2 主人公登場とひとりぼっち宣告
民家に追いやられるかのように建てられた古いアパートの一室でオレ、柏木燈真は歓喜に満ち溢れていた。
「いやったーっ!課題できたーっ!」
ゲームクリエイターを目指して専門学校に通っているオレは、只今夏休みの課題を遂にやり遂げたのだ。
「いやっほー!これでゲームがやり放題だー!ばんざーいっ!」
そんなことを喚きながら、今完成したばかりのゲームが入ったUSBをパソコンから取り外し、画面をデスクトップへ切り替えた。
そこにはオレの愛しの少女、テンちゃんがいる。テンちゃんとは、オレが作ったオリジナルキャラクター。赤い着物を着た、おかっぱ頭のかわいいかわいい女の子。
彼女は画面の隅でちょこんと正座をしてお茶を飲んでいる。自画自賛するわけではないが、いや自画自賛だが、その姿は溜息が洩れるほどかわいい。
「テンちゃーん!ただいまーぁ!」
もしこの部屋にオレ以外の誰かがいたらドン引きされるような猫なで声で、画面にすり寄る。テンちゃんはぱちくりと大きな目を瞬かせてオレを見る。
『主、メールが届いています』
テンちゃんはオレと違って冷静だ。クールに淡々と仕事をこなす。だから偉い子なんだけど、自分でそういう性格に作っておいてちょっと寂しかったりする。
「えー、メールなんか今どうでもいいよーぉ」
そんなことを言いながらも、健気に白い封筒を画面の中で手渡そうとしているテンちゃんを無視なんかできず、それをクリックして受け取った。
トウマ、もうすぐお迎えに上がります。待っていてくださいね。
メールにはそれだけ書いてあった。差出人は不明。一体何だこれは。
「これって、テンちゃんからオレへのラブレター?」
とりあえずそう聞いてみるが、テンちゃんの反応は特にない。そりゃそうだ、テンちゃんはオレの声にいちいち答えられる機能はついてないし、第一オレがそんなの作れない。
じゃあ、これは何だ・・・?
オレはメールを前に考えた。これは新作のホラーゲームの予告か?それとも単なるイタズラか?間違いメールか・・・?でもトウマってオレの名前だそ。
「うーん・・・」
オレはひとしきり考え、ある重大なことに気付く。それはデスクトップに表示されている時刻が夜中の二時だということ。オレは今猛烈に眠たく、疲れていること。そしてこんな訳の分からんメール、心底どうでもいいこと。
「よし、寝るか!」
この瞬間、オレはメールのことなんかすっぱり忘れ、明日どのゲームから始めるか決めていないことが唯一の心残りだと、問題はいつの間にかすり替わっていた。
「さーて、テンちゃんおやすみー」
そう言うとパソコンの電源を切り、オレは欠伸と共に敷きっぱなしの布団へと潜り込んだ。
深夜。誰もが寝静まる頃。
街全体を見渡せるビルの屋上に、それは立っていた。
高いフェンスの外側で、一歩踏み出せば世界へ真っ逆さまな所に、悠然と立っていた。
それは闇に浮かぶ白いシルエットで、無言のまま街を見下ろし、ゆっくりと両手を広げる。
するとそれが合図だったかのように、街の明かりが一斉に消え、暗闇が広がった。
翌朝、十時頃。
オレはゾンビのようなうめき声を上げながら、もぞもぞと布団から這い出て来た。
「おはようございます、主」
「おはよう、テンちゃん」
オレは眠い目を擦りながらテンちゃんに挨拶を返し、洗面所へと向かう。トイレを済ませ、顔を洗って寝ぐせの見事な頭はそのままで、戻って来る。
「昨日のメール、ちゃんと見てくれましたか?」
「ああ、うん。見たよ。でも訳が分かんなかった」
するとちゃぶ台みたいに小さなテーブルには、既にテンちゃんが朝食を用意してくれていた。真っ白なご飯とお味噌汁、それから納豆と卵焼きが並んでいて、お茶もちゃんと入れてくれている。流石テンちゃん、出来る子だ。
・・・・・。
・・・・ちょっと待て、これは夢なのか?
オレは立ち止り、考え込んだ。その場で腕組みをし、テンちゃんと素晴らしき朝食を交互に見る。
「どうかしましたか?主」
するとテンちゃんが心配そうにオレを覗き込む。うん、いつものテンちゃんだ、可愛い。
「違うテンちゃんここにはいなぁあああああいっ!」
次の瞬間、オレは絶叫にも似た叫び声を上げながら尻もちをつき、そのまま物凄い勢いで後ずさりをした。そしてすぐそばにパソコンがあるのに気づき、慌てて電源を入れる。出てきたのはいつものデスクトップ。そしてそこにテンちゃんはいない。
オレは約十秒間、目玉が飛び出しそうな程それを凝視した後、恐る恐るテンちゃんを振り返った。
「テンちゃん・・・」
キョトンとオレを見ているテンちゃんに声をかける。
「はい」
「・・・いつの間にパソコンから出られるようになったの?」
するとテンちゃんは少し考える素振りを見せた後、
「つい最近」
「つい最近・・・・?」
なぜかオレは、泣き出しそうになりながら聞き返した。テンちゃんは頷くと、
「主、とりあえず」
「とりあえず・・・?」
テンちゃんはホクホクとおいしそうに湯気を出す朝食を指さして、
「朝ごはんはしっかりと食べてください。腹が減っては戦はできぬと言いますから、話はそれからです」
そう言った。それどころじゃない、と返したい所だが、その後に何をどう聞けばいいのか混乱しすぎて分からない。しかもこういう時に限ってもの凄く腹が減っていたりする。
・・・まあ、相手は意味の分からん謎の宇宙人とかじゃないんだし、テンちゃんなんだし、詳しい話は後で聞けるみたいだし、せっかく作ってくれたんだから食べない訳にはいかないでしょ。
常にオレの胃袋を刺激するそれらを横目に、オレの下した判断がこれだった。
「いただきます」
「どうぞ」
というわけで、オレはきちんと正座をして頂くことにした。
ああ、ご飯にお味噌汁。こんなちゃんとした朝ご飯なんてどれくらいぶりだろう。
「ところで、テンちゃんは食べないの?」
「はい。私は食べるようには作られていませんから」
「作られて・・・・?」
「とにかく、それは後で話します」
「はあ・・・」
美味しいご飯を食べた後、オレは改めてテンちゃんに向き直る。まじまじと見ても、やっぱりテンちゃんはそこに実在していて、背筋をピンと伸ばし、正座をしている。年齢は十二歳くらいだろうか、パソコンで見るよりも大人びている。
「では主」
「はいっ」
テンちゃんの真剣な表情に、デレデレ見ていたオレも我に返って真面目に耳を傾けた。
「耳をすませてみてください」
「えっ・・・スタジオジブリ?」
「いいから」
有無を言わせないその口調に、オレは戸惑いながらも耳をすませてみる。
・・・別に何も聞こえない。
「あの・・・何にも聞こえないんだけど」
正直にそう答えると、テンちゃんは満足気に頷き、
「おかしいとは思いませんか?」
そんなことを聞いてきた。
え・・・?何が・・・?普通変な音が聞こえてくるとかなら分かるけど、何も聞こえないのがおかしいって、テンちゃんの世界ではそうなの?やっぱりパソコンの世界と現実とでは常識すら違うのか?
いや、もしかしたらここは限りなく現実に似ていて実際は全く違う異世界なのかもしれない。そう考えればここにテンちゃんがいるのも頷けるぞ、うん。
オレはあまりの訳の分からなさに現実逃避しながらも、とりあえず自分の知っている常識を説明することにした。
「いや、あのね、テンちゃん。君の世界では何も聞こえないのがおかしいことなのかもしれないけど、オレのいる世界では別に珍しいことではないんだよ。ああでも分かるよ、突然住む場所が変わって、今まで常識だと思ってたことが通用しなくなったってことオレにもあるから。だから気にせずに・・・」
「鳥のさえずりも、風の音も、人の気配も感じられません」
テンちゃんにそう遮られ、オレは言葉を失った。
無音。
オレとテンちゃんの会話が途切れると、それがたちまち襲いかかって来ることにようやく気がついた。そうだ。オレのいるアパートなんてボロだから、ちょっとした人の話し声だってすぐに聞こえるし、風が吹けば窓はガタガタ揺れるし、車の走る音だって聞こえるし。なのにそれが何ひとつ聞こえない。まるで時が止まったみたいに無音で耳が痛い。
「この街がおかしいことに、ようやく気づいてくれましたか?」
少し呆れ気味にテンちゃんが聞いた。オレは無言で頷く。
テンちゃんは咳払いをひとつした後、睨みつけているんじゃないかと思うくらい強い視線で、
「主、これから私の言うことを絶対に信じてくれますか?」
静かに、それでいてただならぬ緊張感を漂わせてそう言った。
「う、うん」
テンちゃんに気押されながらオレは頷く。思わずうんと言ってしまったものの、何がどうなってるのか分かりもしないのに、理由も無しに信じられる自信はオレには無い。でも、テンちゃんはオレの作った特別な思い入れのあるキャラクターだ。そんな彼女が目の前にいるのに冷たく突き放すなんて、例え夢でもできない。だからオレなりに精一杯、信じる努力はしてみる。
テンちゃんは一呼吸置いてから、
「この街には、主以外誰もいません」
言った。そしてオレは早くも嘘だと思ってしまった。
「えぇええええええええっ!?」
無音の世界も切り裂かんばかりの大リアクション。だってそうだろう、ある朝起きたら誰もいません、なんて言われてはいそうですかなんて返事、絶対しないだろう。
「えっ?ええっ?ちょっと待ってよそれ本気で言ってんのっ?誰もいないってどういうことっ?頼むからオレにも理解できるように説明してくれぇえええっ!」
謎のテンちゃん出現と言い、いきなりのひとりぼっち宣告と言い、オレの混乱はついに爆発した。
「ちょっ・・・落ち着いてください主っ。それにさっき信じてくれるって約束したばかりじゃないですか」
オレのあまりの声のでかさと混乱ぶりに驚いたのか、戸惑ったような声でテンちゃんが言った。でもそれ以上に戸惑ってるのはオレの方だ。それに約束って、よく考えれば全然フェアじゃない。
「だ、だってテンちゃんだってずるいじゃんっ!重要なことは隠しておいて約束させるなんてさぁっ!」
「それはこんなこと言ったら絶対信じてくれないと思ったからそうしたんです!主にはどうしてもこの現実を受け入れてもらわないと、話が一向に進まなくなるんですよ」
困ったような、そして助けを求めるようなテンちゃんの表情にオレは我に返り、言葉を詰まらせる。
テンちゃんは相当困ってるみたいなのに、言いがかりみたいなことをしたのはまずかっただろうか・・・。
ああ・・・まずかったに違いない。パソコンにいる時は気持ちの悪い猫なで声と共に親ばか満載で可愛がっていたくせに、出てきて都合の悪いことを言われた途端嘘だとか信じられないとか言うなんてオレは何て最低なんだろうっ!
「あ・・・あの、主?」
自責の念に駆られ、突如うめき声を上げながら頭を掻きむしるオレを見て、テンちゃんはあまりの混乱ぶりに発狂したとでも思ったのだろうか、さっきとは別の意味でかなり困っていた。
オレは掻きむしる手を止め、心の中でこう誓う。
オレはテンちゃんの生みの親なんだ。そんなオレがテンちゃんを信じられなくてどうする。何があっても訳が分からなくてもテンちゃんを信じよう。それがオレの義務なんだ。
テンちゃん。オレ、信じるよ!
そうテンちゃんに言おうとして、顔を上げた瞬間。
ピーンポーンパーンポーン。
気の抜けた音が、どこからか聞こえてきた。
「あー、マイクテストー。マイクテストー」
続いて聞こえてきたのは、やる気のなさそうな男の声。
「えー、生き残りのみなさーん。聞こえますかーあ?一体何がどうなったのか訳分からんと思いますがぁ、オレも全く訳分からんので一度みんなで集まって話し合いましょーう。という訳で、セントラルタワー一階の緊急会議室にしゅうごーう。時間は昼の十二時だからねー」
そこで放送は終わった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
突然すぎる放送に、オレとテンちゃんはお互いに顔を見合った。だからと言って何か解決策が浮かぶ訳でもなく、
「とりあえず、そのセントラルタワーに行ってみましょうか?」
「そうだね」
そうするしかなかった。




