に放たれた。


「一杯、遊ぼうぜ」

「スピカ」

「花火、海、西瓜割り、流し素麺、バーベキュー」

「時間はたっぷりあるから」


 そこまで一息に言葉を紡いだ幟の声も、瞳も、からかいの気配は漂わせていなかった。彼の夕焼け色の綺麗な髪から、逞しい首へと汗がジワリ伝っていくのを、何処か遠くで見ている自分。ゆっくり、時間が流れる感覚。


「……っ」


 切れ端を握る指に力が入った。それは、幟の長い指がスピカの前髪をかき揚げ、額に優しく口付けを施したのと同時だった。


「メール、待ってっから」

「……えっ、ちょっ」

「連絡しなかったら、突撃お宅訪問だ」


 身を起こした時、幟は既に身体の半分を扉の向こう側へと滑り込ませていた。完全に姿を見失う前にやっと確認出来たのは、真っ赤に染まった耳。


「……流し素麺、て、幟君がしたいだけでしょ」


 理解出来ない。そんなに恥ずかしがるくらいなら、初めからしなければ良いことなのに。身体が強張ったのは、決して嫌悪感なんかの類じゃない。薄い色素の睫毛が伏せられる刹那、そこに空を見出だしたからだった。

 彼の瞳は、空のそれよりもずっと透き通った色だった。キラキラの陽射しの元。何かが動き始めた、夏。


「……四十日間、しっかり楽しませてね」


 今は届かない距離にいる人に、小さく呟いた声も、この身体中から飛び出したがっている熱も、


(きっと)

(夏の空がそうさせるのだと)

夏休みなんて場所によってはもう終わってますけどね!

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