21 燈真の決意
夜が明け、完全に日が昇った。しかしファイブ達がホテルから姿を消してから何の連絡も無く、テンは最悪の事態を覚悟した。
まだベッドで起きる気配の無い燈真を見ながら、テンは迷っていた。このまま燈真に気づかれない内にファイブから貰った携帯電話のボタンを押してしまうか、燈真を起こして今の状況を説明し、納得させた上でボタンを押してもらうか。
テンは一晩中座っていた椅子から離れ、燈真の傍へ歩み寄った。悪い夢でも見ているのか、少し寝苦しそうな表情を浮かべている燈真を見た後、枕の隣に置かれている携帯電話を手に取って開いた。このままボタンの置かれた親指に少し力を入れれば、ファイブ達の苦労は報われ、
自分の役目も全うできる。しかし残された燈真はどうなるのだろうか。こんなことが起きなければ知るはずもなかった街の真実を突きつけられ、それを一生背負ったまま生きていかなくてはならないのだろうか。
テンは携帯電話を見つめ自問自答した後、首を小さく横に振って枕元へとそれを戻した。きっとそれは自分のエゴなんだ。自分の勝手な判断では燈真に平穏な生活は戻らない。そう確信し、テンは携帯電話を戻したその手で燈真の肩をそっと揺らした。
「主、起きてください。朝ですよ」
誰かの声が聞こえてぼんやりと目を開けると、テンちゃんがすぐ傍に立っていた。テンちゃんの優しげな笑顔を見ながら二三度瞬きをした後、
「あれっ?・・・オレ寝てたの?」
まさかの爆睡に自分でもびっくりして一気に目が覚めた。
「はい。お疲れのようで、ぐっすり眠っていましたよ」
クスリと笑いながら答えるテンちゃん。オレは少女に見守られながら安心しきって眠りについてしまったのか。何だか恥ずかしいような、情けないような気持ちでオレは上半身を起こして目を擦った。窓を見るとカーテン越しに明るい日差しが降り注いでいて、完全に日が昇っていることを実感させられた。
「ええっと・・・」
一晩寝たおかげで脳がリセットされ、何か大事なことを忘れているような気がする。そう、こんなのんびりしてる場合じゃなかったような・・・。
「そうだっ!バグっ!あいつはどうなったのっ?街は無事だった?」
オレは両手を叩き、食いつくような勢いでテンちゃんに聞いた。相変わらず辺りは静かで人の気配もない。あまり状況は変わってないのかなと思いながら返事を待っていると、
「主、朝ごはんは用意できませんが、まず顔を洗って身なりを整えてから話しましょうか」
最初に会った時のように、若干緊張感を漂わせながらもはっきりした口調でそう言った。そう言えば昨日の朝から何も食べていないけど、不思議と腹は減っていない。いや、それよりも身なりを整えてからというのが何を意味しているのかが気になって空腹どころじゃないのかもしれない。
「うん、分かった」
オレがぐっすり寝ている間に何かあったんだろうか。そう不安に思いながら洗面台へと向かい、冷たい水で顔を洗った。
「はい、タオルです」
いつの間にテンちゃんも来ていて、絶妙のタイミングでタオルを手渡してくれた。三歩下がってついてくる良妻だってここまでやってはくれないだろう。こんなにオレに気を使ってくれる子なんて世界中探してもテンちゃん以外にいないと思う。
「ありがとう」
礼を言ってタオルを受け取り、顔を拭いた。幾分か頭がすっきりし、鏡に映った自分の顔を見ると髪の毛は全くすっきりまとまってはいなかった。まあオレにとってはいつもの朝の光景だけど、見事に四方八方にはねまくった髪を見てテンちゃんはよく笑わなかったなと感心する。
とりあえず髪全体に水を染み込ませ、ドライアーで力任せに乾かしていく。そうすると、あんなに自由奔放にはねていたのが乾いた頃には意外とすんなりまとまるのがオレの髪の毛だ。
着替えは持っていないので服はそのままで、ベッドの前へ戻る。するとテンちゃんが椅子を引いてどうぞと座るように促した。
「あ、どうも」
そんなに気を使わなくてもいいよと思いながらも、言われるがままに椅子に座る。テンちゃんも向かい側の椅子に座ってようやく話す準備が整った。
「主・・・」
声のトーンを低くして、呟くようにテンちゃんが言った。
「う、うん」
緊張気味に返すと、テンちゃんは一息吐いてから、
「ファイブさん達はどうやらバグに捕えられたようです」
「・・・・・」
オレは返事をすることは出来なかったが、愕然としながら心のどこかでやっぱり、と思ってしまった。オッサンの余裕そうな態度や自信あり気な言葉に、最後は何とかしてくれるのかな、なんて期待はしていた。でも現実は違う。最後に人類が勝つのは映画やマンガの世界だけで、最初からどうにもならないものは最後まで同じなんだ。
オレが黙っていると、テンちゃんは携帯電話をテーブルの上に置いた。
「もうこれ以外、主がバグから逃れられる手段はありません」
携帯電話を手に取ると、最初に渡された時より重いような気がした。これでボタンひとつ押せば全ては終わり、元の生活に戻れるのだろうか。もしそうだとしたらオレは迷うことなくボタンを押すだろう。
「でもほんとは違う」
思ったことが口から出てしまい、テンちゃんが不思議そうな顔をした。オレは再び携帯電話をテーブルの上に戻し、テンちゃんの顔を見る。
「ごめんテンちゃん。オレには出来ない・・・」
無理だ、ボタンを押せない。だってオッサンが言ってたじゃないか、これは解決策ではないんだって。
「それは、どうしてですか?」
おちついた口調でそう尋ねるテンちゃん。どうしてって聞くのは当然だけど、自分でも頭の中がグチャグチャになって何て説明すればいいのか分からない。オレはしばらく迷ってから、こう口を開いた。
「バグのいない新しい街って、それって誰もいない街なんだよね。確かにバックアップした住人は今まで通り存在するんだろうけど、この事件に係わったファイブさんやカイトさん、それにテンちゃんや他の皆は全員消えちゃうんでしょ?結局オレ以外の人はみんないなくなって意味があるのかな・・・。ファイブさんはオレ一人だけを守りたかったんじゃないんだよね。なのに問題のオレだけが生き残って、いつかまたバグに見つかって街が消されて今度こそ終わりで・・・そんなの全然意味無いじゃんっ!」
最後はもう耐え切れず、怒鳴っていた。何でオレがどうしてオレがどうして何でこんなことにっ!今まで何とか抑えていたものが爆発してしまい、自分でもどうすればいいのか分からなくて、オレは自分の頭を両手で抱え込む。
「もうこんなの嫌だっ・・・オレは元の街に帰りたいんだよっ・・・」
こうなるともう止まらず、オレは思ったままを口に出した。バグの影に怯えながら過ごす生活がこれからずっと続くなんて考えられない。だからと言ってここにいつまでも留まる訳にもいかないし、どうしたらいいのか全然分からなくなった。
「主・・・」
悲しげなテンちゃんの声が聞こえる。そうだよな、テンちゃんだって何て言ったらいいのか迷うよな・・・。そう考えていると、テンちゃんが椅子から立ち上がる音が聞こえた。何だろうと思って顔を上げると、
「お願いします主、私にボタンを押させてくださいっ」
そう言って、深々と頭を下げられた。それにはオレも流石に面喰って、
「な、何で?・・・どうしてそこまでするの?」
するとテンちゃんはゆっくりと顔を上げ、
「私にとって例え他の人々が助かったとしても、主が助からなければ意味が無いのです。私はバグの傍にいながら何の異変も感じ取ることが出来なかった・・・。そのせいで主が巻き込まれてしまったのだから、これは私の責任なんです。ですからどうか、私に主を守るチャンスをくださいっ!そうでなければ私がここにいる意味が無いんです!」
訴えかけるように言った。テンちゃんはこんな状況でも諦めず、必死になってオレを守ろうとしている。オッサンやカイト、ネコノタマもそうだ。街を守ろうと自分の出来る限りのことを一生懸命やっていた。それに比べてオレはどうだろうかと考えると、もの凄く情けなく、恥ずかしい気持ちになった。オレは何も出来なかったんじゃない、何もやろうとしなかっただけだ。自分は被害者なんだという意識がいつもどこかにあって、誰かが助けてくれるのが当たり前だと思っていた。そして何にもしてないくせに、もう嫌だとか意味が無いとか勝手なことを散々喚いて・・・オレって最低じゃん。
「ごめん、テンちゃん」
今度はオレがテンちゃんに深々と頭を下げた。それから、ここにはいないオッサンやカイト、ネコノタマにも心の中で謝る。
「あ、主・・・?」
突然謝られたテンちゃんは当然困惑する。オレは頭を上げると、
「オレはやっぱりボタンを押すことは出来ない」




