12 バグとメア
正方形の真っ白な部屋。そこには窓もドアも何も無く、部屋と呼ぶより箱の中と表現する方が近い空間だった。
「あ、あれ……?何これ動かない……」
その部屋で床に胡坐をかき、ノートパソコンの画面を見た羽井メアは焦りの声を上げた。慌ててキーボードを叩くが、真っ黒な画面に数字やローマ字が流れるだけで特に変化は無い。
「くそっ!あの化けネコめっ!ボクのパソコン壊しやがったっ!」
全く操作が出来ないことが分かると、メアはそう怒鳴って力任せにノートパソコンを閉じた。ミシリと軋む様な音を最後に、部屋に無音が広がる。
ここはバグの作った空間だ。メアは誰よりも早くバグに出会い、そのままバグの後を追ってこの部屋へとやって来たのだ。
バグを初めて見た時、今までに無い興奮と胸の高まりがメアを襲った。思っていた以上にリアルな人間の姿をしている上に、その容姿や雰囲気が彼女の好みにピッタリと合ったことから、自分はバグに出会うために生まれてきた、バグは運命の人なんだと瞬時にそう確信した。
しかしバグはメアにあまり興味を示さず、それが彼女を焦らせた。とにかく自分を売り込もうと、メアはどれだけバグのことを尊敬し、自分がいかにバグにふさわしいかを語り出す。その内話は大きくなり、メアは燈真意外の四人を排除出来ると言ってしまったのだ。
ネコノタマ一人でこれだけ苦戦しているのをバグに見られたら、きっとこの部屋から追い出されるか、最悪殺されてしまうかもしれない。
メアは汗で濡れた手を強く握り、ノートパソコンを開いて再び起動させた。
その時、背後から足音が聞こえてきた。メアは大きな目をビクリと震わせ、ゆっくりと後ろを振り返る。そこにはバグが足早にこちらへ向かって来るのが見えた。メアは慌てて視線を戻し、とにかく壊されたパソコンを修復しようと急ぐ。しかし指が震えてなかなか先に進まない。
「おや、そのパソコン、壊れていますね」
背後に立ったバグがメアを見下ろし、そう言った。メアはバグを見ずに答える。
「う、うん。その、ネコノタマが思った以上に手ごわくて……。で、でも大丈夫だよっ。こんなのすぐに直して化けネコなんかやっつけてやるんだから!」
「心配しなくても大丈夫ですよ。最初からあなたがネコノタマに勝てるとは思っていませんでしたから」
穏やかな口調でバグは言い、そのままメアの横を通り過ぎようとして、
「何でっ」
メアの叫ぶ様な問いかけに足を止める。
「何でネコノタマに勝てないなんて、そんなこと言うのっ?だってバグは、大勢の人間の中からボクを選んでここに残してくれたんでしょ?ボクを認めてくれたんじゃないの?」
不安げな表情でそう尋ねるメアに、バグは小さく溜息を吐いてから、
「あなたを選んだのは偶然です」
淡々とそう答えた。
「ぐう、ぜん?」
意味が分からないと言いたげに、メアは聞き返す。バグはメアに向き直り、こう言う。
「そう。偶然、たまたまです。偶然、あなたはワタシの噂をチャットで知った。それを調べていく内に、ウワサの中でのワタシの存在があなたの理想とよく似ていることが分かった。いつしかあなたは噂の的となっているのは自分だと思い込むようになり、バグになりきって世間を騒がせるようなイタズラを繰り返した。そしてワタシはトウマを探している途中、たまたまあなたの流したコンピューターウイルスに邪魔をされ、その元を辿っていくと羽井メアという少女に当たったというだけです。トウマにいかにこの街が歪んでいて、ここにいては危険だということを知らせるために何人かの正常じゃないデーターが必要でしたので、偶然目に付いたあなたがその一人に選ばれただけのことです」
「ボクが、正常じゃない……?」
バグは口元に笑みを貼りつけたまま、大きく頷く。
「ええ、全く正常ではありません。あなたは自分が特別だと思えるのなら別にワタシが対象でなくても良かったんです。自分は他の人間とは違う、価値のある存在。しかし自分と同じ理想を持ち、認めてもらえる存在がなければ自己主張が出来ない。絶対に見つからない所でワタシのふりをして人と違うことをすれば、名前も顔も知らない大勢の人間が騒いでくれる。あなたはそれが楽しくてしょうがなかっただけでしょう?」
「違うよっ!ただボクはバグに認めてもらいたかっただけなんだ!ボクの存在に気づいてほしくてやったんだょ!トウマなんかより、ボクの方がずっと」
「トウマとあなたは違います」
メアの訴えをバグは冷たく遮った。いつもの貼りつけたような笑みは消え、まるで能面のように表情が無い。
「トウマの代わりはどこにもいない。この世でたった一人しかいないのがワタシの主なんです。彼は無条件でワタシを救ってくれた命の恩人です。噂を聞きつけて後から湧いてきたあなたと一緒にしないでください」
メアは今にも泣き出しそうな表情で何で、と小さく呟いた後、跳ねるように立ち上がり、
「ボクだってバグを救えるよっ!バグのためなら何だってするっ!だからお願い、ボクを傍に置いて!ボクにはバグしかいないんだ!」
そう叫んだ。そんなメアをバグは珍しいものでも見るように眺めた後、
「ワタシのためなら本当に何でも出来ますか?」
腰を少し屈めてメアの視線に近づくと、優しい声でそう尋ねた。メアはその大きな目に溜まった涙を手で拭いながら、
「うん、何でもするよ」
大きく頷いた。
セントラルタワーを出たオレ達は、少し離れた所にあるビジネスホテルへやって来た。
「こう暗いと何がどこにあるのか全然分かんないね」
ロビーを懐中電灯で照らしながら、オッサンが言った。他と同じくこのホテルの電気も切られてるみたいで明かりは一切無い。ホテル全体が静まり返っていて、まるで廃墟にでも肝試しに来たみたいだ。
「突然夜中に変えたのも、私達が遠くへ行けないようにするためだったのでしょうか」
「それもあるだろうねぇ。ところでホテルのブレーカーってどこにあるのか知ってる?」
そう言いながら、オッサンは懐中電灯であちこち照らしながら進み出す。その直後、突然ロビーの電気がついた。しばらく明かりのほとんど無い道を歩いていたものだから、眩しくて一瞬目が眩む。
「……」
全員が無言で息を飲み、警戒して辺りを見回す。テンちゃんはオレを庇うように前に出て来て、こんな小さな女の子に守られてるオレって何なんだと心底情けなく思った。
そんな緊迫した空気の中、目覚まし時計のアラームのような音が聞こえて来た。隣にいた赤石さんの体がびくりと強張るのが分かり、オレも何のホラーだとビビりまくる。
「あ、ゴメン。オレの携帯だ」
まるで緊張感の無い声でオッサンが言い、白衣のポケットから携帯電話を取り出す。どうやら相手はカイトのようで、ああそうなの?とかなーんだとか、明るい口調でオッサンは返している。そしてすぐに電話は終わり、
「ネコノタマ君がホテルの電気つくようにしてくれたんだって。これからカイト君と一緒にこっちに向かうそうだよ」
安心した声で言った。それを聞いた途端にオレを含む三人の緊張が一気にほどけた。でもどうせなら電気つける前に電話してほしかったなとも思う。
「それにしてもネコノタマさんは凄い方ですね。街の電気が全て切られた状態でどうやってこんなことが出来たのでしょう」
「うーん。最初から型破りな存在だとは思ってたけどねぇ。きっとオレら以上にこの街のシステムを知り尽くしてるんだろうね。どうやったのか是非知りたいよ」
オッサンは楽しげにそう言ったが、すぐに渋い顔をして、
「それからひとつ報告なんだけど、お譲ちゃんがバグ側についたらしいよ」
お譲ちゃんって、メアちゃんのことだ。最初に会った時からバグに憧れてたみたいだから、何となく納得はできた。だけどやっぱりショックだ。
「あの、すみません。椅子に座っていていいですか?少し目眩がしてしまって……」
再び辺りが静まり返った中、赤石さんが力無い声でポツリと言った。顔も青ざめてるし、すごく疲れてるみたいだ。
「構わないけど、大丈夫かい?」
オッサンも心配そうに声をかけ、赤石さんは弱々しく笑って大丈夫です、と答えるとゆっくりと椅子とテーブルが並んでいる方へ歩いて行った。




