26 戻ってきた日常
目を開けると、アパートの薄汚れた天井が見えた。あまりにも見慣れた光景だが、どうして自分の家の天井が見えるのかが不思議で、オレはしばらく茫然としていた。
「お、気がついたかい?」
オッサンの声が聞こえる。視線を横にずらすと確かにオッサンが傍で胡坐をかいていて、今までのは全部夢だったのかなっていう可能性はゼロになった。じゃあどうしてオレはここに戻って来れたんだろうか。
「オレ・・・消えたんじゃないんですか?」
オレは上半身をゆっくりと起こしてそう聞いた。そういえば、ちゃんと布団の上に寝かされている。
オッサンは苦笑し、それから後ろに立っているカイトに目配せをした。それを見て、カイトが小さく溜息をついたのが分かった。
「燈真君。君は、自分に破壊用プログラムを使おうとしたんだね?」
「・・・はい」
オッサンの質問にオレは頷いた。オレのやったことは決して褒められることではない。それどころか、皆にとんだ迷惑をかけてしまったのかもしれないんだ。
「勝手なことをして、本当にすみませんでした」
オレはオッサンとカイトに向かって深く頭を下げた。だが意外にもオッサンは謝られるとは思っていなかったらしく、少し驚いた表情を見せた。それからすぐに笑いながらこう言う。
「いやいや別に誰も怒ってないから謝らなくていいんだよ。ただオレも気がついたら燈真君が倒れてたからさ、一体何があったんだろうって思って」
「お前はバグに会って何を話したんだ?」
カイトが静かな口調でそう尋ねた。オレは二人を見た後、深呼吸してから話し始めた。
バグは人間に街の作り方を教えたことをとても後悔していたこと。オレが洗脳されていると思っていて、オレから全ての記憶を消そうとしたこと。オレはそれらを阻止するために自分に破壊用プログラムを突き刺したこと。最後までバグは、オレをトウマだと思っていたこと。
あの時の状況を出来るだけ詳しく話した。オッサンは真剣な表情で頷きながらそれを聞いていて、
「それなのになぜか、バグが消えて燈真君が残ったということだね」
オレが話し終えた後、そう言った。
「バグ、消えたんですか?」
オレの質問にオッサンは大きく頷く。
「ああ。街が半壊してから現実世界では一カ月が経っている。その間バグは一度も姿を見せなかったし、どこを探しても見つからなかった。きっと燈真君の行ったその町にバグの本体があって、彼は君の身代わりになって破壊用プログラムの効果を自分に移し換えたんだろう」
「バグがオレを助けたんですか?」
「・・・そういうことになるね」
オレは言葉を失って、無言で俯いた。トウマのためとか言っておきながら結局は自分の都合しか考えてないと思っていたのに、本当にバグはオレの為になると信じていたんだ。オレが目の前で破壊用プログラムを突き刺したのを見た時、バグはどんな気持ちだったんだろうと思うと、複雑で少し申し訳ない気持ちになった。
「これは仕方のないことだったんだよ。バグはトウマの死を理解出来ず、受け入れられなかった。もし君があの時バグの気持ちを理解してしまったら、バグはそこにつけこんで絶対に君を逃がしはしないはずだ。そうしたら本当に全てが終わってしまっていた。だから、これで良かったんだよ、燈真君」
オレの気持ちを察してオッサンがそう言ってくれた。それでもオレは納得出来ず、
「でも、お互いに和解する方法は無かったんですかね・・・」
「ある訳がないだろ。お前バグと話して奴が完全にイカれてると確信したんじゃなかったのか?それとも道理の通じない相手に一生合わせる方が良かったとでも言うのか?」
ウジウジと悩むオレにカイトが口を開いた。
「い、いえ。それは嫌です」
慌てて首を横に振ると、カイトはまったく、と言いたげに腰に片手を当てる。
「なら結論はもう出てるだろ。お前はバグとの駆け引きに勝って元の生活を取り戻したんだ。何を悩む必要がある」
確かにカイトの言う通りで、今更悩んだってどうなることではない。それにオレは自分の意思を最後まで貫くことが出来たんだ。後悔するよりも、むしろ喜ぶべきだろう。
「なあ燈真君。もしこの事実が君にとって苦痛でしかないのなら、記憶を消すことも出来る。どうするかは君の自由だ」
そんな選択肢があるのかと驚き、オレはオッサンを見上げた。それからふと他の人達はどうしたんだろうと気にかかった。
「他の人達はどうしたんですか?」
そう聞くと、オッサンはばつが悪そうに頭を掻きながら、
「ネコノタマ君の記憶はバッチリ残ってるよ。本人はこんな面白い記憶を消すなんて考えられないって言ってたからね。赤石さんは・・・オレ達が見つけた時には精神が崩壊しかけてた。だからこっちの判断で消させてもらったよ。それとおじょうちゃん・・・いや、羽井メアちゃんだけど・・・」
そこまで言ってオッサンは大きく溜息を吐いた。そしてこう続ける。
「完全にバグの手に落ちてたよ。・・・彼女はもう、どこにもいない」
悔しそうなオッサンの様子に、悪いことを聞いてしまったと申し訳なく思った。詳しいことはよく分からないけど、多分メアちゃんは最後までバグについて行って一緒に消えてしまったんだろう。そして赤石さんのことは彼女がどんな様子だったかはオレも知っているから、気の毒としか言いようがない。
「あの・・・最後にもうひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?何だい?」
視線を落としていたオッサンが顔を上げる。
「あの後テンちゃんはどうなったんですか?」
これももしかしたら答えづらい質問かもしれないけど、これだけは知っておきたい。テンちゃんのことは、オレの最大の心残りだからだ。
「彼女は大丈夫。無事だよ」
それを聞いてオレは心底安心した。よかった、これでテンちゃんまで消えたとなったらオレはまたウジウジ悩み続けただろう。
「でもね、多分彼女とはもう会えない」
安心したのもつかの間、ショッキングなことを聞いてしまった。な、何でっ?やっぱりテンちゃん、オレのこと怒ってる?茫然としながらそんな考えがグルグルと渦巻いていると、
「彼女は自分がこれ以上燈真君と係わるのは良くないと言っていた。元々彼女はこの街にいない存在だったし、バグを連想させる自分が傍にいると悪影響があるかもしれないって」
「そんなこと無いですよっ。オレ、テンちゃんにまた会えるの楽しみにしてたのに」
オレはそう言ったが、オッサンは困ったように唸ると、
「でもこれは彼女が自分で決めたことなんだからしょうがないよ。・・・あ、そうだ。そのテンちゃんから燈真君に伝言を預かっててね」
それからひとつ咳払いをすると、言った。
「これからは見えない所でずっと主を支えていきますって」
その言葉が、胸にじんわりと染み込んでいく感じがした。会えないのは寂しいけど、テンちゃんはこの街のどこかにいて、オレを見守ってくれている。そのことを知らずに生きていくのと、心のどこかに留めておくのではだいぶ違うと思う。オレはこの記憶を持ったまま生きていこうと決めた。確かに大変なことだったけど、きっとこれからの人生でマイナスにはならない。大切な思い出として残せるはずだ。
「ファイブさん。オレはこの記憶を消さずに生きていきます」
そう言ったオレにオッサンは満足気に頷き、
「君ならそう言うと思っていたよ」
そう言った。それからオレの肩に手を置いて、こう続ける。
「燈真君、君なら絶対大丈夫だよ。だからテンちゃんも安心して君の傍を離れたんだ。これからはバグのことなんか忘れて自分の思った通りに生きるんだよ」
オレが大きく頷くと、オッサンは肩に置いた手を離して腰を上げた。それをオレは見上げて、
「帰るんですか?」
聞いた。オッサンは白衣を手で整えながら答える。
「ああ、そろそろ行くよ。これからは今までみたいに怠けてる暇は無いからね」
オレもオッサン達を見送るために立ち上がった。見送ると言っても玄関までは十数歩で、あっという間にドアの前に着いた。
「ファイブさん、それからカイトさん。今までありがとうございました。これからもお仕事頑張ってくださ
い」
オレは二人に頭を下げ、言った。この人達とも二度と会えないのかもしれないと思うと、何だか急に寂しくなってくる。オッサンは振り向くと、
「礼を言うのはこっちだよ。君のお陰で街は救われたんだ。それにここに来て、オレは自分が本当にやらなくちゃいけないことや、出来ることがもっと沢山あることを学ばせてもらった。今まで暇だ暇だと思ってたのは街のことなんてほんとは何にも知らなかったってこともね。だからこちらこそ本当にありがとう」
笑顔でそう返し、右手を差し出してきた。オレもその手をしっかりと握る。
「で、カイト君は最後くらい何か言わないの?」
握手が終わった後、オッサンがいつものにやけ顔に戻って言った。カイトは冷めた表情で、
「戻ってさっさと仕事しろ」
「オレじゃなくて燈真君にだよ」
オッサンにそう言われ、カイトは面倒臭そうに溜息を吐く。そんな顔されてもオレだって困るし、無理に言わなくてもいいですよと言おうとしたら、
「柏木燈真」
面と向かってフルネームで呼ばれた。
「はいっ」
オレは思わず直立不動で返事をする。カイトは少し考えるような素振りを見せた後、こう口を開いた。
「俺は最初お前達を単なるデーターだと軽視するような発言をしたが、それを今撤回する。プログラムにそ
って動くだけの存在ならバグもここまでお前を追い求めはしなかっただろうし、そのバグに勝つことも出来なかっただろう。そしてファイブ同様、今回のことで様々な問題点を身を持って知ることが出来て、結果的にはそう悪くはないと思っている」
相変わらず堅苦しい言い方だ。でもまあ、最終的にはオレ達を認めてくれたみたいだから良かったと思う。
「結果オーライってことですよね」
オレが軽い口調で言うと、カイトは仏頂面を崩さないまま、
「もうそれでいい」
そう言って視線を逸らしてしまった。そんな様子を見たオレとオッサンはニヤニヤ笑った後、
「じゃあ、これで本当にさよならだ」
穏やかな笑顔を向けた。
「・・・はい。それでは気をつけて」
オレも笑顔でそう返す。これで本当に終わるんだなと思うとほっとしたような、でも寂しいような、何とも言えない感情が込み上げてきた。
オッサンとカイトが背を向けて、ドアを開ける。そして最後の最後まで、オレは驚かされることになった。
ドアの向こうは真っ白な光の世界だった。あんぐりと口を開けて見ていると、オッサンは一度だけオレを振り返って光の中へ消えて行った。カイトもその後に続き、姿を消した。
二人の姿が見えなくなった後、ガシャンと音を立ててドアが閉まった。
「・・・・・」
オレはしばらく茫然とドアを見つめていたが、思い出したようにもう一度ドアを開けて外を確認してみる。しかしそこはいつもの見慣れた街の風景で、どこを見回しても白い光は影も形も無い。そうか、あの光はオッサン達が元の世界に戻るためのものだったんだな。オレはそう一人で納得すると、ドアを開けたまま目を瞑って大きく深呼吸をした。
近くで蝉の鳴き声が聞こえる。遠くで車の走る音や、人の話し声が聞こえる。ここは間違いなく、オレの知っている街だ。オレは本当に戻って来れたんだ。
今日も変わらぬ蒸し暑い真夏日だけど、今ではそれすらも嬉しく感じる。オレは大きく伸びをして部屋に入った。そしてすぐに扇風機のスイッチを押し、パソコンの前へ座る。扇風機の生ぬるい風を受けながらパソコンの電源を入れると、デスクトップの隅にはテンちゃんが座っていた。表示されている日時を見ると、時間も元に戻っているのが分かった。
「ただいま、テンちゃん」
オレはもう二度とパソコンから出てこないテンちゃんに声をかけた。テンちゃんは何も言わず、大きな目で瞬きをしながらオレを見ている。そんなテンちゃんに小さく笑いかけた後、パソコンのすぐ横に置かれたままのUSBを手に取った。
この中にはオレが寝る間も惜しんで作ったゲームが入っている。バグがトウマの考えた世界と同じだと言っていたゲームが。
「・・・・・」
オレはUSBをしばらく見つめた後、それをパソコンに差し込んで中に入っているデーターを消去した。これで良いんだ。バグがトウマと同じだと言うのなら、全く違うものを作ってやろうじゃないか。
部屋の隅に積まれた、今日からやるつもりだったゲームがちらりと視界に入ったが、ここはぐっと我慢をする。ゲームは待っててくれるけど、提出期限は待ってはくれない。夏休みはもう、半分過ぎてしまっているんだ。
「さーて、とりあえず朝ご飯食べるか」
オレはパソコンから離れ、冷蔵庫を漁りに行く。ちゃんとした和食は作れないけど、朝ご飯はしっかり食べよう。腹が減っては戦はできぬと言うじゃないか。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
結局最後に救われたのは燈真だけで、ネコノタマや赤石華絵は微妙じゃないかと思った方もいるでしょう。実はこれ、まだまだ続きがあってそれを書こうかどうか迷っているところです。
需要がなければ他の小説を書いた方がいいのかなぁと思っているのですが、もし万が一続きが読みたいという方がいらっしゃいましたら一言貰えると嬉しいです。




