10 バグが消えた後
「うわあぁっ!」
そんなものが目の前を高速で横切るものだから当然抑えていられる訳が無く、オレは即行で手を離した。って言うか、バグがいない。
「あれっ?」
バグが消えた。いつの間に?それともさっきのビームソードらしきものに斬られて消えちゃったとか?
キョロキョロと辺りを探しているとカイトが舌打ち混じりに、
「だから押さえていろと言っただろう」
右手からビームソードを生やしたままそう言った。
「そんなの無茶ですよっ!って言うかそんなもん出すなら出すって教えてくださいよっ!って言うか何ですかそれはぁっ!」
よくよく見ると思った以上に殺傷力のありそうなそれに、膝をガタガタ震わせながらオレは訴えた。当然のようにカイトはそれに答えず、数メートル先を無言で睨む。
カイトの視線の先にはバグがいた。一体この短時間でどうやってあそこまで移動したのか、ヤツは慌てた様子もなく服についた埃を払うような仕草をしてから、
「ふう、厄介なものが出てきましたね。それで斬られたらワタシも流石に無事ではいられませんでしたよ。危ない危ない」
呑気な口調でそう言った。
「これをもっと早く出しておけばよかった。貴様が最初に出て来た瞬間に斬りつけておけばよかったと後悔している。思った以上に話が通じない相手だった」
カイトは淡々と言いながらバグを睨みつける。一方バグはそんなこと気にもしていないようで、
「そうですか、あなたとは少し位は話が合うと思っていたのですが残念です。ですがワタシはあなた方と話し合うために来た訳ではありませんし……おっと、時間が来てしまったのでひとまずこれで失礼しますよ。次は街の崩壊時に会いましょう」
話している途中で懐中時計を取り出し、それを確認するとさっさと言いたいことだけ言って、まるでテレビの電源を消した様にプツンとその場から消えてしまった。しかし消える直前の優雅なお辞儀だけは完璧にやってのけ、頭を上げた瞬間、オレはバグと目が合った。慌てて目を逸らしたけど、そんなヘタレなオレをバグはにやりと笑った気がする。
「行っちゃったねぇ……」
嵐の去った静寂の中、オッサンが他人事のように呟いた。それからしばらく経った後、
「主」
テンちゃんの凛とした声が響いた。
「は、はいっ」
ぼんやりとしていたオレは驚きながらも返事をする。テンちゃんはオレを見据えると、
「バグの言うことを決して真に受けてはなりませんよ。彼はトウマの死を受け入れられないだけなのです。確かにトウマは今の主と似ている所があります。でも、実際のトウマを知っているからこそ私は断言出来ます。主はトウマではありません、貴方は柏木燈真と言う別の人間です」
そう言った。それを聞いた時、今までの絶望感は何だったのだろうと思うくらいに頭の中がスッキリとした。バグからテンちゃんの名前が出た時にはオレがトウマのコピーだってことが疑いの余地も無いと思ってたけど、テンちゃんの自信に満ちた表情を見てオレもただ弱気になってただけなんだなって気持ちを切り替えることが出来た。やっぱりテンちゃんの効果は絶大だ。
「うん、分かったよ。テンちゃん」
オレは大きく頷いて答えた。オレは柏木燈真だ、もう惑わされはしない。
満足気にそれを見ていたオッサンが、
「しかしまいったね……。まさか時間も止められるとは、さっきのはほんとにヤバかったよ」
ふと表情を曇らせ、溜息混じりに言った。
「バグは完全にこの街を乗っ取っています。彼がその気になればいつでもこの街を消すことが出来るでしょう」
テンちゃんが厳しい表情でそう返す。するとオッサンはテンちゃんを観察するような目で見ながら、
「君がトウマの作ったIAっていう……」
何かを考え込むように顎に片手を当てた。ああ、そうだ、忘れてた……。テンちゃんはバグの仲間でもおかしくないような立場だった。
内心ヒヤヒヤしていると、テンちゃんはオッサンに向き直り、
「はい、申し遅れました。私がトウマに作られたIAで、テンと申します」
ピョコンと頭を下げた。
「トウマに作られた……。バグじゃなくて?」
うわあ、やっぱり疑ってるっ!目がめっちゃ鋭くなってるよ!オレはいてもたってもいられなくなって、
「あのっ、テンちゃんはほんとに違うんですっ!一番最初にオレを助けようとしてくれたのはテンちゃんだしっ。もしテンちゃんがバグの仲間ならオレをここに連れて行こうとはしなかったはずです」
思いきって口を挟んだ。カイトがビームソードを構えたままオレを見る。だからそれを早くしまえって。
「主……私を庇ってくれなくとも良いのですよ。私はこの方々に斬り捨てられてもおかしくない存在なのですから」
「だからテンちゃんって何でそういうこと言うのっ!オレが斬り捨てられたら嫌なのっ!」
「そーそーその通りぃっ」
まさか同意が返ってくるとは思わなかった。しかも久しぶりに聞いた声のような気がする。誰だと思って振り返ってみると、そこにはネコノタマが立っていた。驚いたような周囲の視線があってもネコノタマにはそれは見えてはいないらしく、ただ一心に熱い眼差しを送っていた。
誰に?……テンちゃんに。
どう見てもコイツは、テンちゃんに一目惚れしている。ネコのくせして、女の子に恋をしているっ。
「て、ててててテンちゃん……」
珍しく緊張した様子だが、それでもフラフラとテンちゃんに近づいてくる。これ以上寄ったら許さん、というギリギリの距離で立ち止ると、
「お、オデ、ネコノタマって言うの……」
「はい、ネコノタマさんですね」
テンちゃんもこんなヤツ相手になんかしなくていいのに。それより早くテンちゃんから離れろ、ネコノタマっ!オレがイライラしながら見ている中、
「オデ……テンちゃんの味方だから……応援してるから……だから、……だから仲良くしてね」
直球に好きと言うかと思えば、案外奥手なネコノタマにオレは少しホッとする。しっかし味方だとか応援してるとか、テンちゃんのこと何も知らないのに偉そうに言うなあ、とやっぱり腹が立ってくる。
「はい、よろしくお願いしますね」
テンちゃんの花が咲いたような笑顔はネコノタマにとっても脳髄直撃だったようで、ヤツは顔どころか全身を真っ赤に染めると、
「いやぁあああああああああああああんっ!」
両手で顔を覆い隠してどこかへ走り去ってしまった。
「何だありゃ……」
オッサンが呆れたように言ってから、
「まあ、君とバグの会話からしてあんまり仲良くなさそうだし、仲間って訳じゃないみたいだね」
「はい、今は」
すぐに複雑そうな顔に戻り、テンちゃんが答えた。そんなテンちゃんをオッサンはしばらく見た後、次にカイトを見て無言で頷いた。するとカイトのビームソードが瞬く間に袖の中へ引っ込み、カシャンッと小さな機械音と共に元の右手が出てきた。ゲームみたいでカッコイイけど、一体この人の右手はどうなっているんだろう……。そうまじまじと見ていると、
「何だ?」
カイトが怪訝そうな目をオレに向けた。
「あ、いやっ、ハイテクな手だなあっと思って……」
慌てて返すと、オッサンが楽しげにこう言う。
「さっきの青い光、珍しいからって触っちゃ駄目だよ?あれはバグを破壊するために作った強力なプログラムだ。どんなデーターでも触れたら最後、一瞬で消去されちゃうからね」
「えっと、それってつまりちょっとでも触ったら即行死ぬってこと?」
オレの問いにオッサンは少し考えた後、
「死ぬってよりも消えるって表現した方が近いかな。死体も残らないしデーターそのものが消えるから勿論来世も無いよ、永遠にね」
死ぬと消えるの違いがオレにはよく理解出来ないが、とんでもない殺人兵器が今まで目の前にあったんだと分かり、生唾を飲んだ。でも、それだけ強力な武器があるのならバグを撃退できるのかもしれない。
「しかしそれを使うにせよ、バグが今どこにいるのかが問題ですね」
オレの考えていることがテンちゃんには分かるのか、難しい顔をしてそんなことを言ってきた。




