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――ゴミが腐った臭いと、モノが焼けた臭い。

 それは、ふとした時に思い出す記憶。

 ゴミ溜めのような町で、野犬のように生きていた時の記憶。

 そこら中に転がっているナイフやダガー。子供の力でも扱えそうなそれらを拾っては、手に持ち、扱いを覚え、使い道を知る。一から教えられるまでもない。大人はどこでもそれを使って赤い液体を撒き散らす。子供はそれを見て「武器」という存在を知っていく。

 大人に頼ってはいけない。

 子供はそれを本能で悟り、子供だけで徒党を組んで生きてきた。

 その数は決して少なくない。

 子供は毎日毎日死んでいくのに、毎日毎日子供が町に送られてくる。もちろん送られてくるのは子供だけではなかったが、当時の俺はその理由を知らなかったし、大人達が何をしていたのかも、世界に何が起きているのかも知らなかった。そんなことを考える余裕はなかったのだ。

 殺し、殺される世界。

 この街であの時代を生きていた子供達は死に物狂いで抗い、ただ生きることだけを考えていたのだ。

 噎せ返るような血の臭い。

 それは、思い出にはならない――。


「……夢か」

 ふ、と一息つく。

 とりあえず、生きていたことに安堵を覚えた。

 クロスは視線だけ動かしてベッドサイドに置いてある時計を見やる。

 十一時三十分。

「ふああ……よく寝たな」

 布団に入ったまま伸びをし、ゆっくり起き上がる。

 背中が(かす)かに痛んだが、問題は無さそうだと判断してベッドから出た。

 あまり物がない殺風景な自分の部屋を見渡して、もう一度息をつく。

「昨日もまた生き抜いた、と」

 朝目が覚めた時のいつもの台詞。

 この街の住人の、今日ある自分の命に対しての、朝の挨拶である。

 よく命があったものだと、クロスは昨日のことを思い出し、軽く身震いした。

(廊下でロケットランチャーの弾頭が勝手に転がり出てきて、慌てて三階の窓から飛び出して……これが六階とか七階くらいだったら死んでたかも。受け身も取れなかったし)

 持ち主が死んでもなお責務を果たそうとするイーグルエッジ社の商品。量産型とはいえやはり侮れないな、と肝に命じる。半分オカルトだ。

 気持ちを切り替えるように、真夏の蒸した空気を入れ替える為に窓を開け放った。

 やはりというか、焼け石に水だったようだ。

熱された空気が部屋の中に流れ込み、クロスは思わず顔をしかめる。

「……暑い、な」

 視界に広がる赤い街を見渡しながら、今日誰もが口にしたであろう文句を言ってみた。

 ふと、通りの向こうの酒場で、昼間から酒を煽っている男達が目についた。

 この近くに住んでいる知り合いの傭兵達だ。この暑い中、いや暑いからこそ、わざわざテラスで飲んでいるのだろう。キンキンに冷えていそうなビールが物凄く美味しそうに見える。

 と思っていたら、傭兵の一人が視線に気づいたらしい。

「よおクロス! グレイに聞いたぜ! 昨日は死にかけたらしいな!」

 思わず乾いた笑みを浮かべるクロス。

「人の失態をでかい声で叫ぶな!」

 なにせここは建物の三階の部屋だ。会話するにはそれなりに距離があるわけだから叫ぶしかないのだが、となるとご近所さんにはこの会話は筒抜けになる。

「はっはっは! そんだけデケエ声が出せりゃ大丈夫だな! 今日ある命に乾杯!!」

 乾杯! と周りの傭兵達も一斉に互いのグラスをぶつけ、一気に中身を飲み干す。そして同時におかわり! と店員の女性に注文をつけた。

 その光景にクロスは苦笑を浮かべるしかない。何故自分のことでの乾杯なのに自分の手元には酒がないのか。

 喉が渇いた、と率直な感想をいだきつつ、窓を閉める前に再度酒を煽っている男達の風景に目をやった。

 今度は酒ではなく、男達の足元に置かれた剣と銃、床に置かれている多くの武器に目が行った。

 傭兵の掟、第三条第一項「夜は敵でも昼は友」。

 仕事では敵同士でも、仕事が関わらない時は仲良くしろということ。店で席に着くなら、その証しとして武器を床に置くのである。

 そして同じく第三条の三項「傭兵たる者仕事以外で武器は使うな」。

 早い話が、私事で喧嘩をするなら素手でやれということだ。この街には多くの傭兵が暮らしている。というよりは傭兵の為の街なのだが、それ故気性の荒い人間も多い。簡単に武器を取っていては街が機能しなくなるため、喧嘩における武器の使用は硬く禁じられている。酒が入ればなおさらだ。そのため所持している武器は必ず足元に置き、もし喧嘩になったときはそれぞれ武器を遠くに蹴り飛ばす。これが開戦の合図だ。万が一片方が武器を手に取った場合、速やかに周囲にいる傭兵達から「処分」の対象となる。億が一その場から逃げ伸びても、即日中にこの街の全傭兵ギルドに連絡が入り「掟破りの裏切り者」として追われることになる。兆が一逃げきれた場合は街を出るしかない。そして二度と戻ることはできなくなる。(けい)が一「傭兵の誇り」を思い出し街に戻ってきた場合は、自らの手で命を断つことになる。

 この地方――大陸中央を南北に貫く険しい山脈の西方――『ハルバース』が最も荒れていた十年前の大戦、そして終結後、この街が安定するまでの五年という期間であれば、武器から手を離す事は、すなわち殺してくれという意思表示に他ならなかったのだ。こうして武器を持っている人間同士、仲良く食卓を囲んでいるなど、当時のことを思えば奇跡に等しい。

 今度こそ窓を閉め、クロスはそこで自嘲じみた思考を止めた。

 とにかく喉が渇いたし腹が空いた。

「とりあえず、朝……いや、昼飯だな」

 部屋に備え付けられている洗面台で顔を洗い、壁に引っ掛けてあるタオルで顔を拭う。

 鏡に映っているのは、仰々しく頭に包帯が巻かれた姿の自分だった。驚いたクロスは咄嗟に頭を触ってみるが、ズキンとした痛みと共に手を離した。今度はゆっくりと、僅かに青みがかった黒髪を撫でてみる。どうやら右即頭部に怪我をしているらしい。昨日まで耳をほとんど隠していた髪が短くなっていた。処置の為に切ったのだろう。ついでに他の部分も見事に切りそろえられている。おそらくファーナだ。いい加減に髪を切れとここ一、二週間言っていたからこれ幸いとやったのだろう。

「ま、いいけどな」

 特にこだわりを持っていなかったクロスはさっさと気持ちを切り替え、早めの昼食を取るために部屋を出た。

 さすがにこの時間帯だ。同じフロアに人の気配は無い。全員リビングか事務所にいるのだろう。

 ここはリーダーであるクロスを筆頭とした少数精鋭の傭兵ギルドである。正規メンバー五人と少数であるが、実力は周囲ギルドからも一目置かれている。本拠地である事務所兼家のこの建物は、四階建ての一軒家。それも借家ではなく自前のものだ。これは少数ギルドとしてはかなり珍しい部類になる。メンバーの部屋は三、四階にあり、二階がリビング、一階が事務所になっている。外装はこの街の特色である「赤」一色だ。

 二階のリビングに降りると、太陽のごとき見事な輝きを放つブロンドの髪を結い上げた美女が、ソファで新聞を広げている姿が目に入った。

「おはよう、ファーナ。昼飯の時間はまだ先?」

 あら、という感じでこちらを見上げる美女は、冷徹な印象を与えてくる切れ長の眼を幾分か柔らかくする。

「ようやく起きたわね。今日一日くらいは寝てるかなとも思ったのだけど」

「そんなにひどいアレだったのか」

「ええ、そんなにひどいアレだったわ。それと、お昼はもう少ししてからね」

 クスクスと笑うファーナに苦笑を返しつつ、とりあえずパンの一切れでもと棚を物色する。すると、最近隣国で開発された「ドラ焼き」を発見した。棚の奥の方に置いてあったことから、おそらく運転役のギンが隠したつもりになっていたものだろう。

「おお、ドラ焼きか。初めて食べるな」

「ギンが泣くわよ?」

「また今度買ってやるさ」

言いながら一口。

「……ふむ。この、アンコ? だっけ? なかなか上品な甘さで美味しいな。それにこの生地はパンケーキか。手軽に食べれるしなかなかイケる」

 この地方ではごく一般的なパンケーキに、苦労して栽培した小豆と呼ばれる豆を煮て、砂糖で甘く味付けて作ったアンコと呼ばれる具材を挟みこんだお菓子だ。この街の東に隣接している国「シークレディア王国」に、はるか昔に東方――この大陸を東西に等分する険しい山脈の東側――から伝わったレシピをなんとかして再現したものらしい。甘すぎないお菓子として男性にも人気がある、らしい。

 ぺろりと平らげたクロスは、一応満足しておくことにした。

「これを食べるにはコーヒーか、あるいは牛乳がいるな」

「東方では『緑茶』というものでいただくそうよ」

 リョクチャ? とクロスは首を捻る。

「緑色のお茶? 想像ができん。どんな味だ……ピーマン?」

 別にピーマンが嫌いであるということではない。断じてない。

「さあ? でも甘い食べ物に合うものなんだから苦味があるお茶なんじゃないかしら?」

「じゃあコーヒーと変わらないな」

「それを解明するために、シークレディア王国の研究室が頑張っているそうよ」

 ふーん。と気の無い返事をするクロス。個人的には緑色の飲み物、それもピーマン味(?)のお茶など飲んでみたいとは思わない。しかしファーナはその限りではないようだ。

「東方の食文化は健康や美容に気を使ったものが多いらしいのよ。興味があるわ」

 美容か、

(ファーナは俺の二つ上だから今年二四歳。そろそろ婚期も終わるしな。あ、だから美容に気を使わないといけないわけ――)

「お昼ご飯は作らなくてもいいかしらね」

「ッ!? ごめんなさい!」

 ? と首を傾げるファーナ。

「何を謝ってるの? お昼がいらないのは用事で出かけたグレイで、て……もしかして何かイケナイコトでも考えたのかしら?」

「そんなまさか滅相もございません」

「……あなたが敬語を使う時は――」

「グレイの用事ってなんなんだダズ!?」

 と、部屋の隅の机で作業をし、今まで事態を静観していた大男が迷惑そうにクロスを睨む。

(おいクロス。その話の時に俺に会話を振るんじゃねえ)

(四の二だろ? 助けてくれ)

 傭兵の掟第四条第二項「傭兵たるもの、いかなる時でも助けあうべし」。

 つまり困った時はお互い様ということだ。ちなみにこの掟、片方が仕事で、もう一方がフリーの時は、フリーの方からきちんと対価を求めることが可能である。

 つまりこの場合は互いに仕事ではないので対価を払う必要はない。

(というかダズ、お前このままこのお方を怒らせると、シークレディアの研究が終わるまで飯抜きになるぞ)

(ク、胃袋を人質にとるとは。二の一に抵触するんじゃねえのか?)

(脅されてんのはむしろ俺だろうが!)

(俺は巻き添えか!)

(嫌なら早く答えろ!)

 このアイコンタクトのやりとり。時間にしてわずかコンマ三秒。ちなみに二の一は「傭兵たるもの仲間を裏切るな」というものだ。

 ダズはちらりと、ファーナの見事なブロンドヘアが今にも髪留めを弾き飛ばし、活火山のように怒髪天を衝く寸前の状態であることを察して、慌てて答えを返す。

「グ、グレイならあれだ。昨日の『双頭狼』の連中の企みがなんなのかってのを、情報屋のワルドのところに聞きに行ってる。必要があれば『交錯』の連中にも話をしにいくってことになってる、ぜ?」

 いつものダズの空気を揺るがすような重低音の声ではない。まったく違う意味で声が震えているのがありありと分かる。最後の方は掠れ声だ。

「そうそう! 『双頭狼』な! あのマフィア共がいったい何をしでかすつもりだったのかは確かに気なる。まさか本当に戦争を起こすつもりはないと思うが……。ファーナはどう思う?」

 無理矢理話題を変えられたことにファーナは深く溜息をつく。溜息といっしょに怒気も吐き捨てられたことを祈るばかりだ。

「さあ、どうかしらね。確かに戦争なんてバカな真似はしないと思うけど」

 ダズも神妙に頷く。

「同意見だな。ミスリル金属の購入制限は『ギルド連合』で取りまとめてる。マフィアごとき手だしする余地はないと思うが」

 クロスも全くだな、と頷く。

「あの市長を騙すことにもなるし」

 うんうん、と他二人も頷いた。

ギルド連合とは、一定の基準をクリアした各ギルドのリーダーが取りまとめる議会のようなもので、この街の運営に大きな発言力を持っている。もう一つ付け加えると、そういう物理的な力を持っている連合に対して、対等に渡り合っている市長が凄すぎるという評判もある。

見た目はただの中年のオッサンなのに。

 噂にあったマフィア『双頭狼』による「ミスリル金属購入制限」への介入とは、連合と市長がもっとも力を入れて決定した項目を潰すということである。しかもそれを最大手のギルドである『連剣』がそそのかすなど……あるかもしれないが、九分九厘ないはずだ。というのも、『連剣』が購入制限を増やそうと画策することはあっても、それをするためにマフィアの手を借りるはずが無い、とは昨日の仕事の前に話し合って出た結論だ。

「憶測じゃわからん。グレイが帰ってくるまで大人しく待ってることだ」

 さもつまらなそうに言ったダズに、クロスは苦笑した。

「ま、そーだな。でもあいつ帰ってくんのかね?」

 グレイはモテる。というか女たらしである。そして贔屓にしているカワイコちゃんもいっぱいいるから、仕事が無い時の朝帰りもよくあることだ。

「それならそうと連絡の一つもよこすでしょう。子供じゃないんだからそれくらいは、ね」

 一瞬、ファーナの深緑の瞳から虹彩が消え、暗い笑みが浮んだのをクロスは見逃さなかった。

 ぶるり、と寒気を感じる。

 最後の「ね」には紛うこと無き殺気が含まれていた。

(たかが殺気だけど……女のソレは怖いよね。お姉ちゃん(・・・・・)ですらこれなんだ。恋人とかのソレならいったいどんだけなんだ)

 お姉ちゃんとはなんの比喩でもなくその通りの意味だ。特殊なプレイとかではなく。

 ハッハッハ、と男二人が渇いた笑い声を上げたのと同時、部屋の扉が唐突に開き、ひょこっと青いバンダナを巻いた男が顔を覗かせた。

「なんか楽しそうッスね。どうしたんスか?」

 この男はギン。このギルドの最若手であり、運転手だ。単にパシリだという噂もある。

「あら、ギン。上がってきたってことはもうお昼ね。ゴメンね? すぐ用意するわ。あ、それとグレイから連絡は?」

「あったスよ。すぐ帰るって言ってたッス。マフィアのことも分かったらしいですし、後なんかそれ以上の面白い話もあるらしいッス。というかクロスの兄貴! 目が覚めたんスね! もう大丈夫なんスか?」

「おう、心配かけたな。だが快気祝いはいらないぜ。前貰いしたからな」

「前……もらい、ッスか?」

 そんな言葉ありましたっけ? と首を傾げる弟分を、クロスは満面の笑みで見やる。

 このよくしゃべる弟分を言葉遊びで遊ぶのは、ある種このギルド内の流行、お約束である。

 その流行には率先して乗らなければならない、それがリーダーであるクロスの考えだった。

「おう、ドラ焼きな。なかなか美味かったぜ? 今度おごってやるよ」

「へえ! 兄貴が美味いって言うなら間違無いッスね! 今度ご相伴に――てか食べたんスか!? 棚に隠してたヤツを!?」

「ん? まあな。というかあれで隠してたのか? 奥に置いてあっただけに見えたけど」

「ちゃんと箱で見えないようにしてたんス!」

 箱なんてあったか、と記憶を探ろうとした時、配膳の準備をしていたダズが声を上げた。

「シリアルの箱か? それなら朝食で喰った時に動かしたはずだろ」

「――ッ!!」

 まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔。

 続いて膝から力が抜ける。腰の、背中の、首の力が順序よく抜けていく。脳天に銃弾を食らって即死した人間のような滑らかさであった。

 ごつん、とギンの頭が床に落ちた。衝撃でバンダナもずれる。

「おいギンよ。その『死に真似』の上手さなら舞台のほうでも役もらえるんじゃないか? 車の運転より才能あるぞ」

 ダズのその言葉に、クロスは思わず吹いてしまった。

 ギンは完全に撃沈である。

 そこへこのギルドの紅一点、良心を一人で賄っている女性が助け舟を出した。

「死に真似も立派な戦闘技術よ。極めた人は心臓の動きも限りなく止まった状態にできるという話だし」

「……大道芸には代わり無いッスよ」

 半分泣きが入っている弟分である。

「世界が俺をいじめてるッス」

 あながち間違っていないよな、と頷くクロス。

 なにせギルド内に留まらず、酒場でもどこでも、言葉遊びで遊ばれるのがこのギンである。本人も本気で怒ったりはしないし、受け入れているようにも見える。素でこのキャラクターなのだろう。おかげでとっつきやすいギルドになったという周りの評価もある。なにせこのギルド、あの大戦をこの街(・・・・・・・・)で生き抜いた子供(・・・・・・・・)が三人もいる(・・・・・・)のだ。どうやっても警戒される。単に客として楽しむとなった時はマイナスにしかならなかったのだ。

「違うぞギン」

「なにがッスか?」

 だからクロスは言った。

「お前がイジメられることこそが、世界の真の姿であり、摂理なんだ」

 だから俺達が酒場で楽しくやれるんだしな、とダズも同意する。

 ギンの目に涙が見えたような気がしたのも、きっと真実なのだろう。

 なぜならこのイジメられっこ、傭兵になればモテると思った――正確には思いこまされた(誰にって? 言うまでもない)――からこのギルドに入ったのだ。しかし現実はこういうものである、と強面の大男はかつてそう語った。

(でもダズは人気あるけどな。見た目怖いけど意外と気さくだから、酒場のお姉様方にはファンもいるし)

 ギンは床に這いつくばったまま投げやりに言い返す。

「ダズの旦那だって、その体格と顔で怖がられてるんスから、イジメるならイジメるでもっと俺に感謝して欲しいッス。こないだそこの酒場に入った新入りの女の子、旦那に睨まれて泣きそうになってたじゃないスか」

 事実である。

 ダズの身長は二メートルを優に越えているし、なにより鍛え抜かれた体はまさに岩山のごとしだ。肌も浅黒くスキンヘッドであり目力も凄い。傭兵の身からすればだから? といった話だが、一般人の女の子からすればとんでもない脅威だろう。バカでかい戦槍もそれに拍車をかけている。

「……俺は女に困っていない」

「事実だからむかつくッス!」

 あー彼女がほしいッスー、と気の抜けたことを言いながらチラチラと金髪美女に視線を送る。なんとも平和な光景だった。

 誰でも平和が一番だと考える。

 だからクロスは言った。

「それをしようとしたやつが、ダーツの的になるのはよく聞く話だ」

 これも事実である。傭兵の掟にも抵触しない。

「どっかのシスコンが悪魔になるぞ」

 ギンの耳元でクロスは小さく呟く。

「あ、固まった」

 ギンは氷のように顔色まで真っ白になった。

「まるでコントね」

 まったくその通りであった。


 ギンが解凍されてから数分後、見事な金髪の青年、いや美青年が音も無くリンビングへ入ってきた。

「うお、びっくりした。おかえりグレイ」

 言葉ほど驚いてはいないクロスに、グレイも何事もなかったように返事を返す。

「やあクロス。もう大丈夫みたいだね。昨日はびっくりしたよ。突然空から落ちてくるんだからね」

「あー、まあな。我ながらよく生きてたよ。運が良かった」

「ふ、そうだね」

 姉譲りの整った容姿に加えて、この柔和な笑みにどれだけの女の子がオチたことか、とクロスは内心で思う。線の細い体格だが、動きそのもは洗練された傭兵のそれであるし、筋肉の付き方も一流のそれだ。そのギャップがとんでもない破壊力(?)を生み出しているらしい。男のクロスですら綺麗だと思うことはある。ただ、先程のような他人に全く気配を読ませないような動きを見せられるとこの同僚が、仲間であっても油断できない相手であると考えてしまうこともよくあることだ。

「それで? 『双頭狼』の話は聞けたんだろ? どうだった?」

「ああ、それがね――」

 ちょっと待って、と料理が盛り付けてある皿を並べ終わったファーナが声をかけた。

「その話は食事しながらでもいいでしょう? 午後の営業に間に合わなくなるわ」

「それもそうか。何も食べてないから腹が空いてしょうがないんだよ」

 そう、クロスはまだ食事を、

「クロスの兄貴はドラ焼き食ったじゃないスか! 忘れたとは言わさないッスよ!」

 少ししか食べていないことを思い出し、急速に空腹感を思い出した。

「へえ、食べたの? どうだった?」

グレイは興味津々と言わんばかりの眼をクロスに向ける。

「ん? 美味かったぜ。間違い無く流行ると思うけど、今はまだナンパに使うのはやめときな」

「? どうして?」

 やはり使うつもりだったのか、という言葉は口にしない。

「専用の飲み物が完成するまではダメだと思う」

「専用か。紅茶やコーヒーじゃダメなのかい?」

「なんでも緑色のお茶があるらしくてな。俺は牛乳が合うと思ったけど」

「……確かにお茶するのに牛乳じゃあね」

「だろ?」

 さてどうするか、と本気で思案を始めるグレイを見て、

「おい、さっさと席につけ。いつになったら食えるんだ」

 ダズの低く重い声がかかった。

「そんなくだらない話は後にしろ。それより、情報屋からもらった話を聞かせてもらおうか」

 メンバーそれぞれが席につき、いただきますの一言。

「そうだね。詳しくは後で報告書にまとめるとして、要所要所かいつまんで話そうか」

 クロスは目の前のオムライス――見るからにトロトロジューシーな半熟玉子が乗った絶品――を一掬い口に運び、思わず舌鼓みを打った。

「……クロス? 聞いてるかい?」

「ん? あ、すまん。なんだって?」

 思わずグレイの話がそっちのけになってしまった、とクロスは内心で反省。話に()集中する。

「ま、気持ちはわかるんだけどね。――まず結論から言うと、今回の依頼主は『連剣』であり、事前にあった噂のほとんどはフェイクだった。ということだね。偽情報を流すにあたり、『連剣』『交錯』『情報屋ギルド』の三ギルドで仕組んだんだってさ」

 わからない、と首を傾げる一同を見渡し、グレイは話を続ける。

「うん、つまりね。昨夜の僕らの仕事は、マフィア『双頭狼』が何をしているのか、あるいは何をするつもりなのかを調べて来い、というものだった。そして結果として、連中が大量の銃器を仕入れているという情報をつかんだ。だけど依頼主にとって知りたかった情報とは、その資金源がどこからきているのか、というものだったんだね」

 グレイはちらり、とクロスを見る。

 クロスは半ば消えかけている昨夜の記憶を探り、思い当たる節を口にした。

「もしかして、人身売買か」

「その通り。そして本題だ。売春含め、その人身売買のルートだけど、今のマフィアじゃそれはリスクが高すぎる。シークレディア王国が最も警戒していることだしね。マフィアじゃ売るためのルートは持っていても、実際に人を集めるのは難しい。そこで無国籍の傭兵に目を付け、付き合いのあった『連剣』に話をもちかけたんだ」

 なんとも飯がまずくなる話である。

「もちろん『連剣』の本営にじゃない。その傘下の下部組織に話をつけたんだ。それがだいたい二カ月ほど前の話。最近急に羽振りがよくなったその下部組織をいぶかしんだ『連剣』の本営は調査を開始した。マフィアと何かしていそうだ、というところから先の証拠を掴めず、今回の計画に至ったということだね。『交錯』や『情報屋』と連携したのはマフィアと、特に(くだん)の下部組織を油断させるためだった、ということみたいだよ。実際に動いた情報屋のワルドに聞いたわけだからね。間違い無いと思うよ」

 なるほどね、とファーナが苦笑する。

「私達はまんまと利用されたということね。ま、内輪もめが原因でそれを解決するための仕事なら、概要と依頼主を伏せて依頼が来たのも頷けるかな」

 さらに言うと、今回の報酬はちょっとビックリするほど多かった。故にクロスとしては利用されたことに憤るつもりもない。ファーナも言う程怒っているわけではないだろう。仕事内容にとやかく言うのは傭兵らしくない、というのもある。気になるなら今回のように、後日独自で調査して事の真相を知るまでだ。そのために情報屋がある。

 でも、と釈然としない様子でギンは腕を組んだ。

「今回のことでウチら、マフィアに目をつけられるんじゃないスか? 兄貴達なら遅れは取らないと思いますが、俺がヤバイッス」

 半分涙目である。

 ダズが重々しく頷いた。

「面倒事に巻き込まれる故の高報酬だったのかもな」

 どうなんだ? とグレイに返答を促す。

「んー、その辺りは大丈夫なんじゃないかな。今回の仕事の目撃者は全員口を封じたし、情報屋達がその辺り上手く誤魔化してくれたみたいだよ。『交錯』が抗争相手の『連剣』に探りをいれる為に関係していそうなマフィアを襲撃した、ということになってる(・・・・)みたい。ついでに『交錯』もこの機会に他のマフィアを潰したって話だよ。カモフラージュも兼ねてね」

「ふん、ならば構わんか。儲けたのは事実だ」

「そういうことだね。ちなみにその下部組織、今朝のうちに骨も残さず壊滅だってさ。『連剣』のリーダーが特に嫌ってるしね。人身売買は」

 やれやれだよ、とグレイは肩をすくめる。

 これで一件落着かな、と途中から食べる方に集中しだしたクロスはぼんやりとそう思った。今回の件は情報と噂を上手く操作しての情報戦だったわけだ。クロスとしては、本当に以前の噂通り両大ギルド『連剣』と『交錯』の抗争が起きてほしかったわけだが、今回はこれで良しとしておくか、と幾分残念に思いながらも納得する。

 ふと、クロスは食後のコーヒーをマグカップに入れながらグレイに訪ねる。

「なあ、ギンに聞いたんだけど。今回の件以上に面白い話を聞いた、っていうのは? どうなったんだ?」

 ぽん、とグレイは忘れてたと言わんばかりに手を打った。

「あ! そうだった。今回はむしろこっちが本題だよ。いや実際僕も聞いた時は驚いたんだけどね。あの『白鬼(びゃっき)』が昨日一晩で全滅したらしいよ。昨夜僕らがこの街を出ている間に。それもたった一人を相手にだよ!」

「「はあ?」」

 クロスとダズは同時に思い切り怪訝な表情を見せる。

「いや……いやいや、それはないだろうさすがに。数は多くなくてもあそこの幹部連中は超一流だぞ。それにリーダーの大槌(おおづち)使いには昔殺されかけた記憶があるんだけど」

 傭兵ギルド『白鬼』。リーダーの大槌使いは壮年のじいさんだが、大戦期にはどこぞの国の軍の遊撃隊の隊長だった男だ。彼の故国は今や無いが、彼を慕ってこの街に流れてきた者も多い。幹部連中の大半はかつての部下であると聞いたことがある。単純な戦力的には、間違いなく上から数えた方が早い上位ギルドだ。

 それに、とダズが捲し立てる。

「その通りだ。あそこは前線メンバーが三○人もいる。それを一晩、しかも一人でだと? どこの誰ならそんなことができるんだ」

 気持ちは分かる、とばかりにグレイは頷いた。

「言いたいことはわかるよ。でも事実だ。あのじいさんには僕も殺されかけたことがあるしね。できるとしたらそれこそ『連剣』のところのエース、あの化け物くらいだと思うよ。だけど彼に、というか『連剣』にそんなことをする動機はないと思うし。あ、検証の結果、武器は『刀』だって。この街では珍しいよね」

 刀。東方の武器。クロスが扱う長剣のモデルの一部。

「もしかしたら……」

 ぽつりと呟いたファーナに全員の視線が集まる。どう話すべきかと整理しているのか、ほんの少し間があった。

「……あまり話題にならなかったのだけど、三日ほど前に新設されてすぐの弱小ギルドが一晩で壊滅したっていう話があったわ。関係ありかしら? ダズも現場を見たんでしょう?」

そんな話あったか、とクロスは首を傾げる。弱小ギルドが潰れる、という話はよくあることだから聞き流していたかもしれない。

聞かれたダズは、言われてみれば、と呟く。

「たまたま仕事で近くに行って、何か騒いでいたから興味本位で覗いたな。きちんと確認したわけじゃないが、確かに切口は普通とは違っていたかもしれんな。重さのある剣で斬ったのとも、細剣で刺したのとも違っていた……刀と言われればそうだったかもしれん」

 重い剣で斬れば、当然肉が潰れることが多い。両手用の大剣などは鎧の上から叩きつぶすための武器だと豪語する者もいる。逆に軽いレイピアのような細剣は刺突に優れているため、深々と斬るのは難しいとされている。両武器とも達人が使えばその限りではないが、武器の特性にあった使い方をするのもまた達人たる所以(ゆえん)である。目的に沿わない使い方をすればそれだけ早く消耗することにもなる。デメリットの方が多いだろう。

 刀はまさに「斬る」ことを前提とした武器だ。大戦期以前からも東方マニアの中には好んで刀を使う者はいたが、防具として金属鎧が主流となった西方では、いたずらに刃をすり減らしてしまうのであまり好まれなかった。

 ここ二、三○年で、刃状に加工することで鉄以上の強度を誇るようになったミスリル製の刀剣が出てからは、鉄をもぶった斬る剣使いも多く出てきた。そしてその特性故にミスリル金属の価値は跳ね上がった。余談であるが、大手ギルドが金にものを言わせて独占できないように、というのがミスリル金属購入制限である。

 クロスは頭の片隅で、「刀」で「鉄斬り」ができる知り合いの顔を思い浮かべる。ならこいつが襲撃者か、と思ったが、すぐにそれは無いと考え直す。

「どうかしたの?」

 ファーナが不思議そうな顔で見てくるのに対し、無言でなんでもない、と首を振る。

しかもね、とグレイが付け足した。

「もしかしたら『東方』から流れてきた人間かもしれない、っていう話なんだよ」

 マジッスか、とギンの口から驚愕の声が零れおちた。

 いや、ギンでなくても驚くだろう。同時にクロスは自分のナカで何かのスイッチが入ったことを自覚した。

「いくらなんでも出来過ぎじゃないッスか? だって東方の人に傭兵ギルドを壊滅させる動機なんてないように思う――」

 いつものグレイの柔らかな雰囲気が、冷たいものに変わったことをギンは肌で感じ、言い切らずに口を閉じた。

 太陽のように明るい金色の髪の向こうで、グレイの海色の瞳がスゥ、と氷のような冷たさを帯びる。


「いるかい? この街に、あるいは、この戦乱の西方『ハルバース』に。上位傭兵ギルドを一晩で、それも一人で壊滅させられるような人間が」


 数分前まで和らいでいた空気が、完全に冷え切った。誰もが真夏の暑さを塗りつぶす程の戦慄を覚えていた。

 圧倒的な『力』が、この街に存在する。

 それがどんな意味をもたらすのかを、彼らは知っていた。

 特に、クロスはそれをこの中の誰よりもよく知っていた。

 故に決断を下すのも早かった。

「よし、探すぞ。東方からの客じゃなかったとしても、その戦力は有益・・だ。可能なら仲間に引き入れる。間違い無く他のギルドもそう考えるだろうから争奪戦だな。状況から考えて目標(ターゲット)はこの街に潜伏してる可能性が高い。昼の間に情報収集と整理を。目標と交戦する可能性もある。準備を怠るな」

 全員の顔を見渡し、異論が無いことを確認する。

「よし。傭兵の掟に従い決戦は夜。ギルド『福音』作戦開始だ」

「「「「了解」」」」


予想通りの超絶亀更新です

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