さとり
青年は、自分のあまりの不甲斐なさに嘆きながら、夜道をとぼとぼと歩いていた。
大学を卒業しようにも、折りしもの不況で就職口などない。かといって大学院に進もうにも、大学生になってから、まるで勉強などしておらず、受験することすらかなわない。できることと言えば、せめて新卒を保つために、取れる単位をわざと取りこぼし、留年するのが関の山であった。かといってこれまでの学費は生活費も含めて、まるで両親に頼っている状態であり「最後の留年なんてバイトしながらでもなんとでもなる」という言葉も、青年には不安に響くばかりだった。
そうした気晴らしに同級生に誘われたコンパに出てみたものの、憂鬱ばかりが募るなかでは、さっぱり会話がかみ合わなかった。最終的にはテーブルの隅っこで、格好をつけて頼んでみた日本酒をあおり続けるだけの2時間になった。そのあとカラオケに繰り出したことまでは覚えているのだが、日本酒を飲みすぎたのだろう、まるで記憶がなかった。
気がつくと、住む部屋の最寄り駅から遠く離れた終点のホームにたたずんでいる。すでに最終電車はない。駅から放りだされた青年は、まるで知らない終着の街を、とぼとぼと歩く以外になかった。
もちろん行く宛もない。深夜営業の店でもないかと路地をいくつも曲がってゆくと、街頭もない田んぼのあぜ道に出た。月明かりがぼんやりと道を照らし、もう刈り取りが終わった田んぼを照らしている。歩いてゆく先には、ほんの少しだけ明るい空が、波打つ稜線の下にある青黒い山々を彫り上げていた。
締め付けるような頭の痛みと、胃のまわりをつかみかき回すような苦しみは、明らかに酒の飲みすぎによるものだった。それでも青年は朦朧とする意識の中で、ゆくあてもなくとぼとぼと歩く。
こつりと、小石がはねる様な音が、後ろで鳴った。
青年はくるりと振り返った。
そこには、青年の肩までほどの大きさの、全身が茶色の毛で覆われた、人のような姿のものが立っていた。その目は暗闇の中で黒く光り、振り返った青年の目を覗き込んでいる。
青年は飲みすぎた、とうとう幻覚まで見えたかと思った。そしてそれを無視して歩こうとした。
「飲みすぎたと、思ったろう」
その毛むくじゃらの姿をしたものが言った。
青年は、幻聴まで聞こえたか、と思った。
「われをまぼろしだと、思ったろう」
毛むくじゃらが、続けて話す。そして下の方から青年の顔を見上げようと、ずっと顔を近づけてくる。
いよいよ青年は飲みすぎを疑った。そういえば頭も痛い。きっと脳が酒にやられているのだ。これは絶対に飲みすぎなのだ。ふっと見下げたその先にあるものは、きっと酒が脳に作用し、生み出しているものに違いない。
「酒が原因と、思ったろう」
そういえば耳鳴りもする。なにやらこいつはしゃべっているようだが、何を言っているかもわからない。
「何を言ってるかわからないと、思ったろう」
不意に、青年のみぞおちあたりを、ぐるぐると回る不快感が逆巻いた。そして間髪を置かずして、酸の臭いとともに胃の中にあるものが飛び出した。それは、青年を下から見上げていた毛むくじゃらの顔を、一瞬にして覆いつくした。
毛むくじゃらは、ぎゃあという声とともにもんどりうって倒れた。そして顔にかかった吐しゃ物を必死でぬぐうと「やはり人間とは考えもしないことをやらかす恐ろしい生き物だ」と叫んで、田を抜けて走って消えていった。
そして青年は力尽き、そのまま倒れて眠った。
翌朝、軽トラックで通りかかった農夫に拾われて帰ったこと以外、何もおぼえていなかった。